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第一幕 京編
変わるもの、変わらないもの
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その頃、千紗の裳着を祝う宴が行われていた寝殿の広間では――
大分酔いの回った大人達の目を盗んで、宴の席から抜け出そうと席を立つ千紗の姿が。
「姫様どちらに?」
誰にも気付かれずこっそり抜け出すはずが、後ろから思いがけず掛けられた侍女の声に、ギクリと体を強張らせる千紗。
「…………ちょ、ちょっと厠へな。恥ずかしい事を、いちいち言わせないで察してくれ」
「そうでしたか。それは大変失礼いたしました。私、てっきり姫様が宴を抜け出すおつもりなのかと思いまして」
全くもってその通りなのだが
「な、何を申す。そのような事、全く考えてはおらぬよ」
引きつった笑顔で千紗は嘘を突き通した。
「ならば宜しいのですが、今日の主役は姫様なのですから、早く戻って来て下さいましね」
「うむ、分かっておる」
怪まれながらも、何とか誤魔化し宴の席を抜け出した千紗は、腰に裳を巻き、簪や櫛で前髪を上げた、大人の女性らしい新たな出で立ちで、屋敷の中、秋成の姿を探し彷徨い歩いた。
その後ろを、人につけられているとも知らずに――
「秋成~どこにおるのじゃ~?」
宴の部屋を出て、秋成の名を口にしてはいくつか屋敷内の場所を訪ね歩いた千紗だったが、自室である西対へとやってきた所で、庭に立つ秋成の姿をやっと見つける事ができた。
秋成の隣には、彼と共に嬉しそうに微笑むヒナの姿もあった。
「ん? あやつら、いつの間に仲良くなったのだ?」
庭に設置された松明の火に照らされ、何とも仲の良さげな秋成とヒナ。
普段無愛想な秋成が、自分以外の女子と話し笑顔を向けている姿は珍しくて、何故だか千紗は胸に小さなトゲがチクンと刺さるような、そんな違和感を覚えた。
「?」
胸のあたりを摩りながら、初めて感じる痛みに一人首を傾げる千紗。
だが、さほど気にする事もなく千紗は秋成へと声を掛ける。
「お~い、秋成~! 見よ、裳着を終えた妾の姿じゃ。お主にも見せてやろうと思って抜けて来てやたぞ」
予期していなかった突然の千紗の来訪。
秋成はヒナをその場に残し、慌てた様子で千紗の元に掛け寄って行く。
若干の怒気を含んで駆け寄ってくる秋成の形相に、また昼間のように小言を言われるのかと、身構えた千紗だったが、千紗の予想に反して、秋成がとった行動は意外なものだった。
「これは千紗姫様。裳着の儀、お疲れ様でござました。心よりお祝い申し上げます」
地面に片膝を付き、千紗に向かって深々と頭を下げ、畏まった口調で祝いの言葉を口にした秋成。
彼らしからぬ行動に、ぎょっとした顔で千紗は秋成を見下ろし固まる。
「……お主、どうしたのだ? そんなに畏まって。もしかして、熱でもあるのか?」
「いいえ、俺はいたって平常です。熱もございません」
「ならば何故そのうような気持ち悪い口調で話す?」
「恐れながら申し上げます。今は宴の時間。貴方様がこのような場所におられるのは似つかわしくないかと存じますが」
「それは妾の問いの答えになっておらぬ!今すぐその話し方を止めろ! お主には似合わない!」
「申し訳ございませんが姫様」
「これは命令ぞ、今すぐその口調を止めろ! それから姫などと……お前がそんな他人行儀な呼び方をするな! 一体どうしたと言うのだ秋成?」
突然の秋成の態度の変化に、千紗は戸惑い罵倒する。
だが秋成は、千紗へ対しての畏まった口調と態度を、決して止めることはしなかった。
ゆっくりと、だがしっかりした口調で、千紗が裳着の儀を行う間に己が心の中で固めた決意を語り始める。
「………千紗姫様、覚えておいでですか? 貴方が賊に誘われ大騒ぎとなった後、俺は貴方と約束しました。俺はこの先も貴方様の側に寄り添い、貴方様を守り続けて行くと」
「勿論覚えておる。お主は……お主だけは、変わらずに妾の傍に居てくれるとあの日約束したな。そしてお前はこうも言った。周りが変わって行ってしまう中で、世の中には変わらないものも確かに存在するのと。妾との約束を守り続ける事で、お主はそれを証明してくれるのだと。なのに……その態度は何だ? お主の方こそ、約束を忘れたのか秋成?」
