上 下
147 / 1,035
第一章 最終節 決意

第146話 リンは、人生で最大の快哉を心の奥底で叫んだ

しおりを挟む
「ひかるぅぅぅ!!!」
 轟音とともにプルートゥの手のひらが、ブライトの上から叩きつけられた時、春日リンは声にもならない声をあげて、雨の中に駆け出していた。今、目の前で見た光景には、希望のひとかけらもなかった。だが駆け寄らずにはいられなかった。
 ただの人間には興味がない——。
 だからリンは人の生き死に対する感情もぞんざいだった。
 だが今、目の前でプルートゥに叩き潰された人間は、自分にとって『ただの男』ではなかった男だ。

 何年前だったろうか……。
 ブライトとはイギリスでクラブ歌手をやっていた時に出会った。高級クラブではなかったが、国際連邦軍の軍人御用達で名をはせたクラブだった。
 リンが歌い終えて客席の方へ挨拶に降りていった時、ブライトの方から声をかけてきた。彼はほかの軍関係者と同様、所属がひと目でわかるよう軍服を着ていた。軍服は何よりも人々の注目を集め、女性に言い寄るための小道具なのだから当然だ。この場所に平服で来るほうがどうにかしている。
「君、いい歌だったよ」
「どうも。ほかのお客様には今いちだったようだけどね。ほら、オールドスタイルのジャパニーズ・ソングだったから」
「そうかい。ボクにはどれも懐かしくて心にしみたけど……」
 えぇ、そうでなくては困る。あなたの好みを知るのに、どれだけの費用がかかったことか。おかげでほかのお客から総スカンだ。
「ありがとう。私はリン、ミア・メイ。これでも半分は日本人。リンって呼んで」
「そうか、リン。ぼくは一条輝《いちじょうひかる》。生粋の日本人だ」
「あなた、国連軍の士官ーー」
 リンはブライトの胸元にわざとらしく視線をむけながら言った。ブライトはその視線に気付いて、おなじようにわざとらしく胸の軍章を確認した。
「ああ。そうだとも。世界を守っている一員だよ」
「へえー。この間もマルセイユに現れた亜獣のせいで、大量の犠牲者がでたってきいたけど……」
 リンが皮肉交じりにブライトを煽った。
 このおとこはそういうプライドを刺激する物言いに、あからさまに反応する。
 報告書からの分析では、そうあった。
「あぁ、そうだな。5000人以上の犠牲がでた」
「全然、守れているとは言えないんじゃないかしら?」
「残念だよ。あの司令官はいつもデミリアンをうまく使いこなせてない。初動が遅すぎる。し、NATO軍との連携がなってない」
「あら、まるであなただったら、うまくやれるみたいじゃない?」
「自信はある。今、日本支部への配属を請願中だ」
「日本支部?。あなたがデミリアン部隊を率いるの?」
「あぁ、ぼくがこの手で世界を守ってみせるつもりた」
 リンはあからさまなビジネススマイルをして見せた。
「へー、すごいわね」
「期待してもらいたい。まぁ、まだ配属は確定してないんだがね」
 にこやかな笑みを貼りつけていた、リンの表情がすっと真顔になった。
「軍人さん。あなた、デミリアン、各機の勝率は言える?」
「勝率?」
「各機の歴代パイロットの名前と経歴、現在の名機のパイロットの名前は?」
「なんだい。やぶから棒に……」
「旗鑑「セラ・ムーン」。パイロットは日本直江《やまと・なおえ》、『セラ・マーキュリー』には副官の敦午鉄也《つるご・てつや》、セラ・マーズには17才の神名朱門《かみな・あやと》。まともに戦えるのはこの三機のみ」
「いや、しかしデミリアンは今、五体稼働している……」
「えぇ、そうね。たしかに子供たちが、この殺戮に参加している。茆目 愛《えんま・あい》、12歳。セラ・ヴィーナス、パイロット。そして、最後の一機セラ・ジュピターにはまだ9歳の少年が乗ってる。指揮官の日本 直江《やまと・なおえ》の一人息子、日本託慧月《やまと・たける》がね」
 リンは一気にまくしたてた。つけ入る隙をいっさい与えない。この男は押しに弱い。特に高圧的な女性が好み……。それも調査済だ。
「ず、ずいぶん詳しいんだな」
 気圧された様子のブライトに、リンには挑戦的な目をむけた。
「詳しい?」
「えぇ、詳しいってものじゃないわ。どれだけの期間、MITでデミリアンの研究に没頭してきたと思うの?。科学誌に発表した論文も10や20じゃない……」
「私はデミリアンに世界一詳しい。そう自負してる」
「な、なら……、ど、どうして、こんなところで歌手を?」
 ブライトはリンの気迫に飲まれていたが、なんとかそれを払拭しようとして、当然といえる疑問をリンに投げかけてきた。その声色には疑念が混っていた。
 あぁ、その質問を待っていた。
 リンは目の前のテーブルに置かれたブライトの酒に、やにわに手を伸ばすと、承諾もなしに、くっと呷るなり言った。
「飽きたからよ」
「飽きた?」
「えぇ。実物にほとんど触れる機会のない研究、実戦で活かせもしない成果、採用もされない画期的な戦術……、もうそんな現実に飽き飽きしたの」
 リンはブライトの目を見すえて訴えた。
 ここが勝負どころ……。
「私はあなたのように『たられば』で語ってるわけじゃない。私はそれだけの時間を費した。あなたがデミリアンを指揮して、人々を救ってみせるという自信以上に、私は戦いを優位に進める自信がある。だけど、私にはそれを活かせるチャンスに恵まれなかった」
「だから、私はあきらめて、『リ・プログラム』を受けて、まったく違う、あたらしい人生に足を踏み出すことにしたの……」
 ブライトがごくりと唳をならした。
 こちらがちらつかせた餌に、いまにも食いつきそうだ。
「リン……」
 ブライトはゆっくりと口を開いた。
「その話、別の場所でゆっくり聞かせてもらえないだろうか……」
 リンは、人生で最大の快哉を心の奥底で叫んだ、その時のことを今も鮮明に憶えている。
 あの時から、自分の本当の人生がはじまったのだ。それはブライトという男なしには実現しえなかったことだ。うまく策に嵌まってくれたことも含めて感謝している。

