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第二章 第二節 電幽霊(サイバー・ゴースト)戦
第204話 なんてきれいな指……
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ブライトの部屋のなかはひんやりとしていた。
春日リンは彼の部屋に入ることは馴れていたが、こうやって一人でひそやかに入室するのははじめてだった。
内部を見渡してみる。部屋の温度は『サティスファイ・コントロール』で完璧に調整されている。とくにこれといった調度や機械もない、ほぼ作りつけ状態で無味乾燥を絵にかいたような部屋では、これが最適な室温なのだろう。
リンにとって気がかりだったのは、ブライトが自分の部屋のどこかに『四解文書』の痕跡を残していないかということだった。
ブライトは、聞いたことや、思いついたことを、どこかに書き留める癖がある。昔、調査依頼した報告書にそのような記述があった。
自分が出会ってからは、そのような突拍子もない行動をとったことは一度もなかったが、毛ほどの不安であっても払拭しておきたかった。大丈夫だと確信してはいても、あの憔悴っぷりを目のあたりにすれば、ショックのあまり、思いもよらない行動をおこしていないとは断言できない。
リンはひき出しやベッド回りを探ってみたが、それらしいものは見当たらなかった。壁面につくりつけの保冷庫を開けてみる。ブライトが愛飲している、培養コーヒーと合成ビールの缶が並んでいた。
その時、入口がすっと開いて、カツライ・ミサトが入ってきた。
「あら、先客がいたのね!」
ミサトはリンの姿を認めるなり、快活な声をあげた。相手に後ろめたさを感じさせないように配慮された声色だった。そういう反応を自然にこなせる女だと理解した。
リンもその意をくんで、まずいところを見咎められたとは、これっぽっちも感じていないように振る舞った。
「ブライトに頼まれごとでね」
「あの人の彼女は大変よねぇ」
その言い分に多分に挑発の色がこもっていたので、リンにはあえてそれに乗っかってみることにした。
「そりゃ、元彼女のあなたもよくご存知でしょ」
「ええ、うんざりするくらい存じてるわぁ」
ミサトが実感をたっぷり含みもたせたような口調で言った。
「で、カツライ司令……。ここになにをしに?」
「ミサトでいいわよ」
リンはその申し出に軽く会釈するようなしぐさをしてから言った。
「そう、ミサト。じゃあ、私もリンと呼んでもらえるかしら」
「OK、リン。私は輝の……、ブライト司令官の日記をチェックしにきたの」
臆面もなく、ブライトのことを輝と呼んでいることが、癇にさわったが、そんなことをおくびにも出さずに訊いた。
「日記?」
「リン。私、彼の数年分の実績をひきついで指揮しなきゃいけないの。日々、彼が何を思っていたか、どんな気持ちでいたのか、把握しとかなきゃならないの」
「毎回、報告書が提出されてたでしょう?。それじゃあだめなの?」
そう言いながら冷蔵庫の中から、コーヒーを二本とりだすとミサトに一本手渡した。
「んーー。そうじゃないのよね。報告するためのきれいごととか、客観的考察なんてどうでもいいの。私は彼が本音のところでどう思っていたのか、どうしようとしていたのか知りたいのよね」
「でも、それってプライバシーの侵害にあたるでしょうに」
「許可はもらってるわぁ」
ミサトは中空に指を這わせると、滑らかなタッチで画像を呼びだしはじめた。
なんてきれいな指……。
軽やかに中空をつま弾くミサトの細くて白い指になぜかひきつけられた。
リンは自分の指の間接が骨ばって、女性らしさに欠けているのを知っていた。
科学者ではあったが、デミリアンとの日々は力仕事も多く、筋肉質のからだつきはむしろ職人に近かった。だから、たおやかさを感じる指にはいくばかりかの憧憬があった。
