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第一幕 京•帰還編
忠平の抱える不安
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「千紗姫様、最近はめっきり大人しくなりましたね。どう言った心境の変化ですか?」
穏やかな午後の一時、千紗の部屋にて――
板東から帰って来てからと言うもの、毎日のように小次郎が小次郎がと騒ぎ立ていた千紗が、まるで人が変わったように大人しくなったその事実に、侍女として見守って来たキヨが、退屈を紛らわせる為の話のネタに、主に尋ねた。
キヨからの質問に千紗は得意気な顔で答える。
「キヨ、言霊と言うものを知っておるか」
「言霊ですか? えぇ勿論知っております。発せられた言葉には魂が宿り、発したとおりの状態を実現する力があるのだとか。良い言葉は幸事を招き、不吉な言葉は凶事を招くと言われておりますよね」
「そうそう、それだ。だからな、もう心配する事はやめたのだ。心配して、後ろ向きな言葉ばかりを口にしていては、それが誠になりかねないからな。小次郎は何も悪い事などしてはおらぬのだから、心配などせずとも私達は堂々としておれば良いのだ」
「……はぁ。それが千紗姫様が大人しくなられた理由……ですか?」
「そうだ。心だに誠の道にかなひなば祈らずとても神や守らん。心さえやましくなければ、ことさら神に祈らなくても、自然に神の加護があるであろう。大丈夫。きっと小次郎は大丈夫。小次郎と、この詩に込められた言霊の力を信じて、私は大人しく待つ事に決めたのだ」
そんな二人の会話を、娘の様子を見に訪ねて来ていた忠平が、偶然にも部屋の外から聞いていた。
小次郎の無実を信じて希望に満ちた千紗とは違って、何故か不安げな表情を浮かべながら。
千紗が詠んだ和歌に、忠平はふと、今は亡きある人物の姿を思い出していたから。
――『心だに誠の道にかなひなば祈らずとても神や守らん』
そう詠んだのは、忠平の古き友、菅原道真その人だった。
言われのない罪に、朝廷での道真の立場が揺らいだ折、彼は焦った様子もなくこの和歌を詠んだ。
彼は信じていたのだ。世の条理と言う物を。
後ろめたい事など何一つ無いのだから、必ず己にかけられた嫌疑は晴らされると。
だが、道真の信じた条理は、人の欲によっていとも簡単にねじ曲げられてしまった。
結局彼は、見に覚えのない罪を背負わされ、太宰府へと飛ばされしまったのだ。
今の小次郎の姿が、あの時の道真と重なって見えて、忠平は言い知れぬ不安に襲われた。
そして、忠平の感じたその不安は、そう時を経たずして現実のものとなろうとしていた――
◆◆◆
梅も花開きだそうかと言う二月の終わり。
朱雀帝から直々に内裏へと呼び出された忠平は、朝早くから清涼殿にて帝に謁見していた。
そしてこの時、朱雀帝の口から驚くべき言葉を聞かされたのだ。
「忠平、朕も一月で十五になった。そろそろ元服をしなければと思うのだ」
「おぉ帝、ついにご決心なされましたか。元服なされれば、今まで以上に帝としての責務を果たして貰う事になりますが、その覚悟はおありですかな?」
「勿論だ。天皇として、これからは責任を持って帝としとの勤めに励もうぞ」
「あぁ寛明様、ご立派になられて。忠平は嬉しゅうございますぞ。これで私も摂政としての任を終える事が出来ます。帝、是非帝のお力でこの国を良い方向へとお導きくださいませ」
「うむ。では、取り急ぎ朕の元服の儀の準備を進めてくれ」
「仰せのままに」
御簾を挟んで会話を交わした二人。
嬉しい話に忠平は、早速準備に取り掛かろうと、朱雀帝に向かって一礼して見せた後立ち上がり、浮き足だった様子で踵を返した。
だが、そんな忠平の背中に、再び朱雀帝から声が掛かったか。
「待て忠平、まだ話は終わっていないぞ」
「さようでございましたか。これは大変失礼致しました」
朱雀帝からの指摘に再び元の場所へと膝を折る忠平。
頭を垂れ、朱雀帝の言葉を待つと
「実はな、ここからが本題なのだ。元服をすると言う事は、朕もそろそろ妻を娶らねばと思うのだ。お主は如何思う?」
