可惜夜に浮かれ烏と暁の月

るし

文字の大きさ
上 下
43 / 75
第十五節気 白露

初候――草露白 (くさのつゆしろし)

しおりを挟む
 学校を卒業して、残念なことのひとつは、やはり長い休みがないことだろう。

 思いがけず、学生時代に取った資格のおかげで、臨時とはいえ教師という職業に就いて数ヶ月。昔は先生なんて、生徒と遊んで一緒に休みが取れていい職業だと思っていたのだが、実のところ部活動の監督だの、夜の見回りだの、結局半分以上は学校にいた気がする。しがない非常勤の身では、時給が稼げてありがたいのではあるが。

「いっちにーさんしっ」

 腕を伸ばして曲げて。足を開いて屈んで飛んで。夏の間やっていた、つっくんこと、祖父に起こされてやっていたラジオ体操なのだが。どうも習慣化してしまったようで、祖父たちが帰ってからも続いている。

「ごーろくしっちはっち……っと。よっしゃ」

 暁治はひとしきり身体をほぐすと、大きく伸びをする。実家は庭はないのだが、ベランダはあった。運動できないことはなかったけれど、庭の開放感とは比べ物にならない。田舎の生活は不便も多いが、自然が身近なのはいいものだ。

 とはいえ、自然に憧れて先日田舎暮らしを始めた元同級生が、暁治の田舎は田舎じゃない。真の田舎は交通機関もコンビニもない、医者にかかるのも山ひとつ先だと、田舎自慢をしてきたから、確かにそれに比べたら、便利な場所ではあると思う。車は必須だが。

「はるぅ、お茶とお握り! せっかくだから庭で食べようと思って。ほら、こないだでーわいなんとかで作ったベンチでさ」

 ひょこりと、朱嶺が縁側から身を乗り出して、彼を呼んだ。

「あぁ、あれか」

 そう言って、視線を小さな池へと向ける。池のすぐそばに設えた、木製のベンチだ。
 夏の初めに暇を持て余して、見つけたDIY動画サイトに感化された暁治は、納屋から工具箱を持ち出して、見様見真似でこしらえてみた。少し歪みはあるものの、男三人での耐久性テストはばっちりだ。

 ここでかき氷食ったらさぞ美味いだろうと思ったものだが、実際は猛暑でかき氷どころではなかった。自分の方が溶けてしまいそうな暑さだ。
 だが、月も変わったことだし、この時間帯なら大丈夫かもしれない。暁治は首にかけていたタオルを頭からかぶると、池の隅に設えたベンチに座った。太陽の熱を受け始めたベンチは、少し温かい。

「今日は梅とおかかとシャケ、昆布とたらこもあるよ」

 見ると大皿に山盛りだ。

「どんだけ作ったんだよこれ。食いきれないぞ」

「大丈夫大丈夫。後から駄猫も来るし、余裕だって」

 暁治の隣に皿を置くと、朱嶺もベンチに腰掛ける。キイチが来ると言いつつ、彼の座るスペースはなさそうだ。

「はぁい、朱嶺くん特製、あったかい豚汁ですよ」

「この陽気であったかいはないだろ」

 そうは言いつつ、お握りには味噌汁、味噌汁は温かいのが一番だ。箸も一緒に受け取ると、一口すする。後一時間もすれば家の中に避難しなければならないだろうが、今はまだ風が冷たい。

 今日も陽差しはきつそうだが、そよぐ風は心なしかひいやりしている。ほぅっと息をつくと、暁治は辺りを見回した。

 居候どもをこき使って、草むしりをやらせているせいか、庭はすっきりとしている。前に朱嶺がミントティーを作るのだと、庭の一角に苗を植えて増殖させまくってから、ことさら手入れには気を使っているのだ。

 それでも、少し伸び始めた草むらが、雨が降ったわけでもないのに、露をまとっている。
 そよぐ風、遠くではまだセミの声。柄にもなく風流を感じた暁治は、露かぁ……と、お握りをもぐもぐとやりながら、そんなことを思った。

