時ノ糸~絆~

汐野悠翔

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第一幕 京編

別れの時

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主である忠平との別れの挨拶を終え彼の部屋を後にした小次郎と秋成は、二人並んであてどなく藤原の屋敷内を彷徨い歩いていた。

互いにどちらかが話し出すのを待っているのか、一向に口を開かない二人。

暫く黙って歩いた後に、やっと年上である小次郎が弟へと話題を切り出した。



「盗み聞きとは感心しないな、秋成」

「申し訳ございません。あの四郎と言う奴を見送った後の兄上の様子が気になって」

「ずっと後を付けていたのか? そんな事の為に、お前はまた千紗の元から離れたのか? あんな事があった後だと言うのにお前は……」

「っ!」


やっと口を開いた小次郎からなされた話題は、秋成が聞きたかった本題とは違い、秋成の行いを責めるもの。予想もしていなかった展開と、突然の義兄の剣幕に秋成の体は恐怖に震え上がった。


「もっ、申し訳ございませんっ!!」


焦った様子で必死に謝罪の言葉を口にした秋成に、今度は突然クスクスと笑い出す小次郎。
そして、その笑いは次第に大きなものへと変わって行った。


「冗談だ。冗談だよ秋成。相変わらずからかいがいのある奴だな」

「あ、兄上っ!」


からかわれたのだと理解した途端、秋成の顔は真っ赤に染まって行く。赤く染めた顔でぷうと頬を膨らませて見せる秋成の幼稚な姿に小次郎は更に声を上げて笑った。

「悪い悪い。お前をからかうのもこれが最後かと思ったら、ついな」


 “最後”と言う言葉に、先程まで赤く染まっていたはずの秋成の顔がみるみる曇る。

焦ったかと思えば怒って、怒ったかと思えば顔を赤く染めて恥ずかしがり、忙しくも今度は曇った表情で眉間に深い皺を刻んだ秋成は、ポツリポツリと胸に宿した疑問を小次郎へと投げかけた。


「……先程忠平様におっしゃっていた“国へ帰る”と言う言葉は本当なのですか?」

「あぁ、本当だ。今日限りで俺はこの屋敷を去る。そして俺は俺の生まれ育った国へ帰る」

「そう……ですか………。兄上にも兄上の事情がある事は理解しているつもりです。ですが、あいつの眠っている間に行くと言うのは何故ですか? せめて、千紗が目覚めてからでも」

「それは無理だ。あいつが知ったらきっと、またただをこねて面倒な事になる」

「そうだとしても……」

「きっとあいつは俺との別れを悲しんでくれるだろう。でもその時に、もしあいつの泣き顔なんかを見せられてしまったら、せっかく決断した俺の意志は揺らいでしまいそうだから」


真っ暗な夜の中、当て所なく藤原屋敷の庭を彷徨い歩いていたはずの二人だったが、ふと気が付くと、二人は千紗の部屋の前に来ていた。

意志が揺らいでしまいそうだからと、弱音にも似た言葉を漏らした小次郎は、苦い笑みを浮かべながら千紗が眠っているだろう部屋を愛おしげに見つめていた。

言葉とは裏腹にまだ迷いの見える小次郎の姿に、秋成は何とか彼の気持ちを変える事はできないかと説得の言葉を探す。


「たとえそれで兄上があいつの泣き顔を見なかったとしても、兄上の知らない所できっとあいつは泣きます。泣かせる事実に変わりありません」

「俺が見ずに済めば良い」

「なっ!?」

「その時は、お前が慰めてやればそれで良い」

「…………兄上は……ずるい……」

「なんとでも言え」

「千紗を泣かせる事ができるのも、泣き止ませる事が出来るのも、兄上だけなんです」

「知ってる」

「知っていながら、どうして……どうして俺に、そんな事を言うのですか? 俺じゃだめなんですよ。俺じゃ………」


秋成は悔しそうに唇を噛み締めた。


「……何をそんなに悔しがってるのか知らないが、俺はお前の方が羨ましいよ。何にも縛られる事なく、ただ千紗の側にいる事が出来るお前がな」


弟の悔しそうな顔を見守りながら、小次郎はそんな言葉をぽつりと漏らした。

小次郎が漏らした言葉の真意が分からなくて、秋成はキョトンとした顔で小次郎を見た。


「俺は、お前と違ってここに来た目的がある。帰らなければならない場所がある。守らなければならない物がある。果たさなければならない役目がある。家柄に縛られている俺と違って、お前は何も持たないからこそ自由がある。それが俺はずっと羨ましかった」

