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06.異世界召喚されたんだけど、ライバルが現れました
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結局あたしは寝室には行かず、リビングで寝た。ふかふかのソファーもあったのだけど、一度はやってみたかった、床でクッションとシーツに包まってのお休みだ。多分床は石造りだと思うんだけど、絨毯とクッションのお陰か、冷えたりする事はなかった。寒くなると分からないけどね。
朝起こしに来たメイドさんが、床に転がってたあたしを見て、悲鳴を上げたのは申し訳ない。ユアと名乗った彼女は、あたし付きの召使いだそうだ。召使いに召使いが付くってどうなんだろう。
朝は長瀬くんの部屋で食べた。良く寝られた? と聞かれたから、床は広くてふかふかで快適だったよって答えたら、笑ってたよ。そっちはどうだった? と尋ねると、魔王を倒す旅の時は、一週間位寝れない日が続いたから平気と言われたので、寝てないらしい。……正直だなぁ。
夕べはどっちが寝室を使うか揉めたのだけど、結局どちらも譲り合って、2人とも寝室を使わない事になった。元々長瀬くんの部屋なんだから、遠慮しなくて良いのに。
「え、だって佐倉さんが直ぐ側に居るのに寝れる訳が……」
いや、直ぐ側って部屋の壁挟んでるじゃないですか。どれだけ純情なのですか君は。
色恋沙汰には縁のない世界で生きてきたあたしだけど、それなりに耳に入って来ていた情報だと、長瀬くんは結構モテてたはずなのに。逆に異世界初日だと言うのに、ぐっすり寝れたあたしって、どんだけ神経図太いの?
異世界なのに納豆と味噌汁と白いご飯。緑茶を飲みながら、ファンタジー世界と和食の融合について、複雑に思いつつも受け入れようと心に決めた。あるものはしょうがないものね。でもポエム本の発行だけは阻止せねば。あれはこの世にあってはならぬものです。
長瀬くんは王太子に呼ばれているとかで、先に出ていくそうだ。
「あ、ちょっと待って」
立ち上がった彼を追うように席を立ったあたしは、ポケットに入れていた小さな紙袋を取り出すと、彼に差し出した。
「ポケットに入ってたの。良かったら食べて」
中に入っているのは、昨日の調理実習で作ったクッキーだ。夕べ寝る時にポケットに入っていたのを見つけた。長瀬くん、向こうの世界のものなんか久しく食べていないだろうし、作り主があたしってとこが微妙だけど、元の世界のよすがにでもなれば良いなと思って。
「え?」
しかしその瞬間、長瀬くんはそのまま動かなくなった。
「長瀬くん?」
顔を覗き込んでみると、綺麗な顔が強張っている。何かあたし、変な事したかな。クッキーは昨日作った時ちゃんと味見したから、普通に食べても大丈夫だよ。
目の前で手を振ると、ようやく我に返ったらしい。
「えっと、佐倉さんの手作りとか、何か感動して……」
あたしごときが作ったクッキーで感動とか、ヤメテクダサイ。ほら、涙ぐまないで!
「永久保存の魔法ってどうだったかな……」
「それ位また作ってあげるから、ささっと食べちゃって下さいな!」
昨日の再会から、長瀬くんのテンションがおかしいです。クッキーがそのままどこかに祀られそうな勢いです。
「ほんと?」
「ほんと本当!」
ぶんぶんと、音がしそうな勢いで首を振る。あ、目眩が。
長瀬くんは食べようかどうしようか、もじもじと迷っていたようなのだけど、意を決したようにクッキーの袋を開くと一枚取り出した。ぱくりと、一口。しばらく咀嚼して食べ終わると黙り込んだ。やがてくすんと鼻を鳴らすと、ぽつりと呟く。
「生きてて良かったかも」
そこまで!?
なんだろう、喜んで貰えるのは嬉しいんだけど、喜び方がいちいちあたしが想像していた斜め上を行っていて、素直に良かったと思えない。
「このクッキー、実は前にも貰った事があるよ」
そう言えばと、思い出す。調理実習は男女一緒だから、長瀬くんもクッキーを作ったんだけど、女子の奪い合いになって、自分の分がなくなったのだ。ションボリしている彼を見て、余っていたクッキーをあげたんだっけ。
「あの時のクッキーもこっちに持って来てて、大事に食べてたんだ」
「そうなんだ?」
「うん、でもある時ハルトに見つかって、全部食べられちゃって」
ハルトって、確か第二王子よね。その時の事を思い出したらしい、再びションボリする長瀬くん。目を閉じると、しみじみ呟いた。
「あの時は半殺しにしても飽き足りなかったなぁ」
長瀬くんは天使、長瀬くんは天使。クッキーを抱き締めると気を取り直したのか、朗らかに笑う彼を見ながら呪文を唱える。うん、上書き完了。
ウキウキとお花を飛ばしながら王太子のところへ行った彼を見送ると、あたしも自分の準備をするために、部屋へと戻った。今日はこれから、あたしの後見になってくれる宰相へご挨拶して、その後ロザリンド姫のところへ行く予定だ。
着替えを取りに行くために、初めて寝室に足を踏み入れた。天蓋付きのベッドは乙女の夢です。しかしピンクなのは何故。新婚さん仕様ですか王太子。極力そちらを見ないようにクローゼットを開けると、ギッシリ詰まったドレスがあった。華美なものからシンプルなものまで。まさかこれも長瀬くんが?
