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第二十一節気 大雪
初候――閉塞成冬(そらさむくふゆとなる)
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窓を開けると、一面雪景色だった。
「すごいな」
思わず感嘆の声が漏れる。祖父の故郷に来たときは、ところどころ雪が残っていたけれど、ここまで本格的な積雪を見たのは久しぶりである。
「はるはるっ、こっちに露天風呂もあるよ!」
はしゃいだ声をあげるのは、暁治の恋人の朱嶺だ。前言通り、「はると二人っきりで旅行に行く!」とチケットを握りしめて宣言したのは、つい昨日のことだ。
早すぎるわと文句を言うと、どうせ土日予定ないからいいでしょと返されて、反論できなかったのが悪かったようだ。気づけばこんな場所まで引きずられて来てしまっていた。
結局チケット代は自分で出したと言われた。恋人とのデートを出すのは男の甲斐性だと吹き込まれたらしい。石蕗家のお手伝いやあれこれで、金は持っているらしく、「僕に任せて」と、ふんすと、鼻息も荒い。
なら生活費も入れてくれればいいのに、とボヤいたら、どうも暁治はあの家のホストだから、客人をもてなすのは当然と思われていたようだ。妖の感覚なのだろうか。
家に入れたら招かれた。出入りを許されたことになるのだから、それはありそうだ。
「隠り世温泉、ねぇ……」
さっき見た、旅館の入り口にあった看板を思い出す。とはいえ、昨今流行りの隠れ家カフェではない。ヒトの住む人界とはまた別の、幽世――かくりよと呼ばれる場所にある旅館だ。幽界は前に朱嶺の結婚騒動で乗り込んだのだが、また来ることになるとは思わなかった。
「いい天気でよかったねぇ」
最近は不機嫌なことも多い朱嶺だが、今日は『お泊まりでーと』にご機嫌のようで、前日からずっとニコニコしていた。
「そうだな」
「どうかした?」
少し落ち込んだトーンに気づいたらしい。そばに来ていた朱嶺に、顔を覗き込まれる。
「いや、なんでもない」
なにか問題があったわけではい。絶対ごねると思っていたキイチに、あっさりと送り出されたことくらいだろうか。ただ――
「暁治」
出がけに玄関で声をかけて来たキイチは、暁治の袖を掴むと、じっとこちらを見てきた。
「妖はどちらかというとココロの存在にゃ。おれらは暁治のココロにゃ。暁治が嬉しいと、おれらも嬉しいし、悲しいと悲しい、から。……あいつは、暁治に一番近いから、よろしく頼むにゃ」
「え? あ、うん」
珍しく朱嶺を心配するような言葉に面食らう。
暁治が嬉しいと、嬉しいし、悲しいと、悲しい。彼の言ったフレーズが、心に浮かぶ。
「はる?」
ニコニコと笑う朱嶺は、今は嬉しそうだ。
暁治が嬉しいと朱嶺が嬉しい。
朱嶺が嬉しいと。
「まぁ、嬉しいかな」
「なに?」
小首を傾げる朱嶺に、暁治は首を振って笑いかけた。
「なんでもないなんでもない。せっかくここまで来たんだし」
「うん!」
「寝るか」
「えぇっ。ちょっと待ってよせっかく来たのに!」
ごろりと横になると、朱嶺が駆け寄って腕を引っ張ってくる。ぐいぐいと引っ張る手を振り払うと、暁治はじろりと目を向けた。
「うるさいうるさい。日ごろお前らの世話に忙殺されてるんだ。こんなときくらいゆっくりさせろ」
「だめだめっ! 旅館に来たらまずすることがあるでしょ」
「なんだよ」
「旅館探検だよ! お部屋探検は今やったから、今度は建物の中を見て回らなきゃ」
ドヤ顔で告げる朱嶺に、暁治は目を細める。
