時ノ糸~絆~

汐野悠翔

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第二幕 千紗の章

悪夢に魘されて

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所変わって、坂東・豊田郡  小次郎の館にて――

日が登りはじめ、館に住み込みで働く者の多くが活動を始める時間帯、館の主である小次郎は、日頃忙しく棟梁の仕事に追われている疲れからか、未だ夢の世界を彷徨っていた。


  ◇◇◇


『小次郎……お主は、誰も恨むな。恨みからは何も生まれぬ。お前は今のまま、正直で真っ直ぐな男でいてくれ……。それが私の願いであり、きっと……あの子の望みでもある』

「……忠平……様……」

『あの子からの伝言だ。心だに誠の道にかなひなば祈らずとても神や守らん(訳:心さえやましくなければ、ことさら神に祈らなくても、自然に神の加護があるであろう)』


「忠平様……何故、そんな詩を千紗は言付けたのでしょうか。 俺には分かりません。神の加護など夢幻となった今……どうして……」


『小次郎。お主のような心優しき者には、この欲望だらけの京は、さぞ居心地が悪かろう。無事に罪を許されたのだ。お主は、坂東へ帰るが良い』


「……やだ……帰りたくなどない。千紗を奪われたまま……俺は帰りたくなどない!忠平様、教えてください。何故千紗は、何も言わずに俺の前からいなくなったのですか? 何故――」



  ◇◇◇



『小次郎お前、何をそんなに悲しんでおる?』

「……太郎……」

『千紗姫様を帝に取られた事がそんなに悔しいか? そもそも、あの方がお前達と共にいた今までの方がおかしかったのだ。帝の隣にいる今こそが、あの方の正しき在り方。そう思わぬか、小次郎』


「……る……さい……」


『そう悲しむな小次郎。千紗姫様はな、お前を助ける為に、帝の后になられたのだぞ』

「うるさいっ! 黙れっ太郎!!」

『お前が罪を許された本当の理由は、お前の罪を許す代わりに、千紗姫様が帝の願いを聞き入れたからだ。妃になって欲しいと言う願いをな。千紗姫様は、お前の為に犠牲になったのだよ、小次郎』

「黙れ黙れ黙れーーっ!!」


  ◇◇◇


『千紗姫様、是非とも我が后に』

「千紗、駄目だ、その手を取るな。行くな……行かないでくれ……。頼むから、千紗っ!」

『今日、この時をもって、藤原千紗姫を我が后に迎える事を宣言する!』

「うっ……うわぁぁぁぁ~~~~~~~っっ!!!」


京での出来事が夢の世界でも尚、悪夢となって小次郎を追い詰める。

もう思い出したくもない苦しい記憶を、板東に戻ってからと言うもの、何度も何度も繰り返し夢に見続けている小次郎。

そして、いつも決まって自身の叫び声で目を覚ますのだ。
額や背中には、脂汗が伝う。

その汗を、寝間着の袖で拭う小次郎の耳に、ふと聞こえた声があった。


「うわ、びっくりした~」


視線を向ければ、尻餅をついてこちらを見ている弟、四郎の姿がそこにはあって


「…………四郎? どうした、尻餅なんかついて」


小次郎はキョトンとした顔で四郎に訪ねた。


「いや、兄貴がなかなか起きてこないから、ちょっと心配になって様子を見に来たんだよ。そしたら急に大きな声出すからびっくりして」

「あぁ、すまない。俺が驚かせてしまったのか」


四郎は尻餅をついた情けない姿から、胡座へと座り直し、気を取り直した様子で小次郎に言った。


「兄貴が熟睡なんて珍しいね。しかも、もうすっかり日も登り始めたこの時分にも起きて来ないなんて。いつもなら夜中寝てる時だろうと人の気配には敏感に反応するのに。今日は声を掛けても全然起きなかった」 

「いや、すまない」

「別に謝る事はないけどさ。でも、何か怖い夢でも見てたの? だいぶ魘されてたみたいだったけど」

「……いや、たいした夢ではないんだ……」

「嘘だぁ。姫さんの夢見てたんだろ。寝言で言ってたよ。千紗、行くな~っ! て……」

「…………」

「京で何があったのか知らないけどさ、弟の俺の前でまで無理しなくて良いんだぜ。確かに今は戦が起こるかもって緊張状態で、軍を指揮する大将が弱い部分は見せられないって気をはってるのは分かるけどさ、弟の前でくらいは力抜いたって良いんだぜ、兄貴」

「…………四郎…………すまないな。気を遣わせてしまって。だが、ありがとう……」


四郎の言葉に小次郎は小さく微笑む。
だがその笑顔はどこか作り笑いのようにも見えて、四郎もまた、作り笑いを浮かべた。


「な~んてカッコいい事言っておいてなんだけど、実は今、兄貴を訪ねて客人が来てるんだよ。それもあって兄貴を呼びに来たんだけど、今から少しだけ時間貰っても良いか?」

「客人が? 分かった、着替えてすぐに参ろう」

「本当は、戦に裁判騒動に、疲れてるだろう兄貴をもう少し休ませてやりたいんだけどさ」

「構わない。気にするな」

「悪いな。じゃあ俺、先に行ってる。兄貴も準備が出来たら客間に来てくれよ」

「あぁ、分かった」


スタスタと、四郎の足音が遠ざかって行く。
その音を聞きながら、小次郎は小さく溜め息を漏らすと、気合を入れ直すかのようにパンパンと頬を二回叩いた。


「しっかりしろ。最初から分かってた事だ。俺とあいつじゃ、住む世界が違うって事くらい。俺にはこの豊田を守る責任がある。いつまでも未練がましく夢物語にすがっている場合じゃないだろ。……しっかりしろ」


自分を叱責するような言葉を呟いて小次郎は立ち上がり、
汗まみれの寝間着から、普段着の着物へ着替えた。


帯を締め、腰に脇差しを垂れ下げ、部屋を一歩出た瞬間、それまでの憂い顔を、きりりと逞しい棟梁の顔で覆い隠す。


「しっかりしろ。俺の背中には、何千何百と言う人の命がかかってるんだ。立ち止まっている暇はない。しっかりしろ」

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