ブライトはあのほそい指に、自分の指をからませて愛を語り合ったのか……。
ちょっとした嫉妬心がこみあげてきた。
「ほらね」
ミサトがさしだした映像には、何やら承諾書らしきものの写しが表示されていた。
「そう。じゃあ、しかたがないわね」
リンはものわかりが良さげに一度息をついた。
「だけど、私と輝のあられもない姿が記録されていたとしても、おどろかないでちょうだいね」
ちょっとしたいじわる。自分勝手だけど、嫉妬させられたことへの返礼……。
ミサトがきょとんとした顔をしたかと思うと、勘弁してとばかりに手をふった。
「大丈夫よ。そんなのあっても見ないわぁ。だいたい私も彼の性癖、知ってるしね。どうせ、いつものように一本調子で雰囲気も何にもないんでしょ」
リンはその口調に思わず吹きだした。
「まいったわね。そのとおりよ。あの人、昔から進歩ないのね」
「パートナーを喜ばせようという気概に欠けんのよ。そつはないんだけど、冒険はしないの」
「ほんと、そのとおり。へたじゃないけど、ルーティンから外れるような真似はしないのよね」
「でも中将までのぼりつめたのはたいしたものよ」
「失点をしない生き様が身上だもの。つまらない男よ」
「リン、それはちょっといいすぎよ」
「まぁ、そうね。訂正するわ。指揮官としてはそう、まぁ、胸を張っていいと思うわ。数字上は、歴代で一番亜獣を退治した指揮官だしね」
「そうなのよねぇ……。プレッシャーを感じる」
「プレッシャーを?」
「臨時とはいえ、一体も倒さずにお役御免にしてもらえるなんて、甘っちょろいわけないじゃない」
「大丈夫よ。ミサト、あなたなら、ブライトとはちがったやり方でうまくやれると思うわ」「そう言ってもらえると、とっても心強いわね」
そう言うと、ミサトが手をさしだした。
「リン、サポートをよろしく頼むわ」
リンは一瞬その手の先を見つめた。あの細くて白い指先……。
だが、すぐににっこりと笑うと、その手をゆっくりとにぎりしめた。
「こちらこそ、ミサト。ぜひ役にたたせてもらうわね」
思ったよりひんやりと冷たい指先だった。
春日リンは彼の部屋に入ることは馴れていたが、こうやって一人でひそやかに入室するのははじめてだった。
内部を見渡してみる。部屋の温度は『サティスファイ・コントロール』で完璧に調整されている。とくにこれといった調度や機械もない、ほぼ作りつけ状態で無味乾燥を絵にかいたような部屋では、これが最適な室温なのだろう。
リンにとって気がかりだったのは、ブライトが自分の部屋のどこかに『四解文書』の痕跡を残していないかということだった。
ブライトは、聞いたことや、思いついたことを、どこかに書き留める癖がある。昔、調査依頼した報告書にそのような記述があった。
自分が出会ってからは、そのような突拍子もない行動をとったことは一度もなかったが、毛ほどの不安であっても払拭しておきたかった。大丈夫だと確信してはいても、あの憔悴っぷりを目のあたりにすれば、ショックのあまり、思いもよらない行動をおこしていないとは断言できない。
リンはひき出しやベッド回りを探ってみたが、それらしいものは見当たらなかった。壁面につくりつけの保冷庫を開けてみる。ブライトが愛飲している、培養コーヒーと合成ビールの缶が並んでいた。
その時、入口がすっと開いて、カツライ・ミサトが入ってきた。
「あら、先客がいたのね!」
ミサトはリンの姿を認めるなり、快活な声をあげた。相手に後ろめたさを感じさせないように配慮された声色だった。そういう反応を自然にこなせる女だと理解した。
リンもその意をくんで、まずいところを見咎められたとは、これっぽっちも感じていないように振る舞った。
「ブライトに頼まれごとでね」
「あの人の彼女は大変よねぇ」
その言い分に多分に挑発の色がこもっていたので、リンにはあえてそれに乗っかってみることにした。
「そりゃ、元彼女のあなたもよくご存知でしょ」