「一人で行ってこい」
ただでさえ朝から山登りで疲れているのだ。ここに来るためとはいえ、あれはなんとかして欲しい。一日分の体力を使い果たした気がする。
おまけにすっかり冬模様の山は、吐く息ももう白い。温かい部屋でゆっくりしたいと思っても仕方ないだろう。
だが冷ややかな拒絶に、三百歳を超えたお子さまが追いすがった。
「えぇっ!? やだよ一緒がいい!!」
「もう大きいんだから一人で探検できるだろ」
「できないぃぃ~!!」
ぐいぐいと引っ張ってくる腕を振り払う。今日はここからテコでも動かない所存である。
「年寄りなんだ。寝かせろ」
「まだ二十五じゃないか!」
「実は七十五なんだ」
「うそつきぃ~!」
「うるさい」
引っ張ってくる腕をつかむと、ぴーぴー鳴く妖を腕の中に抱き込んだ。暁治は寝付きも寝起きもいいのだが、睡眠を邪魔されるととても不機嫌になる。最近では彼の部屋で騒いだ猫と烏を追い出した実績つきだ。あのときの蹴りは痛かったと、彼らからのお墨付きもある。
そして今も暁治はとても眠かった。
「襲われたくなかったら、大人しくしろ」
低い声で耳元で囁くと、抱き込んだ身体がぴたりと固まる。
「……やだいけめんぼいす……はるったら、もぅ、すっごいいい声――じゃなく、あれ? はる。あれ? はるが襲うの? あれ、襲うのって僕の方じゃ?」
うっとり頬を染めていた朱嶺は、我に返るや突っ込みを入れた。
「えと、はる? 僕、はるになら襲われるのもやぶさかじゃないのだけど、むしろばっちかもーんな感じなのだけど、昨日から僕すっごい楽しみにしててそれに……あれ、はる? えぇ、寝ちゃってる!?」
すやすやと、安らかに寝息を立てる恋人を見上げると、朱嶺はじんわりと涙目になる。
「わ~ん、期待させといてぇ! もう、はるのバカバカっ。でも好きぃ!!」
ぎゅぅっと、暁治に抱きついて、ついでとばかりに胸元にすりすりする。トクトクと、聞こえてくる鼓動に、ため息を落とした朱嶺は、そのまま腕の中で大人しくなった。
――お前の絵って、つまんないよな。
また、ぽつりと聞こえてくる声。
どこがつまらないと言うのだろう。
考えてもわからない。
「ふむ、本当にそうなのか?」
とくりとくりと、目の前で徳利が傾けられる。促されるように手にしていた盃を、口元へと運ぶ。
「そうだよ。俺はいつだって精一杯、全力投球で描いてる。それでダメだって言われたら、どうしようもないだろ」
ため息をつくと、盃に落ちた花びらが揺れた。真っ白な空間に、ひらひらと、ピンクの花びらが舞っている。
「マジわかんないよ。嫌がらせや悪口を言うようなやつじゃないし、あいつがつまらないと言ったなら、俺の絵はつまらなかったんだろ。要するに、俺はその程度のものしか描けないやつなんだよ」
「そう拗ねるな」
静かに、声が辺りに響く。また一献、手元に注がれる酒を飲み干した。
「拗ねてない。事実だ」
そしてまた酒を、口に運ぶ。
口当たりのいい清廉な日本酒は、ほんのりと温かい、温燗だ。
「わからないなら、聞いてみればいいではないか」
「そんなの、聞いてもしょうがないだろ」
「なぜだ?」
「あいつの方がなにやったって上手いし、絵の技術も上だ。つまんないってなら、そうなんだろう。聞くまでもないし、聞くなんてできない」
「どうしてだ?」
「昔からあぁいうやつなんだよ。言ったって無駄」
「なるほど、ぷらいど、というやつか」
「うるさい。なんだよさっきから――って、……誰だ?」
ふと、我に返る。先ほどから聞こえる声。聞き覚えはあるが、そもそもここはどこだ?
