時ノ糸~絆~

汐野悠翔

文字の大きさ
上 下
31 / 287
第一幕 京編

千紗の決意①

しおりを挟む
――時は再び小次郎がいなくなった3日後に戻って


「千紗? や~っぱりここにいた。お前が部屋から姿を消したって、今下は大騒ぎになってるぞ」

「…………」


藤原館の奥座敷、その屋根の上で膝を抱え、小さくうずくまった姿で顔を伏せていた千紗。屋根にかかる梯子を登り、秋成が探していた彼女の姿を見つけて声を掛けた。
  
一瞬だけ顔を上げ、チラリと秋成の方を見るも千紗は再び無言のまま顔を伏せてしまった。


「夜も近付いてきた。ここじゃ冷えるだろ。部屋へ戻ろう?」

「………」
 

千紗の無反応に、負けじと秋成も再び呼びかける。だが千紗は、今度は顔を上げることもせず秋成の呼びかけを無視し続けた。

小次郎との突然の別れを聞かされた後、千紗は「一人になりたい」と忠平やキヨを始め、その場にいた皆を遠ざけた。
もちろん、秋成も例外ではなく、千紗は自身の部屋に御簾を下ろし、秋成さえも近づく事は許さなかった。

焦心しきった千紗が、部屋に閉じこもってどれくらいの刻が過ぎた頃だろうか。千紗に夕餉を運びに来た際、侍女が千紗の不在に気付いた。

昼間の千紗の様子を、屋敷の皆が心配していた事もあり、それは直ぐさま騒ぎとなり屋敷中に広まった。

そして今に至るわけだが――


「……千紗? 千~紗! 聞いてるのかお前?」

「…………」


梯子から屋根に移り、千紗の左隣に腰掛けた後も、秋成はずっと千紗の名を呼び掛け続ける。

だが秋成がいくら呼んでも千紗は何の反応も示さない。
ずっと抱えた膝に顔を伏せて、顔は見えないが、まるで泣いてしるようだ。

予想通りの千紗の落ち込みよう。秋成からは思わず溜息が零れた。

そして、もうここには居ない小次郎を思い浮かべながら、千紗には聞こえない程の小さな声で義兄に対する愚痴を呟いた。


「だから千紗に何も告げずに行くのはやめてくれって言ったんですよ。こんなに落ち込んでるこいつを、俺がどうやって励ませって言うんだ、まったく……恨みますよ兄上」


ぐしゃぐしゃと頭を掻きむしる秋成。

ふとその時、千紗の手に一枚の紙切れが握られている事に気付いた。


「……千紗、それは? その手の中の……」


秋成の疑問に、今まで俯いたまま全く反応を示さなかった千紗がゆっくりと顔を上げ、握りしめた“それ”に視線を落としながら、初めて答えを返してくれた。


「…………小次郎からの文じゃ。枕元に置いてあった」

「兄上からの?」


千紗から返ってきた思わぬ言葉に、秋成は驚きに目を見開き、一瞬表情を強張らせた。そして、手にしていたものをそっと左の袖に忍ばせた。


「あ、兄上は何て?」

「謝っておる。傍にいられなくてすまないと。それから……」

「それから?」

「いつか戻ってくるからと。妾に相応しい男になって戻ってくるから……待っていて欲しいと」

「………」


――『待っていてほしい』


小次郎が千紗へと残した言葉を聞かされて、何故か秋成は胸が締め付けられるような、そんな不思議な感覚に襲われた。


「それより秋成、お主はよく妾の居場所が分かったな」

「そ、そりゃ~お前には前科があるからな」

「前科? そう……だったか?」

「おいおい、覚えてないのか? ほら、兄上が遣非違使見習いになったばかりの頃、兄上の気を引こうと今みたいに家出騒動を起こした事があったじゃないか。その時もこうして同じ場所――普段使われていないこの奥座敷の屋根上で」

「夕日を眺めておった。そう言えば、そんな事もあったの。妾は本当に……何も変わっておらぬのだな」


一瞬見せた千紗の笑顔。夕日に照らされたその笑顔が、秋成の目にはどこか寂しそうに映って見えた。


「……千紗?」

胸騒ぎから彼女の名を呼ぶ。
だが千紗は、秋成の胸騒ぎなど気付かない様子で構わず話を続けた。


「秋成は、知っておったか? 小次郎が遣非違使見習いになった理由を。役職にこだわっていた訳を」

「……あぁ」


秋成も知ったのは、つい最近の事だったのだけれど、そこには敢えて触れずに秋成は肯定の意を示した。


「そうか。妾だけが知らずにあやつを困らせておったのだな。己の幼さが誠情けない」

「…………千紗」

「あやつには背負っているものがあったと言うのに、京に取られるだのと自分勝手な我が儘で、散々あやつを振り回してしまった。なんと子供だった事か。それなのにあやつは、こんな妾を見捨てずに妾の我が儘に付き合い続けてくれていたのだな。故郷に帰る事になっても、こうしてまだ我が儘に付き合おうとしてくれる。それを嬉しく思う半面……その優しさについ甘えてしまいそうになる自分を情けないと思った」

「…………」


寂しそうに語る千紗に、秋成は何と言葉を返すのが正解なのか分からなくて、言葉に詰まった。

だが、相変わらず秋成の戸惑いになど、構う事なく千紗は言葉を続けた。


「覚えておるか? 市へ行く道中、おぬしに問うた言葉を」


一瞬何の事を聞かれているのかピンと来なかった秋成は、ゆっくりと記憶を手繰り寄せて行く。

そして、思い当たる一つの言葉を思い出した。


「どうして人は……変わってしまうのか?」


秋成が導き出した答えに千紗は小さく頷く。


「今ならば、その答えが分かる気がする。人は皆、それぞれに背負う物があって、進むべき道がある。目指す物が違うのだから、変化が生じるのは当たり前。どんなに居心地がよくても、変わらずにいる事など……出来るはずもなかったのだ」


