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第一幕 板東編
不安な心②
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千紗が話終えた後、秋成は静かな口調で問いかけた。
「――それが、姫様が元気のなかった理由ですか?」
秋成の問いかけに千紗はコクんと小さく頷いた。
「貞盛から聞く小次郎の姿が、私の知っている奴とは遠くかけ離れていて……離れている間にあやつがどこか知らない人間になってしまったようで怖かったのだ。だって、私の知っている小次郎は、人を殺めるような人間ではなかったから……」
「お言葉ですが姫様、兄上は故郷で戦をしているのですよ。それは貴方も知っていた事ではないのですか? 戦とは何かを奪い合い、殺し合うものです」
「だ、だからと言って……小次郎が、自分と血の繋がった伯父を殺すなど……」
「それもまた、最初から分かっていた事ではないですか。起こっているのは、身内同士の争いだと。ならばこうなる事も予想出来たはずだ」
頭の中、未だ整理仕切れていない感情を吐露した千紗に返された秋成の言葉は酷く冷静なもの。
秋成ならば、貞盛の語った話を否定して、千紗の不安を打ち消すような言葉をくれるのではないかと期待していたのに、秋成が口にする内容は否定どころか肯定ばかり。
突きつけられる現実に、千紗の瞳には涙が浮かび始めていた。
その涙を何とか振り払おうと、千紗は必死に反論の言葉を探す。
「わ、私は………小次郎は、身内同士の争いを止める為に戦っていると思っていたのだ。小次郎は京で己の出世の為だけに親兄弟を平気で陥れようとする貴族達の行いを愚かだと言って、誰よりも嫌っておった。そんな小次郎だからこそ、身内で起こった争いを悲しみ、なんとかして止める為に坂東へ戻ったのだと信じてた。信じていたのに…………」
「だったら、信じていれば良い。姫様が信じる兄上を」
「……え?」
突然口調を和らげて口にした秋成の言葉に、千紗は驚いたて顔を上げる。
「で、でも小次郎は……」
「やっぱり今日の貴方は貴方らしくない。姫様らしくないですよ」
「……」
「姫様は誰よりも兄上を信頼し、心を許してきた。その兄上よりも、出会ったばかりの人間の言葉を信じるのですか?」
「……それは……」
「いや、貞盛殿の言葉もまた事実なのかもしれない。だが、もしそれが事実だったとして、兄上が伯父であった人物を殺めなければいならなかった理由を知らない」
「……」
「突き付けられた結果だけで兄上を責めるのは、まだ早いんじゃないですか? もしかしたら、伯父を殺したと言う事実の裏には、俺達の知らない兄上の苦悩があったのかもしれない。姫様がおっしゃるように、身内同士の争いを嫌う兄上であれば尚更だ」
「………」
「過程を知らない俺達が、結果だけで善悪を決めつける必要なんてありません。姫様はただ、姫様がよくご存知の兄上を信じていれば良い。ただそれだけの事です」
「………」
「何を恐れる必要があるのです? 何を戸惑う必要があるのですか? 姫様はそんな兄上を救いたくて……戦を止めたくて坂東を目指しているのでしょう? 悩むより先に、まず行動に移す。それが俺のよく知る姫様だ」
「……そうか、私は私が信じる小次郎を信じていれば良いのだな。貞盛の語った話が嘘か誠か、気になるのならば自分の目で確かめれば良い。一方の言葉だけを鵜呑みにして、うじうじ悩む必要などなかったのだ」
「そうですよ。そうと決まれば、明日も早い。疲れを残さない為にも社に戻って早く寝ましょうか」
すっかりいつもの調子を取り戻して来た千紗に安心した秋成は、社に戻ろうと立ち上がる。
「…………っ待て」
だが千紗は、何故か立ち上がろうとした秋成の腕を力強く引っ張って、それを拒んだ。
「姫様?」
「もう少し……まだもう少しだけこのままで。お前が私に優しいなど……滅多にない事だから」
千紗は秋成の腕にしがみつきながら、秋成の肩に頭を乗せ、甘えて見せる。
数日前、ヒナが秋成にしていたのと同じように。
「そんな事はないでしょう。昼間も申しましたが俺はいつも貴方には優しく」
「嘘つけ。いつも怒ってばっかりだ」
「失礼な」
「もうよい。また同じようにくだらぬ言い争いなどしとうない。今は、お主の与えるこの温もりが心地好いから、だからもう少しだけこのまま……お主の優しさに素直に甘えさせてくれ」
目を閉じて、微睡みの中、千紗がそう口にした。
「…………」
珍しく素直に甘えてくる千紗の姿に戸惑いを覚えながらも、秋成は捕まれていた腕を解いて千紗の体を抱き寄せた。
数日前、ヒナにしてやった事と同じように。
そして千紗の髪を何度も何度も繰り返し優しく撫でてやる。
その行為に千紗は、いつの間にかスヤスヤと寝息を立てはじめ、気持ちよさそうな寝顔を浮かべていた。
無防備な千紗の寝顔をただじっと見つめながら、秋成は心の中で呟く。
