狗神と白児

青木

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本編

第二十三話 罪滅ぼしと恩返し

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 大福は斑の部屋に入るや否や平伏した。
「だ、旦那様、すみませんでした」
「何故謝る?」
「だって、あの、さっき、オイラ、契りのこと聞いちまったから……」
 血盟同士が生殺与奪を握り合っているのは勿論、それを知った者も二人の弱味を握ったことになる。例えば、シロを殺せば斑も殺せてしまう。そんな真似をするつもりは毛頭無いが、それこそ歌天や楽助といった高位の妖に、弱味を売りつけることさえ出来てしまう。
 面を下げたままの大福に、斑は穏やかに言い切った。
「福ノ丸。私は、お前を信じている」
 真名で呼ばれ、はっとして大福は顔を上げた。
 斑の口元には、僅かな笑みが浮かんでいる。
「お前との付き合いなど百年にも満たない。だがね、私にとってお前という存在は、とても貴重だよ」
「どうして、オイラなんかが……」
「初めて会った時、お前は私を真っ直ぐに妖として見てくれた。この半端な〈擬人〉に対して、奇異の目を向けなかった。鎌鼬から逃げ仰せたばかりで、それどころではなかっただけかもしれない。助けを乞うことで頭がいっぱいだっただけかもしれない。しかし私には充分な意義があったのだ、お前に『大福』という名を与えるのには」
 大福は驚愕した。自分を引き取り、通名を授けた理由を打ち明けられたのは、初めてだった。しかも、大福にとってその理由は、「そんなこと」だった。幼い大福にとって〈擬人〉の容姿などどうでもいい。ただ、斑という妖怪は、自分を救ってくれた神様なのだから。
「私の過去のこと。シロと結んだ血盟のこと。今まで黙っていてすまなかった。一番の従者に先に伝えるべきことだが、機会が掴めなかった」
 大福は居た堪れない気持ちになり、遠慮がちに窺う。
「旦那様、昔の話は本当なンですか……」
「私自ら出自を語っても、まだ信じられないか」
「……はい。だってオイラにとって旦那様は、神様みたいなお方だから……」
 大福は高次存在に善性を見出しているらしく、それと斑を並び立てるのは、最上級の敬意だ。
 しかし当人は、自分にそんな資格は無いと思っている。
「お前にとって私が、これからも仕えるに値する主かどうか、よく見極めてほしい。私がお前に黙っていた分だけの、考える時間を与える」
 苦々しい言葉と共に退室させられた大福は、迷いの色を帯びる面持ちで二階へと上がっていった。

 シロは、洗った食器の水気を手拭いで取り、所定の位置にそれぞれ片付けている。先日都で買ったばかりの汁椀を、普段使いの棚に並べた。
 一通り綺麗にした流しの中で、残っている包丁を手に取る。まだ研ぐ必要の無い鋭さを湛えている刃。
 背後から低い声が聞こえた。
「もう一度、確かめてみるか」
 冗談とも本気ともつかない、落ち着き払った斑の口調。
「それで肌を切れば、呪術師の配慮の無い傷となる。痛いぞ。もしくは私の体に突き刺してもいい。多分、その程度では死ねないが。私も、お前も」
「そんなつもり、ありません。せっかく助けてもらった命ですし」
 シロは拭いてから包丁差しに仕舞い、呆れて笑みをこぼした。
「訊きたいことはあるか」棚の近くの壁に寄りかかり、シロの小さな背中を見つめる。
「ありすぎます。だけど何となく、分かることもあるんです。私達、共有しているのは生き死にだけじゃないですよね。斑さんの過去を視た時に、察しました」
 まるで、自分が体験しているような生々しい感情や記憶を受けた。あれは「繋がり」だ。肌に同じ傷が刻まれるくらいなら、心にも同じ音色が響くだろう。
 斑は腕を組みながら語り出す。
「〈血ノ契り〉……血盟と呼ぶが、盟主は私。基本は盟主に主導権がある。操ろうと思えばお前の五感全てを操れるし、何を考えているか常に読めるだろう。だが、お前は神宿り。強い呪力で私に対抗出来るはず。事実、波蛇の元に行った時の話だ。お前のニオイが突然消えたから、私はお前の居場所を探ろうとしたが、それを跳ね除けられた。追い立てられた気になっていたのは、恐らく私の目が原因だ。私の呪力だけではない、無意識でも、お前自身に確かな力が備わっている」
「私の頭の中を……心を、ずっと読んでいたんですか」
「信じてもらえないだろうが、心を読んだのは、〈万年桜〉で互いに過去を明かした時が初めてだ。無理矢理覗き込んだりはしない」
「信じられない」
「だろうな」
「違う。貴方の善意が信じられない」
「……それも、そうだろうな」
 斑は心の中で苦笑した。ついこの前までビクビクとしていたのに、今のシロの語調からは一切の怯えを感じられない。強く、聡い子だ――そう思った。
 シロは、ぽつりとこぼす。
「私は〈依代〉なんですか?」
 斑は答えなかった。
「貴方は神宿りの里を滅ぼしたから、私はその生き残りの子孫かもしれないから、だから、代わりに私を手元に置くことで、罪を償いたいんですか?」
 やはり、斑は答えなかった。
 答えないということが、答えなのだろう。
「じゃあ、白児として迎えてもらった私は、狗神の罪滅ぼしの為の〈依代〉になることを恩返しにします。恩返しと罪滅ぼし。丁度いいですよね」
 シロは振り返り、取り繕った笑みを浮かべて斑を見上げる。交わる互いの瞳の寂しい色は、はたして自分のものなのか、それとも血盟による繋がりが相手にも写しているものなのか、分からない。
「おやすみなさい、斑さん」
「……ああ。おやすみ」
 斑は、シロを見送った後、ちらと棚の方へと目を向ける。重ねて並んでいる、三つの赤い汁椀。彼女自身が買ってきてくれたものを、まだここに置いてくれていることが、許しを示している気がした。



 ◆◆◆



 それから四月に入った。その日々は、嘘のように落ち着いた雰囲気で過ぎていく。一大事を持ち帰ってからの呪術師兄妹の来訪は無く、三人だけの暮らし。ぎこちないながらに、それでも静穏の中で営まれた。シロの洋装は、すっかり馴染んだ。
 やがて、事は起こる。十四日――月が満ちる前日のことである。
 鋏と鎌をもたげる襲撃者が現れた。
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