 目の前の光景をふさいでいたプルートゥの手のひらがふいに持ちあがった。ハッとしてプルートゥの方を見ると、うしろからアスカのセラ・ヴィーナスが襲いかかるところだった。リンは反射的になにかアスカにむかって声をあげた。自分でもなにを言ったかは覚えていない。プルートゥの手のひらがあった場所に、倒れているブライトの姿に目を奪われていた。
「輝!!」
 雨にじっとりと濡れた白衣が体にまとわりついて走りにくかったが、リンは全力でブライトの元へ駆けよった。
 ブライトはからだを「くの字」に曲げて横臥していた。彼のからだの回りをさっと回し見る。血や体液があたりに流れ出している様子はない。見えている範囲内では、どこにも外傷をおっているような部分は見て取れない。ただ、なにかぬめっとした粘液があたりにまき散らされており、それらの多くはブライトの体の上にも大量に付着していた。
 これは何?。
 ふいにブライトが呻いた。
 生きてる!!。
 リンはブライトの脇に膝をついて、体をゆさぶった。
「輝、大丈夫?」
 ブライトがゆっくりと目をひらいた
「リン……か……」
「輝、大丈夫なの?、痛いところない?」
「大丈夫だ、怪我はない。リョウマが……最後の瞬間、わたしを助けてくれた」
「リョウマが?」
「手のひらが直撃するギリギリで、プルートゥは指をおおきく開いてぼくのからだを避けた。私は指の又と又の間でかすり傷ひとつ負わずにすんだ」
「偶然じゃなくて?」
「いや、リョウマの声が聞こえた……」
 苦笑いらしい表情をブライトが浮かべた。
「あいつ……、わたしに言付けを頼んできたよ」
「本当に?。まだ自我があるってこと?。だったら、リョウマをまだ救えるかもしれないじゃない!」
 希望に思わず声を張ったリンの顔を見あげながら、ブライトは弱々しく首を横にふってみせた
「それはもう……。リン、君が一番良くわかってるはずだろ。この世で一番あいつらに詳しいんだから……」
 リンはブライトに弱々しく笑ってみせた。
「ええ、そうね……」
 ブライトは首を反対にむけると、プルートゥのうしろ姿を見ながらつぶやいた。
「それに、たとえ救いだせたとしても、リョウマは自分の罪を一生背負って生きてはいけやしない」
 リンはブライトの顔に手をあてながら言った。 

「そうね。それは……、あなたのほうが詳しい……」
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

ズボラ通販生活

ice
ファンタジー
西野桃(にしのもも)35歳の独身、オタクが神様のミスで異世界へ!貪欲に通販スキル、時間停止アイテムボックス容量無限、結界魔法…さらには、お金まで貰う。商人無双や!とか言いつつ、楽に、ゆるーく、商売をしていく。淋しい独身者、旦那という名の奴隷まで?!ズボラなオバサンが異世界に転移して好き勝手生活する!

スペーシアフォース

山ピー
SF
宇宙で平和を守るヒーローの物語

簡単な水増しほど簡単にはいかないモノは無い

蓮實長治
SF
地獄への道は、善意や悪意で舗装されているのでは無い。 安易な選択をする事こそが地獄への道に足を踏み入れる事なのだ。 「なろう」「カクヨム」「アルファポリス」「pixiv」「Novel Days」「ノベリズム」「GALLERIA」「ノベルアップ+」に同じモノを投稿しています。

華の剣士

小夜時雨
ファンタジー
遥か昔、燐の国の王は神の加護を得て、獣を意のままに操る血族となった。その燐で生まれたハヨンは、幼き頃にある少年に助けられる。その少年の手がかりは、剣の柄に描かれていた紋章から、王族であるということのみ。昔の恩返しのために、ハヨンは史上初の女剣士を目指す。 しかし城内では派閥により大混乱で…。