「そりゃ、我に決まっておろ。人の子」
「って、朱嶺?」
白い空間に、ふわりと現れる赤朽葉色の髪。見慣れた顔は、暁治の恋人のもの。墨染め色の衣を着て、背には翼、手には白い徳利を持っている。
だが、その眼差しは、いつものほわりと緩いものではなく、凛として鋭い。
「いや、今は妹背の君か。ふむ」
「なん……」
首を傾ける妖に、暁治は息を飲んだ。
「ここか? おぬしの夢の中のようだ。久しぶりの共寝だから、堪能しようと思ってな。なにせ我が背の君は、つれないやつだから、次の逢瀬はいつになるやらだし」
ぱくぱくと、なにか言おうと口を開く暁治に、朱嶺はにまりと笑う。いや、嗤う。
「どうだ、もう一献?」
「すごいな」
思わず感嘆の声が漏れる。祖父の故郷に来たときは、ところどころ雪が残っていたけれど、ここまで本格的な積雪を見たのは久しぶりである。
「はるはるっ、こっちに露天風呂もあるよ!」
はしゃいだ声をあげるのは、暁治の恋人の朱嶺だ。前言通り、「はると二人っきりで旅行に行く!」とチケットを握りしめて宣言したのは、つい昨日のことだ。
早すぎるわと文句を言うと、どうせ土日予定ないからいいでしょと返されて、反論できなかったのが悪かったようだ。気づけばこんな場所まで引きずられて来てしまっていた。
結局チケット代は自分で出したと言われた。恋人とのデートを出すのは男の甲斐性だと吹き込まれたらしい。石蕗家のお手伝いやあれこれで、金は持っているらしく、「僕に任せて」と、ふんすと、鼻息も荒い。
なら生活費も入れてくれればいいのに、とボヤいたら、どうも暁治はあの家のホストだから、客人をもてなすのは当然と思われていたようだ。妖の感覚なのだろうか。
家に入れたら招かれた。出入りを許されたことになるのだから、それはありそうだ。
「隠り世温泉、ねぇ……」
さっき見た、旅館の入り口にあった看板を思い出す。とはいえ、昨今流行りの隠れ家カフェではない。ヒトの住む人界とはまた別の、幽世――かくりよと呼ばれる場所にある旅館だ。幽界は前に朱嶺の結婚騒動で乗り込んだのだが、また来ることになるとは思わなかった。
「いい天気でよかったねぇ」
最近は不機嫌なことも多い朱嶺だが、今日は『お泊まりでーと』にご機嫌のようで、前日からずっとニコニコしていた。
「そうだな」
「どうかした?」
少し落ち込んだトーンに気づいたらしい。そばに来ていた朱嶺に、顔を覗き込まれる。
「いや、なんでもない」
なにか問題があったわけではい。絶対ごねると思っていたキイチに、あっさりと送り出されたことくらいだろうか。ただ――
「暁治」
出がけに玄関で声をかけて来たキイチは、暁治の袖を掴むと、じっとこちらを見てきた。
「妖はどちらかというとココロの存在にゃ。おれらは暁治のココロにゃ。暁治が嬉しいと、おれらも嬉しいし、悲しいと悲しい、から。……あいつは、暁治に一番近いから、よろしく頼むにゃ」
「え? あ、うん」
珍しく朱嶺を心配するような言葉に面食らう。
暁治が嬉しいと、嬉しいし、悲しいと、悲しい。彼の言ったフレーズが、心に浮かぶ。
「はる?」
ニコニコと笑う朱嶺は、今は嬉しそうだ。
暁治が嬉しいと朱嶺が嬉しい。
朱嶺が嬉しいと。
「まぁ、嬉しいかな」
「なに?」
小首を傾げる朱嶺に、暁治は首を振って笑いかけた。
「なんでもないなんでもない。せっかくここまで来たんだし」
「うん!」
「寝るか」
「えぇっ。ちょっと待ってよせっかく来たのに!」
ごろりと横になると、朱嶺が駆け寄って腕を引っ張ってくる。ぐいぐいと引っ張る手を振り払うと、暁治はじろりと目を向けた。
「うるさいうるさい。日ごろお前らの世話に忙殺されてるんだ。こんなときくらいゆっくりさせろ」
「だめだめっ! 旅館に来たらまずすることがあるでしょ」
「なんだよ」
「旅館探検だよ! お部屋探検は今やったから、今度は建物の中を見て回らなきゃ」
ドヤ顔で告げる朱嶺に、暁治は目を細める。
「一人で行ってこい」
ただでさえ朝から山登りで疲れているのだ。ここに来るためとはいえ、あれはなんとかして欲しい。一日分の体力を使い果たした気がする。