朱雀帝の口から飛び出した思いもよらなかった話に、忠平は自身の背中に汗が流れるのを感じた。
以前彼から、千紗を嫁に欲しいとせがまれた記憶が不意に甦って、何故か言い様のない不安に襲われた。
穏やかな午後の一時、千紗の部屋にて――
板東から帰って来てからと言うもの、毎日のように小次郎が小次郎がと騒ぎ立ていた千紗が、まるで人が変わったように大人しくなったその事実に、侍女として見守って来たキヨが、退屈を紛らわせる為の話のネタに、主に尋ねた。
キヨからの質問に千紗は得意気な顔で答える。
「キヨ、言霊と言うものを知っておるか」
「言霊ですか? えぇ勿論知っております。発せられた言葉には魂が宿り、発したとおりの状態を実現する力があるのだとか。良い言葉は幸事を招き、不吉な言葉は凶事を招くと言われておりますよね」
「そうそう、それだ。だからな、もう心配する事はやめたのだ。心配して、後ろ向きな言葉ばかりを口にしていては、それが誠になりかねないからな。小次郎は何も悪い事などしてはおらぬのだから、心配などせずとも私達は堂々としておれば良いのだ」
「……はぁ。それが千紗姫様が大人しくなられた理由……ですか?」
「そうだ。心だに誠の道にかなひなば祈らずとても神や守らん。心さえやましくなければ、ことさら神に祈らなくても、自然に神の加護があるであろう。大丈夫。きっと小次郎は大丈夫。小次郎と、この詩に込められた言霊の力を信じて、私は大人しく待つ事に決めたのだ」
そんな二人の会話を、娘の様子を見に訪ねて来ていた忠平が、偶然にも部屋の外から聞いていた。
小次郎の無実を信じて希望に満ちた千紗とは違って、何故か不安げな表情を浮かべながら。
千紗が詠んだ和歌に、忠平はふと、今は亡きある人物の姿を思い出していたから。
――『心だに誠の道にかなひなば祈らずとても神や守らん』
そう詠んだのは、忠平の古き友、菅原道真その人だった。
言われのない罪に、朝廷での道真の立場が揺らいだ折、彼は焦った様子もなくこの和歌を詠んだ。
彼は信じていたのだ。世の条理と言う物を。
後ろめたい事など何一つ無いのだから、必ず己にかけられた嫌疑は晴らされると。
だが、道真の信じた条理は、人の欲によっていとも簡単にねじ曲げられてしまった。
結局彼は、見に覚えのない罪を背負わされ、太宰府へと飛ばされしまったのだ。
今の小次郎の姿が、あの時の道真と重なって見えて、忠平は言い知れぬ不安に襲われた。
そして、忠平の感じたその不安は、そう時を経たずして現実のものとなろうとしていた――
◆◆◆
梅も花開きだそうかと言う二月の終わり。
朱雀帝から直々に内裏へと呼び出された忠平は、朝早くから清涼殿にて帝に謁見していた。
そしてこの時、朱雀帝の口から驚くべき言葉を聞かされたのだ。
「忠平、朕も一月で十五になった。そろそろ元服をしなければと思うのだ」
「おぉ帝、ついにご決心なされましたか。元服なされれば、今まで以上に帝としての責務を果たして貰う事になりますが、その覚悟はおありですかな?」
「勿論だ。天皇として、これからは責任を持って帝としとの勤めに励もうぞ」
「あぁ寛明様、ご立派になられて。忠平は嬉しゅうございますぞ。これで私も摂政としての任を終える事が出来ます。帝、是非帝のお力でこの国を良い方向へとお導きくださいませ」
「うむ。では、取り急ぎ朕の元服の儀の準備を進めてくれ」
「仰せのままに」
御簾を挟んで会話を交わした二人。
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だが、そんな忠平の背中に、再び朱雀帝から声が掛かったか。
「待て忠平、まだ話は終わっていないぞ」
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朱雀帝からの指摘に再び元の場所へと膝を折る忠平。
頭を垂れ、朱雀帝の言葉を待つと
「実はな、ここからが本題なのだ。元服をすると言う事は、朕もそろそろ妻を娶らねばと思うのだ。お主は如何思う?」
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