「王太子殿下のご指示だそうです。急な事でしたので、既製品で申し訳ないと」
控えてくれていたユアさんが教えてくれた。昨日の今日で素早いなぁ。
「ちゃんとしたものは、改めてお贈りすると、おっしゃっておられました」
「いえ、これだけあれば十分です!」
ここにあるだけでも、着回すだけで何日分になる事やら。それにドレスなんて着た事がないよ。
「僭越ながら私がお手伝いさせて頂いてもよろしいでしょうか?」
「是非お願いします!」
ここで暮らすとなると、このロングワンピにも慣れないといけないのか。ロングスカートは苦手なんだけどなぁ。はっ、まさかこの世界、コルセットが――ありました。
「しかしこれを着けないと、身体のラインが……」
泣きそうな顔で説き伏せられて、渋々着けたものの、やっぱり苦しい。しかし王太子、あたしの服のサイズいつの間に知ったんだろう。あ、長瀬くんからか。もう彼があたしの何を知ってても驚かないよ。
着物を着た時も締め付けるけど、裾が広がってる分、こちらの方がまだマシかな。どちらも背骨には悪そうだけど。
「普通はもっと締めるのですよ」
「普通でなくても良いよ。これ以上締めたら呼吸困難で死んじゃう」
どうせ普通じゃない異世界の人間ですもん。萎れた声でそう言うと、くすくす笑われた。
「勇者さまの思い人とお聞きしておりましたが、想像してたより随分」
「残念?」
「いえ、完璧な方だと思っておりましたが、とてもお可愛らしいです」
完璧ねぇ……。まぁ、長瀬くんフィルターのすごさは、再会以来実感してますが。この分だと周りの期待は相当大きそうだ。
◇◇◇
初めて会う宰相は、白いヒゲを生やした、元はかなりイケメンダンディーだっただろう、オジさまだった。
「ユキヤさまの同い年の方だとお聞きしておりましたが」
魔法使いに連れられてやって来た、宰相の執務室。儀礼的な挨拶の後、言われた一言。
「その通りです」
いつか言われるんじゃないかと思ってました。きっと他の人も思っていたのではないかと。
この世界の人は白人のせいか、皆背が高い。彼らからしたら、身長155センチのあたしは、ミニマムサイズだろう。ロザリンド姫はあたしより低いけど、その内抜かされるだろうし。ふと思ったんだけど、今着てる既製品って、ひょっとしたら子供ふ……いけない、考えたら負けだよ春風。
「女官長をしております。どうぞヘレンとお呼び下さい」
引き合わされたのは、妙齢の美女。お仕着せを着てるけど、泣きぼくろが色っぽいです。あたしの上司になる彼女は、普段は王妃付きだそうだ。お呼び下さいと言われましても、上司にそんな。
「ユキヤさまには返せぬ程の恩がございます。私に出来る事でしたら、なんなりと」
宰相と共に頭を下げられてしまいました。改めて知る、クラスメイトの凄さ。恐縮です。
部屋へ戻ってお仕着せに着替えた後、魔法使いとヘレンさんも加わり、ロザリンド姫の部屋へと向かう。早速職場体験だ。上手くやれるのか、少しドキドキする。
「お姉さま、待っていたわ」
ヘレンさんに続いて挨拶すると、ちょうど誰かとお茶をしていたらしい、ロザリンド姫が立ち上がり、あたしの手を引いて椅子へと促して来た。
「いえ、あたしは仕事に来たので……」
「あら、私の相手がお仕事よ」
え、そうなの?
