4 / 279
第一幕 京編
主従の軌跡
しおりを挟む
俺が千紗と出会って、二年の月日が過ぎようとした頃――
生れつき体の弱かった千紗の四つ下の弟、高志たかゆきが高熱で寝込み、屋敷の者達が付きっきりで看病をした事があった。
それを良い事に、まだ遊び盛んだった千紗の我が儘に付き合わされ、二人でこっそり屋敷を抜け出し、平安京の北に位置する小高い山、船岡山へと出掛けた。
「おい、まだ帰らないのか? 弟が寝込んでるってのに、姉のあんたはこんな所で草なんか採って、薄情なんだな千紗姫様は」
嫌味の意味も込めて、帰るよう促した俺の言葉を無視したのか、それとも本当に聞こえていないのか、何も返事をしない千紗。
「何の為にそんな草なんか採ってるか知らないけど、空見てみろよ。じきに雨が降るぜ」
「もう少しじゃ。もう少しだけ大人しく待っておれ。今高熱に効く薬草を採っておるのだ。前に薬師くすしが教えてくれた。この紫蘇しそという葉を煎じて飲ませれば高志の病に効果があると」
「………」
我儘姫の、千紗の口から返って来た思いがけない言葉。正直俺は、返す言葉に困った。それと言うのも俺は、千紗がずっと弟君を恨んでいるのだと思っていたから。
彼女は幼い頃に、弟と引き換えに母親を亡くしたと聞いた。
千紗の母親はもともと体が弱く、生涯で一人しか子供は産めないと言われていたらしい。だが、二人目――つまりは高志がお腹にいると分かった時、死を覚悟してでも産みたいと、強く願ったのだと言う。
その事実は、幼い彼女にしてみたら酷ではなかっただろうか。結果として高志は、千紗から母親を奪った憎むべき存在なのではないか。
常日頃、喧嘩ばかりの二人の姿から俺はそう思い込んでいたのだ。
それなのに、この必死な姿は何だ?
「はぁ……仕方ない。早く見つけて、雨が降り出す前に帰るぞ」
「お主、手伝ってくれるのか?」
「雨に降られて、俺まで寝込みたくないからな。二人で探した方が早く終わるだろ」
「うむ、助かる」
千紗の探し物を手伝い始めて、どれくらいの時間が経ったか、辺りがだんだんと薄暗くなって来た頃、千紗の腕にはこぼれ落ちんばかりの薬草が抱えられていた。
「これだけあれば、もう十分だろ」
「うむ。きっと大丈夫じゃ!」
嬉しそうに薬草に目を落とす千紗。
千紗の笑顔についつい俺までつられて頬が緩む。
「ん? お主今、笑ったのか? お主のそんな顔、妾は初めてみたぞ」
「わっ笑ってない! いいから早く帰るぞ!」
そして、喜びも束の間、俺達は屋敷への道を急いだ。
「あ~くそ、降ってきやがった。ほら、急げお姫様!」
途中雨に降られ、びしょ濡れになりながらも屋敷へと帰りついた俺達は、慌ただしく動き回る侍女や武士団の者達数人に出迎えられた。
「姫様~! どちらに行かれていたのですか、心配したじゃないですかぁ!?」
血相を変え、半泣き状態で千紗に抱き付く一人の侍女。
「キヨ。心配掛けてすまなかったな。これを採りに船岡山まで行っておったのじゃ」
そう言って千紗は、腕にいっぱい抱えていた薬草を侍女に渡した。
「こんなにいっぱい? 姫様が高志様の為に?」
「そうじゃ。早く高志に煎じて飲ませてやってくれ」
千紗の言葉に侍女は一瞬固まり、「え?」と驚きの声を上げたかと思うと、焦ったように薬草と千紗を交互に見やる。
「どうしたのじゃ、キヨ?」
「あ、あの……姫様は高志様とご一緒ではなかったのですか?」
「………え?」
「てっきり、姫様とご一緒かと……」
「どう言う事じゃ? 高志はここに居らぬのか?」
「「……………」」
侍女と千紗が互い顔を見合わせ、見る見る顔を青ざめさせていく。
