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●本編●

94.【使用人とランコーントル[再]】Le cas.2:筆頭医師①〜実は称号持ってました〜

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 そもそも何故突如として厨房ラキュイジーヌへ赴きたいと思ったのか、と云うと、前にもほんの少し触れたように、アルヴェインお兄様の優しさ溢れる配慮があったことに起因する。

わたくしが朝食の席で晒した雄々しい号泣姿を見たアルヴェインお兄様が、昼食の際には泣かずにすむようにと配慮して、抜かり無く厨房へ変更の要望が通るよう手を回してくださっていた。

その結果、私の病理食生活は終わりを告げ、昼食はアルヴェインお兄様と同じ内容の献立に急遽でも問題なく変更されたのだった。

エリファスお兄様の献立も勿論同じ内容なのだけれど、敢えてアルヴェインお兄様の、と言ったのには外せない理由わけがある。
その理由とはズバリ、量の多さだった。
“お兄様たちと同じ内容・・・・・・・”、なんて表現した日には、アルヴェインお兄様も知らないうちに大食漢に変貌を遂げてしまったのかと、別の問題が緊急浮上してしまう、由々しき事態に発展してしまいかねない。

 ――そんな危険な言い間違い、してなるものですかっ!! 標準的な胃袋と食欲のアルヴェインお兄様を、死んでも守り抜いてみせますともっ!! 見ているだけでお腹いっぱい☆なんて現象、エリファスお兄様以外で容認できる気がしないから、絶対無しな方向でいかさせていただきますからね!!!――

誰にともなく宣言し、必ずこの口約を果たしてみせると(一人で勝手に)固く心に誓う。

それはともかくとして、急な献立変更にもかかわらず、私の分の食事を要望通りにきちんと用意してくださった厨房スタッフに、是が非でも直接、お礼と病理食用にと準備していただろう食材を無駄にさせてしまった事へのお詫びを言いたくて堪らなくなってしまったのだった。

 ――幼女の1食分の食材なんて微々たるものだろうけれど、それはそれ、これはこれ、だものね! きっとその食材も問題なく有効的に、他の料理へと活用されたのだろうけれど、下準備なんかに費やされた時間は返ってこないのだし、気持ちを無下にしてしまって申し訳ないし、ぶっちゃけこのままだと落ち着かなくって、自分がスッキリできないから、謝ってスッキリしたいってのが本音の自己満足の為の行動なんですごめんなさぁ~~いっ!!――

ナプキンセルヴィエットゥを食卓にバシィッと叩きつけるように放り投げて、『本当にとっても美味しいセ・ブレモン・デリスューーっ!!』と立ち上がって叫びたいくらい、とんでもなく美味しい料理の数々に舌鼓をうつうちに、段々と先に言ったような様々な感情が膨れ上がって、辛抱が効かなくなってしまったのだった。

 ――でも『厨房に行ってみたい』って言った時、アルヴェインお兄様が言葉に詰まったのって、どういう意味合いでだったのかしら? あの時は、昨日のお母様の件があった後だから、後ろ暗いところがあるらしい3名の小間使との遭遇を心配してだと思ったのに。 今考えると、狂人マニアック総料理長シェフ・ド・キュイジーヌとの遭遇を危惧して、のように思えてきてならない…、うん、その線が一層濃厚さを増し増してるわね!!――

抜かり無くムービーで脳内に永久保存していたその時の状況を、脳裏スクリーンに向けて再生し問題なく映し出す。

あれはそう、あまりの美味しさにパクパクパクっと食べ進め、あっと言う間の早さで料理を食べ終えてしまって、『もっとしっかり時間をかけて味わっておけば良かったぁっ!!』と涙を交えつつ本気で悔しがりながら、思い立った行動予定をそのまま実行に移して大丈夫なものであるか、お父様とお兄様ーズにお伺いを立てた直後に、苦々しい表情と同じ声音でアルヴェインお兄様が口にしたセリフだった。