少女に手を取られたまま、一緒にダンスするようにくるくる回る。ふわりと翻るスカートが鮮やかだ。
「騙していないわよ。お姉さまのお仕事は私の身の回りの世話と、話し相手なの」
「はい、サクラさまのお仕事は、そのようなものです」
ヘレンさんも同意する。仕事内容は分かったけど、思ってたの違うなぁ。やるって言ったからにはやるけど、これほんとに仕事なのかな。
「恐らくサクラハルカさまが予想しておられたのは、掃除や洗濯などをする、下働きのメイドの事かと」
魔法使いがそう補足してくれる。うん、その通りだ。そっかぁ、メイドと侍女って違うんだ。勉強になったよ。ヘレンさんも侍女じゃなく女官の長だし。ここは前向きに、いつか宮廷ものを書く時の参考にすると考えよう。情報収集情報収集。
「ふん、少しは見れるようになったか」
彼女とお茶していたらしい、第二王子が椅子から立ち上がると、あたしを上から下まで眺めて来た。今のあたしはユアさんの手で髪をアップにされて、ヘッドドレスを着け、薄くメイクをしている。日本人はのっぺり顔だから、メイクが映えると言うのは本当かも。値踏みするような視線を受け、こちらも相手を上から下まで眺めてやると、いささか鼻白んだ表情になった。
「なんだ?」
「いえ、別に」
しれっと言ってやると、気に障ったらしい。むぅっと唇が尖る。相変わらず直情型だなぁ。
「何だ、言いたい事があったらハッキリ言え」
「いえいえ、アタクシのような小市民が、権力をカサに着た王族サマに意見するなぞ恐れ多い事でゴザイマス」
ツンっと、横を向くと棒読みで言ってやる。いつまでも言われっぱなしの、あたしじゃないやい。
「何!?」
「ジーク殿下、恐れながら殿下の態度の方が……」
「そうよ、お兄さま、カッコ悪い」
魔法使いとロザリンド姫に横から言われて、ぐっと言葉に詰まる第二王子。へへん、ザマァと横目で舌を出すと、相手はぎりりと歯を食いしばった。うん、ちょっと溜飲が下がったかな。
「ジーク殿下、この者は?」
鈴を振るような声。部屋にはもう1人いたらしい。目を向けると、春の陽だまりのような金の髪をした女性がいた。絵本から抜け出て来たような綺麗な、正しくお姫さまって感じだ。年はあたしより少し上くらいかな。
「アリシア姫、こちらはサクラ、新しく私の侍女になったのよ」
殿下の代わりにロザリンド姫が答える。
「サクラ、こちらはアリシア姫。シュテンドダルトの妹よ」
そう言われて、頭の中でデータを引っ張り出す。確か魔法使いって、公爵の息子だったよね。それにしては庶民ぽいけど。としたら、彼女は公爵令嬢って事か。
「初めまして、佐倉春風です」
見よう見まねのお辞儀をすると、アリシア姫はなにやら考えこむような仕草をする。
「サクラ……どこかで聞いたような」
「でしょうね、サクラはユキヤの思い人で、婚約者よ」
「まぁ!」
ロザリンド姫にそう言われて、アリシア姫は、あたしの顔をまじまじと見つめて来た。彼女も長瀬くんの知り合いかな。
「そう、貴女が……。サクラ、私はアリシアーナ。ユキヤの妻です」
「ツマ?」
堂々と胸を張ってそういうアリシア姫に、あたしは首を傾げた。
「アリシア! サクラハルカさま、違いますからね!!」
慌ててそう取り繕う魔法使い。
「妹は少し妄想癖がありまして、決してユキヤさまが結婚されてたり、浮気してたりと言うような事は絶対! 全く! ありませんから!!」
「まぁ、お兄さまったら酷い。もう直ぐそうなるんだから、違わなくてよ」
きっぱり言い切る兄に、詰め寄るアリシア姫。なるなる。ツマって妻か。漢字変換して納得。違和感なく変換出来てるけど、この世界の言語ってどうなってるんだろう。
焦りまくる魔法使いとは対照的に、あたしの表情が変わらないのに気づいたらしい、アリシア姫がこちらを向いた。
「ユキヤさまはお優しいから、こちらの世界まで追いかけて来た貴女を無下に出来ないみたいなの」
「はぁ。さようで」
後頭部に手を当てると、どうしたものかと眉を寄せた。この場合の正しいリアクション求む。ロザリンド姫から長瀬くんはモテるって聞いてたし、元の世界でもそうだったから、実際言われても、単純にそうなのかって、事実確認するような感じなんだよね。追いかけて来た云々の下りは反論したいとこではあるけど。
魔法使いは何故か焦ってるみたいだけど、再会してからの彼の言動と夕べの言葉からして、あたしが長瀬くんに裏切られたとか、二股かけてるとかは全く思ってない。と言うか、あれで疑えって方が難しいよね。だって長瀬くんが知ってるあたしの情報って、一歩間違えたらストー……、いや、そこは触れないで置こう、あたしの心の平安のために。
