73 / 285
第一幕 板東編
優しい嘘②
しおりを挟む
――夜中
皆が酒に酔い潰れ、眠りについた頃。
焚火の前には、一人ぼんやりと炎を見つめる、小次郎の姿があった。その背中に静寂の中、声が掛かる。
「小次郎」
「…………」
だが小次郎は、何故かその声に振り返る事も、返事をすることもしなかった。
仕方なく声の主は、小次郎の許可を得る事なく、ちょこんと彼の隣に腰を下ろす。
「お主、久しぶりに会ったと言うに、私の事をあからさまに避けおって」
「別に、避けてるつもりはないさ。……久しぶりだな、千紗」
「誠か?そのわりに今も私の呼びかけに返事もなかったが……まぁよい。そうだな、久方ぶりだ。お主が京を旅だって以来、二年ぶりだ。やっと、やっと小次郎と話が出来た」
そう言って、千紗は嬉しそうに笑った。
そんな素直な千紗の笑顔に、小次郎はと言えば、横目で彼女を見ながら悪態を吐いた。
「二年も経ったって言うのに、お前は相変わらずだな。いや、前にもまして奇妙になったか」
「き、奇妙とは失敬な!」
「貴族の姫君が、なんて格好してんだよ」
「ふ、ふ、ふ、聞いて驚け。この着物はなぁ、母上が昔、お忍びで京の町へと出掛ける際に着ていたものを、父上が貸してくれたのじゃ」
「順子様の……?」
千紗の言葉に、小次郎は初めて忠平と順子に出会った日の出来事が思い起こされた。
あの日の順子の姿と、千紗の姿が重なる。
「ふふふ、母上も昔はお転婆だったのじゃな。そして私もその血を受け継いでおると」
「……」
「因みにこの姿は父上の考案ぞ。坂東までの道中、賊に狙われぬようにとのな。ついでに邪魔で仕方なかった髪も、こうして簪を挿して纏めてみたのじゃ。どうじゃ、似合っておるだろう?」
「………」
「聞いておるか小次郎? 実はな、髪に挿しているこの簪はな、秋成がくれたものでな、私の宝物なのじゃ」
「……秋成が? どうしてお前に簪なんて」
「まぁ、話せば色々とわけがあるのじゃが、簡単に言えばこれはやつの優しさの表れと言ったところか」
嬉しそうにそう語る千紗。
そんな彼女へと視線を向けながら、小次郎は小さく首を傾げていた。
「覚えておるか? 二年前、私が賊に攫われた日の事。あの日、賊にあう少し前に、市で小次郎と喧嘩をしてしまっただろ?」
「あぁ……そう言えば」
「あの喧嘩の後、市でこの簪を見つけての。小次郎を怒らせてしまった詫びに、これを小次郎に買って帰ろうかと悩み見ていたんだ。その様子を隣で見ていた秋成は、私が欲しがっていると勘違いしたのだろうな。小次郎が坂東へ帰り、落ち込んでいた私に、奴がこれをくれた。わざわざお主からの贈り物だと嘘をついて、な」
「……」
「あの時、突然に小次郎がいなくなって、私が寂しがらないようにと咄嗟に嘘をついたのだろう。小次郎が用意したものだと偽った方が、私が喜ぶと思ったのじゃな」
「…………」
「あやつは時々、変な気をつかう。こんなバレバレの嘘、気付かないわけもないのに」
「………」
「だってそうであろう。今の京に、女子が髪を結う風習はない。簪は男が髷を結い、烏帽子と固定するために使うものだ。垂髪が主流の貴族の女子に、わざわざ贈るようなものではない。これは、貴族の風習に無頓着な秋成にしか出来ぬ芸当だ」
思い出し笑いを浮かべながら、楽しそうに語る千紗。
そんな千紗の様子を、小次郎はどこか悲しみを帯びた瞳で静かに見つめていた。
皆が酒に酔い潰れ、眠りについた頃。
焚火の前には、一人ぼんやりと炎を見つめる、小次郎の姿があった。その背中に静寂の中、声が掛かる。
「小次郎」
「…………」
だが小次郎は、何故かその声に振り返る事も、返事をすることもしなかった。
仕方なく声の主は、小次郎の許可を得る事なく、ちょこんと彼の隣に腰を下ろす。
「お主、久しぶりに会ったと言うに、私の事をあからさまに避けおって」