「ええ、うんざりするくらい存じてるわぁ」
ミサトが実感をたっぷり含みもたせたような口調で言った。
「で、カツライ司令……。ここになにをしに?」
「ミサトでいいわよ」
リンはその申し出に軽く会釈するようなしぐさをしてから言った。
「そう、ミサト。じゃあ、私もリンと呼んでもらえるかしら」
「OK、リン。私は輝の……、ブライト司令官の日記をチェックしにきたの」
臆面もなく、ブライトのことを輝と呼んでいることが、癇にさわったが、そんなことをおくびにも出さずに訊いた。
「日記?」
「リン。私、彼の数年分の実績をひきついで指揮しなきゃいけないの。日々、彼が何を思っていたか、どんな気持ちでいたのか、把握しとかなきゃならないの」
「毎回、報告書が提出されてたでしょう?。それじゃあだめなの?」
そう言いながら冷蔵庫の中から、コーヒーを二本とりだすとミサトに一本手渡した。
「んーー。そうじゃないのよね。報告するためのきれいごととか、客観的考察なんてどうでもいいの。私は彼が本音のところでどう思っていたのか、どうしようとしていたのか知りたいのよね」
「でも、それってプライバシーの侵害にあたるでしょうに」
「許可はもらってるわぁ」
ミサトは中空に指を這わせると、滑らかなタッチで画像を呼びだしはじめた。
なんてきれいな指……。
軽やかに中空をつま弾くミサトの細くて白い指になぜかひきつけられた。
リンは自分の指の間接が骨ばって、女性らしさに欠けているのを知っていた。
科学者ではあったが、デミリアンとの日々は力仕事も多く、筋肉質のからだつきはむしろ職人に近かった。だから、たおやかさを感じる指にはいくばかりかの憧憬があった。
ブライトはあのほそい指に、自分の指をからませて愛を語り合ったのか……。
ちょっとした嫉妬心がこみあげてきた。
「ほらね」
ミサトがさしだした映像には、何やら承諾書らしきものの写しが表示されていた。
「そう。じゃあ、しかたがないわね」
リンはものわかりが良さげに一度息をついた。
「だけど、私と輝のあられもない姿が記録されていたとしても、おどろかないでちょうだいね」
ちょっとしたいじわる。自分勝手だけど、嫉妬させられたことへの返礼……。
ミサトがきょとんとした顔をしたかと思うと、勘弁してとばかりに手をふった。
「大丈夫よ。そんなのあっても見ないわぁ。だいたい私も彼の性癖、知ってるしね。どうせ、いつものように一本調子で雰囲気も何にもないんでしょ」
リンはその口調に思わず吹きだした。
「まいったわね。そのとおりよ。あの人、昔から進歩ないのね」
「パートナーを喜ばせようという気概に欠けんのよ。そつはないんだけど、冒険はしないの」
「ほんと、そのとおり。へたじゃないけど、ルーティンから外れるような真似はしないのよね」
「でも中将までのぼりつめたのはたいしたものよ」
「失点をしない生き様が身上だもの。つまらない男よ」
「リン、それはちょっといいすぎよ」
「まぁ、そうね。訂正するわ。指揮官としてはそう、まぁ、胸を張っていいと思うわ。数字上は、歴代で一番亜獣を退治した指揮官だしね」
「そうなのよねぇ……。プレッシャーを感じる」
「プレッシャーを?」
「臨時とはいえ、一体も倒さずにお役御免にしてもらえるなんて、甘っちょろいわけないじゃない」
「大丈夫よ。ミサト、あなたなら、ブライトとはちがったやり方でうまくやれると思うわ」「そう言ってもらえると、とっても心強いわね」
そう言うと、ミサトが手をさしだした。
「リン、サポートをよろしく頼むわ」
リンは一瞬その手の先を見つめた。あの細くて白い指先……。
だが、すぐににっこりと笑うと、その手をゆっくりとにぎりしめた。
「こちらこそ、ミサト。ぜひ役にたたせてもらうわね」
思ったよりひんやりと冷たい指先だった。
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