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エミリア視点

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「ところで、今日エミリア嬢を呼び出したのには理由があるんだ」

目の前に座る男は手に持っていたカップを音も立てずに優雅に置くと、いつもと変わらない人をとろけさせる笑顔をこちらに向けてきた。
彼の名はレイ・カットソン、カットソン侯爵家の嫡男で、将来の国の宰相候補でもあり、政略的に決められた私の婚約者だ。

私は、アーマライド伯爵家の次女である。
アーマライド伯爵家は、長年に渡り外交を任されている事と、土地を豊かに保つ技術が進んでいることから、伯爵家の中では割と優秀と判断されていると聞く。
だからこそ、この目の前にいる美丈夫で女性との噂が後を絶たない男との政略的な婚約となっていることは把握していた。

「理由、と言いますと」

「相変わらず冷たいね、私は何かをしてしまったかな?」

にこりと笑う中に少しだけ心配そうな色がにじむ声で聞いてくる。
つまりは。この男の憎い部分というのはこういう所にあるのだと思う。
例えば女性に対する気遣いや配慮などは同年代の誰よりもスマートに行う、自分をお姫様かと思うくらい大切にしてもらえる。サラサラの黄金色をした髪に透き通るようなアクアブルーの瞳はまるで物語の王子様だ。
それにより、心に被害を追ってしまう令嬢のなんと多いことか。

私はその中の令嬢の1人にはなるまいと、毎回視界に何かしらのフィルターをかけて彼を見ている。彼と対面する場面が多い婚約者としてかなり苦労が絶えない訳だ。
婚約者なのに何故、と思うかもしれないが、彼に心から好いている女性がいることを把握しているのだ。それが誰なのか現段階では掴めていないが、噂話をしている令嬢たちの話によればそれはかなり確実なものだった。私が願うことはただ一つ、婚約が結婚に変わる前にはその人物を探し出し、そちらと結婚してもらいたい。

正直、モテる相手が婚約相手だと相当に疲れる。
お陰で本当に信頼できる仲の良い友人は1人しかいないし、外見がどれだけ劣っているかの陰口悪口は日常茶飯事。しかも相手の心は違う人物を好いているというのだ。そんな状態で心が全く痛まないほど私は強い人間ではない。

きっと彼が好いている人物は美しい外見をした、心が綺麗な女性に違いない。私のようなこんな真っ黒な心持ちを秘めた女ではないはずだ。
もしかしたら今日の呼び出しはそれについて語られるのかもしれない。それならばもっと心の準備をしておけば良かった。

心なしか震える手にカップを握らせると、私はゆっくりとその中の液体を口に含んだ。渇いた喉に潤いを与えてみる。ああダメだ、考えが支配してまともに声が出ないかもしれない。
少しだけ彼を見据えて意を決して口を開いた。

「別に、貴方からの呼び出しなんて珍しいからですわ。一体どんな理由で呼び出されたのかしら」

「今度の学校の舞踏会の話だよ、ドレスを贈りたいんだ」

「は?ドレス?」

全く考えていなかった内容に頭が混乱した。
今まで形式上の贈り物しか送らなかった人物が急にドレスを贈りたいとかどんな心境の変化なんだ。
こんな学校の舞踏会なんて学校の行事なのだし、卒業式などという最大のイベントなどでもない。

「な、何故ですの……」

男性からの好意の贈り物に対して疑問など持ってはいけないのだろうが、彼に動揺を見せてしまった事に対する更なる動揺が頭から足の先までに行き渡ってついつい疑問を口にしてしまった。

こんな質問、彼を困らせるだけじゃないか。慌てて訂正しようとカシャンと音を立ててカップを置く。

「今のは……」

「婚約者にドレスを贈ってはいけないかな?」

「…………い、いえ……ですが、つい最近ドレスを贈っていただいたばかりです」

この国のデビュタントは大体16歳の時にむかえる。
私はついこの間、それを終えたばかり、更に言えばその時に贈られたドレスは目の前のこの男からのプレゼントだった。しかもあまりドレスなどを見る機会が無かった私でもかなり豪華な作りである事が分かるほどには素晴らしいドレスを頂いている。