「別に、避けてるつもりはないさ。……久しぶりだな、千紗」
「誠か?そのわりに今も私の呼びかけに返事もなかったが……まぁよい。そうだな、久方ぶりだ。お主が京を旅だって以来、二年ぶりだ。やっと、やっと小次郎と話が出来た」
そう言って、千紗は嬉しそうに笑った。
そんな素直な千紗の笑顔に、小次郎はと言えば、横目で彼女を見ながら悪態を吐いた。
「二年も経ったって言うのに、お前は相変わらずだな。いや、前にもまして奇妙になったか」
「き、奇妙とは失敬な!」
「貴族の姫君が、なんて格好してんだよ」
「ふ、ふ、ふ、聞いて驚け。この着物はなぁ、母上が昔、お忍びで京の町へと出掛ける際に着ていたものを、父上が貸してくれたのじゃ」
「順子様の……?」
千紗の言葉に、小次郎は初めて忠平と順子に出会った日の出来事が思い起こされた。
あの日の順子の姿と、千紗の姿が重なる。
「ふふふ、母上も昔はお転婆だったのじゃな。そして私もその血を受け継いでおると」
「……」
「因みにこの姿は父上の考案ぞ。坂東までの道中、賊に狙われぬようにとのな。ついでに邪魔で仕方なかった髪も、こうして簪を挿して纏めてみたのじゃ。どうじゃ、似合っておるだろう?」
「………」
「聞いておるか小次郎? 実はな、髪に挿しているこの簪はな、秋成がくれたものでな、私の宝物なのじゃ」
「……秋成が? どうしてお前に簪なんて」
「まぁ、話せば色々とわけがあるのじゃが、簡単に言えばこれはやつの優しさの表れと言ったところか」
嬉しそうにそう語る千紗。
そんな彼女へと視線を向けながら、小次郎は小さく首を傾げていた。
「覚えておるか? 二年前、私が賊に攫われた日の事。あの日、賊にあう少し前に、市で小次郎と喧嘩をしてしまっただろ?」
「あぁ……そう言えば」
「あの喧嘩の後、市でこの簪を見つけての。小次郎を怒らせてしまった詫びに、これを小次郎に買って帰ろうかと悩み見ていたんだ。その様子を隣で見ていた秋成は、私が欲しがっていると勘違いしたのだろうな。小次郎が坂東へ帰り、落ち込んでいた私に、奴がこれをくれた。わざわざお主からの贈り物だと嘘をついて、な」
「……」
「あの時、突然に小次郎がいなくなって、私が寂しがらないようにと咄嗟に嘘をついたのだろう。小次郎が用意したものだと偽った方が、私が喜ぶと思ったのじゃな」
「…………」
「あやつは時々、変な気をつかう。こんなバレバレの嘘、気付かないわけもないのに」
「………」
「だってそうであろう。今の京に、女子が髪を結う風習はない。簪は男が髷を結い、烏帽子と固定するために使うものだ。垂髪が主流の貴族の女子に、わざわざ贈るようなものではない。これは、貴族の風習に無頓着な秋成にしか出来ぬ芸当だ」
思い出し笑いを浮かべながら、楽しそうに語る千紗。
そんな千紗の様子を、小次郎はどこか悲しみを帯びた瞳で静かに見つめていた。
0
お気に入りに追加
5
あなたにおすすめの小説

金蝶の武者
ポテ吉
歴史・時代
時は天正十八年。
関東に覇を唱えた小田原北条氏は、関白豊臣秀吉により滅亡した。
小田原征伐に参陣していない常陸国府中大掾氏は、領地没収の危機になった。
御家存続のため、選ばれたのは当主大掾清幹の従弟三村春虎である。
「おんつぁま。いくらなんでもそったらこと、むりだっぺよ」
春虎は嘆いた。
金の揚羽の前立ての武者の奮戦記 ──
【新訳】帝国の海~大日本帝国海軍よ、世界に平和をもたらせ!第一部
山本 双六
歴史・時代
たくさんの人が亡くなった太平洋戦争。では、もし日本が勝てば原爆が落とされず、何万人の人が助かったかもしれないそう思い執筆しました。(一部史実と異なることがあるためご了承ください)初投稿ということで俊也さんの『re:太平洋戦争・大東亜の旭日となれ』を参考にさせて頂きました。
これからどうかよろしくお願い致します!
