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第三章 第五節 エンマアイの記憶

第677話 女としてのプライドです。虚勢くらいはらせてください

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「レイさん、なにか作戦がありますか?」

 クララがそう尋ねてきたのを、レイは軽い驚きとともに返答した。
「どうしてそんなことを?。さっきまであなた率先してやってたわ」
「ええ……、まぁ……。あの……。さっきの見せつけられて、なんか、どうすればいいかすこしわからなくなったの」
「なにか迷ってるの?」
「そう、目の前の亜獣……、正確にはエンアイムの指先……を倒していいのかどうか」
「怖くなったの?。さっきアスカはタケルから嫌われるかもしれないって言ってた」
 クララは首を横にふった。
「怖くなったんじゃありません。タケルさんに嫌われるかどうかなんて……。そもそも、わたしはうしないたくないと思えるほどの、信頼や愛情をタケルさんから勝ち得ていませんわ。アスカさんほどにはね」
「そうなの?。さっき、アスカと……」

「それは女としてのプライドです。虚勢くらいはらせてください」

「じゃあ、何を迷ってるの?」

「今、この亜獣を相手にしていいものか、どうか悩んでいるんです」
 レイは頭を傾げた。いままでクララのする発言で、こんなに意味を汲みとれないことははじめてだと思った。

「どういう意味?」

「たぶん、わたしの思い過ごしだと思うんです。でも、この亜獣はわたしたちを足止めしようとしているのではないかと思えてならないんです。あの脳を餌にして」 
 レイはおどろきのあまり、おおきく目を見開いた。目のまわりの筋肉が一斉にひっぱられ、まぶたが最大級に引きあがっていくのが意識できる。
 それほどに驚いた。
 それは本来、自分が気づくべき可能性で、それに先にクララがたどり着いたことと、あの衝撃を受けた精神状態のなかで洞察力を駆使していたことへの反応だった。
 クララの思いも寄らないポテンシャル——。
 だがレイには嫉妬や焦りなどはなかった。
 ただ純粋に驚いただけだった。
「つまりタケルへの援軍を送らせないために、あの脳をわざと見せつけていると……」

「だって、レイさん。都合良すぎませんか?。ブライト中将の自宅を一群が襲ってきて、それがヒントになって、この地下都市への攻撃をしかけることになったんですよ。しかも見事に戦力を分散させられているんですから。そう考えると……」

 そこまで言ってクララは急に口をつぐんだ。
 その顔は言うべきか、言わないべきか、迷っているようだった。レイはモニタ越しにクララを、じっと見つめて決断を待った。それはおそらくたった数秒だったが、とてももったいぶって感じられた。

 ふと、レイはこの焦らすような反応は、今までまわりに人々に自分が味わせてきた感覚なのではないかと思い当たった。自分では意識していなかったが、こんなにも苛立たせていたのかと思い知らされる。

「そう考えると……」
 クララが自分の意見を続けた。
「この脳を破壊しようとそのものが、相手の策略にまんまとはまることだと思えるんです。たぶん、あの脳のなかにあるアイさんの記憶は、このあとタケルさんの心をかき乱してくるでしょう。それは間違いないと思います。だけど、わたしたちはその手札がどれほどあるのか、どれほど強力なものか知らない」
「だから早く止めなくちゃならない、とみんな焦ってる」

「でもそれこそが相手の思うつぼだとしたら?」

 レイは一瞬だけ頭を巡らせた。
 結論を導き出すのに、それほどの時間はかからなかった。

「クララ、あなた、たぶん正しい」
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