「露と落ち露と消えにし――か」

「え、なに? はるそろそろ寿命?」

「誰が死ぬって?」

 あの世でも楽しそうな祖父母を見ていると、寿命を迎えるのも悪くはないような気もしないではないが、それはそれだ。

「痛い痛い! ほっぺつねらないでっ。伸びちゃうから。もう、だってそれ、辞世の句でしょ? 露と落ち露と消えにし我が身かな」

「そうなのか?」

 なんとなく口をついて出たのだが、辞世の句とは思わなかった。綺麗な言葉だと記憶していただけだ。意味も知らずに使ったとか、少し恥ずかしい。
 
「なるなる。露を使った歌かぁ。僕なら『白露(しらつゆ)に風の吹きしく秋の野はつらぬき留めぬ玉ぞ散りける』とか、綺麗だなぁっと思うよ」

 流れるように、謡うように口から零れる言葉に、なんとなく面白くなくて、暁治は唇を尖らせた。朱嶺のくせに、ちょっと生意気だ。

「朝を詠んだ歌なら、『朝ぼらけ萩のうは葉の 露みればやや肌さむし秋の初風』とか。――って、はる、なんか怒ってる?」

「いやまったく」

 実のところ朱嶺は愚鈍ではない。学業はむしろ優秀な方で、普段の言動がフリーダムなのも、それで許されている面もある。

 まぁ、頭がいいから馬鹿ではない、ということはないという見本だな。暁治はそう思うこことにした。自己逃避というやつだ。

 朱嶺というやつは、イケメンというより、どちらかと言えば綺麗な、整った顔立ちをしている。性格もおおらかで人当たりもいい。知らず人が集まってくるタイプで、捻くれものの自分とは大違いだ。別にどうでもいいことなのだが。

「正治さんがこういうの好きだったからさ、色々覚えちゃった」

「ふぅん」

 そう、どうでもいいことだ。まったくどうでもいいことだ。もやもやする感情を持て余しつつ、てへへと笑う朱嶺を見ていて、ふと思い出す。

「そいや、お前じいさんのこと、つっくんとか言ってたよな」

 思い出したのは、少し前に二度目の別れをした祖父のことだ。最初から彼が正治と呼んでくれていたら、少しくらいは祖父だと察することができていたろうに。

「あの姿さ、僕と初めて出会ったころのだったんだよね」

「なんでつっくんなんだよ」

 暁治の言葉に、朱嶺は歯切れが悪そうに、人差し指でぽりっと頬を引っ掻いた。

「最初に会ったとき、正治さん自分のこと、ツジモリって言ったんだよ」

 辻森は祖父の姓だ。ツジモリだからつっくん。

「なんでも古今東西、妖と呼ばれる類には、自分の名前を明かしてはいけないらしくてさ」

 名を明かすことは、自分を明け渡すこと。故に名ではなく姓を告げたのだということらしい。その後親しくなって、下の名前を教え貰ったのだとか。

「はるとは大違いだよね。ねぇ、僕らが初めて会ったときのこと、覚えてる? 正治さんの孫だっていうから、僕どんな子だろうって思ってたら、『みやこあきはる。さんさい』って、はっきり名乗られてさぁ」

 懐かしそうに目を細める。暁治本人に記憶にないが、用心深い祖父とのギャップは、いかほどのものだったろうか。

「キラキラした瞳でさぁ、こっちを見てくるんだ。あんまり真っ直ぐだからさ。あぁ、可愛いなぁって思ったよ」

 いつも見ている朱嶺と、昔のことを語る朱嶺。同じ人物、なにも変わったところはないはずなのに。なんだか胸がつかえたような、そんな気持ちになる。もしかして――知られて恥ずかしい黒歴史というやつのせいだろうか。

「お前、じいさんのこと、好きなんじゃないのか?」

 だからつい、話題を変えてしまう。なんとなく察していたけれど、口に出したことのない問いを。

「え、うん好きだよ。あの人はあったかいよね。僕らみたいな存在は、人がいないと存在できないのに、人がいるから存在できなくなってしまうってのに。だからこの家は要なんだよ。正治さんは、ないものはないでいいって言ったたけどね」

 なんとなく、知りたかった答えとは違っているような気はしたけれど、暁治はとりあえず頷いた。朱嶺はそんな暁治をじっと見た。

「う~ん、そうだねぇ。『秋萩の上に白露置くごとに見つつぞ偲ふ君が姿を』。僕さぁ、あれからずっと、はるが帰って来るの待ってたんだよ」

「え?」

「だってねぇ。『我が宿の秋萩の上に置く露のいちしろくしも我れ恋ひめやも』。じゃない? ほんと、はるって鈍いんだから」

 形のいい唇からさらさらと、流れるように出てくる歌に面食らう。

「おぅい! ったく、抜け駆けすんじゃねぇにゃ駄烏!!」

 だが突然かけられた声に、暁治は開きかけた口を閉じた。

「残念だけど、駄猫の席はないよ!」

「ふふん、そんなこともあろうかと、ちゃぁんとピクニックシートを持ってきたにゃ! 暁治、隣に座るにゃ――って、駄烏が座るんじゃないにゃ!!」

「へーん! はるはるっ、僕の隣にかもかも!」

 わいわいと騒がしくなる周囲をよそに、暁治は食べかけのお握りをもぐり、と、かじる。
 無意識に視線を向けていたらしい。朱嶺と目が合った。いつも通り、ふにゃりとした柔らかい笑みを見て、暁治は目をそらすと大きく口を開けて、お握りにかぶりついた。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

前世が俺の友人で、いまだに俺のことが好きだって本当ですか

Bee
BL
半年前に別れた元恋人だった男の結婚式で、ユウジはそこではじめて二股をかけられていたことを知る。8年も一緒にいた相手に裏切られていたことを知り、ショックを受けたユウジは式場を飛び出してしまう。 無我夢中で車を走らせて、気がつくとユウジは見知らぬ場所にいることに気がつく。そこはまるで天国のようで、そばには7年前に死んだ友人の黒木が。黒木はユウジのことが好きだったと言い出して―― 最初は主人公が別れた男の結婚式に参加しているところから始まります。 死んだ友人との再会と、その友人の生まれ変わりと思われる青年との出会いへと話が続きます。 生まれ変わり(?)21歳大学生×きれいめな48歳おっさんの話です。 ※軽い性的表現あり 短編から長編に変更しています

将軍の宝玉

なか
BL
国内外に怖れられる将軍が、いよいよ結婚するらしい。 強面の不器用将軍と箱入り息子の結婚生活のはじまり。 一部修正再アップになります

君に望むは僕の弔辞

爺誤
BL
僕は生まれつき身体が弱かった。父の期待に応えられなかった僕は屋敷のなかで打ち捨てられて、早く死んでしまいたいばかりだった。姉の成人で賑わう屋敷のなか、鍵のかけられた部屋で悲しみに押しつぶされかけた僕は、迷い込んだ客人に外に出してもらった。そこで自分の可能性を知り、希望を抱いた……。 全9話 匂わせBL(エ◻︎なし)。死ネタ注意 表紙はあいえだ様!! 小説家になろうにも投稿

僕の王子様

くるむ
BL
鹿倉歩(かぐらあゆむ)は、クリスマスイブに出合った礼人のことが忘れられずに彼と同じ高校を受けることを決意。 無事に受かり礼人と同じ高校に通うことが出来たのだが、校内での礼人の人気があまりにもすさまじいことを知り、自分から近づけずにいた。 そんな中、やたらイケメンばかりがそろっている『読書同好会』の存在を知り、そこに礼人が在籍していることを聞きつけて……。 見た目が派手で性格も明るく、反面人の心の機微にも敏感で一目置かれる存在でもあるくせに、実は騒がれることが嫌いで他人が傍にいるだけで眠ることも出来ない神経質な礼人と、大人しくて素直なワンコのお話。 元々は、神経質なイケメンがただ一人のワンコに甘える話が書きたくて考えたお話です。 ※『近くにいるのに君が遠い』のスピンオフになっています。未読の方は読んでいただけたらより礼人のことが分かるかと思います。

出戻り聖女はもう泣かない

たかせまこと
BL
西の森のとば口に住むジュタは、元聖女。 男だけど元聖女。 一人で静かに暮らしているジュタに、王宮からの使いが告げた。 「王が正室を迎えるので、言祝ぎをお願いしたい」 出戻りアンソロジー参加作品に加筆修正したものです。 ムーンライト・エブリスタにも掲載しています。 表紙絵:CK2さま

職業寵妃の薬膳茶

なか
BL
大国のむちゃぶりは小国には断れない。 俺は帝国に求められ、人質として輿入れすることになる。

イケメン俳優は万年モブ役者の鬼門です

はねビト
BL
演技力には自信があるけれど、地味な役者の羽月眞也は、2年前に共演して以来、大人気イケメン俳優になった東城湊斗に懐かれていた。 自分にはない『華』のある東城に対するコンプレックスを抱えるものの、どうにも東城からのお願いには弱くて……。 ワンコ系年下イケメン俳優×地味顔モブ俳優の芸能人BL。 外伝完結、続編連載中です。

鬼上司と秘密の同居

なの
BL
恋人に裏切られ弱っていた会社員の小沢 海斗(おざわ かいと)25歳 幼馴染の悠人に助けられ馴染みのBARへ… そのまま酔い潰れて目が覚めたら鬼上司と呼ばれている浅井 透(あさい とおる)32歳の部屋にいた… いったい?…どうして?…こうなった? 「お前は俺のそばに居ろ。黙って愛されてればいい」 スパダリ、イケメン鬼上司×裏切られた傷心海斗は幸せを掴むことができるのか… 性描写には※を付けております。

処理中です...