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密談
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突然のことだったが忠明は久しぶりに秀忠に呼び出された。
御座の間には四十九歳となった秀忠が、征夷大将軍の貫禄を空気にしてまとって座している。
関ケ原で遅れをとった青二才は、もうどこにもいない。
横に座っている白髪の但馬も、すっかり丸くなったのがわかる。
初めて柳生の道場で、燃え差しで打ち合ったことを思い出した。
あの頃は二人共若かったな…
忠明は二人を前にふとそんなことを思った。
そういえば、こうして三人で話をするときは決まって隠密の相談をするときだった。
忠明は懐かしい気持ちになった。
ここで阿国と出会い佐々木小次郎として島津へ乗り込んでいった…
はて?また密命だろうか?
忠明も六十。
しかも実戦からかなり遠のいている。
二人の雰囲気から見ても、隠密の命のようには思えなかった。
秀忠が口を開いた。
「じつは、豊臣秀頼が生きておるらしい」
豊臣秀頼?
この一言で、忠明の目に力が入った。
徳川家を脅かした最後の男、豊臣秀頼…
「豊臣秀頼が生きてると?大阪の陣で自害したのではなかったのですか?」
「わしもそう思っておった。だが誰も秀頼の亡骸は見た者はいないのだ」
但馬が説明する。
「実は当時から秀頼が、どこぞの藩に逃げのびたではないかという噂があったのだ。柳生で各地を調べてみたのだがやはり一番怪しいのは島津薩摩…」
「島津…」
またしても島津か…
徳川家を脅かす一大勢力。
「島津義久は父親の義弘同様、豊臣にずっと恩義を感じていたかもしれん」
「秀頼が頼ればそのまま琉球、または明の国にでも逃がすくらいのことはするであろう」
「逃げてくれるのであれば探すまいが、このまま機会を狙ってまた反旗を翻すようであれば見つけ出さなくてはならん」
「いずれにせよ秀頼の痕跡を辿り、生き死にを確認する必要がある」
島津と豊臣秀頼が組めば、これまでにない脅威になる。
秀忠は忠明の目をしかと見て言った。
「島津は大阪の陣に参戦せず謀反の疑いがあったゆえ今、小倉藩の監視下にある。そこでだ忠明。また小倉に行ってくれぬか?」
やはりか…
「しかし、もう小倉藩剣技指南役の佐々木小次郎はとうに死んでおりますが」
「また別の剣客として剣技指南役になればよい」
「別の剣客?」
「まあ、おぬしも年じゃ。そのことも考え今回は無理にとはいわん」
それは但馬も思っていた。
小野忠明もさすがに歳には勝てまい。
実戦から離れて歳もとった…今更隠密もあるまい…
だが、過去の忠明の壮絶な実績から一度は確認する必要があった。
だが但馬は忠明に行ってほしい。
また小野忠明の活躍の報告を聞きたい。
佐々木小次郎時代には小幡からその報告を受けることがなによりの楽しみだった。
忠明を徳川家に推薦した己の目に狂いはなかったと噛みしめていたのだ。
とくに倭寇を一人で壊滅させた時は興奮して明け方まで自ら剣を振った。
立場上ひとりで海賊と戦うことなどない但馬であったが剣に生きる者として、忠明の活躍には憧れていた。
「島津を一番よく知ってる人間はおぬしをおいて他におらぬゆえ」
だがこれで忠明が断れば、隠密を退くという扱いにすることになる。
他の七本槍もここ数年の間に密命を断り隠居した。
残っているのはこの小野忠明くらいだ。
但馬も冷静に考えれば無茶を言ってることはわかっている。
若い時は相手に打ち勝つ満足感がある。
だが年をとると己より若い者を打つということでさえ億劫になる。
ましてや人を斬るなど身も心もついていかない。
そして戦いから退いた己自身を受け入れる。
そしてそれが自然で楽だということを但馬は知っている。
だから忠明が断ってもごく自然なことだった。
「一度考えてもらいたい」
「…」
その夜
忠明は屋敷の庭ひとり、長剣物干竿で燕返しや、いろんな技を試した。
奥から着物の擦れる音が聞こえてきた。
阿国が縁側にお茶を持って来た。
「あら。それは小次郎の物干竿ですか?」
「そうだ」
忠明は振るのをやめ、長年連れ添った物干竿をじっと見つめた。
「やや振りにくく感じる。やはり年なのかのう…」
「急にどうしたのですか?」
物干し竿を鞘に納めると、忠明は縁側に来て茶を一口で飲み干した。
「よほど喉が渇いていたのでね」
阿国は、なにやら忠明が興奮しているとわかった。
「なにかあったのですか?」
「うん、じつはな。殿が小倉に行ってほしいと申された」
「あら、小倉に?」
「秀頼が島津に逃げたという噂がある。剣技指南役としてまた小倉で隠密をしほしいとのことだ」
「あらあら。でも佐々木小次郎はもうとうに…」
「別の剣士としてな」
「まあ…」
忠明は阿国を見た。
江戸は平和だし、道場も息子が教えている。
ここ数年、斬り合いをしていない。
忠明の腕が求められていない。
このまま平和の中で燻ぶって終わるのも運命と思っていた。
だが隠密としてまた必要とされるのなら、今一度この命を徳川家のために燃やしてみたい…
それが忠明の本心だ。
だが阿国は息子達との今の暮らしに慣れてしまっている。
今更、小倉へ連れてゆくのも酷というものか…
「この年だからな…江戸にもすっかり慣れたし、実戦からはもう遠のいておる。今更また隠密をするとなるとな…」
御座の間には四十九歳となった秀忠が、征夷大将軍の貫禄を空気にしてまとって座している。
関ケ原で遅れをとった青二才は、もうどこにもいない。
横に座っている白髪の但馬も、すっかり丸くなったのがわかる。
初めて柳生の道場で、燃え差しで打ち合ったことを思い出した。
あの頃は二人共若かったな…
忠明は二人を前にふとそんなことを思った。
そういえば、こうして三人で話をするときは決まって隠密の相談をするときだった。
忠明は懐かしい気持ちになった。
ここで阿国と出会い佐々木小次郎として島津へ乗り込んでいった…
はて?また密命だろうか?