「も、申し訳御座いませんっ! 私共が少し目を離した隙に姿が見えなくなられて、どうやら外へと出掛けてしまわれたようで……てっきり姫様とご一緒だとばかり思っていたのですが」
「高志が外に?!」
千紗は空をチラリと見やると、難しい顔をした。
外は既に暗く、先程から降り出した雨は雨脚がどんどん強まってきている。嵐が近づいていたのだ。
「高志はまだ幼い。こんな嵐の夜に一人で出歩くなど」
「申し訳御座いません姫様……申し訳……」
「今はそんな話をしている場合ではなかろう。早く高志を捜さねば。お主も手伝ってくれるのだろキヨ?」
今にも泣きそうな侍女を責めるでもなく、自分よりも一回り近く年上の彼女をそう優しく宥める千紗。
「はっはい、勿論です。 他の侍女達にも声をかけて手伝ってもらって来ます」
「ありがとう。では、お主達は屋敷の中を頼む。――秋成!」
「あ、あぁ……」
「今の話、聞いておったな。お主にも高志捜しを手伝ってもらいたい。それから武士団の者達にも声を掛けて手伝ってもらってくれ。頼む」
「それは勿論だが、でもお前は大丈夫なのか?少し顔色が悪いみたいだが」
「……大した事ではない。私の事は気にするな。それより小次郎は戻って来ておるか?」
「小次郎様は、今日は別用でお出掛けになられており、まだ姿を見てはおりませんが」
「………そうか」
侍女のキヨから返って来た答えに、いつも強気な千紗が一瞬顔を曇らせる。けれどそれは直ぐに戻り、気のせいかと錯覚させられた。
「仕方ない。では妾は外を探しに行く。秋成、お主は妾の護衛として共に付いて来い」
流石と言うべきか、普段の我が儘からは想像もできない統率力で指示を出して行く左大臣家の一の姫。
それは、幼い頃から父親の留守を預かって来た故に彼女が自然に身に付けたもの。だが、こんな幼子が今まで一人この屋敷を守って来たと言う証拠でもある。
彼女の初めて見せる凛々しさに少し千紗を見直しながらも、先程の一瞬見せた曇った表情が何故か俺の頭から離れなかった。
生れつき体の弱かった千紗の四つ下の弟、高志たかゆきが高熱で寝込み、屋敷の者達が付きっきりで看病をした事があった。
それを良い事に、まだ遊び盛んだった千紗の我が儘に付き合わされ、二人でこっそり屋敷を抜け出し、平安京の北に位置する小高い山、船岡山へと出掛けた。
「おい、まだ帰らないのか? 弟が寝込んでるってのに、姉のあんたはこんな所で草なんか採って、薄情なんだな千紗姫様は」
嫌味の意味も込めて、帰るよう促した俺の言葉を無視したのか、それとも本当に聞こえていないのか、何も返事をしない千紗。
「何の為にそんな草なんか採ってるか知らないけど、空見てみろよ。じきに雨が降るぜ」
「もう少しじゃ。もう少しだけ大人しく待っておれ。今高熱に効く薬草を採っておるのだ。前に薬師くすしが教えてくれた。この紫蘇しそという葉を煎じて飲ませれば高志の病に効果があると」
「………」
我儘姫の、千紗の口から返って来た思いがけない言葉。正直俺は、返す言葉に困った。それと言うのも俺は、千紗がずっと弟君を恨んでいるのだと思っていたから。
彼女は幼い頃に、弟と引き換えに母親を亡くしたと聞いた。
千紗の母親はもともと体が弱く、生涯で一人しか子供は産めないと言われていたらしい。だが、二人目――つまりは高志がお腹にいると分かった時、死を覚悟してでも産みたいと、強く願ったのだと言う。
その事実は、幼い彼女にしてみたら酷ではなかっただろうか。結果として高志は、千紗から母親を奪った憎むべき存在なのではないか。
常日頃、喧嘩ばかりの二人の姿から俺はそう思い込んでいたのだ。
それなのに、この必死な姿は何だ?