おまけにすっかり冬模様の山は、吐く息ももう白い。温かい部屋でゆっくりしたいと思っても仕方ないだろう。
だが冷ややかな拒絶に、三百歳を超えたお子さまが追いすがった。
「えぇっ!? やだよ一緒がいい!!」
「もう大きいんだから一人で探検できるだろ」
「できないぃぃ~!!」
ぐいぐいと引っ張ってくる腕を振り払う。今日はここからテコでも動かない所存である。
「年寄りなんだ。寝かせろ」
「まだ二十五じゃないか!」
「実は七十五なんだ」
「うそつきぃ~!」
「うるさい」
引っ張ってくる腕をつかむと、ぴーぴー鳴く妖を腕の中に抱き込んだ。暁治は寝付きも寝起きもいいのだが、睡眠を邪魔されるととても不機嫌になる。最近では彼の部屋で騒いだ猫と烏を追い出した実績つきだ。あのときの蹴りは痛かったと、彼らからのお墨付きもある。
そして今も暁治はとても眠かった。
「襲われたくなかったら、大人しくしろ」
低い声で耳元で囁くと、抱き込んだ身体がぴたりと固まる。
「……やだいけめんぼいす……はるったら、もぅ、すっごいいい声――じゃなく、あれ? はる。あれ? はるが襲うの? あれ、襲うのって僕の方じゃ?」
うっとり頬を染めていた朱嶺は、我に返るや突っ込みを入れた。
「えと、はる? 僕、はるになら襲われるのもやぶさかじゃないのだけど、むしろばっちかもーんな感じなのだけど、昨日から僕すっごい楽しみにしててそれに……あれ、はる? えぇ、寝ちゃってる!?」
すやすやと、安らかに寝息を立てる恋人を見上げると、朱嶺はじんわりと涙目になる。
「わ~ん、期待させといてぇ! もう、はるのバカバカっ。でも好きぃ!!」
ぎゅぅっと、暁治に抱きついて、ついでとばかりに胸元にすりすりする。トクトクと、聞こえてくる鼓動に、ため息を落とした朱嶺は、そのまま腕の中で大人しくなった。
――お前の絵って、つまんないよな。
また、ぽつりと聞こえてくる声。
どこがつまらないと言うのだろう。
考えてもわからない。
「ふむ、本当にそうなのか?」
とくりとくりと、目の前で徳利が傾けられる。促されるように手にしていた盃を、口元へと運ぶ。
「そうだよ。俺はいつだって精一杯、全力投球で描いてる。それでダメだって言われたら、どうしようもないだろ」
ため息をつくと、盃に落ちた花びらが揺れた。真っ白な空間に、ひらひらと、ピンクの花びらが舞っている。
「マジわかんないよ。嫌がらせや悪口を言うようなやつじゃないし、あいつがつまらないと言ったなら、俺の絵はつまらなかったんだろ。要するに、俺はその程度のものしか描けないやつなんだよ」
「そう拗ねるな」
静かに、声が辺りに響く。また一献、手元に注がれる酒を飲み干した。
「拗ねてない。事実だ」
そしてまた酒を、口に運ぶ。
口当たりのいい清廉な日本酒は、ほんのりと温かい、温燗だ。
「わからないなら、聞いてみればいいではないか」
「そんなの、聞いてもしょうがないだろ」
「なぜだ?」
「あいつの方がなにやったって上手いし、絵の技術も上だ。つまんないってなら、そうなんだろう。聞くまでもないし、聞くなんてできない」
「どうしてだ?」
「昔からあぁいうやつなんだよ。言ったって無駄」
「なるほど、ぷらいど、というやつか」
「うるさい。なんだよさっきから――って、……誰だ?」
ふと、我に返る。先ほどから聞こえる声。聞き覚えはあるが、そもそもここはどこだ?
「そりゃ、我に決まっておろ。人の子」
「って、朱嶺?」
白い空間に、ふわりと現れる赤朽葉色の髪。見慣れた顔は、暁治の恋人のもの。墨染め色の衣を着て、背には翼、手には白い徳利を持っている。
だが、その眼差しは、いつものほわりと緩いものではなく、凛として鋭い。
「いや、今は妹背の君か。ふむ」
「なん……」
首を傾ける妖に、暁治は息を飲んだ。
「ここか? おぬしの夢の中のようだ。久しぶりの共寝だから、堪能しようと思ってな。なにせ我が背の君は、つれないやつだから、次の逢瀬はいつになるやらだし」
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