『厨房に行きたい、だって? ……いや、その必要はないさ。 わざわざ直接向かう必要なんてない、シェフを此方に来させる方が早い。 今から呼びに行かせよう、少しだけ待つことにはなるかも知れないが、直にあれを見るよりかは、マシだろうから…な。』

遠い目をして言葉を濁したアルヴェインお兄様の、陰った表情でも問題なく美すぃ~お顔と、口にされたセリフが一言一句無編集なまま、取りこぼされること無く鮮明に思い出される。

 ――うん、あれは絶ッッッ対に、ジャン=ジャック・ロベール氏の奇行を示唆していたわね! 今ならわかる、否、直接目撃し終えた今だから、しみじみと理解できるのだわっ!! ごめんなさい、アルヴェインお兄様っ!! お兄様の優しさしかない心配りを無下にしてしまって、察しの悪いダメな妹で、ホントごめんなさいぃ~~~っ!!!――

海よりも深ぁ~~く反省し尽くしながら、合掌して謝罪する。
勿論のこと、これらは全て私の心の中でのみ執り行われている行為であることは、云うまでもない。

あの後結局、シェフを呼びに行かせようとしたアルヴェインお兄様に追い縋り、無駄に必死になって制止して、自分が行くことをゴリ押して納得させることに全力を注いでしまったことも思い出す。

芋づる式に連なった色々な記憶を、ず~るずると引っ張って掘り起こしていると、先触れ無く特攻することを決定するに至らしめた、お父様のあの発言がぽっこりと掘り起こされた。

『まぁ~、アルヴェインが心配するのも頷けるがねぇ、そこまで心配し過ぎなくとも大丈夫だろうさぁ~~! 今の時間帯なら厨房を彷徨く輩も少ない…と云うかぁ、恐らく彼以外に居ないだろうしねぇ~? それに先触れを出したところで、気づかれるかも定かでないのだしぃ~、直接足を運んだほうが結果として早く済むというものさぁ~~!!』

私の剣幕にタジタジして、押し切られるのも時間の問題、なところまでアルヴェインお兄様が追い詰められた辺りで、それまで長男と長女の攻防を傍観するに徹していたお父様が、長男の意見に共感を示しつつも、今回に限ってはそこまで気を回す必要は無さそうだ、と諭しにかかった。
つまりあの場では、私に対して心配性で過干渉なお父様が、私の意見をヨイショヨイショと後押しして、非常に協力的に加勢してくださっていたのだ。

 ――うんうん、ナイスアシスト且つナイス未来予知! お父様の予想ってば大当たりだったわよね!! あんなトランス状態じゃ、誰が声をかけたとしても気づかれなかっただろうし、意味なかったわよね、絶対(笑)――

思い出してみて理解する、あの状態・・・・のジャン=ジャック氏に遭遇してしまったのは、お父様のせいではなかったのだと。
根本的な原因は全て、総料理長シェフ・ド・キュイジーヌの埋没度合いが激しい、特出した集中力によって引き起こされた、“ゾーンに入るという現象”そのものに起因するのだということが、あの姿を目の当たりにして、改めて振り返ってみてやっと理解できた。

その後に続く場面は、ある『約束事』に関してお父様が確約を持ちかけてきた時のこと。
その時交わされた会話の内容をつぶさに思い出し、お父様に焚き付けられて、とか、お父様が原因だ、とか思ってしまった自分の考えを破茶滅茶に後悔する。
一時の思い込みででも、お父様が諸悪の根源たる悪者だと一方的に決めつけて、心の中で中傷してしてしまった自分のほうが、よっぽど悪者に思えてならなくなった。

 ――お父様は心から心配して、慈しみの心で以て接してくださっていたのに、私ったら、ホント酷い事を考えてしまったわよね…?――

優しくも力強く、背中を押すような言葉で私の意志を尊重してくださったお父様のセリフと、その時の情景が至極滑らかに脳裏に思い起こされた。

『ライラ、何も気にせずこのまま行ってくると良い。 でもねぇ、これだけは絶対に守ってもらうよぉ~? 『何があっても1人で行動しない』こと、周囲に意識を配って気を付けるのは大前提としてもねぇ~、追加してこれだけは必ずきちんと守ると私達に今約束してくれるかなぁ~~??』

『!! はいっ、約束します!! 絶対に1人ではどこにも行きません!! ありがとうございます、お父様♡』

その約束があったからこそ、『地下に居る間は絶対に侍女を伴い、決して側を離れない』という制約だけで地下を自由に闊歩することが許された。
だと云うのに、私ときたら家長たる寛大さを最大限に披露してくださったお父様を悪し様に貶める暴言を思考に上らせてしまっただなんて、愚の骨頂、鬼畜の極みな所業でしかない。

 ――ゔぅっ、お父様ごべんなざぁ~~いぃ~~~っ!! あんなに心配じでぐだざっでるのにぃ、悪ぐ言っでじまっで、ボンド、許じでぐだざいぃ~~~っ(号泣)――

私の心の中で語られた事柄であるので、悪者にされたなどと云うことは勿論お父様の耳に入る事など一生無いとわかっている。
けれど、どうしたって謝らずにいられない、これもまた私がスッキリしたいからという理由の、ただの自己満足であると理解しているが、やめる気は一切起こらなかった。

せめてもの贖罪として、私が今後取れるだろう行いとしては、お父様とお兄様ーズと交わした『約束事』をしっかり必ずきちんと守り、見事履行を果たしてみせることのみだと思い、誓いも新たにしっかりとその守り通すべき『約束事』を心に刻み込んだ。


 そんな私は今何をしている真っ最中なのか、と問われれば、相変わらず地下にいて、厨房から出た後の使用人通路を闊歩している真っ最中である、と答える他にない。

自分から見学したいと言った手前、ジャン=ジャック氏の調理が終わりきるのを待たずにあの場を去ることは気が引けたけれど、待っているだけ時間の無駄だと彼の人物の家族から力一杯に諭され、申し訳なく思いながらも厨房ラキュイジーヌを後にしてしまった。

 ――だけどあんな二面性があるなんて…そこはホントに予想外だった! 本当に人って見かけによらないものなのね!!――

お父様が直接勧誘にあたり、弱った頭ではその巧みな言葉遣いに抗いきれず、翻弄された結果、気がつけば当家の総料理長シェフ・ド・キュイジーヌに就任することが決定事項とされてしまった人物。
本人曰く、『身に余る栄誉な職位を賜る機会に恵まれ、幸運を掴んだ果報者』であるところのジャン=ジャック・ロベール氏は、とんでもなく狂人マニアックな人物である、という初見での認識が間違っていなかったと証明されたのはつい先程のこと。

 ――ホントひ何度思い返してみても、濃ゆキャラでしかなかったわね! デレデレしたり、オラオラしたり、振り幅がとっても激しくて面白すぎたわよねぇwww うちの使用人ってば、個性的な人材の宝庫なのでは?! 違う楽しみ方を大発見してしまった気分、こーゆーのって当たり前に初体験だけど………嫌いじゃない!! 全然全く忌避感なし、寧ろウェルカムでどんと来い!!!――

鼻息荒く自分の考えに一区切りつけたところで、チラリ…、と前方の様子を窺う。

今は次なる目的地に向けて、先導してくれる侍女に付き従い歩いている最中で、テコテコと足音を立てているのは私だけ、という驚嘆に値する現実は、もはや私の中ではこの世界の一般常識に列せられつつある。

