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第二幕 千紗の章
物忌み
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「きゃーーーーっ!」
自身の悲鳴で目を覚ます千紗。
静寂の中、耳障りな荒い息遣いだけが響いていた。
「…………夢?」
汗で肌にベッタリと張り付いた着物に不快感を覚える。
どうやら悪夢に魘されていたらしい。
千紗は震える体をそっと抱きしめながら、乱れた息を整えようと深呼吸を繰り返した。
「姫様っ、千紗姫様っ!?大丈夫ですか? 今の悲鳴はいったい……」
そこに、まだ夜明け前だと言うのに、彼女の侍女であるキヨとヒナが血相を変え、ドタバタと部屋まで駆け込んで来て
「キヨ……ヒナ………」
千紗は甘えるように二人に抱きついた。
「姫様………」
震える肩に、キヨとヒナは千紗が泣いている事に気付く。
泣いている事を悟られまいと、必死に声を押し殺す姿が余計に切なく感じられて、キヨは溜まらず主の背中を優しくさすってやった。
「また怖い夢を、ご覧になったのですか?」
キヨからの問いに、千紗はコクンと小さく頷くと、夢の中の出来事をキヨとヒナに話して聞かせた。
「……これで3日目ですね。小次郎様のお話をお聞かせしてから、ずっと悪夢に魘されて……」
「…………千紗様……は……もしかして……何か悪い気に……侵されている……のかも……しれませんね……。そうだ……千紗様、今日は……物忌み……を……なされてみては……いかが……ですか?」
悪夢に苦しむ千紗を心配して、ヒナはそんな提案をする。
思いがけない提案に、キヨは妙案とばかりにポンと手を打ち賛同した。
「そうです。そうですよ! 小次郎様を心配する、その不安な心に悪鬼が取り付いたのかもしれません。ヒナの言う通り、今日は臨時で物忌みの日として、その悪鬼を追い払ってしまいましょう。ね、そうしましょう、千紗姫様!」
「しかし……」
「そうと決まれば早速準備をいたしましょう!」
千紗の返答も聞かぬまま、キヨはまだ日が昇る前だと言うのにバタバタと物忌みの準備を始めた。
因みに物忌みとは、陰陽道で日や方角が悪いとされるときや、夢見の悪いとき、穢れに触れたときなどに心身を清めるべく、一定期間家に籠る行為の事を言う。
これは、自身の身を清めると共に、他に厄災をうつさないよう慎む意味もあった。
そして朝を迎え、内裏内が慌ただしくなり始めた頃――
「姉様~!遊んで下され~」
朝餉を終えたその足で、成明が藤坪殿へと千紗を訪ねやって来た。
「…………あれ?」
だが、藤坪殿の塗籠と呼ばれる周囲を塗り壁で囲まれた部屋の戸の前には、「物忌み」と書かれた柳の木札が貼られていて
「姉様は今日は物忌みの日だったか?」
塗籠の妻戸の前では正座をし、見張りの如く控えていたキヨとヒナに成明はそう問いかける。
「成明様。申し訳ございません。姫様は、ここ数日悪夢に魘されておりまして、何やら良くない気に犯されているのではと、邪気を祓うべく本日は臨時に物忌みの日とさせていただきました」
「………そうか……」
キヨの説明に、酷く残念そうにシュンと肩を落とす成明。
「でも姉様と遊べないのは寂しいが、姉様が邪気に苦しめられているのはもっと嫌だ」
「………成明様…」
「分かった。今日は大人しく帰る事にする。物忌みが明けたらまた遊んでくださいと、姉様に伝えてくだされ。お大事に」
それだけ言い残すと、成明はトボトボと、またもと来た道を帰って行った。
「ん? 成明? 千紗姫の元へ遊びに行ったのではなかったか?」
「兄様……」
帰り道、すれ違った朱雀帝に声をかけられた成明。
悲しげな顔で、朱雀帝に事の経緯を話して聞かせた。
「……なに、千紗が?」
成明の話に、朱雀帝は確かにこの数日元気のなかった千紗の姿を思い出しながら、心配そうに千紗の名前を呟いていた。
「…………千紗姫様……」と
その声は風にさらわれ、虚しく空へと消えて行った。
――――――――――――――――
●物忌み
陰陽道で日や方角が悪いとされるときに、一定期間、家にこもって心身を慎むこと。
夢見の悪いときや、もののけに対処せねばならぬとき、そして、疫病を避けたいときに、貴族たちは陰陽師に相談をし、指定された期間中、どこへも行かず、誰とも会わずに邸内に引き籠もった。
●塗籠
周囲を土壁で囲まれた部屋。寝殿で最も神聖な場所とされ、先祖伝来の宝物などを収納したり、寝所にあてたりしていた。