「ああ……あのドレスは……」

「あのドレスは?」

「………………」

急に黙ってしまう彼に私は困惑していた。
いつもスラスラと台本を読んでいるかのように言葉を吐く彼が、言葉に詰まり、少し難しい顔をしている。
どうしたんだろう。もしやあのドレスは本来は好きな相手に贈りたかった物で私と被ってしまうから違うドレスを贈りたいとかそんなんじゃないだろうか。
もしそうなら、言われてすぐに私はあのドレスを二度と着ることはないと誓えるだろう。そもそも彼の想う相手と同じドレスなんて誰が履くかと言ってやりたいくらいだ……。
しかし、こんなに思考を巡らせているのに一向に彼は口を開かないなんて珍しい事もあるものだ。もしかしたら体調が悪いのかもしれない。
少しだけ心配になり、首を傾げながら彼の名前を呼んだ。

「レイ様?」

私が名前を呼ぶと、彼は驚いた顔をしてこちらを見た。
少しだけいつもより開いた目が、真っ直ぐ私につきささってくる。
そんなに見つめられると、とても恥ずかしいのだけど。

「あの、何か言ってくださいな」

「いや、ただ……そうだな……そんな風に名前を呼んでくれたのは久々だと思って」

「え?」

そう言われて頭を巡らせてみても、名前を呼んだ事は久々な事では無かった。この方の名前は省略したような名前がある訳でもないので、婚約をした時からこの呼び方をしている気がするのだが……。

「そう……でした?」

「ああ、そうだよ」

彼を見ると、またあの『いつもの笑顔』に戻っており、その笑顔で私に微笑みかけていた。なんだか少し前に見た、いつもとは違う彼を逃してしまったようで切ない気持ちになる。

「ねぇ」

「はい」

「舞踏会、エスコートさせてくれるよね?」

「よろしいのですか?生徒会があるとお聞きしましたが」

「だって……君のデビュタントでエスコートをさせて貰えなかっただろう」

「ああ、お兄様がどうしてもと言っていたらしいですわね」

「ファーストダンスも君は幼馴染と踊っていたよね」

「ええ、レイ様は他の方と踊られておりましたから」

「……舞踏会では、エスコートした人間とファーストダンスを踊るんだよ」

「……はぁ」

先程からこの方は何を言っているのだろう。

この間のデビュタントと今回の舞踏会は全くの別の物であるのに。
そんなに婚約者としての役目を果たせなかった事がプライドに関わるというのか。

そもそも、デビュタントでのエスコートに関してはお兄様が断固拒否して断ったという事だったので反論は構わないが、ダンスに関しては、来た時に既にある女性と連れ添っていたのはそちらの方だ。まぁ、確かに、幼馴染とは昔からデビュタントのファーストダンスは一緒に踊ってほしいと言われていたというのも理由には入るかもしれない。でも幼馴染と踊った後はしっかりと婚約者様ともダンスを踊った。
私的には何も問題はなかった。


「だめだ、全く伝わっている気がしない」

「一体何のことですの?」

「……ひとつだけ質問をしていいかな」

「なんでしょう」

「幼馴染のアレキサンドレアと……恋仲なの?」

「……はい?」

「……………………」

真っ直ぐに見つめられた瞳には、いつもの甘さを孕んだ色はなく、初めて見る真剣な色を湛えていた。
なんだろう、その瞳には心の中まで見られているような感覚がする。
アレクとは全くそんな仲では無いはずなのに、少しだけ答える事が気まずい。今から言い訳を言うわけでもないのについ、震えた声が漏れた。

