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第一幕 板東編
戦いの結末は③
しおりを挟む「………繁盛………」
「たとえ皆がお前に屈しようとも、俺だけは決して屈しない。ここを通りたければこの俺を倒してから行け!」
繁盛は血走った目で小次郎を睨み付けていた。
そんな繁盛の激しい怒りも構わずに、小次郎の後ろからヒョッコリと顔を覗かせた千紗が無邪気な質問を投げ掛ける。
「小次郎、こやつは?」
「……平繁盛。太郎の、弟だ」
「なんと、貞盛の弟とな?」
"太郎"の名前に、今度は朱雀帝が興味を示した。トコトコと、繁盛の前へと駆け寄って、繁盛の服をつかみながら必死な様子で問い掛けた。
「貞盛は? 貞盛はどこにおる? あやつは無事なのか?」
「なんだお前は。兄上の事など俺は知らん。あの人は誰よりも先に俺達を見捨てて逃げ出したからな。そんな奴の事など知るはずもないだろう!」
怒りに支配されている繁盛は、朱雀帝の胸ぐらを乱暴に掴むと、手にしていた刀を勢いよく振り上げる。
「………逃げ……た?」
繁盛に刀を向けられている以上に、彼から返って来た言葉に衝撃を受けた朱雀帝は、逃げる事も忘れて呆然と立ち尽くしていた。
「よせ!!」
今にも朱雀帝を切りつけそうな勢いの繁盛から慌てて朱雀帝を引き離し、朱雀帝を自身の背に庇う千紗。
「姫様っ!」
「千紗っ……」
千紗の窮地に、今度は小次郎と秋成の二人が繁盛の両脇へと回り込み、刃の切っ先を彼の首もとへと突きつける。
「…………」
二人から突きつけられる刀に、繁盛の瞳は一瞬恐怖に揺れた。その後で平静さを装いながら少し掠れる声で千紗に訊ねた。
「…………お前が……外で叫んでいた太政大臣の娘だもか言う高貴な姫君か?」
「いかにも。私が太政大臣藤原忠平が子、藤原千紗だ。悪いがこやつは私の連れ。乱暴は許さぬぞ」
「………」
「お主の大将は既に刀を下ろしたのだ。お主も大人しく刀を収めてはどうだ」
「………」
千紗に睨まれ、また首筋に二本もの刀を突きつけられ、振り上げていた自身の刀の行き場に戸惑う繁盛。
「もう争いは終わりじゃ。刀を収めよ!」
「うっ…………うぁ~~~~っ!!!」
厳しい千紗の一喝に、繁盛は叫び声を上げながら手にしていた刀を勢いよく地面へと突き刺した。
ついに戦意を放棄した繁盛は、悔しさに顔を歪めながら、ドサリとその場に座り込む。
――と、己の拳で地面を殴り付けた。まるで己を痛め付けてでもいるかのように、何度も何度も。
「……………悔しいか?………俺が憎いか繁盛?」
繁盛の哀れな姿に、小次郎がぽつりと呟く。
「…………あぁ憎い。あんたが憎い!あんたのせいで親父は死んだ。兄者や伯父達に裏切られた。あんたのせいで俺は一人ぼっちだ」
「……………」
「守るものもない、一人ぼっちになった俺が、もう生きている意味なんて……」
「…………」
「……せ……殺せよ……」
「……………」
「俺を殺してくれ……。親父のように俺も……」
先程までの勢いはどこへ行ったのか、突然弱音を吐き出す繁盛。
そんな彼の胸ぐらをグイッと乱暴に掴んだ小次郎は、強引に繁盛の体を立ち上がらせた。そして
「俺が憎いなら恨め。俺を恨めば良い」
感情を圧し殺したような低い声で、繁盛に向かってそう吐き捨てた。
「小次郎、お主何を?」
自分を憎めなど、小次郎はいったい何を言っているのか、二人の様子を一番近くで見ていた千紗が突然の小次郎の言動に慌てて口を挟む。
だが、それを無視して小次郎は繁盛への言葉を続けた。
「そして、いつか俺を殺しに来い。相手になってやるから」
「…………」
「だから生きろ。国香の伯父上の分も……生きるんだ。そして生きてこの俺を見返してみせろ!」
「っ………………」
掴んでいた繁盛の胸ぐらを乱暴に突き放す小次郎。そして、その言葉を最後に繁盛に背を向け下野介、橘保国の邸を後にした。
もう後ろを振り返る事はしない。彼の前に立ちはだかる者も、もう誰もいなかった。
ーー『決めたんだ、もう。伯父上達がまた俺達の土地を奪おうとするなら俺は抗う。何度だって抗ってやるさ。でも、俺はしない。何かを奪う事を、俺はしない。土地も、民も、そして……人の命も、俺は決して奪わない。そう決めたんだ』
ーー『傷付かない。絶対傷付けさせない。その為に俺は強くなる。何者も俺達を脅かす事がなくなるくらいに俺は強くなる。強くなるさ』
この日、小次郎が口にした決意。その決意を実現させる為に、小次郎はただ前だけを向いて歩き出した。
こうして下野国庁付近の戦いは幕を閉じる。どちらが勝ったのか。正式な戦の勝敗は両者の間で決してはいない。
だが、誰の目にも「小次郎軍が勝利した」と、そう映っていたことだろう。
なにせ100余名の小隊が、2000を越える大軍を一度は撤退まで追い込んだのだから。
小次郎軍の武勇は、瞬く間に坂東中を駆け巡る。同時に小次郎の名も、一気に坂東中に知れ渡る事となった。
小次郎の名を世に知らしめたこの戦い、『下野国庁付近の戦い』は、後に“平将門"の運命を大きく左右する大きな転機となるのだが、この時の小次郎はまだ知らない。己が辿る数奇な運命を、彼はまだ知らない。
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