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第三章 第四節 エンマ・アイ

第626話 あの事件は夢ではなかったことがわかった

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 ぼくのベッドの脇に椅子をおいて、ベッドの縁に上半身をあずけるようにして眠っているアイがそこにいた。ぼくの足によりかかるようにして、掛け布団に顔うずめていた。
 
 その瞬間、あの事件は夢ではなかったことがわかった。
 あれは本当に起きたことなんだと——。

 マンゲツのコックピットで、メインモニタ越しに見たツルゴ・テツヤ叔父の最後の姿。命を投げ出す運命を受け入れたように、穏やかな表情で目を閉じていた。
 そして最後の父の姿——。
 荒れ狂う吹雪のなか、父がコックピットのハッチを開けて、からだを乗り出して叫んでいた。自分の声で直接ぼくと、ことばを交えたい。そう言って、こんな無茶な行動をおこしていた。

「夢じゃなかった……」
 悔しさと哀しみが一気に胸にせりあがってきた。思わずぐっと拳をにぎりしめた。とたんに体中の骨がきしんだ。からだのあらゆる部分にズキッと痛みが走る。
「ぼくが……、ぼくが殺した……」
 嗚咽おえつまじりのような声がでた。だが喉を詰まらせたわけでも、感極まったわけでもなかった。ありとあらゆるネガティブな感情に押し潰されているはずなのに、涙はでてこなかったし、気分が落ち込むことはなかった。
 憤りや怒りをただ、『認知した』。ただそれだけだった。
 だがそれでもいかばかりか、からだは強ばったのだろう。ぼくのからだの動きに揺さぶられたのか、アイがゆっくりと目をさました。
「あぁ、よかった。目がさめたのね」
 アイはひと言そう言っただけで黙り込んだ。
「アイ、なんにもよくない。父さんとツルゴおじさんが死んだんだ……」

「いや、ぼくが殺したんだ」

 ぼくは吐き捨てるように言った。が、すぐに後悔した。ことばにしたことで、自分がほんとうに父と叔父をあやめてしまった、という実感となって押し寄せてきたからだ。
 言わなきゃよかった——。
 苦々しいなにかが喉を這いあがり、重々しいなにかが胸を押し潰しそうとのしかかってくる。ぼくはベッドにのうのうと横たわってなんかいられなくなった。感情をスムーズに発露できない体質になっているのだ。
 こんなにも残酷な結末を押しつけられても、その感情の行き先がない。
 ぼくはからだのあちこちに取り付けられたセンサーをはずしてベッドから降りようとした。
「ちょ、ちょっとぉ、タケル、なにする気?」
 アイがぼくのからだに手を押しつけて、それをとめようとする。と同時に、内耳に直接共鳴する警告パルスが鳴り、続けて、状況をといただすAI医師の映像が中空に現れた。

『タケルさん。なにをしているんですか!』
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