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第11話 Bパート(ヒロインがゴリラ)
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1
朔夜にしては珍しく焦りの表情が伺える。
「アビスが出現しないって、予知が外れたのか!?」
楓婆さんはやはり耄碌していたのか。いい加減介護施設に入れてやれよと思うが、そんな優に構わず、すでに朔夜は澪のいる商業施設の工事現場の方向へと動き出そうとしていた。
「予知そのものがなかったのよ。とにかく急いで行くわよ!」
碌な説明もないまま、朔夜は走り出した。優としては、余計にアビスと戦わずに済んだことが素直に嬉しい。予知がなかったというのに誤情報が回ってきていることは問題だが、それは組織としての問題。どういう手違いがあったかは知らないが管理者がしっかりと整理してほしいものだ。
夜の住宅街を二人の男女が走り抜ける。目的の場所は駅を挟んで反対側。距離的にはそれほど遠く離れているわけではない。せいぜい2駅分くらいである。走ればそれほど時間はかからないはずだ。
朔夜の走る速度はかなり早い。この後に控えている戦闘に備えて体力を温存しているだろうが、それでも優は全力で走らないと付いていくことすらできない。
「お、おい。結局なんで間違った情報が入ってきたんだよ。」
息も絶え絶えに走りながら優が質問を投げかける。その質問に対して少し間をおいてから朔夜が振り返らずに答えてきた。
「香上君と一緒に戦いたくなかったんだと思う。」
朔夜の回答は推測であった。確定した情報ではない。
「いや、まぁ、俺は嫌われてるみたいだけどよ・・・。仕事とは別だろ。」
「澪さんの子供を殺したのと同じ力と一緒に戦うなんていうのは澪さんにとって我慢できなかったんでしょうね。だから、私に嘘の情報を回してきたのよ。」
「それで、自分一人で大物のアビスを討滅しようっていうのか?」
自分の子供を殺した相手と同じ力を使う者と一緒に戦うのはそれほどまでに抵抗があるのだろうか。親としての気持ちはまだ優には分からないが、一定の納得はできた。
「それに、澪さんは一人で討滅することで、香上君の力は必要ないっていうことを証明したかったのかもしれないわね。」
朔夜が冷静に分析をする。澪はそれほど協調性がある方とは言えないが、それでもここまで大きく組織を乱すようなことをすることはなかった。しかし、普段の様子からしてみても、優が現れてからの澪は明らかにおかしいと言えた。
「意地張り過ぎだろ・・・・。」
自分を組織から排除したいと思っている人間がいるというのは正直ショックであるが、ただ、無理矢理アストラルに入れられた優としては、アビスと戦わずに済むのであればそれも悪くはないという複雑な気持ちであった。
「あくまで推測よ。本当の理由は本人に聞いてみないことには分からないわ。」
朔夜の声は静かであるが、その中には怒気が含まれていた。子供を失った悲しみはどれほど深いかは想像の範囲でしか分からない。しかし、アビスという共通の敵を前にして私情を挟むべきではない。
「たぶん、それで正解だと思うぞ・・・。」
「どっちでもいいわ、とにかく急ぐわよ。」
優との会話を切り上げて朔夜が速度を上げる。今でもほぼ全力に近い速度で走っている優はもはやついていくことはできない。
朔夜がチラリと後ろを走る優を見る。今の自分の速度ではやはり置いていくことになる。すでに距離はだいぶ離れていた。澪の元に向かうために優を置いていくつもりで走っているので当然のことだが、もっと真面目に訓練をしていれば付いてくることもできたのではないか。この仕事が終わったらみっちりと基礎体力作りからやり直そうと心に決めた。
2
朔夜が目的地である工事中の商業施設の現場へ到着すると異変にはすぐに気が付いた。工事現場の周りだけがこの世に存在してるものの全てであるかのように外側の世界がなくなる。そんな違和感が唐突に襲ってくる。しかも、違和感が大きい。今まで多くのアビスと対峙してきたが、これほどの強さを持つアビスとは久しく遭遇していない。いや、最近でもあった。優の中に宿る原初のアビス、アジ・ダハーカ。あの化け物の強大さに比べればまだ可愛いものかと、朔夜は心中で呟いた。
優はまだ到着していない。これほど大きなアビスが相手であるなら、優は足手まといでしかないのでいない方がいいだろう。無暗に危険に飛び込む必要もない。何より優先すべきは生きて帰ることだ。とはいえ、優が到着するまでの時間はそれほど長くはない。戦闘中に到着することになるだろう。
駆け付けた朔夜を最初に出迎えたのは轟音と暴風であった。目に見えない暴力の塊に思わず両手で防御の姿勢を取る。
「澪さんっ!!!」
朔夜が叫ぶ。焦躁の中でも朔夜の女性にしては野太い声は夜の戦場に響き渡る。
粉塵の舞う中を一人の影が立っている。朔夜と同じ黒い戦闘服を身に着けた金髪パーマの厚化粧。中年女の澪が己の武器である大きな鎌を構えて敵と対峙している。ところどころ血の滲んでいる箇所が見受けられるが、武器を持って立っている。どうやら命に別状はなさそうだ。だが、その表情には一切の余裕が感じられない。ケバい表情がさらに険しくなっている。その顔だけでもアビスの威嚇になるほどに。
そして、澪の目の前にそびえ立つように巨大な怪物がケバい敵を睥睨している。それは翼のない巨大なドラゴンにも似た形をしており、大きな顎を開いて相手を威嚇する。顎の大きさだけでも人間を一人まる飲みにできそうなほど大きい。漆黒の鎧のような鱗に覆われたその全長は10mを超すだろう。出現が予知されていた大物のアビス。
「・・・朔夜。」
澪は朔夜の方を見ずに呟く。朔夜の方を見ている余裕はない。思っていたよりも早く嘘がバレたが仕方がない。嘘が発覚することは覚悟している。
「話は後です、今は目の前のアビスに集中してください!」
内心怒りが噴き出しているため朔夜が声を張り上げる。言いたいことは山ほどあるが、今は二人で協力して向かわないと倒すどころの話ではなくなるほど、一目でその力の強大さは伝わってくる。
澪としても簡単に討滅できるとは最初から思っていない。愛莉栖が最初から注意を促していたほどだ。澪もテスタメントとしての経験が長いので、どれくらいの化け物を相手にするかは想像がついていた。それでも、自分の子供を死に追いやった力と同じものと共闘するなんてことは我慢ならない。理屈ではどうしようもない感情の波が押し寄せた結果、愚行に走った。自分では止められない非合理的な行動。意味がないことくらいは重々承知のうえだった。
朔夜がアビスの横側に陣取って黒く染まった刀身を抜き出す。暗闇の色をしたダガー。朔夜が契約した幻魔・八咫烏の力を宿した刃である。
新たに現れた刺客に巨大なアビスが振り向く。今までの敵とは一味違うような風格をしている。しっかりとした体躯と筋肉。眼光も鋭く、隙が無い。
アビスはその大きな前足を振り上げて、敵に向かって振り下ろす。いくら朔夜の体格が良くても、巨大なアビスからしてみれば虫を叩き潰すようなものだ。無造作な一撃が襲い掛かる。
「鳴け!八咫烏。」
朔夜が契約を結んだ幻魔の力を開放する。高速移動と空中制御を可能にする八咫烏の力。重厚な朔夜の体が颯となって宙を舞う。朔夜の速度は人間の反射神経では捉えることはできない。アビスならどうか。それも同様であった。今まで朔夜の速度についてこれたアビスは存在しない。そして、この強大なアビスもその例に漏れず朔夜の動きについてくることはできなかった。
アビスの攻撃を躱した朔夜が高速でアビスの首筋を斬りつける。いかに強固な鎧を身に着けているアビスとはいえ、朔夜の剛腕から繰り出される重い一撃は鉄をも打ち砕く。が、
「くっ・・・!」
地面に足をこすりつけながら着地した朔夜が苦悶の声を上げる。一撃で仕留められるとは思っていないが、それでも、あまりの硬さに苦悶の声を上げる。全力で斬りつけた斬撃にも拘わらず、まるで歯が立たない。
朔夜の一撃を意に介さないかのようにアビスが再び睨み付ける。朔夜の動きには鈍重なアビスが付いてくることができていないが、最早付いていく必要がないと言わんばかりの堅固さを誇っている。
今までに討滅したアビスも堅牢な鎧を身にまとっている種類は多かった。それでも、鍛え抜かれた肉体と幻魔の力を借りて人間には到底引き出せないような力を持って滅してきた。しかし、今回の相手は規格外なほど強靭な身体を持っている。
朔夜はダガ―を逆手に持ちやや腰を落として構えると足の筋肉をフル稼働させて一気に地面を駆け出した。一撃ではどうしようもないことは最初から分かっていることだ、ならどれだけ攻撃を耐えきれるのか。アビスの腹部に潜り込んだ朔夜は渾身の力で跳躍してダガーを突き出す。
アビスの外皮よりも腹部の皮は柔らかい、朔夜の腕力と脚力を乗せた刺突がアビスの腹部に突き刺さる。
「っ!?」
突き刺さったダガーは分厚い皮膚に挟まれて今度は抜けなくなる。朔夜の攻撃でアビスが激しく身じろぎするが、それでも抜けない。
ダガーを手にしたまま、激しく揺さぶられる朔夜。常人離れした握力があるからこそ、ぶら下がった状態でも振り落とされないが、いつまでもこのままというわけにはいかない。アビスの腹を天井にして、逆さづりの状態で、足を踏ん張り、一気にダガーを引き抜きにかかると、ダガーはゆっくりと動き出し、ある一点を境にスポッと抜け、朔夜とともに地面に落ちた。
「こいつに斬撃は通らなわ!さっきから私の攻撃も効いてないし・・・。」
澪が弱気な声を上げている。朔夜が来るまでの間、散々戦っていた澪はよく分かっていた。大振りの澪の武器でさえ有効なダメージを与えることができていない。スピードとパワーを併せ持つ朔夜なら攻撃が通るかもしれないという期待はあったが、その剛力を持ってしても、致命的な一撃を入れるには至っていない。
「通るまでやるだけですっ!」
気負いした澪に朔夜が声を張り上げる。硬い外皮には全く歯が立たない。柔らかい部分を狙っても、労力に見合うだけの結果を得ることはできない。このままではじり貧である。どうにかして活路を見出さないといけない。
超重量級の巨大なアビスが近づいてきて、再びドラゴンのような禍々しい腕が横凪ぎに朔夜と澪を襲う。二人とも回避することは問題ないが、それでも振るった腕の風圧までは防ぎきれない。朔夜が腕を交差させて、吹き飛ばされないように踏ん張る。
「雪・・・・宮っ!?」
ようやく現場に到着した優がゼエゼエと肩で息をしながら声を上げるが、すぐに規格外の巨体を前にして、言葉を失う。
「香上君は下がっていて!」
巨大なアビスを目の前にして優は動けなくなった。『下がっていろ』という朔夜の指示に対しても反応ができないほど愕然と目の前の恐怖に戦く。雪宮からは事前に自分の身を守ることに専念しろと言われているが、こんな巨体から身を守る術など持ち合わせていない。
「朔夜、同時に集中攻撃をしかけるわよ!」
「分かりました。」
返事をした朔夜と同時に澪が駆け出す。澪はアビスの巨体の横から回り込んでの大振りな一撃。その一撃の勢いを止めることなく、体を回転させて2連3連と攻撃を繰り出す。しかし、斬撃は強固な鱗に阻まれて有効打にはなっていない。それならばと、一旦距離を取った澪は、天を仰ぐように大鎌を振り上げた。
澪が振り上げた大鎌が指し示す先に巨大な氷塊が浮かびあがる。
「斬撃には強いみたいだけど、打撃はどうかしらね!」
澪が契約した幻魔・フェンリルの力は氷を操る能力。透き通った青白い氷の塊りは直径数メートルにも達してる。重さなら数十tになるだろうか。
澪が放った氷塊が龍型のアビスの頭上からぶつかる。単純な攻撃であるが、それゆえに効果は高い。圧倒的な質量を持つ相手に対して、質量の塊をぶつける。氷の巨塊は砕け散り、アビスの頭は大きく揺らいだ。
そこに死角から滑り込むようにしてアビスの足元に潜り込んだ朔夜が力いっぱい地面を蹴り上げて飛び上がる。幻魔の力によって最大限に加速されたスピードから渾身の力を込めた跳躍に乗せたダガーの一撃がアビスの喉元を一閃。
勢いそのままに空中に飛び出した朔夜が眼下に山のように立っているアビスを見下ろす。おそらくこのアビスにとって一番脆い箇所に最大限の攻撃を加えた。
龍型のアビスはゆっくりと上を向き、自分の喉を斬りつけた相手を見上げる。そして、大きな顎を開いて、力を集中させた。アビスの口の中に光が収束し、大きな口を覆いつくすほどの光の球ができあがると、空中に舞う朔夜目がけて撃ち放った。
圧倒的な熱量を持つアビスの砲撃。高熱の光の束が戦艦の主砲のような轟音を響かせる。それはまさに伝説上に存在するドラゴンが放つ炎のブレスを彷彿とさせた。
朔夜にしては珍しく焦りの表情が伺える。
「アビスが出現しないって、予知が外れたのか!?」
楓婆さんはやはり耄碌していたのか。いい加減介護施設に入れてやれよと思うが、そんな優に構わず、すでに朔夜は澪のいる商業施設の工事現場の方向へと動き出そうとしていた。
「予知そのものがなかったのよ。とにかく急いで行くわよ!」
碌な説明もないまま、朔夜は走り出した。優としては、余計にアビスと戦わずに済んだことが素直に嬉しい。予知がなかったというのに誤情報が回ってきていることは問題だが、それは組織としての問題。どういう手違いがあったかは知らないが管理者がしっかりと整理してほしいものだ。
夜の住宅街を二人の男女が走り抜ける。目的の場所は駅を挟んで反対側。距離的にはそれほど遠く離れているわけではない。せいぜい2駅分くらいである。走ればそれほど時間はかからないはずだ。
朔夜の走る速度はかなり早い。この後に控えている戦闘に備えて体力を温存しているだろうが、それでも優は全力で走らないと付いていくことすらできない。
「お、おい。結局なんで間違った情報が入ってきたんだよ。」
息も絶え絶えに走りながら優が質問を投げかける。その質問に対して少し間をおいてから朔夜が振り返らずに答えてきた。
「香上君と一緒に戦いたくなかったんだと思う。」
朔夜の回答は推測であった。確定した情報ではない。
「いや、まぁ、俺は嫌われてるみたいだけどよ・・・。仕事とは別だろ。」
「澪さんの子供を殺したのと同じ力と一緒に戦うなんていうのは澪さんにとって我慢できなかったんでしょうね。だから、私に嘘の情報を回してきたのよ。」
「それで、自分一人で大物のアビスを討滅しようっていうのか?」
自分の子供を殺した相手と同じ力を使う者と一緒に戦うのはそれほどまでに抵抗があるのだろうか。親としての気持ちはまだ優には分からないが、一定の納得はできた。
「それに、澪さんは一人で討滅することで、香上君の力は必要ないっていうことを証明したかったのかもしれないわね。」
朔夜が冷静に分析をする。澪はそれほど協調性がある方とは言えないが、それでもここまで大きく組織を乱すようなことをすることはなかった。しかし、普段の様子からしてみても、優が現れてからの澪は明らかにおかしいと言えた。
「意地張り過ぎだろ・・・・。」
自分を組織から排除したいと思っている人間がいるというのは正直ショックであるが、ただ、無理矢理アストラルに入れられた優としては、アビスと戦わずに済むのであればそれも悪くはないという複雑な気持ちであった。
「あくまで推測よ。本当の理由は本人に聞いてみないことには分からないわ。」
朔夜の声は静かであるが、その中には怒気が含まれていた。子供を失った悲しみはどれほど深いかは想像の範囲でしか分からない。しかし、アビスという共通の敵を前にして私情を挟むべきではない。
「たぶん、それで正解だと思うぞ・・・。」
「どっちでもいいわ、とにかく急ぐわよ。」
優との会話を切り上げて朔夜が速度を上げる。今でもほぼ全力に近い速度で走っている優はもはやついていくことはできない。
朔夜がチラリと後ろを走る優を見る。今の自分の速度ではやはり置いていくことになる。すでに距離はだいぶ離れていた。澪の元に向かうために優を置いていくつもりで走っているので当然のことだが、もっと真面目に訓練をしていれば付いてくることもできたのではないか。この仕事が終わったらみっちりと基礎体力作りからやり直そうと心に決めた。
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朔夜が目的地である工事中の商業施設の現場へ到着すると異変にはすぐに気が付いた。工事現場の周りだけがこの世に存在してるものの全てであるかのように外側の世界がなくなる。そんな違和感が唐突に襲ってくる。しかも、違和感が大きい。今まで多くのアビスと対峙してきたが、これほどの強さを持つアビスとは久しく遭遇していない。いや、最近でもあった。優の中に宿る原初のアビス、アジ・ダハーカ。あの化け物の強大さに比べればまだ可愛いものかと、朔夜は心中で呟いた。
優はまだ到着していない。これほど大きなアビスが相手であるなら、優は足手まといでしかないのでいない方がいいだろう。無暗に危険に飛び込む必要もない。何より優先すべきは生きて帰ることだ。とはいえ、優が到着するまでの時間はそれほど長くはない。戦闘中に到着することになるだろう。
駆け付けた朔夜を最初に出迎えたのは轟音と暴風であった。目に見えない暴力の塊に思わず両手で防御の姿勢を取る。
「澪さんっ!!!」
朔夜が叫ぶ。焦躁の中でも朔夜の女性にしては野太い声は夜の戦場に響き渡る。
粉塵の舞う中を一人の影が立っている。朔夜と同じ黒い戦闘服を身に着けた金髪パーマの厚化粧。中年女の澪が己の武器である大きな鎌を構えて敵と対峙している。ところどころ血の滲んでいる箇所が見受けられるが、武器を持って立っている。どうやら命に別状はなさそうだ。だが、その表情には一切の余裕が感じられない。ケバい表情がさらに険しくなっている。その顔だけでもアビスの威嚇になるほどに。
そして、澪の目の前にそびえ立つように巨大な怪物がケバい敵を睥睨している。それは翼のない巨大なドラゴンにも似た形をしており、大きな顎を開いて相手を威嚇する。顎の大きさだけでも人間を一人まる飲みにできそうなほど大きい。漆黒の鎧のような鱗に覆われたその全長は10mを超すだろう。出現が予知されていた大物のアビス。
「・・・朔夜。」
澪は朔夜の方を見ずに呟く。朔夜の方を見ている余裕はない。思っていたよりも早く嘘がバレたが仕方がない。嘘が発覚することは覚悟している。
「話は後です、今は目の前のアビスに集中してください!」
内心怒りが噴き出しているため朔夜が声を張り上げる。言いたいことは山ほどあるが、今は二人で協力して向かわないと倒すどころの話ではなくなるほど、一目でその力の強大さは伝わってくる。
澪としても簡単に討滅できるとは最初から思っていない。愛莉栖が最初から注意を促していたほどだ。澪もテスタメントとしての経験が長いので、どれくらいの化け物を相手にするかは想像がついていた。それでも、自分の子供を死に追いやった力と同じものと共闘するなんてことは我慢ならない。理屈ではどうしようもない感情の波が押し寄せた結果、愚行に走った。自分では止められない非合理的な行動。意味がないことくらいは重々承知のうえだった。
朔夜がアビスの横側に陣取って黒く染まった刀身を抜き出す。暗闇の色をしたダガー。朔夜が契約した幻魔・八咫烏の力を宿した刃である。
新たに現れた刺客に巨大なアビスが振り向く。今までの敵とは一味違うような風格をしている。しっかりとした体躯と筋肉。眼光も鋭く、隙が無い。
アビスはその大きな前足を振り上げて、敵に向かって振り下ろす。いくら朔夜の体格が良くても、巨大なアビスからしてみれば虫を叩き潰すようなものだ。無造作な一撃が襲い掛かる。
「鳴け!八咫烏。」
朔夜が契約を結んだ幻魔の力を開放する。高速移動と空中制御を可能にする八咫烏の力。重厚な朔夜の体が颯となって宙を舞う。朔夜の速度は人間の反射神経では捉えることはできない。アビスならどうか。それも同様であった。今まで朔夜の速度についてこれたアビスは存在しない。そして、この強大なアビスもその例に漏れず朔夜の動きについてくることはできなかった。
アビスの攻撃を躱した朔夜が高速でアビスの首筋を斬りつける。いかに強固な鎧を身に着けているアビスとはいえ、朔夜の剛腕から繰り出される重い一撃は鉄をも打ち砕く。が、
「くっ・・・!」
地面に足をこすりつけながら着地した朔夜が苦悶の声を上げる。一撃で仕留められるとは思っていないが、それでも、あまりの硬さに苦悶の声を上げる。全力で斬りつけた斬撃にも拘わらず、まるで歯が立たない。
朔夜の一撃を意に介さないかのようにアビスが再び睨み付ける。朔夜の動きには鈍重なアビスが付いてくることができていないが、最早付いていく必要がないと言わんばかりの堅固さを誇っている。
今までに討滅したアビスも堅牢な鎧を身にまとっている種類は多かった。それでも、鍛え抜かれた肉体と幻魔の力を借りて人間には到底引き出せないような力を持って滅してきた。しかし、今回の相手は規格外なほど強靭な身体を持っている。
朔夜はダガ―を逆手に持ちやや腰を落として構えると足の筋肉をフル稼働させて一気に地面を駆け出した。一撃ではどうしようもないことは最初から分かっていることだ、ならどれだけ攻撃を耐えきれるのか。アビスの腹部に潜り込んだ朔夜は渾身の力で跳躍してダガーを突き出す。
アビスの外皮よりも腹部の皮は柔らかい、朔夜の腕力と脚力を乗せた刺突がアビスの腹部に突き刺さる。
「っ!?」
突き刺さったダガーは分厚い皮膚に挟まれて今度は抜けなくなる。朔夜の攻撃でアビスが激しく身じろぎするが、それでも抜けない。
ダガーを手にしたまま、激しく揺さぶられる朔夜。常人離れした握力があるからこそ、ぶら下がった状態でも振り落とされないが、いつまでもこのままというわけにはいかない。アビスの腹を天井にして、逆さづりの状態で、足を踏ん張り、一気にダガーを引き抜きにかかると、ダガーはゆっくりと動き出し、ある一点を境にスポッと抜け、朔夜とともに地面に落ちた。
「こいつに斬撃は通らなわ!さっきから私の攻撃も効いてないし・・・。」
澪が弱気な声を上げている。朔夜が来るまでの間、散々戦っていた澪はよく分かっていた。大振りの澪の武器でさえ有効なダメージを与えることができていない。スピードとパワーを併せ持つ朔夜なら攻撃が通るかもしれないという期待はあったが、その剛力を持ってしても、致命的な一撃を入れるには至っていない。
「通るまでやるだけですっ!」
気負いした澪に朔夜が声を張り上げる。硬い外皮には全く歯が立たない。柔らかい部分を狙っても、労力に見合うだけの結果を得ることはできない。このままではじり貧である。どうにかして活路を見出さないといけない。