う~ん、やはりここは空気を読んで、あたしが長瀬くんの婚約者なのよとか言って、彼女を糾弾しちゃった方が良いのかな。それもなんだかなぁ。周囲の期待はともあれ、あたしの中ではあくまで婚約者って名目上なんだよね。ロザリンド姫はと言うと、面白そうな表情でこちらを見ている。お手並み拝見といった雰囲気だ。助けてくれそうにない。
かと言って、あたしは関係ないから、譲りますとか勝手にどうぞってのも、違う気がする。長瀬くんはモノじゃないし、他人事にしていい話でもない。あぁ、面倒だなぁ。
なんというか、ここに来てからずっと周りに流されるままなんだけど、あたしだけ置いてけぼりの茶番劇を見せつけられている気分だ。
――佐倉春風、恋愛とは面倒なものだと実感せり。
アリシア姫は他にも何か色々言って来てるのだけど、どうしたものかと、黙り込んだまま一通りスルーしていたら、勝ち誇ったような表情を浮かべられた。
「私は心が寛いので、ユキヤが貴女を愛人にする心算でしたら受け入れましてよ」
「愛人ねぇ……」
う~ん。元の世界じゃ、昔は一夫多妻制とか良くある事ではあったみたいだけど。ハーレムというやつよね。アラブの王さまのコスプレした長瀬くんを想像してみる。コスプレはアリババかシンドバッドみたいで似合いそうだけど、両手に花の姿が想像し辛い。むしろ咲いてる花ならあり得そう。花束を抱き締める彼を想像してみる。かすみ草とかイメージにピッタリだ。
「サクラは自分の夫に愛人が出来たら嫌?」
「浮気したら経緯を問わず、この世に生きて存在している事を後悔するような目に遭わせてから離婚かな。ついでに慰謝料がっぽり」
どうしたものかと考え込む横からロザリンド姫に尋ねられ、無意識にそう答える。
「後悔……!?」
絶句したらしい、魔法使いと第二王子を見て、我に返る。ありゃしまった。
「まぁ、ユキヤをそんな目に遭わせるだなんて。是非見てみたいわ」
楽しそうに手を叩くロザリンド姫。いや、しないからね。そもそも夫でも恋人でもないから。
「もう、お姉さまったら期待させておいて、つまらないじゃない」
期待させてませんし。ロザリンド姫は不満そうだったのだけど、入り口に控えていたメイドさんだか侍女さんだかが耳打ちをすると、途端にキラキラした顔つきになった。嫌な予感。
「佐倉さん!」
理由は直ぐ判った。長瀬くんが来たからだ。彼はロザリンド姫に挨拶すると、真っ直ぐあたしの方に向かって来て、目の前に立った。
立った――まま、じっと見られてなんというか、落ち着きません。いつまで見てるのですか、君は。
「長瀬くん?」
顔を見上げながら声を掛けると、はっとしたように口元を押さえて横を向かれた。あれ、そんなにあたしの格好変なのかな。
「ううん、佐倉さんがいつも以上に可愛くて眩しくて、僕どうしたらいいのか……」
しまった、恥ずかしいモードのスイッチが入ってた。耳まで赤くなってるし。
「この世界にどうしてデジカメがないんだろう」
「いや、なくていいから!」
あたしなんぞを撮るとか、容量の無駄だし。
「無駄なんかじゃないよ、僕のデジカメはそのために買ったんだから」
「えっと、ちょっと待って。その件に着いては何となく後でじっくり話し合う必要がありそうな気がするよ」
強い口調で言い切る長瀬くんに、待ったを掛けるあたし。彼の部屋にあたしの写真がずらりとか、そんなホラーな事が起きてない事を切に祈りたい。しかし長瀬くん、王太子の用事は終わったのかな。
「あ、うん。これからお昼一緒に食べようと誘いに来たのと、これ」
差し出されたのはバスケット一杯に入ったクッキー。まさか焼き立てですか。
「朝貰ったクッキーのお礼。焼けたから、食べて貰おうと思って。前はみんなに食べられちゃって、あげられなかったから」
笑顔満開です。周り全然目に入ってないよね。さっき挨拶してたから、2人きりじゃないのは知ってるはずなのだけど。
「ありがとう」
居心地悪いけど、お礼は言うよ。あたしのために作ってくれたみたいだし。
「はい」
差し出されたのだから、ひとつ貰おうと手を伸ばそうとすると、先んじてバスケットからひとつ取って口元に運ばれる。まさかこのまま食べろと言うのですか。
情けない顔をしていたのだろう。ちらりと目の端に映るのは、期待に満ちたギャラリーの姿。部屋のメイドさんたちまで、目を輝かせている。なんて事でしょう。あれです、昼ドラに目を輝かせる我が母上の顔つきに、とてもよく似ています。まさかこの衆目の中で、彼の手ずから?
ちょっと魔法使い、その激励するように振り上げた手は一体。ロザリンド姫もサムズアップとか、どこで覚えたんですか。ヘレンさんも、ゴシップ大好きなお隣のオバさんと同じ目をしてるよ!
