時ノ糸~絆~

汐野悠翔

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第一幕 京編

昔話③

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――こうして、小次郎は藤原家臣下として仕える事となったのだ。

田舎者であるが故に、最初は周りから見下されていたが、彼を気に掛けてくれた忠平の計いで、藤原家へと仕える武士団の棟梁のもとへ養子に入り、それがきっかけとなり次第に周りと馴染んで行き、今の信頼を勝ち取るまでになって行った。

今の小次郎があるのは全ては忠平のおかげ。
小次郎は忠平に深い恩を感じると共に、ある不思議に思っていた事を、この機会に訊ねてみることにした。


「忠平様に、ずっとお聞きしたい事がありました。何故、俺なんか田舎者の事を気にかけて下さったのですか? 何故貴族でありながらも、忠平様は民の事を気にかけて下さるのですか?」


突然の小次郎の問いかけに、忠平の顔には苦い笑みが浮かんだ。


「私は、お主が思っているような立派な人間ではないよ」


そう小さく漏らした忠平は、どこか切なげに夜空に輝く月を仰ぎ見ていた。


「ただ私は、ある男との約束を果たそうとしているだけなのだ」

「……約束?」

「あぁ。古い友人と昔交わした約束。誰も罪を犯す事のない、平和な世を作ろうと言うな。だが……その友人は私利私欲の為だけに政を行う貴族達から煙たがられ、この都から辺境の地へと追いやられてしまった」

「そんな……」

「それを率先して行ったのは、当時左大臣だった私の兄、藤原時平ふじわらのときひら。私は、兄が怖くて彼を助ける事が出来なかった。約束したのにな。二人でこの国を変えようと。それなのに……変えるどころか私は貴族共と一緒になって彼を死に追いやった。彼を助ける事が出来なかった……」

「その方は……その後どうなったのですか?」

「その後、さ程時を経たずして、流された先の地で亡くなったよ。どのような最後を遂げたのかまでは、私は知らない。だがきっと恨んでいたのだろうな。兄の事を。私の事を。そしてこの腐りきった世の中の事を……」

「……」

「あの日偶然町でお主と出会って、まるで彼を見ているようなそんな錯覚に襲われたのだ。お主が臆する事なく貴族に向かって正義を説く姿が……醜い出世争いばかりを繰り広げる朝廷内で、一人必死に世の変革を望み、説き続けた友の姿と。お主との出会いが、彼との約束を蘇らせてくれた。彼の死を自分のせいだと責めながらも、ただ縮こまる事しか出来なかった私を奮い立たせてくれた」

「そんな。俺は何も……」

「気付いておったか? あの日初めて貴族の者に虚勢を張ってみせた私の手は、情けない事に震えておったのだ。それを側で支えてくれたのは妻である順子。あの日逃げる事なく大勢の前で大見えをきれたのは、全てそなた達のおかげ。今の私があるのは、友と交わした約束と、傍で支えてくれたそなた達の存在があったからこそ。だから私は、何も立派な人間ではないのだよ」

「そんな事はありません! やはり俺は、忠平様と出会えて良かった。貴方や千紗、順子様のような貴族に出会えたから、忠平様のような心優しい方が納める都ならばと、生きる希望を持つ事が出来た。だから俺は、忠平様にお仕えできた事を誇りに思います!」


力強い小次郎の言葉に忠平は一瞬面食らう。


「……恥ずかしい事を平気で口にする奴だ。お主に呆れられぬよう、私もまだまだ大臣として頑張らねばならぬな」

「忠平様ならばいつかきっと、その友人の方との約束を果たす事が出来ますよ。俺はそう信じています。そして、微力ながら俺もそのお手伝いが出来たらと思います。いつか……いつか必ず俺は京に帰って来ます。その時はまた、俺を従者として、忠平様の側に置いて頂けませんか?」

「私も是非、お主に私の右腕として支えて欲しいと思っておるよ。生まれながらの家柄や、身分などに囚われる事なく、お主のような情熱と才能に溢れた若者が、能力に応じて正当に評価される。そんな世の中であって欲しいとな。あぁ……だがそなたを私だけの右腕としてしまったら、あの我が儘娘が怒りそうだな」


忠平がクックと笑いながらそんな言葉を漏らす。小次郎にも容易に千紗の拗ねた姿が思い浮かんで、釣られて笑った。


「……待っておるからな。あの子の為にも必ずこの屋敷に帰って来なさい」

「はい、必ず」


小次郎の返事に、忠平は満足そうに穏やかに微笑んだ。


「おっと、もう一人そなたとの別れを惜しむ者がおるようだ。私ばかりがいつまでも、お主を独り占めしている訳にもいかないな」


庭先に広がる真っ暗な闇の中、ある一人の気配に気付いて忠平が零す。
忠平の口から溢れたその言葉に、小次郎も庭の奥へと視線を向ける。


「……秋成」


闇の中、見つけた人物の名前を小次郎が小さく口にした。


「お話中、申し訳ございません兄上、忠平様」

「よいよい。私との別れの挨拶は済んだ。義理とは言え、兄との別れは寂しかろう。次は兄弟同士、別れを惜しむがよい」


忠平の言葉に、小次郎と秋成は深々と頭を下げる。


「では忠平様」

「あぁ。達者でな、小次郎」


二人は忠平に背を向けると、深夜の暗闇へと姿を消して行った。

二人を見送り、優しい笑みを浮かべながら、忠平はポツリと小さく独り言を呟く。


「本当に……あの子をみていると、そなたを見ているようだよ道真みちざね。才能があるのに出自に恵まれず苦労している所も、人一倍正義感が強い所も、そして何より自分の事以上に他人の為に一生懸命になれる優しい所も、本当にお主によく似ている」


今は亡き友に、そう語り掛けながら、再び夢に見た友との懐かしき約束を思い出していた。


――『忠平、私がなしえなかった事を、お前に託そう。この京を……人々が罪を犯す事のない平和な都へと導いてやってくれ』――


「お前が死んで、30年以上も経つと言うのに……あの子にまで、過酷な運命を背負わせてしまっている。私は……本当にお前との約束を果たせる日が来るのだろうか? なぁ、道真……」
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