「ア、アレクとは」

「アレク?」

「アレキサンドレア様とは、その」

「やはり、もう……いいよ。聞かなかった事にしてほしい」

「え、」

「そんな風に呼び合うほど仲が良いという事なのだろう」

「ち、違いますわ!アレクとは全く、これっぽっちも、一切そんな関係ではありませんわ!!」

「だけどそんな呼び方をするなんてやはり……」

「だって、だって……アレキサンドレアって長いんですもの!!」

「…………な、長い?」

「それに、わたくしはレイ様の事が……!」

「………………」

立ち上がりかけた体制のまま彼が私を見ているのがわかった。

どうしよう。慌てて口を閉じたけれどきっと間に合わなかった。
私は彼の顔を見る事ができず、逃げるかのように顔を下に向けてみる。
なるほど、穴があったら入りたいというのはこんな場面で使うのだな。そんな呑気なことを考えざる終えないほど、私は現実逃避をしたくて仕方がなかった。

そもそも、この気持ちは墓場まで持っていこうと決めていたのに、うっかり言いかけてしまった。
私の知能と今の混乱状態の頭ではこの後に続く素晴らしい言い訳を導き出す事が難しい。
ああ神よ、なぜ私には彼以上の知能を与えて下さらなかったのでしょう。
もしその知能があれば、彼に私の気持ちを伝えることなく彼の想い人に渡す事ができたはずなのに。

まだ肝心の言葉は言っていないけれど、ここまでの言葉で気がつかないほど鈍感な方では無い。
必死に考えを巡らせるほど、言葉はただの空気になって消え、ぱくぱくと口を開いたり閉じたりする事しかできなくなってしまったようだ。

「………………」

「エミリアは、私のことが好きなの?」

「………………」

まさか、こんな時に呼び捨てで呼ばれるなどとは思わず、赤くなった顔を更に赤くさせた私は、否定の言葉も思いつかないまま完全に固まった。
顔を上げることができないため下を向いていると、不意に机に影がかかったのが見えた。

「エミリア」

先ほどより近くで、彼の声がする。

「…………」

「ねぇ、エミリア、こちらを向いて」

影が見えなくなり、少し下のあたりから彼の柔らかい声が聞こえてきた。ゆっくりと顔を彼に向けてみると、いつもよりも赤く頬を染めた彼の顔が見える。
膝の上で握っていた私の拳の上に彼の手が合わさり、口から心臓が飛び出てしまいそうだった。
声が、でない。

「………」

「私は、ずっと前から…君だけが好きだったんだ」


彼が私に、好きと言っている。

あまりにも夢のような現実に、溢れる涙を止めることができなかった。
彼の言葉が体の隅々まで流れ、暖かい、くすぐったいそれが胸の辺りをそわそわとうごめいている。
なんだ、そうか、我慢をしなくて良かったらしい。
そう思うとより、涙を止める術が見つからない。

「……抱きしめても?」

不安そうに言う彼に、コクコクと首を必死に縦に振ると、彼は優しく抱きしめてくれた。そのままゆっくりと、頭を撫でてくれる。その手つきは私を好きだと言った言葉が嘘ではない事を証明しているような気がしてより心がじんわりとした。

「はあ、なんだ、我慢をしなくて良かったのか」

ふと彼がそんな言葉を口にした。
まさか、彼もそんな事を考えていたなんて。
それならば嗚咽が酷い今、言葉を上手くは伝えられないけれど、私もちゃんと伝えなければいけない気がした。
少しだけ深呼吸して彼の耳に口を近づける。

「レイ、さま」

「なにかな?」

「わ、わたくしも、好きでしたの。だいすき……です」

恥ずかしくて彼の肩に顔を埋めると、撫でてくれていた彼の手がピタリと止まり代わりにぎゅっと強く抱きしめられた。苦しい。

「……ああ、ダメだ」

「レイ様?」

「愛してる、エミリア」

耳元で囁かれた言葉に驚いて顔を上げると、目の前にはいつも以上に甘さを湛えた美丈夫な顔がこちらを見ていた。

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