「はぁ……仕方ない。早く見つけて、雨が降り出す前に帰るぞ」
「お主、手伝ってくれるのか?」
「雨に降られて、俺まで寝込みたくないからな。二人で探した方が早く終わるだろ」
「うむ、助かる」
千紗の探し物を手伝い始めて、どれくらいの時間が経ったか、辺りがだんだんと薄暗くなって来た頃、千紗の腕にはこぼれ落ちんばかりの薬草が抱えられていた。
「これだけあれば、もう十分だろ」
「うむ。きっと大丈夫じゃ!」
嬉しそうに薬草に目を落とす千紗。
千紗の笑顔についつい俺までつられて頬が緩む。
「ん? お主今、笑ったのか? お主のそんな顔、妾は初めてみたぞ」
「わっ笑ってない! いいから早く帰るぞ!」
そして、喜びも束の間、俺達は屋敷への道を急いだ。
「あ~くそ、降ってきやがった。ほら、急げお姫様!」
途中雨に降られ、びしょ濡れになりながらも屋敷へと帰りついた俺達は、慌ただしく動き回る侍女や武士団の者達数人に出迎えられた。
「姫様~! どちらに行かれていたのですか、心配したじゃないですかぁ!?」
血相を変え、半泣き状態で千紗に抱き付く一人の侍女。
「キヨ。心配掛けてすまなかったな。これを採りに船岡山まで行っておったのじゃ」
そう言って千紗は、腕にいっぱい抱えていた薬草を侍女に渡した。
「こんなにいっぱい? 姫様が高志様の為に?」
「そうじゃ。早く高志に煎じて飲ませてやってくれ」
千紗の言葉に侍女は一瞬固まり、「え?」と驚きの声を上げたかと思うと、焦ったように薬草と千紗を交互に見やる。
「どうしたのじゃ、キヨ?」
「あ、あの……姫様は高志様とご一緒ではなかったのですか?」
「………え?」
「てっきり、姫様とご一緒かと……」
「どう言う事じゃ? 高志はここに居らぬのか?」
「「……………」」
侍女と千紗が互い顔を見合わせ、見る見る顔を青ざめさせていく。
「も、申し訳御座いませんっ! 私共が少し目を離した隙に姿が見えなくなられて、どうやら外へと出掛けてしまわれたようで……てっきり姫様とご一緒だとばかり思っていたのですが」
「高志が外に?!」
千紗は空をチラリと見やると、難しい顔をした。
外は既に暗く、先程から降り出した雨は雨脚がどんどん強まってきている。嵐が近づいていたのだ。
「高志はまだ幼い。こんな嵐の夜に一人で出歩くなど」
「申し訳御座いません姫様……申し訳……」
「今はそんな話をしている場合ではなかろう。早く高志を捜さねば。お主も手伝ってくれるのだろキヨ?」
今にも泣きそうな侍女を責めるでもなく、自分よりも一回り近く年上の彼女をそう優しく宥める千紗。
「はっはい、勿論です。 他の侍女達にも声をかけて手伝ってもらって来ます」
「ありがとう。では、お主達は屋敷の中を頼む。――秋成!」
「あ、あぁ……」
「今の話、聞いておったな。お主にも高志捜しを手伝ってもらいたい。それから武士団の者達にも声を掛けて手伝ってもらってくれ。頼む」
「それは勿論だが、でもお前は大丈夫なのか?少し顔色が悪いみたいだが」
「……大した事ではない。私の事は気にするな。それより小次郎は戻って来ておるか?」
「小次郎様は、今日は別用でお出掛けになられており、まだ姿を見てはおりませんが」
「………そうか」
侍女のキヨから返って来た答えに、いつも強気な千紗が一瞬顔を曇らせる。けれどそれは直ぐに戻り、気のせいかと錯覚させられた。
「仕方ない。では妾は外を探しに行く。秋成、お主は妾の護衛として共に付いて来い」
流石と言うべきか、普段の我が儘からは想像もできない統率力で指示を出して行く左大臣家の一の姫。
それは、幼い頃から父親の留守を預かって来た故に彼女が自然に身に付けたもの。だが、こんな幼子が今まで一人この屋敷を守って来たと言う証拠でもある。
彼女の初めて見せる凛々しさに少し千紗を見直しながらも、先程の一瞬見せた曇った表情が何故か俺の頭から離れなかった。
0
お気に入りに追加
4
あなたにおすすめの小説
浅井長政は織田信長に忠誠を誓う
ピコサイクス
歴史・時代
1570年5月24日、織田信長は朝倉義景を攻めるため越後に侵攻した。その時浅井長政は婚姻関係の織田家か古くから関係ある朝倉家どちらの味方をするか迷っていた。
大嫌いな歯科医は変態ドS眼鏡!
霧内杳/眼鏡のさきっぽ
恋愛
……歯が痛い。
でも、歯医者は嫌いで痛み止めを飲んで我慢してた。
けれど虫歯は歯医者に行かなきゃ治らない。
同僚の勧めで痛みの少ない治療をすると評判の歯科医に行ったけれど……。
そこにいたのは変態ドS眼鏡の歯科医だった!?
百合ランジェリーカフェにようこそ!
楠富 つかさ
青春
主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?
ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!!
※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。
表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。
小さなことから〜露出〜えみ〜
サイコロ
恋愛
私の露出…
毎日更新していこうと思います
よろしくおねがいします
感想等お待ちしております
取り入れて欲しい内容なども
書いてくださいね
よりみなさんにお近く
考えやすく
連合航空艦隊
ypaaaaaaa
歴史・時代
1929年のロンドン海軍軍縮条約を機に海軍内では新時代の軍備についての議論が活発に行われるようになった。その中で生れたのが”航空艦隊主義”だった。この考えは当初、一部の中堅将校や青年将校が唱えていたものだが途中からいわゆる海軍左派である山本五十六や米内光政がこの考えを支持し始めて実現のためにの政治力を駆使し始めた。この航空艦隊主義と言うものは”重巡以上の大型艦を全て空母に改装する”というかなり極端なものだった。それでも1936年の条約失効を持って日本海軍は航空艦隊主義に傾注していくことになる。
デモ版と言っては何ですが、こんなものも書く予定があるんだなぁ程度に思ってい頂けると幸いです。
枢軸国
よもぎもちぱん
歴史・時代
時は1919年
第一次世界大戦の敗戦によりドイツ帝国は滅亡した。皇帝陛下 ヴィルヘルム二世の退位により、ドイツは共和制へと移行する。ヴェルサイユ条約により1320億金マルク 日本円で200兆円もの賠償金を課される。これに激怒したのは偉大なる我らが総統閣下"アドルフ ヒトラー"である。結果的に敗戦こそしたものの彼の及ぼした影響は非常に大きかった。
主人公はソフィア シュナイダー
彼女もまた、ドイツに転生してきた人物である。前世である2010年頃の記憶を全て保持しており、映像を写真として記憶することが出来る。
生き残る為に、彼女は持てる知識を総動員して戦う
偉大なる第三帝国に栄光あれ!
Sieg Heil(勝利万歳!)
本能のままに
揚羽
歴史・時代
1582年本能寺にて織田信長は明智光秀の謀反により亡くなる…はずだった
もし信長が生きていたらどうなっていたのだろうか…というifストーリーです!もしよかったら見ていってください!
※更新は不定期になると思います。
独裁者・武田信玄
いずもカリーシ
歴史・時代
歴史の本とは別の視点で武田信玄という人間を描きます!
平和な時代に、戦争の素人が娯楽[エンターテイメント]の一貫で歴史の本を書いたことで、歴史はただ暗記するだけの詰まらないものと化してしまいました。
『事実は小説よりも奇なり』
この言葉の通り、事実の方が好奇心をそそるものであるのに……
歴史の本が単純で薄い内容であるせいで、フィクションの方が面白く、深い内容になっていることが残念でなりません。
過去の出来事ではありますが、独裁国家が民主国家を数で上回り、戦争が相次いで起こる『現代』だからこそ、この歴史物語はどこかに通じるものがあるかもしれません。
【第壱章 独裁者への階段】 国を一つにできない弱く愚かな支配者は、必ず滅ぶのが戦国乱世の習い
【第弐章 川中島合戦】 戦争の勝利に必要な条件は第一に補給、第二に地形
【第参章 戦いの黒幕】 人の持つ欲を煽って争いの種を撒き、愚かな者を操って戦争へと発展させる武器商人
【第肆章 織田信長の愛娘】 人間の生きる価値は、誰かの役に立つ生き方のみにこそある
【最終章 西上作戦】 人々を一つにするには、敵が絶対に必要である
この小説は『大罪人の娘』を補完するものでもあります。
(前編が執筆終了していますが、後編の執筆に向けて修正中です)
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる