可惜夜に浮かれ烏と暁の月

るし

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第十八節気 霜降

末候――楓蔦黄(もみじつたきばむ)

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「おい、まだ着かないのか?」

「もう少しだよ!」

 そう請けあって、元気に坂道を登っていく朱嶺の背中を睨みつつ、暁治は彼に続いて重い足をまた一歩踏み出した。



 ことの起こりはサツマイモ騒動のときのことだ。

「はる! 見て見て!!」

 七輪を納屋に片付けに行った朱嶺が、庭で鷹野が大きな布を広げている。帆布のように丈夫そうな分厚い布で、骨組みのようなものも一緒に入っていた。中央寄りには大きなデフォルメされた狐の顔が描いてある。メーカーのロゴだろうか。
 奥からは寝袋も二つ出てきた。同じく狐のロゴ入りだ。先日納屋を片付けたとき、一応リストも作ったのだが、こんなものがあっただろうか。

「テントか」

「じいちゃんのかにゃ?」

「う~ん、正治さんが若いころキャンプ行ってたとか、聞いたことないけど」

「それにしちゃ、ずいぶん新しくないか」

 見たところ傷みもなさそうだ。ワンタッチで組み立てられて、骨組みも軽い。どう見ても最新式のテントと遜色ないだろう。

「使えるかは、実際試してみないとわからないけどな」

「そんじゃ、実際試してみようよ」

 朱嶺が、あっけらかんと、そう言った。



 寝袋は二つ。テントも定員はそれくらいだろう。くじ引きでキイチと鷹野が残ることになった。

「なんで駄烏と暁治が一緒なんにゃ!?」

 一部文句が出た。キイチは猫になれば一緒の寝袋で寝れないこともなかったのだが。

「そんなのダメ! それなら僕がはると寝るの!!」

 と、今度は駄々っ子が出た。いくらなんでも男二人は寝袋に入らない。雪の世話と、桃をまた独りにしてしまうこともあり、なんとかなだめて留守番役になってもらう。せっかくだからと、鷹野も泊まりに来てもらうことにした。

 本音を言えば、わざわざ山に登りたくなどない。いっそ居候どもを追い出して、のんびりしたかったのだが、くじ引きはくじ引きだ。
 暁治はため息をつくと、鉛のような足を一歩また一歩踏み出す。

「まだだいぶあるのか?」

「後少し! もうちょっとだよ!!」

 地元民の後少しほど、あてにならないものはない。昔聞いた他愛ない話を今ごろ思い出す。後の祭りだ。
 キャンプにいい場所があるのだと、手を挙げた朱嶺を信用して、すでに三時間以上歩いている。これまでの経験を踏まえて、すでにそこで間違っていたことに気づくべきだった。学習能力のない暁治である。
 もっと近場でいいじゃないかと思ったのだが、今からそれを言うには遅すぎる気がした。

「この辺も石蕗の土地なのか」

 山林とはいえ持ち主はいる。今回は火も使うから許可も必要だ。知り合いが地主なのはありがたいことだと思う。

「うん、この辺の山は大体そうかな」

「そりゃすごいな」

「僕ら側のヒトが地主になってくれるのは、僕らにとってはありがたいことだけど、手入れが大変でね。草刈りとか」

「そんなこともしてるのか」

「だよ。もちろん僕らも手伝ってるけど。学校卒業したら重機の免許取る予定。後大変なのは不法投棄とかかな。そっち担当の妖もいるよ」

「ほんと、大変そうだな」

 地主もいいことばかりではないようだ。不法投棄の責任者を割り出して、色々な方法で懲らしめたりすると聞き、自業自得とはいえ、相手が少し気の毒になった。

「あ、あそこだよ!」

 道の先が開けると、ぽつかりとした空間が見えた。小さな庵もある。

「おい、もしかしてテントいらなかったんじゃないか?」

 規模は小さいが、雨風も凌げそうな、ちゃんとした建物だ。

「えへへ、だってでーと! したかったんだもんっ!!」

 知っていたらしい。確信犯だ。ほにゃりと頬を緩める姿にドキリとする。なにが『もん』だ。

 あのとき石蕗に剥がされたキャンバスの布は、朱嶺に気づかれる前に戻しておいたが、もしや見られてなかったかと、まだドキドキする。
 二人で稲刈りに行ったとき、なんとなく描き留めたスケッチを、なんとなくキャンバスに広げただけなのだが。