〈完結〉世界を大きくひっくり返しかき回し、またお前に会えたとしても。

江戸川ばた散歩
SF
「婚約破棄を力技で破棄させた理由と結果。」の元ネタ話。 時代は遠未来。ただ生活は現代のそれとそう変わらない。所詮食べ物だの着るものなどはそう変わるものではないということで。 舞台は星間統一国家を作った「帝都政府」と、それぞれ属国的な独立惑星国家のあるところ。 「帝国」と「属国」と思ってもらえばいいです。 その中の一つ「アルク」で軍におけるクーデター未遂事件の犯人が公開処刑されたことを皮切りに話ははじまる。 視点は途中までは「アルク」にて、大統領の愛人につけられたテルミンのもの。彼がその愛人を世話し見ているうちに帝都政府の派遣員とも関係を持ったり、愛人の復讐に手を貸したり、という。 中盤は流刑惑星「ライ」にて、記憶を失った男、通称「BP」が収容所で仲間と生き残り、やがて蜂起して脱出するまでの話。 後半は元大統領の愛人が政府を乗っ取った状態を覆すために過去の記憶が曖昧な脱走者達が裏社会とも手を組んだりして色々ひっくり返す話。 その中で生き残って会いたいと思う二人は存在するんだけど、十年という長い時間と出来事は、それぞれの気持ちを地味に変化させて行くという。 そんで出てくる人々の大半が男性なんでBL+ブロマンス要素満載。 カテゴリに迷ったけど、この設定のゆるゆる感はSFではなくファンタジーだろってことでカテゴリとタイトルと構成と視点書き換えで再投稿。 ……したはずなんですが、どうもこの中の人達、恋愛感情とかにばかり動かされてるよな、社会とかそれ以外の他人とか、ということでBLに更に変更。 適宜変えます(笑)。 初稿は25年近く昔のものです。 性描写がある章には※つきで。

シグマの日常

Glace on!!!
SF
 博士に助けられ、瀕死の事故から生還した志津馬は、「シグマ」というね――人型ロボットに意識を移し、サイボーグとなる。  彼は博士の頼みで、世界を救うためにある少女を助けることになる。  志津馬はタイムトラベルを用い、その少女を助けるべく奔走する。  彼女と出会い、幾人かの人や生命と出逢い、平和で退屈な、されど掛け替えのない日常を過ごしていく志津馬。  その果てに出合うのは、彼女の真相――そして志津馬自身の真相。  彼女の正体とは。  志津馬の正体とは。  なぜ志津馬が助けられたのか。  なぜ志津馬はサイボーグに意識を移さなければならなかったのか。  博士の正体とは。  これは、世界救済と少女救出の一端――試行錯誤の半永久ループの中のたった一回…………それを著したものである。    ――そして、そんなシリアスの王道を無視した…………日常系仄々〈ほのぼの〉スラップスティッキーコメディ、かも? ですっ☆   ご注文はサイボーグですか?   はい! どうぞお召し上がり下さい☆ (笑顔で捻じ込む)

いくさびと

皆川大輔
SF
☆1分でわかる「いくさびと」のあらすじ →https://www.youtube.com/watch?v=ifRWMAjPSQo&t=4s ○イラストは和輝こころ様(@honeybanana1)に書いていただきました!ありがとうございました!       ◆□◆□◆□◆ 時は、2032年。 人のあらゆる事象は、ほぼ全て数値で管理できるようになっていた。 身長や体重、生年月日はもちろん、感情や記憶までもが、数値によって管理されている。 事象の数値化に伴って、行動履歴なども脳内に埋め込まれた機械〝シード〟によって記録されるようになり、 監視社会となったことで犯罪率も格段に低下していた。 しかし、そんな平和にも思える世界で、新しい火種が生まれだそうとしていた。 突如、全身を黒く染めた怪物が、街に出現し始めたのだ。 前触れもなく街に現れ、見境なく人を襲う存在――〝シカバネ〟。 ただ、そんな人に危害を加えるような存在を見逃すほど世界は怠けてはいない。 事件が起こるやいなや、シカバネに対抗しうる特殊な能力を持った人間を集め、警察組織に「第七感覚特務課」を新設。 人員不足ながら、全国に戦闘員を配置することに成功した。 そんな第七感覚特務課・埼玉支部に所属する桜庭大翔は、ある日、シカバネとなりかけていた姫宮明日香と遭遇する。 感情を失い、理性を失い、人ではない存在、〝シカバネ〟になりかけている少女に、少年は剣を向けた。 己の正義を執行するために。 この出会いは、偶然か運命かはわからない。 一つ確かなのは、二人が出会ったその瞬間から、未来が大きく動き出すことになったということだけだった。

彼女の嘘と、幼き日の夢

如月ゆう
SF
 目を覚ますと、そこは見知らぬ場所だった。  目の前には少女が一人。宝石のような紅い瞳と真っ白な肌と髪が特徴的で――。  これは私と彼女が出会い、別れるまでの物語。  ― ― ― ― ― ― ― ―  小説投稿サイト『エブリスタ』より『三行から参加できる 超・妄想コンテスト 第76回「優しい嘘/悲しい嘘」』投稿作品の原文です。  ありがたいことですが、ピックアップルーキー賞を頂きました。

処理中です...