何処からも助けは望めそうにないと理解したあたしは、せめてもと、目を閉じてクッキーにかじりついた。空気が読める自分が憎いっ。もぐもぐと咀嚼する。
「美味しい?」
首を傾げる仕草が可憐です。何の罰ゲームなんだろう。心の中で恥ずかしさに滂沱の涙を零しつつ、コクコクと頷く。美味しいと思うのだけど、周囲から突き刺さる視線に、砂を噛んでいる気分だ。
「そ、そんなイチャイチャを見せつけたって、認めないからな!!」
叫び声に横を向くと、怒りに震えた第二王子が拳を握り締めていた。あの、これの何処がイチャイチャなのですか。それと王子さまがイチャイチャとか俗な言葉、何で知ってるのですか。
同じように耐え切れなくなったらしい、アリシア姫は「酷いですわぁ」とか言って、一足先に涙を堪えるように出て行ってるし。周囲はというと、一転して、微笑ましいものを見るかのような空気に変わっちゃってます。例えるなら、出来たてホヤホヤの新婚さんを見守るような。……ヤメテクダサイ。
でも長瀬くんがとても嬉しそうなので、あたしはため息をつきつつも、まぁ良いかなと思った。なんだかんだで絆されてるような気もするのだけどね。
異世界の父上様母上様、あたしの(名目上の)婚約者殿はスキンシップ過多のようです。なんだろう、ライバルにご退場頂いたのは良いのだけど、他に色んなものを喪った気がしてしょうがない。
朝起こしに来たメイドさんが、床に転がってたあたしを見て、悲鳴を上げたのは申し訳ない。ユアと名乗った彼女は、あたし付きの召使いだそうだ。召使いに召使いが付くってどうなんだろう。
朝は長瀬くんの部屋で食べた。良く寝られた? と聞かれたから、床は広くてふかふかで快適だったよって答えたら、笑ってたよ。そっちはどうだった? と尋ねると、魔王を倒す旅の時は、一週間位寝れない日が続いたから平気と言われたので、寝てないらしい。……正直だなぁ。
夕べはどっちが寝室を使うか揉めたのだけど、結局どちらも譲り合って、2人とも寝室を使わない事になった。元々長瀬くんの部屋なんだから、遠慮しなくて良いのに。
「え、だって佐倉さんが直ぐ側に居るのに寝れる訳が……」
いや、直ぐ側って部屋の壁挟んでるじゃないですか。どれだけ純情なのですか君は。
色恋沙汰には縁のない世界で生きてきたあたしだけど、それなりに耳に入って来ていた情報だと、長瀬くんは結構モテてたはずなのに。逆に異世界初日だと言うのに、ぐっすり寝れたあたしって、どんだけ神経図太いの?
異世界なのに納豆と味噌汁と白いご飯。緑茶を飲みながら、ファンタジー世界と和食の融合について、複雑に思いつつも受け入れようと心に決めた。あるものはしょうがないものね。でもポエム本の発行だけは阻止せねば。あれはこの世にあってはならぬものです。
長瀬くんは王太子に呼ばれているとかで、先に出ていくそうだ。
「あ、ちょっと待って」
立ち上がった彼を追うように席を立ったあたしは、ポケットに入れていた小さな紙袋を取り出すと、彼に差し出した。
「ポケットに入ってたの。良かったら食べて」
中に入っているのは、昨日の調理実習で作ったクッキーだ。夕べ寝る時にポケットに入っていたのを見つけた。長瀬くん、向こうの世界のものなんか久しく食べていないだろうし、作り主があたしってとこが微妙だけど、元の世界のよすがにでもなれば良いなと思って。
「え?」
しかしその瞬間、長瀬くんはそのまま動かなくなった。
「長瀬くん?」
顔を覗き込んでみると、綺麗な顔が強張っている。何かあたし、変な事したかな。クッキーは昨日作った時ちゃんと味見したから、普通に食べても大丈夫だよ。
目の前で手を振ると、ようやく我に返ったらしい。
「えっと、佐倉さんの手作りとか、何か感動して……」
あたしごときが作ったクッキーで感動とか、ヤメテクダサイ。ほら、涙ぐまないで!
「永久保存の魔法ってどうだったかな……」
「それ位また作ってあげるから、ささっと食べちゃって下さいな!」
昨日の再会から、長瀬くんのテンションがおかしいです。クッキーがそのままどこかに祀られそうな勢いです。
「ほんと?」
「ほんと本当!」
ぶんぶんと、音がしそうな勢いで首を振る。あ、目眩が。
長瀬くんは食べようかどうしようか、もじもじと迷っていたようなのだけど、意を決したようにクッキーの袋を開くと一枚取り出した。ぱくりと、一口。しばらく咀嚼して食べ終わると黙り込んだ。やがてくすんと鼻を鳴らすと、ぽつりと呟く。
「生きてて良かったかも」
そこまで!?
なんだろう、喜んで貰えるのは嬉しいんだけど、喜び方がいちいちあたしが想像していた斜め上を行っていて、素直に良かったと思えない。
「このクッキー、実は前にも貰った事があるよ」
そう言えばと、思い出す。調理実習は男女一緒だから、長瀬くんもクッキーを作ったんだけど、女子の奪い合いになって、自分の分がなくなったのだ。ションボリしている彼を見て、余っていたクッキーをあげたんだっけ。
「あの時のクッキーもこっちに持って来てて、大事に食べてたんだ」
「そうなんだ?」
「うん、でもある時ハルトに見つかって、全部食べられちゃって」
ハルトって、確か第二王子よね。その時の事を思い出したらしい、再びションボリする長瀬くん。目を閉じると、しみじみ呟いた。
「あの時は半殺しにしても飽き足りなかったなぁ」
長瀬くんは天使、長瀬くんは天使。クッキーを抱き締めると気を取り直したのか、朗らかに笑う彼を見ながら呪文を唱える。うん、上書き完了。
ウキウキとお花を飛ばしながら王太子のところへ行った彼を見送ると、あたしも自分の準備をするために、部屋へと戻った。今日はこれから、あたしの後見になってくれる宰相へご挨拶して、その後ロザリンド姫のところへ行く予定だ。
着替えを取りに行くために、初めて寝室に足を踏み入れた。天蓋付きのベッドは乙女の夢です。しかしピンクなのは何故。新婚さん仕様ですか王太子。極力そちらを見ないようにクローゼットを開けると、ギッシリ詰まったドレスがあった。華美なものからシンプルなものまで。まさかこれも長瀬くんが?