●妻戸
寝殿造の住宅で、出入口に設けた両開きの板製の扉。
自身の悲鳴で目を覚ます千紗。
静寂の中、耳障りな荒い息遣いだけが響いていた。
「…………夢?」
汗で肌にベッタリと張り付いた着物に不快感を覚える。
どうやら悪夢に魘されていたらしい。
千紗は震える体をそっと抱きしめながら、乱れた息を整えようと深呼吸を繰り返した。
「姫様っ、千紗姫様っ!?大丈夫ですか? 今の悲鳴はいったい……」
そこに、まだ夜明け前だと言うのに、彼女の侍女であるキヨとヒナが血相を変え、ドタバタと部屋まで駆け込んで来て
「キヨ……ヒナ………」
千紗は甘えるように二人に抱きついた。
「姫様………」
震える肩に、キヨとヒナは千紗が泣いている事に気付く。
泣いている事を悟られまいと、必死に声を押し殺す姿が余計に切なく感じられて、キヨは溜まらず主の背中を優しくさすってやった。
「また怖い夢を、ご覧になったのですか?」
キヨからの問いに、千紗はコクンと小さく頷くと、夢の中の出来事をキヨとヒナに話して聞かせた。
「……これで3日目ですね。小次郎様のお話をお聞かせしてから、ずっと悪夢に魘されて……」
「…………千紗様……は……もしかして……何か悪い気に……侵されている……のかも……しれませんね……。そうだ……千紗様、今日は……物忌み……を……なされてみては……いかが……ですか?」
悪夢に苦しむ千紗を心配して、ヒナはそんな提案をする。
思いがけない提案に、キヨは妙案とばかりにポンと手を打ち賛同した。
「そうです。そうですよ! 小次郎様を心配する、その不安な心に悪鬼が取り付いたのかもしれません。ヒナの言う通り、今日は臨時で物忌みの日として、その悪鬼を追い払ってしまいましょう。ね、そうしましょう、千紗姫様!」
「しかし……」
「そうと決まれば早速準備をいたしましょう!」
千紗の返答も聞かぬまま、キヨはまだ日が昇る前だと言うのにバタバタと物忌みの準備を始めた。
因みに物忌みとは、陰陽道で日や方角が悪いとされるときや、夢見の悪いとき、穢れに触れたときなどに心身を清めるべく、一定期間家に籠る行為の事を言う。
これは、自身の身を清めると共に、他に厄災をうつさないよう慎む意味もあった。
そして朝を迎え、内裏内が慌ただしくなり始めた頃――
「姉様~!遊んで下され~」
朝餉を終えたその足で、成明が藤坪殿へと千紗を訪ねやって来た。
「…………あれ?」
だが、藤坪殿の塗籠と呼ばれる周囲を塗り壁で囲まれた部屋の戸の前には、「物忌み」と書かれた柳の木札が貼られていて
「姉様は今日は物忌みの日だったか?」
塗籠の妻戸の前では正座をし、見張りの如く控えていたキヨとヒナに成明はそう問いかける。
「成明様。申し訳ございません。姫様は、ここ数日悪夢に魘されておりまして、何やら良くない気に犯されているのではと、邪気を祓うべく本日は臨時に物忌みの日とさせていただきました」
「………そうか……」
キヨの説明に、酷く残念そうにシュンと肩を落とす成明。
「でも姉様と遊べないのは寂しいが、姉様が邪気に苦しめられているのはもっと嫌だ」
「………成明様…」
「分かった。今日は大人しく帰る事にする。物忌みが明けたらまた遊んでくださいと、姉様に伝えてくだされ。お大事に」
それだけ言い残すと、成明はトボトボと、またもと来た道を帰って行った。
「ん? 成明? 千紗姫の元へ遊びに行ったのではなかったか?」
「兄様……」
帰り道、すれ違った朱雀帝に声をかけられた成明。
悲しげな顔で、朱雀帝に事の経緯を話して聞かせた。
「……なに、千紗が?」
成明の話に、朱雀帝は確かにこの数日元気のなかった千紗の姿を思い出しながら、心配そうに千紗の名前を呟いていた。
「…………千紗姫様……」と
その声は風にさらわれ、虚しく空へと消えて行った。
――――――――――――――――
●物忌み
陰陽道で日や方角が悪いとされるときに、一定期間、家にこもって心身を慎むこと。
夢見の悪いときや、もののけに対処せねばならぬとき、そして、疫病を避けたいときに、貴族たちは陰陽師に相談をし、指定された期間中、どこへも行かず、誰とも会わずに邸内に引き籠もった。
●塗籠
周囲を土壁で囲まれた部屋。寝殿で最も神聖な場所とされ、先祖伝来の宝物などを収納したり、寝所にあてたりしていた。
●妻戸
寝殿造の住宅で、出入口に設けた両開きの板製の扉。
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