上 下
64 / 134

車剣

しおりを挟む
 忠明は意気揚々と薬丸道場出てくると看板を外して肩に担いだ。
 道場の看板を担ぎ通りを闊歩する姿を見て町人達が見物に出てきた。
 
 おなごの応援する声がした。

 「小次郎さま~」

 小次郎がおなご達に笑みを浮かべて手を振ると、女たちはさらに黄色い声で叫んだ。
 その歩く先の茶屋でだんごを食べている小幡と目が合った。
 小次郎は通り過ぎざまに小声で言った。

 「顔に傷のある男だ。頭を押さえて出てくるだろう」

 「承知した」

 小幡がそのまま薬丸道場を見張っていると、しばらくしてよろよろと傷の男が打たれたおでこを押さえて出て来た。

 「あやつか」

 小幡は傷の男をつけた。
 傷の男は自宅の家に戻ると、そのまま夜まで出てこなかった。
 小幡は傷の男の家が見える傘売りの店で、見張りをこなしながら店の主人と話し込んだ。
 根掘り葉掘り聞き込みをしたり張り込みをするよりは怪しまれずにすむ。
 その界隈のうわさや他愛もない話をし、傷の男の話が出てくるのを待った。
 わかったことは傷の男の名は戸山といい、数年前に越してきたという。
 はじめは汚い貧乏侍達が、毎日のように集まっては飲んだくれていたらしい。
 そしていつの間にか戸山だけが住むようになり、伊集院忠真の屋敷に出入りするようになった。
 薬丸示現流の師範代をするようになってから、身なりも武士らしくなっていったという。
 夕方になると、傷の男、戸山は頭に包帯を巻いて出てきた。
 小幡も「すっかり話こんでしまったな」と言って、店を後にした。
 戸山は、伊集院邸に向かった。
 小幡は伊集院の表札を確認すると、宿へ戻っていった。

 「なに?佐々木小次郎は小野忠明ではなかった?」

 伊集院忠真は確信していた小次郎の正体が違っていたことに困惑の表情を見せた。

 「はっ。抜刀隊の者に確認をしましたが、似ても似つ
 かないとのこと…」

 「そうか…」

 伊集院は、傷の男の包帯に目をやった。

 「それで…かなり手こずったようだが、佐々木小次郎
 とやらはやったのか?」

 「それがその…」

 「どうした?」

 「全員…」

 伊集院は思わず背筋を伸ばした。

 「全員やられたと申すのか?」

 「はっ…一太刀も浴びせることができず…」 

 伊集院は、怒り心頭で立ち上がった。

 「ええい!そのような使い手ますます怪しいわ!小野
 忠明であろうがなかろうが、公儀隠密であることに違
 いあるまい!考えてもみよ!小倉藩の剣技指南役候補
 だとしてもたったひとりで島津に喧嘩を売りにくるは
 ずがあるまい!弟子の共もたったひとり、女連れで派
 手な姿をさらして、長剣を使いこなすだと?芝居でも
 見せられてるようじゃ!」

 「しかし、隠密があのような派手なことを」

 「それじゃ!わからぬか!わざわざ島津を挑発に来て
 いるのだ!島津へ対しそのようなことを考えるのは…
 おそらく、徳川家の…秀忠しかおるまい」

 「徳川秀忠が?」

 「そうじゃ…かように腕の立ち、派手に立ち回れる者
 を送りつけてくるとは…佐々木小次郎も柳生の手の者
 かもしれん」

 「しかし、秀忠は上田城も落とせず、関ケ原では遅れ
 てくるような武功のない武将が…」

 「だからじゃ!なぜそのような者が二代目征夷大将軍
 となれたのだ?裏の知力に長けてなければ、そうはな
 るまい。あっちには柳生但馬もおる」

 伊集院の読みに、傷の男も納得せざるおえなかった。 

 「わかる。武功のない秀忠だからこそ島津が嫌いなの
 じゃ!」

 伊集院の表情からふと怒りが消えた

 「ま、島津が嫌いなのはわしも一緒だがな」

 伊集院は、歪みきった笑みを浮かべた。

 「して、佐々木小次郎をいかがいたしましょう?」

 「知れたこと。隼人の者を使う」

 「隼人の者でございますか?」

 「どのような使い手であれ、人である以上隼人の呪術
 には決して勝てん!」

 「…」

 「斬るなら早くすませばなるまい。もうすぐ次の船が
 通る。徳川の荷を積んだ船を襲せ、島津が徳川に謀反
 の意思があると思わせるのだ。なんとしても…なんと
 してでも島津と徳川に戦を起こさせ、再び豊臣家の天
 下にするのだ。それこそが…島津に殺されたわが亡き
 父上の悲願!」

 目には今まで抑えていた憎悪が溢れ出てきた。

 宿の部屋では、忠明と小幡が互いに見たことを報告し
合っていた。

 「傷の男は戸山といい、なんでも数年前はごろつきと
 毎日飲んだくれていたが、伊集院忠真に仕えだし、薬
 丸示現流の師範代をするようになってから武士らしく
 なったとか…」

 「師範代?あの者は確かに実戦経験はかなりあるよう
 だったが、技は薬丸示現流ではあるまい。袈裟斬りを 
 連続して放ってきた」

 「袈裟斬りを連続して?」

 「まるで大八車の車輪のようとでもいうか。日本の剣
 術には思えなんだ」

 小幡は腕を組んで、目を閉じた。

 「剣を車輪のように使う…それはもしかすると倭寇の
 剣術ではないかと…」

 「倭寇?海賊のか?」

 小次郎は忠明として初めて島津を訪れた時、青龍刀を腰から下げた明の水夫が街をうろついていのを思い出した。
 
 あれは、倭寇の者達だったのかもしれないな…

 海賊退治をさんざんしてきたが、陸の上では水夫も海賊も見分けがつきにくい。

 「倭寇が明の軍を悩ませたのが、車の剣と書いて車剣
 と呼ばれる剣法であったとのことでござる」

 「車剣?」
しおりを挟む

処理中です...