超重量級の巨大なアビスが近づいてきて、再びドラゴンのような禍々しい腕が横凪ぎに朔夜と澪を襲う。二人とも回避することは問題ないが、それでも振るった腕の風圧までは防ぎきれない。朔夜が腕を交差させて、吹き飛ばされないように踏ん張る。
「雪・・・・宮っ!?」
ようやく現場に到着した優がゼエゼエと肩で息をしながら声を上げるが、すぐに規格外の巨体を前にして、言葉を失う。
「香上君は下がっていて!」
巨大なアビスを目の前にして優は動けなくなった。『下がっていろ』という朔夜の指示に対しても反応ができないほど愕然と目の前の恐怖に戦く。雪宮からは事前に自分の身を守ることに専念しろと言われているが、こんな巨体から身を守る術など持ち合わせていない。
「朔夜、同時に集中攻撃をしかけるわよ!」
「分かりました。」
返事をした朔夜と同時に澪が駆け出す。澪はアビスの巨体の横から回り込んでの大振りな一撃。その一撃の勢いを止めることなく、体を回転させて2連3連と攻撃を繰り出す。しかし、斬撃は強固な鱗に阻まれて有効打にはなっていない。それならばと、一旦距離を取った澪は、天を仰ぐように大鎌を振り上げた。
澪が振り上げた大鎌が指し示す先に巨大な氷塊が浮かびあがる。
「斬撃には強いみたいだけど、打撃はどうかしらね!」
澪が契約した幻魔・フェンリルの力は氷を操る能力。透き通った青白い氷の塊りは直径数メートルにも達してる。重さなら数十tになるだろうか。
澪が放った氷塊が龍型のアビスの頭上からぶつかる。単純な攻撃であるが、それゆえに効果は高い。圧倒的な質量を持つ相手に対して、質量の塊をぶつける。氷の巨塊は砕け散り、アビスの頭は大きく揺らいだ。
そこに死角から滑り込むようにしてアビスの足元に潜り込んだ朔夜が力いっぱい地面を蹴り上げて飛び上がる。幻魔の力によって最大限に加速されたスピードから渾身の力を込めた跳躍に乗せたダガーの一撃がアビスの喉元を一閃。
勢いそのままに空中に飛び出した朔夜が眼下に山のように立っているアビスを見下ろす。おそらくこのアビスにとって一番脆い箇所に最大限の攻撃を加えた。
龍型のアビスはゆっくりと上を向き、自分の喉を斬りつけた相手を見上げる。そして、大きな顎を開いて、力を集中させた。アビスの口の中に光が収束し、大きな口を覆いつくすほどの光の球ができあがると、空中に舞う朔夜目がけて撃ち放った。
圧倒的な熱量を持つアビスの砲撃。高熱の光の束が戦艦の主砲のような轟音を響かせる。それはまさに伝説上に存在するドラゴンが放つ炎のブレスを彷彿とさせた。
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勉強嫌いの義妹。
この学園は成績順だということを知らないのでは?思った通り、最下位クラスにいってしまった義妹。
両親に駄々をこねているようです。
私のところにも手紙を送ってくるのですから、相当です。
しかも、寮やクラスで揉め事を起こしては顰蹙を買っています。入学早々に学園中の女子を敵にまわしたのです!やりたい放題の義妹に、とうとう、ある処置を施され・・・。
なろう、カクヨム、にも公開中。
【完結】義妹とやらが現れましたが認めません。〜断罪劇の次世代たち〜
福田 杜季
ファンタジー
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※ご指摘を受けて題名を変更しました。作者の見通しが甘くてご迷惑をおかけいたします。
旧題『義妹ができましたが大嫌いです。〜断罪劇の次世代たち〜』
※初投稿です。話に粗やご都合主義的な部分があるかもしれません。生あたたかい目で見守ってください。
※本編完結済みで、毎日1話ずつ投稿していきます。
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