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天下一絶世之剣士

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 関ケ原の合戦から一年、家康はまだ大老として戦の後処理に追われていた。
 江戸の城下町も落ち着きは取り戻していたものの戦くずれの浪人がはびこっていた。

 「拙者、関ケ原の合戦では西軍にて東の者達を斬り伏せたは五十人、それでもこう 
 して無傷で生き残って今に至る。さあさあ。腕に覚えのある御仁はこの山上大蔵
 に一太刀入れることができようか」

 そう大声で言い放つと通りゆく人々に木刀の柄を向けた。
 木刀を取って腕を見せてみろというのだ。
 山上を見た者は感じるだろう。
 その頑丈な顎に鋭い目は体躯と才に恵まれた者であるということが。
 そして山上の後ろには「天下一絶世之剣士 山上大蔵」と、掲げられた旗が立っている。

 「戦が終わって江戸にはもう剣を望む者はおらんということか!」

 その様子を離れたところから小幡勘兵衛が見ていた。
 実はこの山上という男はこうしてここ一、二ヶ月ずっと腕試しをして己の強さを誇示している。
 典膳も江戸でやったことだが腕を誇示することでどこぞの大家が客として迎え入れたり、運が良ければ典膳のように召し抱えられたり、最悪でも用心棒として雇ってもらえるからである。
 しかし徳川守護の者も何人かやられ、噂を聞きつけた小幡勘兵衛がどんな相手か見に来たわけだ。
 そこへ、ひとりの侍が山上の前に出た。

 「拙者は東軍にて存分に徳川家に奉公仕った者。この城下町にてそうまで大きな声で、腕を誇られては徳川守護
 として黙っておられん!」

 そう言って山上の持つ木刀を取る。
 小幡は舌打ちした。

 「ほうっておけばよいものを…」

 この時期は、関ケ原の空気がまだ尾を引いていた。
 戦に参加した者は何かといえばあちこちで合戦の話をしていた時だ。
 そんな江戸では山上の思う相手、いやカモが次々が現れた。
 大衆が立ち止まって山上と徳川守護を名乗る侍の周りに人垣を作った。

 「江戸には、まだ武士らしき者がおったようじゃのう」

 にやりとしては、余裕の表情で木刀を中段に構える。

 「言わせておけばつけ上がりおってぇ!」

 徳川守護の侍も、憤然と正眼に構えた。
 すると野次馬が釘付けになったところで山上が構えを変えた。
 身を低くし左肘を前に突き出して木刀を奥の右肘の上に置き、担ぐような構えをして見せた。

 「おお!」

 野次馬は山上の見たことのない構えに緊張の声を上げた。
 小幡は気づいた。

 「あれは鹿島新當流、車の構え…」

 やっかいな相手だ。
 車の構えは正面からは左肘しか見えず剣がまったく見えなくなる。
 しかも下へ下す脇構えと違い右肘の上に剣を乗せているので最小限の動作で打ち込むことができる。
 徳川の侍は見たことのない構えに目に動揺が走った。
 未知の構えということは、次にどのような技が出てくるのかわからない緊張がある。
 あたりをつけたとしても、速さ、角度、重さは流派によっても、使う人によっても違う。
 そうなると相手が動いた瞬間、または己の技に相手が動いた瞬間でないと相手の技がわからない。
 徳川侍の心には後悔と恐怖がじわじわと広がっていった。
 イチかバチか死を覚悟し上段に振り上げ「やぁあああああああ!」と、全力で踏み込み斬り下ろした。
 山上の木刀が弧を描き徳川侍の木刀を弾いた!
 徳川侍が己の木刀が死んだと認識する前に、山上の二打目が侍の頭を打つ。
 そのまま徳川侍はどんな技でやられたかもわからず前へゆっくりと倒れた。

 「間違いなく鹿島新當流だな。しかも相当なものだ…」

 山上は、声高々に言い放った。

 「徳川守護もこの程度では、またいつ豊臣の残党にやられるかわからんのう!」

 野次馬達もうっぷん晴らしに同調する。

 「まったく徳川守護には腕の立つ侍がいねえのかよ」

 「関ケ原で、みんなやられちまったんだろ!」

 「西軍の方が気合入ってたんだな」

 「家康公が勝ったのは運がよかったってことか!」

 野次馬達が口々に勝手なことを言い始めた。
 山上が腕試しをするたびにこの風評が広まった。
 関ケ原の合戦が終わり、徳川幕府が開かれ今が一番大事なときである。
 実権を握ったとしても、まだ家康公が征夷大将軍に任命されてない今、まだ徳川家は立場上は豊臣家の家臣だった。
 微妙な時期だ。
 実権を維持するにしても細心の注意が必要なのだ。
 山上が旗と木刀を持って、その場を去ると小幡もその跡を追った。
 山上という男が何者なのか知る必要がある。

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