可惜夜に浮かれ烏と暁の月

るし

文字の大きさ
上 下
20 / 75
第七節気 立夏

次候――蚯蚓出(みみずいづる)

しおりを挟む
 ――解せぬ。
 徒歩で三時間ばかり歩いた山道。その先にあったのは、白い河原と澄んだ水の流れる川だった。キャッキャうふふとはしゃいで釣り糸を垂れる少年二人を横目で見つつ、暁治は岩のひとつにぐてりと腰をおろした。
 なんであいつらはあんなに元気なんだ。

「ややややっ、暁治殿っ。ご準備はされないのですかなっ?」

「そんな気力もない……」

 こちらが気になるのか、落ち着きない口調で尋ねてくる河太郎を、しっしっと手を振って追い払う。しばらくぼぉっとしていたものの、かたわらで楽しそうにするやつらを眺めていると、だんだん腹が立ってきた。

 有無を言わさず引っ張って来たくせに、自分たちだけ楽しそうにしやがって。

 ちやほやしろとは言わないが、もう少しフォローしてくれてもいいんじゃないだろうか。
 ついさっき河太郎を邪険にしたばかりだというのに、暁治はそんな勝手なことを考えた。

 とはいえ、ここでの生活を満喫したいと、最初に言ったのは暁治である。思惑からはズレてはいるのだが、彼のために連れて来てくれたのは間違いない、と思う。そして暁治は大人だ。二人の手本にならなければ、とも思う。
 ため息をつくと、横に転がした釣竿を手に立ち上がった。

「どうしたの、はる?」

 きょろきょろと辺りを見回す暁治に気づいたらしい。朱嶺が釣竿を置いてこちらへ来た。持ってきたクーラーバッグを開ける彼のそばに座り込む。クーラーバッグの中には、釣った魚を入れようと、水を凍らせたペットボトルが転がっている。

「釣った魚なら、まだバケツの中だよ?」

 早速獲物を釣り上げたらしい。小ぶりながら魚が泳いでいる。

「いや……」

「あ、もしかして餌?」

「まぁ、な」

「なるなる、それなら早く言ってよ」

 朱嶺は軽くそう言うと、かたわらの石をひっくり返した。尖った石で土を掘り返す。

「ほら」

「うわっ!」

 笑顔で差し出されたものを見て、暁治は思わず仰け反った。
 昔はここに遊びに来ていて、野山を駆け回ったり虫捕りなぞもしたりしたものなのだが、ご無沙汰のうちにすっかり苦手になってしまったようだ。
 手の中でうごうごする細長いものが、特に害を与えないことはわかってはいるのだが。

「練り餌とかはないのか」

「持って来てないよ。ミミズがいやなら川虫捕る?」

「……これでいい」

 浅瀬とはいえさすがに準備もなく川に入る気にはなれない。ここでミミズが苦手だとバレたら、なんだか馬鹿にされそうな気がして、うにょうにょするのを思い切ってつかむと、えいやと針に引っ掛けた。

 釣りなど夜店のどじょう釣りか、ここに遊びに来たとき友達とやったザリガニ釣りくらいしか経験はない。
 親が一緒のとき、一度だけ祖父たちと海釣りに行ったくらいだ。
 手ほどきを受けつつ、釣り糸を投げる。

 あのとき父親や祖父たちが垂れていた釣り糸と違い、川釣りは流れによって投げるポイントや釣り方があるらしい。
 だが手応えを感じても、餌だけ取られて戻ってくる。

「おぉ、これはなかなかのエモノですな!」

「うふふ~、これなら食べ応えありそうだよね。でもちっこいのも天ぷらにしたら美味しいよ。パリパリ骨まで食べられるし」

 どうやら持って帰って食べる気らしい。どこの家に持って帰る気だろうか。どうせ料理するのは暁治だろう。勝手なことである。
 これでも自炊派だし、料理をするのは苦ではない。だがどちらかと言えばきっちりするのが好きな暁治は、一週間分の食材回しは考える方なのだ。予定が狂うと冷蔵庫のあれやこれが無駄になりかねない。いや、食費は助かるけど。