 頭の中で、「なんとなくにしては、ずいぶん大判サイズに広げたんですね」と、訳知り顔で入ったツッコミはスルーである。

 庵は普段から手入れされているのだが、元々の目的はテントだ。せっかく持ってきたことだしと、二人して張ってみた。特に傷んではいないようだ。
 建物には風呂トイレも布団もあると聞き、ますますキイチたちに申し訳なくなる。

「おし、 飯の準備するか」

「え、まさか鍋持って来たの?」

 朱嶺のリュックから土鍋を取り出す暁治に、「道理で重いわけだよ」と、本人が呆れた声をあげる。特に文句もなく元気だったから、気にせず任せきりにしていた。

「まさかこんなに歩くとは思わなかったんだよ」

 近所の山だと言うから、気軽に行ける距離だと思っていた。前に釣りに行った沢よりは確かに近かったが、それでも数時間だ。
 暁治のリュックには、冷凍して来た鶏肉とペットボトル。切ってきた白菜にんじん、ネギなどの野菜とキノコ類。

「鶏鍋?」

「締めにはラーメンもあるぞ」

 そのつもりで、今日のパック出汁は塩味だ。
 晴れているとはいえ、そろそろ朝晩は冷え込む季節。温かい鍋は嬉しい。

「ねぇ、それよりこっちこっち!」

 朝から歩いて来たとはいえ、もう昼をだいぶ過ぎている。着いてからご飯にしようと思って、まだ昼も食べていないのだ。

「じゃ、お弁当持って行こうよ」

 昼はキイチたちがお握りを握ってくれた。から揚げ、ウインナー、卵焼きと、定番お弁当メニューに、栗きんとんをラップでお団子にした甘いデザートだ。
 人もいない個人所有の山だ。盗人もいない。暁治はやれやれとため息をつくと、折りたたみ式の給水タンクを持ち出した。
 近くに川があるはずなので、ついでに水も汲めばいいだろう。

 一応水は持って来たのだが、火を使うのでたくさん必要だ。薪は庵の側に乾いたのが積んであったので、ありがたく使わせてもらう。キャンプ用品は、石蕗に借りた。姉の趣味がキャンプらしく、よく付き合って行くらしい。

 また歩くのかと思ったが、意外に近くだったようだ。
 気づけば赤や黄色に色づいた、見事な紅葉に囲まれていた。上ってくる途中、ところどころ色づいたイチョウや楓は見ていたのだが、ここまで見事に色づいた場所はなかった。

「ここ、とっときの場所」

 にぱぁと、飛び切りの笑顔に見つめられ、暁治の顔も色づいた。

「そ、……そうか」

「うん」

 気のせいだろうか。朱嶺がすぐそばにいる。ぺっとりと、腕と腕が触れる距離だ。いつものように離れかけ、暁治はそこで足を止めた。
 相手が動かないのに気づいたらしい。朱嶺はすりぃと、肩口に頬を寄せて来た。

 赤く色づく紅葉舞い散る中に二人きり。
 そう、今更ながら気づく暁治である。
 普段はキイチや鷹野がいて、あまり意識したことはなかったが、一応これとは恋人同士――のような気がするし、さすがにここで逃げるのはまずいだろう。

 ドキドキと、早鐘を打ち始める心臓をなだめつつ、暁治はつとめて平静を装った。が。

「ねぇねぇ。これって、婚前旅行ってやつだよね!? はるってば、こういうロマンチックなの好きだから、僕考えたよ」

 ねぇねぇではない。なぜこいつはこんな開け透けなのか。まったく身もふたもない。
 褒めてと頭を差し出され、思わずなでてしまう自分が憎い。もしかして今回のことは、すべて彼の計画ではないだろうか。そんな疑心暗鬼さえ浮かんでくる。そもそもテントを持って来たのは朱嶺だ。
 いや、さすがにそこを疑うのはよくないと思い直す。

「そいや、あのテント。パパッと張れてすごかったね。さすがゆーゆんちの、最新式テント」

「お前なぁ……」

 片端からバラされて、謎もなにもあったもんじゃない。暁治の腰に両手を回して、もっと褒めてと得意げにこちらを見上げる彼の頬を引っ張った。思えばキャンプ用具も借りているし、なにかしらあいつが絡んでるのはもう諦めてはいるのだが。
 まさかその辺に隠れてないよなと、思わず辺りを見てしまった。

「なに見てるの?」

 見下ろせば、朱嶺が暁治を見ている。周りの景色のように色づいた瞳は、少し潤んでいて。その奥には同じくらい熱を帯びた暁治の顔が見えた。

「まぁ、……今回だけは、流されてやってもいいか」

 諦念。暁治はため息混じりに呟くと、朱嶺に身を寄せながら、ゆっくりと目を閉じた。
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