忠明も六十。
しかも実戦からかなり遠のいている。
二人の雰囲気から見ても、隠密の命のようには思えなかった。
秀忠が口を開いた。
「じつは、豊臣秀頼が生きておるらしい」
豊臣秀頼?
この一言で、忠明の目に力が入った。
徳川家を脅かした最後の男、豊臣秀頼…
「豊臣秀頼が生きてると?大阪の陣で自害したのではなかったのですか?」
「わしもそう思っておった。だが誰も秀頼の亡骸は見た者はいないのだ」
但馬が説明する。
「実は当時から秀頼が、どこぞの藩に逃げのびたではないかという噂があったのだ。柳生で各地を調べてみたのだがやはり一番怪しいのは島津薩摩…」
「島津…」
またしても島津か…
徳川家を脅かす一大勢力。
「島津義久は父親の義弘同様、豊臣にずっと恩義を感じていたかもしれん」
「秀頼が頼ればそのまま琉球、または明の国にでも逃がすくらいのことはするであろう」
「逃げてくれるのであれば探すまいが、このまま機会を狙ってまた反旗を翻すようであれば見つけ出さなくてはならん」
「いずれにせよ秀頼の痕跡を辿り、生き死にを確認する必要がある」
島津と豊臣秀頼が組めば、これまでにない脅威になる。
秀忠は忠明の目をしかと見て言った。
「島津は大阪の陣に参戦せず謀反の疑いがあったゆえ今、小倉藩の監視下にある。そこでだ忠明。また小倉に行ってくれぬか?」
やはりか…
「しかし、もう小倉藩剣技指南役の佐々木小次郎はとうに死んでおりますが」
「また別の剣客として剣技指南役になればよい」
「別の剣客?」
「まあ、おぬしも年じゃ。そのことも考え今回は無理にとはいわん」
それは但馬も思っていた。
小野忠明もさすがに歳には勝てまい。
実戦から離れて歳もとった…今更隠密もあるまい…
だが、過去の忠明の壮絶な実績から一度は確認する必要があった。
だが但馬は忠明に行ってほしい。
また小野忠明の活躍の報告を聞きたい。
佐々木小次郎時代には小幡からその報告を受けることがなによりの楽しみだった。
忠明を徳川家に推薦した己の目に狂いはなかったと噛みしめていたのだ。
とくに倭寇を一人で壊滅させた時は興奮して明け方まで自ら剣を振った。
立場上ひとりで海賊と戦うことなどない但馬であったが剣に生きる者として、忠明の活躍には憧れていた。
「島津を一番よく知ってる人間はおぬしをおいて他におらぬゆえ」
だがこれで忠明が断れば、隠密を退くという扱いにすることになる。
他の七本槍もここ数年の間に密命を断り隠居した。
残っているのはこの小野忠明くらいだ。
但馬も冷静に考えれば無茶を言ってることはわかっている。
若い時は相手に打ち勝つ満足感がある。
だが年をとると己より若い者を打つということでさえ億劫になる。
ましてや人を斬るなど身も心もついていかない。
そして戦いから退いた己自身を受け入れる。
そしてそれが自然で楽だということを但馬は知っている。
だから忠明が断ってもごく自然なことだった。
「一度考えてもらいたい」
「…」
その夜
忠明は屋敷の庭ひとり、長剣物干竿で燕返しや、いろんな技を試した。
奥から着物の擦れる音が聞こえてきた。
阿国が縁側にお茶を持って来た。
「あら。それは小次郎の物干竿ですか?」
「そうだ」
忠明は振るのをやめ、長年連れ添った物干竿をじっと見つめた。
「やや振りにくく感じる。やはり年なのかのう…」
「急にどうしたのですか?」
物干し竿を鞘に納めると、忠明は縁側に来て茶を一口で飲み干した。
「よほど喉が渇いていたのでね」
阿国は、なにやら忠明が興奮しているとわかった。
「なにかあったのですか?」
「うん、じつはな。殿が小倉に行ってほしいと申された」
「あら、小倉に?」
「秀頼が島津に逃げたという噂がある。剣技指南役としてまた小倉で隠密をしほしいとのことだ」
「あらあら。でも佐々木小次郎はもうとうに…」
「別の剣士としてな」
「まあ…」
忠明は阿国を見た。
江戸は平和だし、道場も息子が教えている。
ここ数年、斬り合いをしていない。
忠明の腕が求められていない。
このまま平和の中で燻ぶって終わるのも運命と思っていた。
だが隠密としてまた必要とされるのなら、今一度この命を徳川家のために燃やしてみたい…
それが忠明の本心だ。
だが阿国は息子達との今の暮らしに慣れてしまっている。
今更、小倉へ連れてゆくのも酷というものか…
「この年だからな…江戸にもすっかり慣れたし、実戦からはもう遠のいておる。今更また隠密をするとなるとな…」
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