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第二幕 千紗の章
過去の亡霊
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「あ……あの……兄上?」
二人きりになった部屋の中、隠子が躊躇い気味に声をかける。
忠平は顔だけ彼女の方へ向けると、彼女は視線を泳がせながら何処か遠慮がちに兄に訊ねた。
「ひとつ……兄上にお伺いしたき事があるのですが……宜しいでしょうか?」
「はい、何でございましょうか?」
「…………あの……千紗を拐った秋成と言う男……あの者はいったい……何者なのですか?」
秋成が何者、とは?
隠子が訊ねたい真意が分からず、忠平は首をかしげる。
「何者、とは……どう言う意味でございましょう? あの者は、長年千紗の護衛を任せてきた我が屋敷の家人にございますが……」
「そうではなくて!」
求めていた答えとは大きく外れていたのか、隠子が突然大きな声を出す。
忠平は、彼女がいったい何に怒ったのかが分からず、ぽかんとした顔で再び首をかしげた。
「あ……いえ、すみません、大きな声を出して……。今の話は忘れて下さい」
「……何か、秋成の事で気になる事がおありなのですか?」
「いえ……大したことではございません。ただ……」
そこまで言って隠子は、一旦口を閉じる。
何か複雑そうな顔をするばかりで、その先の言葉をなかなか口にしようとはしなかった。
「ただ? いかがなさったと言うのですか?」
長い沈黙の後、兄に促されようやく何かを決意したようにまた話し始める隠子。
「ただ……月明かりの下で見たあの子の顔が、何故か一瞬、20年近く前に亡くなった我が子の面影と重なって見えて……」
「それは、保明様の事を仰っているのですか?」
「……はい。兄上は………思った事はございませんか?」
思いもよらなかった人物の名に、忠平は返答に困った。
「ん~……言われてみれば……顔の系統は少し似ている? のかもしれません。ですが、保明様の面影と重なる程似ているかと言われれば、どうでしょうか? 世の中には似た顔をした人間が意外といるものですし、月明かりしかない暗い場所だったからこそ見えた錯覚だったのではないでしょうか? 皇太后様は未だ保明様の亡霊に取り憑かれておりますから」
「……そう……ですね。どれも否定はできません。成明にも同じことを言われてしまいましたし。そのせいでまた成明を悲しませてしまいましたし。今回もまた、私の悪い癖が出てしまっているのだと、私自身も思います。でも……」
「でも?」
「でも、やはりどうしても気になるのです。あの秋成という男の事が」
秋成の何がそんなに気になるというのか。
忠平には、やはりわからなかったが、保明に執着するあまりの隠子の行きすぎた行動を警戒して、少し強い口調で妹を諭した。
「皇太后様、それ以上保明様の亡霊に取り憑かれては、また成明様と寛明様が悲しまれますぞ」
過去に彼女は、亡くなった保明の面影を求めるあまり、心を病んでいた経験がある。それ故、残された二人の息子達は時に母の愛に飢え、時に母の行きすぎた歪んだ愛情に苦しめられてきた。
「分かっております。あの子は、保明はもうこの世にはいない。もう二度と会う事は敵わないと。私はあの子の死を受け止め前に進まなければならないと、私だってわかっております。けれど……どうしても一つ……一つだけ、確かめておきたい事ががあるのです」
「確かめておきたい事?」
「はい。それを確かめない事には、この心のもやもやは消せない……。兄上、私に兄上の力を貸して頂けませんか? 兄上が心から信頼できる家臣を私にお貸し頂けませんか?」
「何故に?」
「極秘裏に調べて頂きたい事があるのです。これ以上の事はまだ話せません。どうか今は何も聞かずに……お願いします」
何度も懇願する隠子に、困ったような顔を浮かべながらも忠平は根負けしたかのように彼女の願いを聞き入れる。
「わかりました。ならば私がもっとも信頼を寄せる男を。我が藤原の所領を守る武士団の、棟梁である男をお貸ししましょう。彼は秋成の養父でもある人物です」
「秋成の? ……ありがとうございます、兄上。心から感謝致します」
「いえ、それで貴方様の保明様への想いを少しでも浄化できるというのなら、協力いたしましょう。寛明様と成明様の為にも――」
二人きりになった部屋の中、隠子が躊躇い気味に声をかける。
忠平は顔だけ彼女の方へ向けると、彼女は視線を泳がせながら何処か遠慮がちに兄に訊ねた。
「ひとつ……兄上にお伺いしたき事があるのですが……宜しいでしょうか?」
「はい、何でございましょうか?」
「…………あの……千紗を拐った秋成と言う男……あの者はいったい……何者なのですか?」
秋成が何者、とは?