「……」

「だってそうだろう?何にも邪魔される事なく、自分が望むままに千紗の側にいてやれる」


初めて聞かされる小次郎の本心。憧れていたはずの存在に、逆に羨ましく思われていたなんて。
全く考えた事もなかった小次郎の思いを突然聞かされて、秋成はどう反応して良いのか言葉が出て来なかった。

秋成の戸惑いを感じながらも小次郎は更に話を続ける。


「お前は気付いてたか? あいつはな、どうしようもない我が儘姫だけど、でもその我が儘は、本当に心を許した相手の前でしか言わないんだ。いつの間にかあいつの我が儘は、俺じゃなくお前に向くようになっていた」

「……え?」

「俺が、家柄に縛られ千紗の相手をしてやれなくなってる間に、お前は自分が思っている以上に、千紗に必要と思われる存在になりつつあるんだよ。悔しい事にな」

「…………」

「だから……あいつの事を頼める奴はお前しかいないと思った。どうしようもない我が儘で強がりで、意地っ張りなお転婆娘だけど、そんな千紗の相手が出来る奴なんて、俺以外にはもうお前くらいしかいない。お前の前でくらいは、あいつに弱音を吐かせてやってくれよな」


嘘偽りのない、心からの想いを語った小次郎。説得していたはずの秋成が、逆に説得させられていて、今の話を聞かされた後ではもう拒否などできるはずはなかった。

やっとの思いで秋成の口から出た言葉は


「………………やっぱり兄上は……ずるい……」


その一言だけ。


「なんとでも言え。俺は、ずるい人間なんだ」


義弟の悔しがる姿に勝ち誇った笑いを浮かべながら、小次郎はべっと茶目っ気たっぷちに舌を見せた。

そんな兄の幼稚な姿が可笑しかったのか、思わず秋成から笑いが零れた。

秋成の笑いに釣られるように、小次郎も一緒に笑い出す。
そして、笑顔を浮かべたまま踵を返した小次郎は秋成へと背を向ける。


「さ~て、これであの我が儘姫の顔も見納めだ。最後に間抜けな寝顔でも、拝んでおくとしようかな」


そう言い残して小次郎は、ゆっくりと千紗の部屋へ向けて歩き出した。

これで最後となるであろう義兄の後ろ姿を、秋成は静かに見送った。


「あぁ、そうだ。一つ言い忘れてたが、勘違いはするなよ。お前に頼むとは言ったが、譲るわけじゃないからな」


焦心の気持ちで兄を見送る秋成に水を差すように、何故か小次郎は今一度秋成の方を振り返って、せっかくの義兄弟の綺麗な別れをぶち壊すかのように、突然の宣戦布告を口にする。

された側の秋成は、そもそもの言葉の意味が分かっていない様子で、不思議そうに首を傾げている。

幸か不幸か、小次郎はまだ幼さの残る義弟の純粋さと鈍感さに、苦笑いを浮かべながらこう続けた。


「ま、いいや。まだ気付いてないならそれでも。とにかくだ、千紗の事はお前に頼んだぞ。今度こそ何者からもあいつの事守ってやってくれよ」


今度こそ、秋成に向けて最後の捨て台詞を残した小次郎は、千紗の部屋へと続く階段を上がっていく。
そして、部屋を遮る御簾をくぐると、秋成の前から完全に姿を消した。

秋成は知らない。
小次郎が御簾の奥へ消える寸前に呟いていた、本当に最後の彼の捨て台詞を。


「俺みたいなどうしようもない男から、な――」

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