 魚は鮮度が命である。とならば副菜はあれとあれでと予定を立て始めたところで、河太郎が明るい声を出した。

「パリパリでしたら沢がにはいかがですかなっ。素焼きもいいですが、から揚げにすると酒のつまみに最高ですぞ」

 河太郎は徳利から酒を注ぐと、盃をくいっと煽る真似をする。なかなか堂に入った仕草である。

「こらそこ、未成年」

 だがさすがにこれは聞き捨てならない。青少年を導くのは、教師の役目だ。もっとも学生時代、彼が真面目だったかは疑問の余地が残るのだが。

「暁治殿っ、わたくしは未成年とやらではござらぬぞ。これでも四百年ほど生きておるし、坊も暁治殿に比べたらっ――もぎゅぅ」

「はるは天ぷらとから揚げ、どっちが好き?」

「え? そうだな、から揚げかな」

 今なにやらおかしな言葉が聞こえたのだが、続く朱嶺の声に意識を取られた。

「おい、大丈夫か?」

 口元に手を当て朱嶺に羽交い締めにされている河太郎は、苦しいのか腕を振り回して暴れている。

「大丈夫大丈夫、ほんとカワちゃんって、照れ屋なんだから」

「いや、照れ屋とかじゃないだろ」

 とりあえず外してやれと声をかけると、河太郎はよろりと膝をついた。

「うっうっ、坊は力が強すぎですぅ」

「あははっ、ごめんごめん」

 しくしく泣き崩れる河太郎。だが突然はっと顔を上げると、朱嶺の背後に隠れた。ノミのようにぴょんっと飛び跳ねる。
 なんだろうと暁治が思うやいなや、藪の中から大きな影が飛び出して来て、彼に向かって飛びついた。

「ワホッ!!」

「あ、みなさんこんなところにいたんですね」

 続いてひょっこり顔を出したのは、この山の持ち主の息子だ。

「重い……」

 バタバタと大きく振られる尻尾。暁治に飛びついてきたのは、石蕗の飼い犬、ゴンスケだ。満面の喜びを表すように、暁治の顔中を舐めまくっている。舐められるのも勘弁して欲しいが、真上に乗られると体重で潰れそうだ。

「成果はどんな感じですか?」

「うん、ほらこのバケツにこんな感じ」

「おやおや、ちょうど人数分、当たりそうですね」

「我ら一同、尽力の成果ですな!」

 河太郎が胸を張るが、朱嶺の後ろに隠れているので、イマイチ迫力に欠ける。

「成果ゼロのくせに」

「暁治殿こそ、ボウズではないですかぁ!」

 ゴンスケの頭をなでながら暁治が茶化してそう言うと、河太郎は唇を尖らせ、ぴっぴとこちらを指差してくる。さっきは四百歳とか冗談を言っていたが、ムキになるところなど可愛いものである。

「はるってば、単純なんだから」

「え?」

「なんでもなぁ~い。あ、桃はこっちのちょっと小さい方で、ゆーゆのはこれね」

「ありがとうございます。お弁当を持ってきましたので、食べましょうか。魚はそのままだと傷むので、帰る前に捌いてしまいましょう」

 背負っていたバックパックをおろすと、風呂敷に包んだ重箱を取り出す。手拭いに包まれているのは包丁のようだ。

「わぁ、ゆーゆってば気が利くね!」

 そつのない神社の息子に、朱嶺は手を叩いて喜ぶ。

「先生どうぞ」

 そう言って差し出される小皿には、お握りと鶏のから揚げ、山菜の佃煮。佃煮はわらびとたけのこ、キノコが和えてある。

「そうだ。ちょうどよかった。先生、後でたけのこ持って帰ってくださいね」

 食べますか? とか、持って帰りますか? ではなく断定口調だ。

 生のたけのこは面倒なんだけど、先っぽの柔らかいとこの味噌汁が美味いんだよなぁ。

 確かに単純かもしれない。暁治は今から夕飯に思いを巡らせながら、くすりと笑ってお握りにかぶりついた。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

病気になって芸能界から消えたアイドル。退院し、復学先の高校には昔の仕事仲間が居たけれど、彼女は俺だと気付かない

月島日向
ライト文芸
俺、日生遼、本名、竹中祐は2年前に病に倒れた。 人気絶頂だった『Cherry’s』のリーダーをやめた。 2年間の闘病生活に一区切りし、久しぶりに高校に通うことになった。けど、誰も俺の事を元アイドルだとは思わない。薬で細くなった手足。そんな細身の体にアンバランスなムーンフェイス(薬の副作用で顔だけが大きくなる事) 。 誰も俺に気付いてはくれない。そう。 2年間、連絡をくれ続け、俺が無視してきた彼女さえも。 もう、全部どうでもよく感じた。

異世界転移で、俺と僕とのほっこり溺愛スローライフ~間に挟まる・もふもふ神の言うこと聞いて珍道中~

戸森鈴子 tomori rinco
BL
主人公のアユムは料理や家事が好きな、地味な平凡男子だ。 そんな彼が突然、半年前に異世界に転移した。 そこで出逢った美青年エイシオに助けられ、同居生活をしている。 あまりにモテすぎ、トラブルばかりで、人間不信になっていたエイシオ。 自分に自信が全く無くて、自己肯定感の低いアユム。 エイシオは優しいアユムの料理や家事に癒やされ、アユムもエイシオの包容力で癒やされる。 お互いがかけがえのない存在になっていくが……ある日、エイシオが怪我をして!? 無自覚両片思いのほっこりBL。 前半~当て馬女の出現 後半~もふもふ神を連れたおもしろ珍道中とエイシオの実家話 予想できないクスッと笑える、ほっこりBLです。 サンドイッチ、じゃがいも、トマト、コーヒーなんでもでてきますので許せる方のみお読みください。 アユム視点、エイシオ視点と、交互に視点が変わります。 完結保証! このお話は、小説家になろう様、エブリスタ様でも掲載中です。 ※表紙絵はミドリ/緑虫様(@cklEIJx82utuuqd)からのいただきものです。