隠子が訊ねたい真意が分からず、忠平は首をかしげる。
「何者、とは……どう言う意味でございましょう? あの者は、長年千紗の護衛を任せてきた我が屋敷の家人にございますが……」
「そうではなくて!」
求めていた答えとは大きく外れていたのか、隠子が突然大きな声を出す。
忠平は、彼女がいったい何に怒ったのかが分からず、ぽかんとした顔で再び首をかしげた。
「あ……いえ、すみません、大きな声を出して……。今の話は忘れて下さい」
「……何か、秋成の事で気になる事がおありなのですか?」
「いえ……大したことではございません。ただ……」
そこまで言って隠子は、一旦口を閉じる。
何か複雑そうな顔をするばかりで、その先の言葉をなかなか口にしようとはしなかった。
「ただ? いかがなさったと言うのですか?」
長い沈黙の後、兄に促されようやく何かを決意したようにまた話し始める隠子。
「ただ……月明かりの下で見たあの子の顔が、何故か一瞬、20年近く前に亡くなった我が子の面影と重なって見えて……」
「それは、保明様の事を仰っているのですか?」
「……はい。兄上は………思った事はございませんか?」
思いもよらなかった人物の名に、忠平は返答に困った。
「ん~……言われてみれば……顔の系統は少し似ている? のかもしれません。ですが、保明様の面影と重なる程似ているかと言われれば、どうでしょうか? 世の中には似た顔をした人間が意外といるものですし、月明かりしかない暗い場所だったからこそ見えた錯覚だったのではないでしょうか? 皇太后様は未だ保明様の亡霊に取り憑かれておりますから」
「……そう……ですね。どれも否定はできません。成明にも同じことを言われてしまいましたし。そのせいでまた成明を悲しませてしまいましたし。今回もまた、私の悪い癖が出てしまっているのだと、私自身も思います。でも……」
「でも?」
「でも、やはりどうしても気になるのです。あの秋成という男の事が」
秋成の何がそんなに気になるというのか。
忠平には、やはりわからなかったが、保明に執着するあまりの隠子の行きすぎた行動を警戒して、少し強い口調で妹を諭した。
「皇太后様、それ以上保明様の亡霊に取り憑かれては、また成明様と寛明様が悲しまれますぞ」
過去に彼女は、亡くなった保明の面影を求めるあまり、心を病んでいた経験がある。それ故、残された二人の息子達は時に母の愛に飢え、時に母の行きすぎた歪んだ愛情に苦しめられてきた。
「分かっております。あの子は、保明はもうこの世にはいない。もう二度と会う事は敵わないと。私はあの子の死を受け止め前に進まなければならないと、私だってわかっております。けれど……どうしても一つ……一つだけ、確かめておきたい事ががあるのです」
「確かめておきたい事?」
「はい。それを確かめない事には、この心のもやもやは消せない……。兄上、私に兄上の力を貸して頂けませんか? 兄上が心から信頼できる家臣を私にお貸し頂けませんか?」
「何故に?」
「極秘裏に調べて頂きたい事があるのです。これ以上の事はまだ話せません。どうか今は何も聞かずに……お願いします」
何度も懇願する隠子に、困ったような顔を浮かべながらも忠平は根負けしたかのように彼女の願いを聞き入れる。
「わかりました。ならば私がもっとも信頼を寄せる男を。我が藤原の所領を守る武士団の、棟梁である男をお貸ししましょう。彼は秋成の養父でもある人物です」
「秋成の? ……ありがとうございます、兄上。心から感謝致します」
「いえ、それで貴方様の保明様への想いを少しでも浄化できるというのなら、協力いたしましょう。寛明様と成明様の為にも――」
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