ちなみに、作品の表紙は、AIで生成しております。
戦国三法師伝
kya
歴史・時代
歴史物だけれども、誰にでも見てもらえるような作品にしていこうと思っています。
異世界転生物を見る気分で読んでみてください。
本能寺の変は戦国の覇王織田信長ばかりではなく織田家当主織田信忠をも戦国の世から葬り去り、織田家没落の危機を迎えるはずだったが。
信忠が子、三法師は平成日本の人間が転生した者だった…

猿の内政官 ~天下統一のお助けのお助け~
橋本洋一
歴史・時代
この世が乱れ、国同士が戦う、戦国乱世。
記憶を失くした優しいだけの少年、雲之介(くものすけ)と元今川家の陪々臣(ばいばいしん)で浪人の木下藤吉郎が出会い、二人は尾張の大うつけ、織田信長の元へと足を運ぶ。織田家に仕官した雲之介はやがて内政の才を発揮し、二人の主君にとって無くてはならぬ存在へとなる。
これは、優しさを武器に二人の主君を天下人へと導いた少年の物語
※架空戦記です。史実で死ぬはずの人物が生存したり、歴史が早く進む可能性があります
不屈の葵
ヌマサン
歴史・時代
戦国乱世、不屈の魂が未来を掴む!
これは三河の弱小国主から天下人へ、不屈の精神で戦国を駆け抜けた男の壮大な物語。
幾多の戦乱を生き抜き、不屈の精神で三河の弱小国衆から天下統一を成し遂げた男、徳川家康。
本作は家康の幼少期から晩年までを壮大なスケールで描き、戦国時代の激動と一人の男の成長物語を鮮やかに描く。
家康の苦悩、決断、そして成功と失敗。様々な人間ドラマを通して、人生とは何かを問いかける。
今川義元、織田信長、羽柴秀吉、武田信玄――家康の波乱万丈な人生を彩る個性豊かな名将たちも続々と登場。
家康との関わりを通して、彼らの生き様も鮮やかに描かれる。
笑いあり、涙ありの壮大なスケールで描く、単なる英雄譚ではなく、一人の人間として苦悩し、成長していく家康の姿を描いた壮大な歴史小説。
戦国時代の風雲児たちの活躍、人間ドラマ、そして家康の不屈の精神が、読者を戦国時代に誘う。
愛、友情、そして裏切り…戦国時代に渦巻く人間ドラマにも要注目!
歴史ファン必読の感動と興奮が止まらない歴史小説『不屈の葵』
ぜひ、手に取って、戦国時代の熱き息吹を感じてください!

永き夜の遠の睡りの皆目醒め
七瀬京
歴史・時代
近藤勇の『首』が消えた……。
新撰組の局長として名を馳せた近藤勇は板橋で罪人として処刑されてから、その首を晒された。
しかし、その首が、ある日忽然と消えたのだった……。
近藤の『首』を巡り、過去と栄光と男たちの愛憎が交錯する。
首はどこにあるのか。
そして激動の時代、男たちはどこへ向かうのか……。
※男性同士の恋愛表現がありますので苦手な方はご注意下さい
滝川家の人びと
卯花月影
歴史・時代
故郷、甲賀で騒動を起こし、国を追われるようにして出奔した
若き日の滝川一益と滝川義太夫、
尾張に流れ着いた二人は織田信長に会い、織田家の一員として
天下布武の一役を担う。二人をとりまく織田家の人々のそれぞれの思惑が
からみ、紆余曲折しながらも一益がたどり着く先はどこなのか。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる