可惜夜に浮かれ烏と暁の月

るし

文字の大きさ
上 下
45 / 75
第十五節気 白露

末候――玄鳥去 (つばめさる)

しおりを挟む
 春にピィピィと、家の軒下で鳴いていたつばめの声が聞こえなくなって、どれくらい経つだろう。
 そのうち親と同じ姿になった子供たちを見かけるようになり、今日久しぶりに箒を片手に玄関に出た暁治は、彼らがいなくなっているのを知った。

 玄関の掃除は朱嶺の仕事と、決めたわけではないのだが、毎朝一番に箒を握っていたのは彼だった。ここ数日、家に帰って来ていないため、暁治がその役目を果たしている。今朝のご飯当番代打はキイチだ。暁治があっと驚く目玉焼きを作ると張り切っていた。

 朱嶺は、たまにふらりといなくなる。いなくなる前には「ちょっと出てくるね。ご飯は気にしないで」と、一言告げてくれるので、食事の心配はしなくてもいいのだが、今までで短くて半日、長くて一週間、音沙汰がなくなってしまう。

 帰ってきて「まったく、やんなる」とか、「おうちのご飯が一番だね!」とか、愚痴をこぼすので、本人も不本意な家庭の事情なのだろう。いや、おうちのご飯ってなんだよ、とか。朱嶺が帰ってきてとか考えてしまう自分にも突っ込んでしまう暁治である。

 かくいう彼の不在はいつものことだったのだが、今回は暁治に万葉集とやらを告げた次の日だったため、なんとなくもやもやした気分を抱えてしまっていた。
 別にいなくてもいいのだが。ずっといなくてもいいのだが。そんなことを思いつつ、手にした箒で掃き始める。元々一人暮らしのはずだったし。

 だが、一度あるものだと認識してしまったせいだろうか。普段飛び切り騒がしいからだろうか。ひどく寂しく感じるのは。
 しばらく手を動かしていた暁治は、ふと頭の上の巣を見上げた。家主のいない空っぽの巣が、ぽつんと頭上にある。

「そいや、つばめが来たのっていつだっけ」

 確か石蕗と出会ったころだから、春なのは間違いない。軒下に巣を作られて、縁側まで鳴き声が聞こえてきていた。
 彼らも居候といえないこともない。それも家主に無断でだ。勝手にやって来て、勝手に居座って、勝手にいなくなる。まったく勝手なやつらだ。そう思って思い浮かんだ別の顔を睨みつける。
 
 つばめは翌年も同じ場所に巣を構えるという。なら、また会えるはずだ。来年の春にと考え、自分はまたここで春を迎えるのだろうか、と思う。

 来年の春に答えを出すと宣言はしたけれど、どうにもそのときが想像できない。この日常が当たり前過ぎて。

「あぁ、そうだ」

 ふと、気づいてしまった。いや、わかっていたのだけれど。
 来年、自分が答えを出すとき、当然のように彼らがそこにいると考えていた。

 ――傲慢なやつだよな、俺って。

 もしかしたら、彼らも別の道を考えていたのかもしれないのに。進むべき道があるのは、暁治だけではない。彼らだって、選ぶ権利はあるのだ。

「隙あり! こしょこしょこしょっ!」

「うっひゃぁぁぁ!!?」

 突然脇の辺りに触れられたかと思うと、思う存分くすぐられ、暁治は箒を放り出して叫んだ。

「おやおや、おきゃくっさん、この辺が凝ってるアルね」

「やっ、やめっ! そこ脇だか――」

 凝っていると言いつつ、触ってくるのは脇と首筋、お腹部分。どう見ても凝る部分ではない。暁治は拳を握ると、肘を奥に突き出した。

「ぐへぇ!」

 カエルが潰れたような声を上げて、よろめいた相手を、気持ち強めに蹴り飛ばす。

「痛いっ! はるひどいいぃ!!」

「ひどいじゃない! いきなりなにするんだお前はっ!!」

 振り向くと朱嶺が地面に懐いていた。へにゃりと。

「ちょっとした、ただいまのご挨拶なのにぃ」

「ちょっとじゃないだろ、この馬鹿っ!!」

 しくしくと、泣き真似をする自称妖を、草履の裏で踏みつける。先ほどまでのしんみりした物思いは、家の背後にある山の向こうまで吹っ飛んでしまった。

「え~ん、はるがいじめるぅ」

「うるさい、ほんとにお前ってやつはもぅ……」

 丸まった朱嶺が、口元に手を当てているのが見えた。くすくすと笑う姿に、こちらもなんとなく、笑み崩れる。

「あはは。はるってば、すごいくすぐったがり。めちゃ反応いい」

「お前なぁ」

「えへ、ただいま。お腹すいた」

「お帰り。キイチが飯を作ってるから、もう一人分追加してもらおう」

「え~、駄猫のご飯とか、やばくない?」

「昨日も食べたけど、なんともなかったぞ」

 本人ならぬ、本猫がいないから、言いたい放題だ。

「今回も結構長かったな」

「え? あ、うん。ほら、そろそろ十月だからさ」

 尋ねると、朱嶺は面食らったように、目を瞬かせた。質問されると思っていなかったらしい。我ながら、もう少し周りに目を向けないとなと思う。

「十月になにかあるのか?」

「ほら、十月って神無月っていうでしょ。神さまたちが出雲の国で会合開くから、僕ら下っ端連中は準備に駆り出されるんだ」

「妖事情ってやつか」

「そうそう。妖の付き合いもなかなか大変よ。ところではる、なにを見てたの?」

 朱嶺からの質問に、軒下の巣に向け顎をしゃくってみせる。彼は知っていたのか、あぁと頷いた。

「つばめちゃんたち、いなくなっちゃったね」

「あぁ、また来年だな」

「うん」

 こっそりと、朱嶺の顔を伺う。『来年の春』というキーワードに、なにを思うのか、その表情からは読み取れない。

「ねぇ、はる」

「なっ、なんだ!?」

「もう、いきなり大声。なんか中華料理でつばめの巣のスープとかいうのがあったよね。これで作れたりするのかなぁ?」

「さぁ、高級料理らしいし、つばめの巣なんてよくあるものだから、もしかして作るの大変なのかもな」

 巣を指差して、キラキラ目を輝かせる朱嶺を見て、暁治も至極真面目に答える。どうやら出がけの万葉集の件は、すっかり頭から抜けているらしい。どうしようと思い悩んでいた自分が馬鹿みたいだ。

「ふむふむ。そんじゃ、ちょっと試してみようか」

「おい止めろ」

 台を持ってこなくちゃと、うきうき玄関へと向かう朱嶺の服の裾をつかむ。
 そもそも巣である。つばめさんたちが生活を営んできた場だ。それを食べようなんて、人間の食欲には恐れ入るが、ごく一般的な小市民な暁治には無理だ。この場合、人ではなく妖ではあるが。

 このままでは来年帰ってくる予定の、つばめたちの家がなくなってしまう。一人の食欲魔人の手によって。いや、食欲魔妖だろうか。

「えぇ、なんで? はるはつばめの巣のスープ、飲んでみたくない? 高級料理だよ。高級料理」

 『高級』の部分に、やけに力を入れてくる。幻想世界の住人にあるまじき、俗物的意見である。そして暁治は、俗物的意見に弱い小市民だった。

「きっ、興味がないこともないけど……」

「だよね!?」

「いやいや、待て待て!」

 再び玄関に向かいかける腕をつかむ。つばめのお家の運命は、彼にかかっている。

「ほらっ、なにか特別な材料が必要かもしれないしっ、今獲る必要はないだろ」

「でもさぁ、鉄は熱いうちにっていうじゃない。腐るものでもないだろし、料理人朱嶺くんの腕が鳴るよ!」

 なにせ春からずっとここにあったのだ。いい具合に熟成されているのでは、とは朱嶺の弁。
 熟成ってなんだよ!? 暁治は心の中で突っ込んだ。腐らないと言いつつ、熟成について語る料理人ってどうなのだろう。

「持ち主のいない今がチャンスでしょ」

「なにがチャンスだ、おいこら止めろ」

「ちょ、はる、あんまり引っ張らない――うわぁ!?」

 やがてガラリと、玄関の扉が開く音がした。

「朝っぱらからうるさいにゃ! ――って、駄烏!?」

 ひょっこり玄関から顔を出したのは、ご飯作りは俺の使命と台所にこもっていたキイチだ。彼は扉を開いたまましばらく固まった後、手にしていた菜箸をこちらへと突きつけてきた。

「愛する暁治のために、頑張ってご飯作ってたのにこの駄烏! 朝からイチャイチャとは万死に値するにゃ!!」

「もぅ、はるったら朝からダ・イ・タ・ン」

「え、いやこれは違うというか」

 倒れ込んだ朱嶺の上に乗り上げた形になった暁治は、必死になって言い繕った。後から考えてみれば、そんなことをする必要など、これっぽっちもなかったのだが。さしずめ本妻に浮気がバレて、言い訳する旦那のようだ。情けないことこの上もない。

 ちなみに後からググったところ、つばめの巣はそもそも巣の材料から違っていた。つばめさんたちのお家を潰さずにすんで、ほっと胸を撫で下ろす暁治のそばで、

「まったく、……」

 朱嶺は彼に聞こえないほど小さな声で呟くと、そっと目をそらした。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

病気になって芸能界から消えたアイドル。退院し、復学先の高校には昔の仕事仲間が居たけれど、彼女は俺だと気付かない

月島日向
ライト文芸
俺、日生遼、本名、竹中祐は2年前に病に倒れた。 人気絶頂だった『Cherry’s』のリーダーをやめた。 2年間の闘病生活に一区切りし、久しぶりに高校に通うことになった。けど、誰も俺の事を元アイドルだとは思わない。薬で細くなった手足。そんな細身の体にアンバランスなムーンフェイス(薬の副作用で顔だけが大きくなる事) 。 誰も俺に気付いてはくれない。そう。 2年間、連絡をくれ続け、俺が無視してきた彼女さえも。 もう、全部どうでもよく感じた。

社畜だけど異世界では推し騎士の伴侶になってます⁈

めがねあざらし
BL
気がつくと、そこはゲーム『クレセント・ナイツ』の世界だった。 しかも俺は、推しキャラ・レイ=エヴァンスの“伴侶”になっていて……⁈ 記憶喪失の俺に課されたのは、彼と共に“世界を救う鍵”として戦う使命。 しかし、レイとの誓いに隠された真実や、迫りくる敵の陰謀が俺たちを追い詰める――。 異世界で見つけた愛〜推し騎士との奇跡の絆! 推しとの距離が近すぎる、命懸けの異世界ラブファンタジー、ここに開幕!

異世界転移で、俺と僕とのほっこり溺愛スローライフ~間に挟まる・もふもふ神の言うこと聞いて珍道中~

戸森鈴子 tomori rinco
BL
主人公のアユムは料理や家事が好きな、地味な平凡男子だ。 そんな彼が突然、半年前に異世界に転移した。 そこで出逢った美青年エイシオに助けられ、同居生活をしている。 あまりにモテすぎ、トラブルばかりで、人間不信になっていたエイシオ。 自分に自信が全く無くて、自己肯定感の低いアユム。 エイシオは優しいアユムの料理や家事に癒やされ、アユムもエイシオの包容力で癒やされる。 お互いがかけがえのない存在になっていくが……ある日、エイシオが怪我をして!? 無自覚両片思いのほっこりBL。 前半~当て馬女の出現 後半~もふもふ神を連れたおもしろ珍道中とエイシオの実家話 予想できないクスッと笑える、ほっこりBLです。 サンドイッチ、じゃがいも、トマト、コーヒーなんでもでてきますので許せる方のみお読みください。 アユム視点、エイシオ視点と、交互に視点が変わります。 完結保証! このお話は、小説家になろう様、エブリスタ様でも掲載中です。 ※表紙絵はミドリ/緑虫様(@cklEIJx82utuuqd)からのいただきものです。

その溺愛は伝わりづらい!気弱なスパダリ御曹司にノンケの僕は落とされました

海野幻創
BL
人好きのする端正な顔立ちを持ち、文武両道でなんでも無難にこなせることのできた生田雅紀(いくたまさき)は、小さい頃から多くの友人に囲まれていた。 しかし他人との付き合いは広く浅くの最小限に留めるタイプで、女性とも身体だけの付き合いしかしてこなかった。 偶然出会った久世透(くぜとおる)は、嫉妬を覚えるほどのスタイルと美貌をもち、引け目を感じるほどの高学歴で、議員の孫であり大企業役員の息子だった。 御曹司であることにふさわしく、スマートに大金を使ってみせるところがありながら、生田の前では捨てられた子犬のようにおどおどして気弱な様子を見せ、そのギャップを生田は面白がっていたのだが……。 これまで他人と深くは関わってこなかったはずなのに、会うたびに違う一面を見せる久世は、いつしか生田にとって離れがたい存在となっていく。 【続編】 「その溺愛は行き場を彷徨う……気弱なスパダリ御曹司は政略結婚を回避したい」 https://www.alphapolis.co.jp/novel/962473946/911896785

いっぱい命じて〜無自覚SubはヤンキーDomに甘えたい〜

きよひ
BL
無愛想な高一Domヤンキー×Subの自覚がない高三サッカー部員 Normalの諏訪大輝は近頃、謎の体調不良に悩まされていた。 そんな折に出会った金髪の一年生、甘井呂翔。 初めて会った瞬間から甘井呂に惹かれるものがあった諏訪は、Domである彼がPlayする様子を覗き見てしまう。 甘井呂に優しく支配されるSubに自分を重ねて胸を熱くしたことに戸惑う諏訪だが……。 第二性に振り回されながらも、互いだけを求め合うようになる青春の物語。 ※現代ベースのDom/Subユニバースの世界観(独自解釈・オリジナル要素あり) ※不良の喧嘩描写、イジメ描写有り 初日は5話更新、翌日からは2話ずつ更新の予定です。

【完結】もふもふ獣人転生

  *  
BL
白い耳としっぽのもふもふ獣人に生まれ、強制労働で死にそうなところを助けてくれたのは、最愛の推しでした。 ちっちゃなもふもふ獣人と、攻略対象の凛々しい少年の、両片思い? な、いちゃらぶもふもふなお話です。 本編完結しました! おまけをちょこちょこ更新しています。 第12回BL大賞、奨励賞をいただきました、読んでくださった方、応援してくださった方、投票してくださった方のおかげです、ほんとうにありがとうございました!

鬼上司と秘密の同居

なの
BL
恋人に裏切られ弱っていた会社員の小沢 海斗(おざわ かいと)25歳 幼馴染の悠人に助けられ馴染みのBARへ… そのまま酔い潰れて目が覚めたら鬼上司と呼ばれている浅井 透(あさい とおる)32歳の部屋にいた… いったい?…どうして?…こうなった? 「お前は俺のそばに居ろ。黙って愛されてればいい」 スパダリ、イケメン鬼上司×裏切られた傷心海斗は幸せを掴むことができるのか… 性描写には※を付けております。

シンメトリーの翼 〜天帝異聞奇譚〜

長月京子
恋愛
学院には立ち入りを禁じられた場所があり、鬼が棲んでいるという噂がある。 朱里(あかり)はクラスメートと共に、禁じられた場所へ向かった。 禁じられた場所へ向かう途中、朱里は端正な容姿の男と出会う。 ――君が望むのなら、私は全身全霊をかけて護る。 不思議な言葉を残して立ち去った男。 その日を境に、朱里の周りで、説明のつかない不思議な出来事が起こり始める。 ※本文中のルビは読み方ではなく、意味合いの場合があります。

処理中です...