(兄上、やはり千紗を不安にさせるのはいつも貴方だ。不安がる千紗に俺がしてやれる事なんて何もない。俺はただ、こうして側に寄りそう事しか出来はしない――)
「――それが、姫様が元気のなかった理由ですか?」
秋成の問いかけに千紗はコクんと小さく頷いた。
「貞盛から聞く小次郎の姿が、私の知っている奴とは遠くかけ離れていて……離れている間にあやつがどこか知らない人間になってしまったようで怖かったのだ。だって、私の知っている小次郎は、人を殺めるような人間ではなかったから……」
「お言葉ですが姫様、兄上は故郷で戦をしているのですよ。それは貴方も知っていた事ではないのですか? 戦とは何かを奪い合い、殺し合うものです」
「だ、だからと言って……小次郎が、自分と血の繋がった伯父を殺すなど……」
「それもまた、最初から分かっていた事ではないですか。起こっているのは、身内同士の争いだと。ならばこうなる事も予想出来たはずだ」
頭の中、未だ整理仕切れていない感情を吐露した千紗に返された秋成の言葉は酷く冷静なもの。
秋成ならば、貞盛の語った話を否定して、千紗の不安を打ち消すような言葉をくれるのではないかと期待していたのに、秋成が口にする内容は否定どころか肯定ばかり。
突きつけられる現実に、千紗の瞳には涙が浮かび始めていた。
その涙を何とか振り払おうと、千紗は必死に反論の言葉を探す。
「わ、私は………小次郎は、身内同士の争いを止める為に戦っていると思っていたのだ。小次郎は京で己の出世の為だけに親兄弟を平気で陥れようとする貴族達の行いを愚かだと言って、誰よりも嫌っておった。そんな小次郎だからこそ、身内で起こった争いを悲しみ、なんとかして止める為に坂東へ戻ったのだと信じてた。信じていたのに…………」
「だったら、信じていれば良い。姫様が信じる兄上を」
「……え?」
突然口調を和らげて口にした秋成の言葉に、千紗は驚いたて顔を上げる。
「で、でも小次郎は……」
「やっぱり今日の貴方は貴方らしくない。姫様らしくないですよ」
「……」
「姫様は誰よりも兄上を信頼し、心を許してきた。その兄上よりも、出会ったばかりの人間の言葉を信じるのですか?」
「……それは……」
「いや、貞盛殿の言葉もまた事実なのかもしれない。だが、もしそれが事実だったとして、兄上が伯父であった人物を殺めなければいならなかった理由を知らない」
「……」
「突き付けられた結果だけで兄上を責めるのは、まだ早いんじゃないですか? もしかしたら、伯父を殺したと言う事実の裏には、俺達の知らない兄上の苦悩があったのかもしれない。姫様がおっしゃるように、身内同士の争いを嫌う兄上であれば尚更だ」
「………」
「過程を知らない俺達が、結果だけで善悪を決めつける必要なんてありません。姫様はただ、姫様がよくご存知の兄上を信じていれば良い。ただそれだけの事です」
「………」
「何を恐れる必要があるのです? 何を戸惑う必要があるのですか? 姫様はそんな兄上を救いたくて……戦を止めたくて坂東を目指しているのでしょう? 悩むより先に、まず行動に移す。それが俺のよく知る姫様だ」
「……そうか、私は私が信じる小次郎を信じていれば良いのだな。貞盛の語った話が嘘か誠か、気になるのならば自分の目で確かめれば良い。一方の言葉だけを鵜呑みにして、うじうじ悩む必要などなかったのだ」
「そうですよ。そうと決まれば、明日も早い。疲れを残さない為にも社に戻って早く寝ましょうか」
すっかりいつもの調子を取り戻して来た千紗に安心した秋成は、社に戻ろうと立ち上がる。
「…………っ待て」
だが千紗は、何故か立ち上がろうとした秋成の腕を力強く引っ張って、それを拒んだ。
「姫様?」
「もう少し……まだもう少しだけこのままで。お前が私に優しいなど……滅多にない事だから」
千紗は秋成の腕にしがみつきながら、秋成の肩に頭を乗せ、甘えて見せる。
数日前、ヒナが秋成にしていたのと同じように。
「そんな事はないでしょう。昼間も申しましたが俺はいつも貴方には優しく」
「嘘つけ。いつも怒ってばっかりだ」
「失礼な」
「もうよい。また同じようにくだらぬ言い争いなどしとうない。今は、お主の与えるこの温もりが心地好いから、だからもう少しだけこのまま……お主の優しさに素直に甘えさせてくれ」
目を閉じて、微睡みの中、千紗がそう口にした。
「…………」
珍しく素直に甘えてくる千紗の姿に戸惑いを覚えながらも、秋成は捕まれていた腕を解いて千紗の体を抱き寄せた。
数日前、ヒナにしてやった事と同じように。
そして千紗の髪を何度も何度も繰り返し優しく撫でてやる。
その行為に千紗は、いつの間にかスヤスヤと寝息を立てはじめ、気持ちよさそうな寝顔を浮かべていた。
無防備な千紗の寝顔をただじっと見つめながら、秋成は心の中で呟く。
(兄上、やはり千紗を不安にさせるのはいつも貴方だ。不安がる千紗に俺がしてやれる事なんて何もない。俺はただ、こうして側に寄りそう事しか出来はしない――)
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