「いいえ、忘れてなどおりません。勿論生涯を掛けて、貴方様との約束を果たし続けていく覚悟です。だからこそこれは、俺なりのけじめです」
「けじめ?」
「はい。あの約束は、俺が貴方様の従者となる事を決意し、誓った現れでもあるから」
「主従関係など、私はそんな関係を望んではいない! 私はお主の事を、友と思っているのだぞ秋成。お主とは今までのように友として傍にいて欲しいのだ!」
「勿体なきお言葉。ですが姫様、それは出来ません」
「何故だ? 何故出来ぬ?」
「俺と貴方では、身分が違うから」
秋成が口にした言葉に千紗は絶句する。
秋成もまた、小次郎と同じように“身分”を言い訳にするのかと。
「……どうして……どうしてみんなして、身分身分と……身分など関係ない。今までお主と築いて来た関係は、そんなくだらぬ言い訳で無くしてしまえる程薄っぺらなものだったのか?」
「いいえ。俺も貴方様の事を、かけがえのない友だと思っております。だからこその決意であり、けじめなのです。裳着をなされた今、世間はこれから貴方様を大人としてみるでしょう。今までは子供だからと許されて来た事も、きっと許されなくなる」
「そんな事は……」
ないと続けようとした千紗の言葉を遮って秋成が言った。
「ありますよ。現に今、あなたは供もつけずにここへきた。それは何故ですか? 後ろめたい事柄だからではありませんか? 周りの大人達に怒られる事だと、自覚しているからではありませんか?」
「っ……」
何か反論しなくてはと口を開くも、秋成の言う通りであったから千紗は、何も反論する言葉が出てこなかった。
「だからこそ俺は、従者となる決意をしたのです。この先も貴方の側に居続ける為に……貴方との約束を果たす為に。従者としてなら、この先も俺は貴方の側にいることが許される。逆に従者としてしか、俺には貴方を守る事が出来ない」
そこまで言って、やっと秋成は顔を上げた。
そして千紗に向かってふっと微笑んで見せると、優しい口調でこう言った。
「大丈夫。そんな悲しい顔をなさらないで下さい。形は変われど、俺たちの絆は変わりません。違いますか千紗姫様」
今までと変わらない秋成の優しい言葉と笑顔に、不安で押しつぶされそうになっていた心にも、少しだけほっとする気持ちが戻ってくる。
でも、それでもまだ突然の秋成の変化に、頭がついていかない様子の千紗は、不安と哀しみに眉を歪めていた。
大分酔いの回った大人達の目を盗んで、宴の席から抜け出そうと席を立つ千紗の姿が。
「姫様どちらに?」
誰にも気付かれずこっそり抜け出すはずが、後ろから思いがけず掛けられた侍女の声に、ギクリと体を強張らせる千紗。
「…………ちょ、ちょっと厠へな。恥ずかしい事を、いちいち言わせないで察してくれ」
「そうでしたか。それは大変失礼いたしました。私、てっきり姫様が宴を抜け出すおつもりなのかと思いまして」
全くもってその通りなのだが
「な、何を申す。そのような事、全く考えてはおらぬよ」
引きつった笑顔で千紗は嘘を突き通した。
「ならば宜しいのですが、今日の主役は姫様なのですから、早く戻って来て下さいましね」
「うむ、分かっておる」
怪まれながらも、何とか誤魔化し宴の席を抜け出した千紗は、腰に裳を巻き、簪や櫛で前髪を上げた、大人の女性らしい新たな出で立ちで、屋敷の中、秋成の姿を探し彷徨い歩いた。
その後ろを、人につけられているとも知らずに――
「秋成~どこにおるのじゃ~?」
宴の部屋を出て、秋成の名を口にしてはいくつか屋敷内の場所を訪ね歩いた千紗だったが、自室である西対へとやってきた所で、庭に立つ秋成の姿をやっと見つける事ができた。
秋成の隣には、彼と共に嬉しそうに微笑むヒナの姿もあった。
「ん? あやつら、いつの間に仲良くなったのだ?」
庭に設置された松明の火に照らされ、何とも仲の良さげな秋成とヒナ。
普段無愛想な秋成が、自分以外の女子と話し笑顔を向けている姿は珍しくて、何故だか千紗は胸に小さなトゲがチクンと刺さるような、そんな違和感を覚えた。
「?」
胸のあたりを摩りながら、初めて感じる痛みに一人首を傾げる千紗。
だが、さほど気にする事もなく千紗は秋成へと声を掛ける。
「お~い、秋成~! 見よ、裳着を終えた妾の姿じゃ。お主にも見せてやろうと思って抜けて来てやたぞ」
予期していなかった突然の千紗の来訪。
秋成はヒナをその場に残し、慌てた様子で千紗の元に掛け寄って行く。
若干の怒気を含んで駆け寄ってくる秋成の形相に、また昼間のように小言を言われるのかと、身構えた千紗だったが、千紗の予想に反して、秋成がとった行動は意外なものだった。
「これは千紗姫様。裳着の儀、お疲れ様でござました。心よりお祝い申し上げます」
地面に片膝を付き、千紗に向かって深々と頭を下げ、畏まった口調で祝いの言葉を口にした秋成。
彼らしからぬ行動に、ぎょっとした顔で千紗は秋成を見下ろし固まる。
「……お主、どうしたのだ? そんなに畏まって。もしかして、熱でもあるのか?」
「いいえ、俺はいたって平常です。熱もございません」
「ならば何故そのうような気持ち悪い口調で話す?」
「恐れながら申し上げます。今は宴の時間。貴方様がこのような場所におられるのは似つかわしくないかと存じますが」
「それは妾の問いの答えになっておらぬ!今すぐその話し方を止めろ! お主には似合わない!」
「申し訳ございませんが姫様」
「これは命令ぞ、今すぐその口調を止めろ! それから姫などと……お前がそんな他人行儀な呼び方をするな! 一体どうしたと言うのだ秋成?」
突然の秋成の態度の変化に、千紗は戸惑い罵倒する。
だが秋成は、千紗へ対しての畏まった口調と態度を、決して止めることはしなかった。
ゆっくりと、だがしっかりした口調で、千紗が裳着の儀を行う間に己が心の中で固めた決意を語り始める。
「………千紗姫様、覚えておいでですか? 貴方が賊に誘われ大騒ぎとなった後、俺は貴方と約束しました。俺はこの先も貴方様の側に寄り添い、貴方様を守り続けて行くと」
「勿論覚えておる。お主は……お主だけは、変わらずに妾の傍に居てくれるとあの日約束したな。そしてお前はこうも言った。周りが変わって行ってしまう中で、世の中には変わらないものも確かに存在するのと。妾との約束を守り続ける事で、お主はそれを証明してくれるのだと。なのに……その態度は何だ? お主の方こそ、約束を忘れたのか秋成?」
「いいえ、忘れてなどおりません。勿論生涯を掛けて、貴方様との約束を果たし続けていく覚悟です。だからこそこれは、俺なりのけじめです」
「けじめ?」
「はい。あの約束は、俺が貴方様の従者となる事を決意し、誓った現れでもあるから」
「主従関係など、私はそんな関係を望んではいない! 私はお主の事を、友と思っているのだぞ秋成。お主とは今までのように友として傍にいて欲しいのだ!」
「勿体なきお言葉。ですが姫様、それは出来ません」
「何故だ? 何故出来ぬ?」
「俺と貴方では、身分が違うから」
秋成が口にした言葉に千紗は絶句する。
秋成もまた、小次郎と同じように“身分”を言い訳にするのかと。
「……どうして……どうしてみんなして、身分身分と……身分など関係ない。今までお主と築いて来た関係は、そんなくだらぬ言い訳で無くしてしまえる程薄っぺらなものだったのか?」
「いいえ。俺も貴方様の事を、かけがえのない友だと思っております。だからこその決意であり、けじめなのです。裳着をなされた今、世間はこれから貴方様を大人としてみるでしょう。今までは子供だからと許されて来た事も、きっと許されなくなる」
「そんな事は……」
ないと続けようとした千紗の言葉を遮って秋成が言った。
「ありますよ。現に今、あなたは供もつけずにここへきた。それは何故ですか? 後ろめたい事柄だからではありませんか? 周りの大人達に怒られる事だと、自覚しているからではありませんか?」
「っ……」
何か反論しなくてはと口を開くも、秋成の言う通りであったから千紗は、何も反論する言葉が出てこなかった。
「だからこそ俺は、従者となる決意をしたのです。この先も貴方の側に居続ける為に……貴方との約束を果たす為に。従者としてなら、この先も俺は貴方の側にいることが許される。逆に従者としてしか、俺には貴方を守る事が出来ない」
そこまで言って、やっと秋成は顔を上げた。
そして千紗に向かってふっと微笑んで見せると、優しい口調でこう言った。
「大丈夫。そんな悲しい顔をなさらないで下さい。形は変われど、俺たちの絆は変わりません。違いますか千紗姫様」
今までと変わらない秋成の優しい言葉と笑顔に、不安で押しつぶされそうになっていた心にも、少しだけほっとする気持ちが戻ってくる。
でも、それでもまだ突然の秋成の変化に、頭がついていかない様子の千紗は、不安と哀しみに眉を歪めていた。
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