「王太子殿下のご指示だそうです。急な事でしたので、既製品で申し訳ないと」
控えてくれていたユアさんが教えてくれた。昨日の今日で素早いなぁ。
「ちゃんとしたものは、改めてお贈りすると、おっしゃっておられました」
「いえ、これだけあれば十分です!」
ここにあるだけでも、着回すだけで何日分になる事やら。それにドレスなんて着た事がないよ。
「僭越ながら私がお手伝いさせて頂いてもよろしいでしょうか?」
「是非お願いします!」
ここで暮らすとなると、このロングワンピにも慣れないといけないのか。ロングスカートは苦手なんだけどなぁ。はっ、まさかこの世界、コルセットが――ありました。
「しかしこれを着けないと、身体のラインが……」
泣きそうな顔で説き伏せられて、渋々着けたものの、やっぱり苦しい。しかし王太子、あたしの服のサイズいつの間に知ったんだろう。あ、長瀬くんからか。もう彼があたしの何を知ってても驚かないよ。
着物を着た時も締め付けるけど、裾が広がってる分、こちらの方がまだマシかな。どちらも背骨には悪そうだけど。
「普通はもっと締めるのですよ」
「普通でなくても良いよ。これ以上締めたら呼吸困難で死んじゃう」
どうせ普通じゃない異世界の人間ですもん。萎れた声でそう言うと、くすくす笑われた。
「勇者さまの思い人とお聞きしておりましたが、想像してたより随分」
「残念?」
「いえ、完璧な方だと思っておりましたが、とてもお可愛らしいです」
完璧ねぇ……。まぁ、長瀬くんフィルターのすごさは、再会以来実感してますが。この分だと周りの期待は相当大きそうだ。
◇◇◇
初めて会う宰相は、白いヒゲを生やした、元はかなりイケメンダンディーだっただろう、オジさまだった。
「ユキヤさまの同い年の方だとお聞きしておりましたが」
魔法使いに連れられてやって来た、宰相の執務室。儀礼的な挨拶の後、言われた一言。
「その通りです」
いつか言われるんじゃないかと思ってました。きっと他の人も思っていたのではないかと。
この世界の人は白人のせいか、皆背が高い。彼らからしたら、身長155センチのあたしは、ミニマムサイズだろう。ロザリンド姫はあたしより低いけど、その内抜かされるだろうし。ふと思ったんだけど、今着てる既製品って、ひょっとしたら子供ふ……いけない、考えたら負けだよ春風。
「女官長をしております。どうぞヘレンとお呼び下さい」
引き合わされたのは、妙齢の美女。お仕着せを着てるけど、泣きぼくろが色っぽいです。あたしの上司になる彼女は、普段は王妃付きだそうだ。お呼び下さいと言われましても、上司にそんな。
「ユキヤさまには返せぬ程の恩がございます。私に出来る事でしたら、なんなりと」
宰相と共に頭を下げられてしまいました。改めて知る、クラスメイトの凄さ。恐縮です。
部屋へ戻ってお仕着せに着替えた後、魔法使いとヘレンさんも加わり、ロザリンド姫の部屋へと向かう。早速職場体験だ。上手くやれるのか、少しドキドキする。
「お姉さま、待っていたわ」
ヘレンさんに続いて挨拶すると、ちょうど誰かとお茶をしていたらしい、ロザリンド姫が立ち上がり、あたしの手を引いて椅子へと促して来た。
「いえ、あたしは仕事に来たので……」
「あら、私の相手がお仕事よ」
え、そうなの?