その溺愛は伝わりづらい!気弱なスパダリ御曹司にノンケの僕は落とされました

海野幻創
BL
人好きのする端正な顔立ちを持ち、文武両道でなんでも無難にこなせることのできた生田雅紀(いくたまさき)は、小さい頃から多くの友人に囲まれていた。 しかし他人との付き合いは広く浅くの最小限に留めるタイプで、女性とも身体だけの付き合いしかしてこなかった。 偶然出会った久世透(くぜとおる)は、嫉妬を覚えるほどのスタイルと美貌をもち、引け目を感じるほどの高学歴で、議員の孫であり大企業役員の息子だった。 御曹司であることにふさわしく、スマートに大金を使ってみせるところがありながら、生田の前では捨てられた子犬のようにおどおどして気弱な様子を見せ、そのギャップを生田は面白がっていたのだが……。 これまで他人と深くは関わってこなかったはずなのに、会うたびに違う一面を見せる久世は、いつしか生田にとって離れがたい存在となっていく。 【続編】 「その溺愛は行き場を彷徨う……気弱なスパダリ御曹司は政略結婚を回避したい」 https://www.alphapolis.co.jp/novel/962473946/911896785

社畜だけど異世界では推し騎士の伴侶になってます⁈

めがねあざらし
BL
気がつくと、そこはゲーム『クレセント・ナイツ』の世界だった。 しかも俺は、推しキャラ・レイ=エヴァンスの“伴侶”になっていて……⁈ 記憶喪失の俺に課されたのは、彼と共に“世界を救う鍵”として戦う使命。 しかし、レイとの誓いに隠された真実や、迫りくる敵の陰謀が俺たちを追い詰める――。 異世界で見つけた愛〜推し騎士との奇跡の絆! 推しとの距離が近すぎる、命懸けの異世界ラブファンタジー、ここに開幕!

いっぱい命じて〜無自覚SubはヤンキーDomに甘えたい〜

きよひ
BL
無愛想な高一Domヤンキー×Subの自覚がない高三サッカー部員 Normalの諏訪大輝は近頃、謎の体調不良に悩まされていた。 そんな折に出会った金髪の一年生、甘井呂翔。 初めて会った瞬間から甘井呂に惹かれるものがあった諏訪は、Domである彼がPlayする様子を覗き見てしまう。 甘井呂に優しく支配されるSubに自分を重ねて胸を熱くしたことに戸惑う諏訪だが……。 第二性に振り回されながらも、互いだけを求め合うようになる青春の物語。 ※現代ベースのDom/Subユニバースの世界観(独自解釈・オリジナル要素あり) ※不良の喧嘩描写、イジメ描写有り 初日は5話更新、翌日からは2話ずつ更新の予定です。

シンメトリーの翼 〜天帝異聞奇譚〜

長月京子
恋愛
学院には立ち入りを禁じられた場所があり、鬼が棲んでいるという噂がある。 朱里(あかり)はクラスメートと共に、禁じられた場所へ向かった。 禁じられた場所へ向かう途中、朱里は端正な容姿の男と出会う。 ――君が望むのなら、私は全身全霊をかけて護る。 不思議な言葉を残して立ち去った男。 その日を境に、朱里の周りで、説明のつかない不思議な出来事が起こり始める。 ※本文中のルビは読み方ではなく、意味合いの場合があります。

【完結】伴侶がいるので、溺愛ご遠慮いたします

  *  
BL
3歳のノィユが、カビの生えてないご飯を求めて結ばれることになったのは、北の最果ての領主のおじいちゃん……え、おじいちゃん……!? しあわせの絶頂にいるのを知らない王子たちが吃驚して憐れんで溺愛してくれそうなのですが、結構です! めちゃくちゃかっこよくて可愛い伴侶がいますので! 本編完結しました! 時々おまけを更新しています。

とまどいの花嫁は、夫から逃げられない

椎名さえら
恋愛
エラは、親が決めた婚約者からずっと冷淡に扱われ 初夜、夫は愛人の家へと行った。 戦争が起こり、夫は戦地へと赴いた。 「無事に戻ってきたら、お前とは離婚する」 と言い置いて。 やっと戦争が終わった後、エラのもとへ戻ってきた夫に 彼女は強い違和感を感じる。 夫はすっかり改心し、エラとは離婚しないと言い張り 突然彼女を溺愛し始めたからだ ______________________ ✴︎舞台のイメージはイギリス近代(ゆるゆる設定) ✴︎誤字脱字は優しくスルーしていただけると幸いです ✴︎なろうさんにも投稿しています 私の勝手なBGMは、懐かしすぎるけど鬼束ちひろ『月光』←名曲すぎ

処理中です...