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第一幕 板東編
さよならも告げずに
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その頃千紗も、杏子について小次郎の家人達に訊ねていた。
「あの女子は?」
「さぁ? おいら達も詳しい事は知らないのですが、小次郎様が言うには、貞盛様の奥方様だそうですよ。小次郎様にとっても古い知り合いだそうで」
「そうか。綺麗な人だな」
杏子に対する率直な感想が千紗の口から漏れた。
隣にいた秋成には、千紗の呟きがどこか寂しげに聞こえて、不安げな瞳で千紗を見ていた。
「杏子姫様、ちょっと失礼します」
千紗の登場に、小次郎は杏子姫に小さく一礼すると、一旦千紗の元へと駆け戻って行く。
「千紗お前、どうしてここに? 一体何をしに来たんだ?」
「四郎から聞いたのだ。お主に謀反の疑いにかけられて大変だと。だからお主を助けようと思って」
「気持ちは有り難い。が、もう既に沙汰は下された」
「京への召喚命令が下ったのだろう。だが、そんな命令、訊く必要などないぞ。私が証人となってお前の無実を晴らしてやる!」
今にも下野国府内へ乗り込んで行きそうな千紗を、小次郎が後ろから羽交い締めして押さえつける。
「待て、落ち着け千紗。いくらお前でも京から直々に下った命は覆せない。そもそも、これ以上板東で目立つ行動はとらない方が良い」
「何故だ! 私はお主を助ける為にここまで来たのだ! 私に出来る事があるのならやらねば! でなければここまで来た意味がない! 離せ、離せ小次郎!!」
「気持ちは有り難い。けどな、ここではお前の力は強すぎる。強すぎる力は余計な争いを生みかねない。これ以上はもう、使わない方が良い」
小次郎の言っている意味が分からず、千紗は納得出来ない様子で暴れる。けれど――
「ありがとな千紗。俺の為に怒ってくれてありがとう。お前の気持ちは本当に嬉しいよ」
「……小次郎……」
「でも心配するな。俺の無実はきっと証明される。だって、何も後ろ暗い事なんてないんだから。だろ? 大丈夫。正々堂々、俺は戦うさ」
「…………」
謀反の疑いをかけられそうになっている小次郎自身がとても穏やかに構えているものだから、千紗の怒りも徐々に抜かれていってしまった。
段々と落ち着きを取り戻して来た千紗の腕をほどいて小次郎は、今度は千紗の頭に手を置いた。
小次郎の方を振り替えると、小次郎は京にいた頃のように穏やかな顔で微笑んでいて
「………分かった。お主がそう言うのなら、お主を信じる」
千紗は不機嫌な顔を見せながらも、とりあえずは怒りを納める事を決めた。
「よし、良い子だ」
「よせ! 子供扱いするな!」
大人しくなった千紗の頭を小次郎はグシャグシャに撫で回す。兄妹のようにじゃれあう二人に、周りからは笑いの声が漏れた。
そんな小次郎と千紗の様子を遠くから眺めていた杏子。
彼女の瞳には悲しみの色が浮かんでいた。
自分には決して見せる事のない小次郎の姿。
千紗に向ける屈託のない笑顔。
杏子は直感する。
小次郎の気持ちが何処にあるのかを。
悲しみに再び涙がこぼれ落ちる。
十四年前、あんな事がなかったら、自分も小次郎の隣で彼女のように笑っていられただろうか?
