時ノ糸~絆~

汐野悠翔

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第二幕 千紗の章

籠の鳥

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――次の日の朝

遠くに聞こえる鳥の鳴き声に千紗は目を覚ます。


「………」


怠い体をゆっくり起こしながら、乱れた着物を整える。

ふと隣を見れば、まだ気持ちよさそうに眠る朱雀帝の姿が。

彼を起こさないように、千紗は静かに床を抜け出すと、縁側に腰掛けた。

人払いされた屋敷は静かで、千紗はする事もなくぼんやりと庭を眺めていた。

そんな千紗の前に1羽の雀が空から降り立つ。

その雀を目で追いながら、千紗は昨日、朱雀帝に言われた言葉を思い出していた。


――『あぁ、貴方をこのまま、私の腕の中に閉じ込めておきたい。貴方がどこにもいかないように、ずっと……。貴方は気が付くと、すぐ何処かへ飛んで行ってしまう、鳥のような人だから……だからこうしてずっと、私の腕の中に貴方を閉じ込めておきたい』


「お前は良いな。大空を羽ばたいてどこへでも飛んで行ける。自由で良いな。私は翔べぬ。翼を持たぬ私では、もう自由にこの大地を駆ける術を忘れてしまったよ」


そんな事を呟きながら、千紗は無意識に雀に向けて手を伸ばしていた。

瞬間、警戒したのか雀は再び空へ向かって飛び立って行く。

千紗の口から、「あっ」と短い声が漏れたかと思うと暫くの間、目の前から飛び立って行った雀の姿を目で追いながら、どこまでも広がる青く美しい空をいとおしげに見上げていた。

そんな千紗の後ろ姿を、眺める朱雀帝の視線にも気付かずに。



空を見上げる千紗の寂しげな背中。
その背中が幼い日の自分と重なる。



――『良いですか寛明。絶対に、絶対にここから外へ出てはいけませんよ。これは貴女を守る為の結界。もし結界より外へ出てしまったら、貴女も貴方の兄のように、道真に呪い殺されてしまう。そんな事、母は堪えられない。お願い寛明、決して外へは出ないで……母を一人にしないで……』
 

朱雀帝が生まれる少し前、彼の兄、保明やすあきら様が薨去こうきょなされた。
そして保明様の後を追うように、保明様の息子、慶頼やすより様も薨去なされた。

当時、皇太子、皇太孫であったお二人が立て続けに薨去なされた事は、あまりにも不吉であり、そして衝撃的で、その少し前に無実の罪により太宰府に左遷され、流された先で無念の死を遂げた菅原道真の死と、自然と結びつけられるようになって行った。
これは道真の呪いではないのかと、多くの者が噂し怯えた。


そんな京に広まりし噂を恐れた隠子様は、お二人の死と時同じくして生まれた朱雀帝こと寛明ゆたあきら様を、道真の呪いから守ろうと彼を幾重にも張られた几帳の中で大切にお育てになられた。

朱雀帝は5歳になる歳まで、この几帳と言うの外に出る事は許されず、ごく限られた人間としか関わる事はなかった。



――『……お主、このような所で何をしておるのだ? この中に綴じ込められておるのか?』

『………え?』 

『そんな狭い中では息が詰まるだろう。どうだ、少し外へ出て参らぬか? そして妾と一緒に遊ぼうぞ』

『……貴女は?』

『妾は千紗。左大臣家一の姫である藤原千紗だ』

『左大臣家? ……と言う事は、忠平の子か?』

『何だお主、父上を知っておるのか? 実はその父上に、ここ内裏まで連れて来て貰ったのだが……父上はお仕事で忙しいのか相手をしてくれぬ。供の者達も何故か内裏には入ってこれんでな。一人でする事もなく退屈だったから、内裏の中を探索でもしようとふらふらしていたら、こうしてここに辿り着いたのだ。どうだ? ここでお主と出会ったのも何かの縁。お互い暇をしているのならばお主、妾と一緒に少し遊ばぬか?』



偶然、彼の部屋に迷い混んだ千紗と出会わなかったら、外の世界に触れる事も出来ないまま、籠の鳥として今も几帳の中で、母に飼われ続けていたかもしれない。

当時の事は、母が自分を守る為にしていた事だと理解はしている。

だが幼心に外の世界に憧れ、外に出たいと願っていた自分を、几帳の中に閉じ込める母を全く恨んでいなかったと言えば嘘になるだろう。

今目の前にいる千紗姫様は、まるであの頃の自分自身。

そして今の自分は、大切に思うあまり鳥籠に閉じ込めた、あの頃の母と同じ。

空に焦がれる小さな千紗の背中を見て朱雀帝はそう悟った。


――『お主はそんな狭い世界に綴じ籠もって息苦しくはないのか? 外へ出たいと思わぬのか? 外の世界は良いぞぉ。ここから見える空だけ見ても、とても広く、美しい。そこからでは空も見えぬだろう。お主は空の色を知っておるか? 
空はな、青いのだ。真っ青な空にはふわふわの雲が浮かんでいる。その雲はな、様々な姿に形を変え空を漂っているのだ。お主も見てみたいとは思わぬか? 何を恐れておる。大丈夫。大丈夫だから、一歩そこから出て参れ』――


暗闇に一筋の光を照らし、外の世界に導いてくれた千紗が……
太陽のようにきらきらと、明るく光輝いていた千紗が……
己の欲望に飲み込まれ、光を失っていく。

その姿に朱雀帝の心がチクンと痛む。

だが……その事実から目を反らすかのように、朱雀帝は寝返りをうった。

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