少女に手を取られたまま、一緒にダンスするようにくるくる回る。ふわりと翻るスカートが鮮やかだ。
「騙していないわよ。お姉さまのお仕事は私の身の回りの世話と、話し相手なの」
「はい、サクラさまのお仕事は、そのようなものです」
ヘレンさんも同意する。仕事内容は分かったけど、思ってたの違うなぁ。やるって言ったからにはやるけど、これほんとに仕事なのかな。
「恐らくサクラハルカさまが予想しておられたのは、掃除や洗濯などをする、下働きのメイドの事かと」
魔法使いがそう補足してくれる。うん、その通りだ。そっかぁ、メイドと侍女って違うんだ。勉強になったよ。ヘレンさんも侍女じゃなく女官の長だし。ここは前向きに、いつか宮廷ものを書く時の参考にすると考えよう。情報収集情報収集。
「ふん、少しは見れるようになったか」
彼女とお茶していたらしい、第二王子が椅子から立ち上がると、あたしを上から下まで眺めて来た。今のあたしはユアさんの手で髪をアップにされて、ヘッドドレスを着け、薄くメイクをしている。日本人はのっぺり顔だから、メイクが映えると言うのは本当かも。値踏みするような視線を受け、こちらも相手を上から下まで眺めてやると、いささか鼻白んだ表情になった。
「なんだ?」
「いえ、別に」
しれっと言ってやると、気に障ったらしい。むぅっと唇が尖る。相変わらず直情型だなぁ。
「何だ、言いたい事があったらハッキリ言え」
「いえいえ、アタクシのような小市民が、権力をカサに着た王族サマに意見するなぞ恐れ多い事でゴザイマス」
ツンっと、横を向くと棒読みで言ってやる。いつまでも言われっぱなしの、あたしじゃないやい。
「何!?」
「ジーク殿下、恐れながら殿下の態度の方が……」
「そうよ、お兄さま、カッコ悪い」
魔法使いとロザリンド姫に横から言われて、ぐっと言葉に詰まる第二王子。へへん、ザマァと横目で舌を出すと、相手はぎりりと歯を食いしばった。うん、ちょっと溜飲が下がったかな。
「ジーク殿下、この者は?」
鈴を振るような声。部屋にはもう1人いたらしい。目を向けると、春の陽だまりのような金の髪をした女性がいた。絵本から抜け出て来たような綺麗な、正しくお姫さまって感じだ。年はあたしより少し上くらいかな。
「アリシア姫、こちらはサクラ、新しく私の侍女になったのよ」
殿下の代わりにロザリンド姫が答える。
「サクラ、こちらはアリシア姫。シュテンドダルトの妹よ」
そう言われて、頭の中でデータを引っ張り出す。確か魔法使いって、公爵の息子だったよね。それにしては庶民ぽいけど。としたら、彼女は公爵令嬢って事か。
「初めまして、佐倉春風です」
見よう見まねのお辞儀をすると、アリシア姫はなにやら考えこむような仕草をする。
「サクラ……どこかで聞いたような」
「でしょうね、サクラはユキヤの思い人で、婚約者よ」
「まぁ!」
ロザリンド姫にそう言われて、アリシア姫は、あたしの顔をまじまじと見つめて来た。彼女も長瀬くんの知り合いかな。
「そう、貴女が……。サクラ、私はアリシアーナ。ユキヤの妻です」
「ツマ?」
堂々と胸を張ってそういうアリシア姫に、あたしは首を傾げた。
「アリシア! サクラハルカさま、違いますからね!!」
慌ててそう取り繕う魔法使い。
「妹は少し妄想癖がありまして、決してユキヤさまが結婚されてたり、浮気してたりと言うような事は絶対! 全く! ありませんから!!」
「まぁ、お兄さまったら酷い。もう直ぐそうなるんだから、違わなくてよ」
きっぱり言い切る兄に、詰め寄るアリシア姫。なるなる。ツマって妻か。漢字変換して納得。違和感なく変換出来てるけど、この世界の言語ってどうなってるんだろう。
焦りまくる魔法使いとは対照的に、あたしの表情が変わらないのに気づいたらしい、アリシア姫がこちらを向いた。
「ユキヤさまはお優しいから、こちらの世界まで追いかけて来た貴女を無下に出来ないみたいなの」
「はぁ。さようで」
後頭部に手を当てると、どうしたものかと眉を寄せた。この場合の正しいリアクション求む。ロザリンド姫から長瀬くんはモテるって聞いてたし、元の世界でもそうだったから、実際言われても、単純にそうなのかって、事実確認するような感じなんだよね。追いかけて来た云々の下りは反論したいとこではあるけど。
魔法使いは何故か焦ってるみたいだけど、再会してからの彼の言動と夕べの言葉からして、あたしが長瀬くんに裏切られたとか、二股かけてるとかは全く思ってない。と言うか、あれで疑えって方が難しいよね。だって長瀬くんが知ってるあたしの情報って、一歩間違えたらストー……、いや、そこは触れないで置こう、あたしの心の平安のために。
う~ん、やはりここは空気を読んで、あたしが長瀬くんの婚約者なのよとか言って、彼女を糾弾しちゃった方が良いのかな。それもなんだかなぁ。周囲の期待はともあれ、あたしの中ではあくまで婚約者って名目上なんだよね。ロザリンド姫はと言うと、面白そうな表情でこちらを見ている。お手並み拝見といった雰囲気だ。助けてくれそうにない。
かと言って、あたしは関係ないから、譲りますとか勝手にどうぞってのも、違う気がする。長瀬くんはモノじゃないし、他人事にしていい話でもない。あぁ、面倒だなぁ。
なんというか、ここに来てからずっと周りに流されるままなんだけど、あたしだけ置いてけぼりの茶番劇を見せつけられている気分だ。
――佐倉春風、恋愛とは面倒なものだと実感せり。