千紗の口から紡がれる千紗なりの考え。
だが秋成には、千紗が導き出した答えの意味を理解する事は出来ても、納得する事は出来そうになかった。

何故ならば、そう語る千紗の顔があまりにも寂しそうに見えたから。


「周りが変わろうとして行く中で、いつまでも目を反らし続けるわけには行かないのだと、妾自身も変わらなければ行けないと言う事にやっと気付いた。妾だけがいつまでも子供のまま、周りを振り回して、足手まといとなっているのは嫌じゃ」


胸の内を吐き出しながら、小次郎が残した手紙へと落とされていた千紗の視線が、突然秋成へと向けられた。

千紗の真剣な眼差しが、真っ直ぐに秋成を捉える。


「だから決めたぞ。妾は裳着をする。これ以上小次郎に置いていかれぬよう、妾も大人になりたい」

「っ!」

「次に小次郎と再会した時、呆れられないよう立派な人間になっていなくては! それに久しぶりに会った時、大人の女に成長した妾の姿に驚く奴の顔を見ると言うのも一興。子供だなんだと、散々馬鹿にした事を後悔させてやるのじゃ!」


突然の千紗の宣言に、秋成は驚きに目を見開く。
彼を驚かせておきながら当の本人は、先程までの真剣な顔から一変、悪戯を思いついた幼子のように笑っていた。

だがその笑顔は、今までの千紗のものとは明らかに違っている。秋成にはそう感じてならなかった。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

梅すだれ

木花薫
歴史・時代
江戸時代の女の子、お千代の一生の物語。恋に仕事に頑張るお千代は悲しいことも多いけど充実した女の人生を生き抜きます。が、現在お千代の物語から逸れて、九州の隠れキリシタンの話になっています。島原の乱の前後、農民たちがどのように生きていたのか、仏教やキリスト教の世界観も組み込んで書いています。 登場人物の繋がりで主人公がバトンタッチして物語が次々と移っていきます隠れキリシタンの次は戦国時代の姉妹のストーリーとなっていきます。 時代背景は戦国時代から江戸時代初期の歴史とリンクさせてあります。長編時代小説。長々と続きます。

陣借り狙撃やくざ無情譚(時代小説新人賞最終選考落選歴あり、別名義、別作品)

牛馬走
歴史・時代
(時代小説新人賞最終選考落選歴あり、別名義、別作品)猟師として生きている栄助。ありきたりな日常がいつまでも続くと思っていた。  だが、陣借り無宿というやくざ者たちの出入り――戦に、陣借りする一種の傭兵に従兄弟に誘われる。 その後、栄助は陣借り無宿のひとりとして従兄弟に付き従う。たどりついた宿場で陣借り無宿としての働き、その魔力に栄助は魅入られる。

四代目 豊臣秀勝

克全
歴史・時代
アルファポリス第5回歴史時代小説大賞参加作です。 読者賞を狙っていますので、アルファポリスで投票とお気に入り登録してくださると助かります。 史実で三木城合戦前後で夭折した木下与一郎が生き延びた。 秀吉の最年長の甥であり、秀長の嫡男・与一郎が生き延びた豊臣家が辿る歴史はどう言うモノになるのか。 小牧長久手で秀吉は勝てるのか? 朝日姫は徳川家康の嫁ぐのか? 朝鮮征伐は行われるのか? 秀頼は生まれるのか。 秀次が後継者に指名され切腹させられるのか?

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

織田信長IF… 天下統一再び!!

華瑠羅
歴史・時代
日本の歴史上最も有名な『本能寺の変』の当日から物語は足早に流れて行く展開です。 この作品は「もし」という概念で物語が進行していきます。 主人公【織田信長】が死んで、若返って蘇り再び活躍するという作品です。 ※この物語はフィクションです。

アルバイトで実験台

夏向りん
BL
給料いいバイトあるよ、と教えてもらったバイト先は大人用玩具実験台だった! ローター、オナホ、フェラ、玩具責め、放置、等々の要素有り

剣客逓信 ―明治剣戟郵便録―

三條すずしろ
歴史・時代
【第9回歴史・時代小説大賞:痛快! エンタメ剣客賞受賞】 明治6年、警察より早くピストルを装備したのは郵便配達員だった――。 維新の動乱で届くことのなかった手紙や小包。そんな残された思いを配達する「御留郵便御用」の若者と老剣士が、時に不穏な明治の初めをひた走る。 密書や金品を狙う賊を退け大切なものを届ける特命郵便配達人、通称「剣客逓信(けんかくていしん)」。 武装する必要があるほど危険にさらされた初期の郵便時代、二人はやがてさらに大きな動乱に巻き込まれ――。 ※エブリスタでも連載中

永き夜の遠の睡りの皆目醒め

七瀬京
歴史・時代
近藤勇の『首』が消えた……。 新撰組の局長として名を馳せた近藤勇は板橋で罪人として処刑されてから、その首を晒された。 しかし、その首が、ある日忽然と消えたのだった……。 近藤の『首』を巡り、過去と栄光と男たちの愛憎が交錯する。 首はどこにあるのか。 そして激動の時代、男たちはどこへ向かうのか……。 ※男性同士の恋愛表現がありますので苦手な方はご注意下さい

処理中です...