けれど、今の自分には小次郎を苦しめる事しか出来ない。
そんな自分が、泣く権利も、嫉妬する権利も有りはしない。
ましてや小次郎に、自分の気持ちを伝える権利など……あるはずもないのに。
いったい何をしに、自分は小次郎の元を訪ね来たのだろう。
後悔だけが込み上げて来て、杏子姫は小次郎達に向けて深く深く頭を下げた。
「………小次郎様、どうか……どうかお幸せに……」
そして小さくそれだけ呟くと、一人静かにその場を去って行った。
「あの女子は?」
「さぁ? おいら達も詳しい事は知らないのですが、小次郎様が言うには、貞盛様の奥方様だそうですよ。小次郎様にとっても古い知り合いだそうで」
「そうか。綺麗な人だな」
杏子に対する率直な感想が千紗の口から漏れた。
隣にいた秋成には、千紗の呟きがどこか寂しげに聞こえて、不安げな瞳で千紗を見ていた。
「杏子姫様、ちょっと失礼します」
千紗の登場に、小次郎は杏子姫に小さく一礼すると、一旦千紗の元へと駆け戻って行く。
「千紗お前、どうしてここに? 一体何をしに来たんだ?」
「四郎から聞いたのだ。お主に謀反の疑いにかけられて大変だと。だからお主を助けようと思って」
「気持ちは有り難い。が、もう既に沙汰は下された」
「京への召喚命令が下ったのだろう。だが、そんな命令、訊く必要などないぞ。私が証人となってお前の無実を晴らしてやる!」
今にも下野国府内へ乗り込んで行きそうな千紗を、小次郎が後ろから羽交い締めして押さえつける。
「待て、落ち着け千紗。いくらお前でも京から直々に下った命は覆せない。そもそも、これ以上板東で目立つ行動はとらない方が良い」
「何故だ! 私はお主を助ける為にここまで来たのだ! 私に出来る事があるのならやらねば! でなければここまで来た意味がない! 離せ、離せ小次郎!!」
「気持ちは有り難い。けどな、ここではお前の力は強すぎる。強すぎる力は余計な争いを生みかねない。これ以上はもう、使わない方が良い」
小次郎の言っている意味が分からず、千紗は納得出来ない様子で暴れる。けれど――
「ありがとな千紗。俺の為に怒ってくれてありがとう。お前の気持ちは本当に嬉しいよ」
「……小次郎……」
「でも心配するな。俺の無実はきっと証明される。だって、何も後ろ暗い事なんてないんだから。だろ? 大丈夫。正々堂々、俺は戦うさ」
「…………」
謀反の疑いをかけられそうになっている小次郎自身がとても穏やかに構えているものだから、千紗の怒りも徐々に抜かれていってしまった。
段々と落ち着きを取り戻して来た千紗の腕をほどいて小次郎は、今度は千紗の頭に手を置いた。
小次郎の方を振り替えると、小次郎は京にいた頃のように穏やかな顔で微笑んでいて
「………分かった。お主がそう言うのなら、お主を信じる」
千紗は不機嫌な顔を見せながらも、とりあえずは怒りを納める事を決めた。
「よし、良い子だ」
「よせ! 子供扱いするな!」
大人しくなった千紗の頭を小次郎はグシャグシャに撫で回す。兄妹のようにじゃれあう二人に、周りからは笑いの声が漏れた。
そんな小次郎と千紗の様子を遠くから眺めていた杏子。
彼女の瞳には悲しみの色が浮かんでいた。
自分には決して見せる事のない小次郎の姿。
千紗に向ける屈託のない笑顔。
杏子は直感する。
小次郎の気持ちが何処にあるのかを。
悲しみに再び涙がこぼれ落ちる。
十四年前、あんな事がなかったら、自分も小次郎の隣で彼女のように笑っていられただろうか?
けれど、今の自分には小次郎を苦しめる事しか出来ない。
そんな自分が、泣く権利も、嫉妬する権利も有りはしない。
ましてや小次郎に、自分の気持ちを伝える権利など……あるはずもないのに。
いったい何をしに、自分は小次郎の元を訪ね来たのだろう。
後悔だけが込み上げて来て、杏子姫は小次郎達に向けて深く深く頭を下げた。
「………小次郎様、どうか……どうかお幸せに……」
そして小さくそれだけ呟くと、一人静かにその場を去って行った。
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