アリシア姫は他にも何か色々言って来てるのだけど、どうしたものかと、黙り込んだまま一通りスルーしていたら、勝ち誇ったような表情を浮かべられた。
「私は心が寛いので、ユキヤが貴女を愛人にする心算でしたら受け入れましてよ」
「愛人ねぇ……」
う~ん。元の世界じゃ、昔は一夫多妻制とか良くある事ではあったみたいだけど。ハーレムというやつよね。アラブの王さまのコスプレした長瀬くんを想像してみる。コスプレはアリババかシンドバッドみたいで似合いそうだけど、両手に花の姿が想像し辛い。むしろ咲いてる花ならあり得そう。花束を抱き締める彼を想像してみる。かすみ草とかイメージにピッタリだ。
「サクラは自分の夫に愛人が出来たら嫌?」
「浮気したら経緯を問わず、この世に生きて存在している事を後悔するような目に遭わせてから離婚かな。ついでに慰謝料がっぽり」
どうしたものかと考え込む横からロザリンド姫に尋ねられ、無意識にそう答える。
「後悔……!?」
絶句したらしい、魔法使いと第二王子を見て、我に返る。ありゃしまった。
「まぁ、ユキヤをそんな目に遭わせるだなんて。是非見てみたいわ」
楽しそうに手を叩くロザリンド姫。いや、しないからね。そもそも夫でも恋人でもないから。
「もう、お姉さまったら期待させておいて、つまらないじゃない」
期待させてませんし。ロザリンド姫は不満そうだったのだけど、入り口に控えていたメイドさんだか侍女さんだかが耳打ちをすると、途端にキラキラした顔つきになった。嫌な予感。
「佐倉さん!」
理由は直ぐ判った。長瀬くんが来たからだ。彼はロザリンド姫に挨拶すると、真っ直ぐあたしの方に向かって来て、目の前に立った。
立った――まま、じっと見られてなんというか、落ち着きません。いつまで見てるのですか、君は。
「長瀬くん?」
顔を見上げながら声を掛けると、はっとしたように口元を押さえて横を向かれた。あれ、そんなにあたしの格好変なのかな。
「ううん、佐倉さんがいつも以上に可愛くて眩しくて、僕どうしたらいいのか……」
しまった、恥ずかしいモードのスイッチが入ってた。耳まで赤くなってるし。
「この世界にどうしてデジカメがないんだろう」
「いや、なくていいから!」
あたしなんぞを撮るとか、容量の無駄だし。
「無駄なんかじゃないよ、僕のデジカメはそのために買ったんだから」
「えっと、ちょっと待って。その件に着いては何となく後でじっくり話し合う必要がありそうな気がするよ」
強い口調で言い切る長瀬くんに、待ったを掛けるあたし。彼の部屋にあたしの写真がずらりとか、そんなホラーな事が起きてない事を切に祈りたい。しかし長瀬くん、王太子の用事は終わったのかな。
「あ、うん。これからお昼一緒に食べようと誘いに来たのと、これ」
差し出されたのはバスケット一杯に入ったクッキー。まさか焼き立てですか。
「朝貰ったクッキーのお礼。焼けたから、食べて貰おうと思って。前はみんなに食べられちゃって、あげられなかったから」
笑顔満開です。周り全然目に入ってないよね。さっき挨拶してたから、2人きりじゃないのは知ってるはずなのだけど。
「ありがとう」
居心地悪いけど、お礼は言うよ。あたしのために作ってくれたみたいだし。
「はい」
差し出されたのだから、ひとつ貰おうと手を伸ばそうとすると、先んじてバスケットからひとつ取って口元に運ばれる。まさかこのまま食べろと言うのですか。
情けない顔をしていたのだろう。ちらりと目の端に映るのは、期待に満ちたギャラリーの姿。部屋のメイドさんたちまで、目を輝かせている。なんて事でしょう。あれです、昼ドラに目を輝かせる我が母上の顔つきに、とてもよく似ています。まさかこの衆目の中で、彼の手ずから?
ちょっと魔法使い、その激励するように振り上げた手は一体。ロザリンド姫もサムズアップとか、どこで覚えたんですか。ヘレンさんも、ゴシップ大好きなお隣のオバさんと同じ目をしてるよ!
何処からも助けは望めそうにないと理解したあたしは、せめてもと、目を閉じてクッキーにかじりついた。空気が読める自分が憎いっ。もぐもぐと咀嚼する。
「美味しい?」
首を傾げる仕草が可憐です。何の罰ゲームなんだろう。心の中で恥ずかしさに滂沱の涙を零しつつ、コクコクと頷く。美味しいと思うのだけど、周囲から突き刺さる視線に、砂を噛んでいる気分だ。
「そ、そんなイチャイチャを見せつけたって、認めないからな!!」
叫び声に横を向くと、怒りに震えた第二王子が拳を握り締めていた。あの、これの何処がイチャイチャなのですか。それと王子さまがイチャイチャとか俗な言葉、何で知ってるのですか。
同じように耐え切れなくなったらしい、アリシア姫は「酷いですわぁ」とか言って、一足先に涙を堪えるように出て行ってるし。周囲はというと、一転して、微笑ましいものを見るかのような空気に変わっちゃってます。例えるなら、出来たてホヤホヤの新婚さんを見守るような。……ヤメテクダサイ。
でも長瀬くんがとても嬉しそうなので、あたしはため息をつきつつも、まぁ良いかなと思った。なんだかんだで絆されてるような気もするのだけどね。
異世界の父上様母上様、あたしの(名目上の)婚約者殿はスキンシップ過多のようです。なんだろう、ライバルにご退場頂いたのは良いのだけど、他に色んなものを喪った気がしてしょうがない。
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