数歩前を歩く侍女シャンブリエール乳母ヌーリスのメリッサは、今日も今日とて静静と歩いているのだが、足音が一切聞こえないばかりか、衣擦れの音すらたっていない。
最早メリッサはこの世界の軛から解放され、何かしらの動作を行えば必ず何かしらの音が立つ、という法則が、項目からして消去されてしまっているらしい。

 ――何ソレ、怖ぁっ!? 足音はまだ…何とか許せるとしても、衣擦れの音すらしないっていうのは、流石に納得いかない。 これは…異常現象と思って良い出来事なのではないのかしら? それともメリッサは消音系の魔法を常時展開しているって、単純な話?? 聞けない…、今更すぎて、聞くに聞けないっ!? 絶対冷ややかな目で見られるパターンのやつだもの、こんな事でメリッサからの、やっとほんの少し上向いた好感度を下げたくないっていうのが、今の私の偽らざる本心だと断言できますからね!!!――

「ライリエルお嬢様、そのような憂慮は無用でございます。 そもそも下がる好感度が無いのですから、憂う意味もございませんので。 詮無きお考えは捨て置いて、疾くお越しくださいまし、Drドクトゥールがお待ちでございます。 急な訪問を快諾してくださった先方を待たせるなど、無礼の極みにございます!」

「え、快諾?! いつの間にっ!? と云うか、誰からの情報提供??」

 ――『下がる好感度が無い』ですって?! 酷いこと言われた!! でもそれよりもっと、今ここでは『快諾した』って部分が気になり過ぎたのだもの!! ホントいつの間にユーゴ先生に連絡取り付けたのって話なのですがっ!?――

昨日はじめましてな挨拶をなーなーで交わした御仁、我が公爵家の名誉職と噂される筆頭医師メドゥサン・シェフに(強制的に)任じられたユーゴなるモジャ付いた癖っ毛の中年男性。

お父様が信用して大丈夫と教えてくださった彼の人物に、もう一度会って話がしたいと言った、確かに私が口にしたセリフだと間違いなく記憶しているのだけど、ひっかかったのは勿論それが原因ではない。

「あの場において、私以外の誰が行けるとお思いで? 厨房ラキュイジーヌでの用事が済むのを待つ間、手持ち無沙汰になるのは目に見えておりました。 ですので、少しでも効率的に時間を有効活用できまいかと考察した結果、導き出された考えに従い行動いたしましたことを、遅ればせながらここにご報告させて頂きます。」

 ――居直って事後報告ときた!! メリッサったら、ホント、徐々に私に対して遠慮が消失してきたわね?! でもそーゆー感じも勿論嫌いじゃない!!――

「ねぇメリッサ? 当たり前みたいに先んじて先触れ役をこなしてくれたことには、素直に感謝しか無いのよ。 でもね、蒸し返すようで非常に申し訳ないのだけど、ホントにいつユーゴ先生のもとに行って帰ってきたのか聞いていいかしら??」

 ――貴方ずっと出入り口付近で様子を窺っていたのではなかったの?! 『約束事』を遵守している私を見捨てて、放置して、先触れを優先してしまうなんて、そんのって…、なんって……、薄情者なのぉ~~~っ!? でもそんなメリッサも問題なく好きぃーーーーっ!!!――

「いつ、でございますか? お嬢様が厨房に足を踏み出した瞬間にあの場を離れましたが、何か問題でも?」

「寧ろ問題ないと判断した根拠は何だったのか教えてちょうだいな?! もし、何かしらの問題が起こってたら、どうするつもりだったの!?」

 ――嘘でしょ?! 予想した段階より大分早過ぎな段階から、過ぎたんですけどぉっ!? ってか、この謎な信頼の根拠って何なん、もしやこれってデレられたってこと?? 私ったらいつの間に、こんなにも厚い信頼をメリッサから寄せられるまでの存在になってたのかしら、ツンの後のデレが際限なく天井知らずで、尊いぃ~~っ!!!――

勝手な解釈で自分により良い方向に物事を捉え、感動に浴しながら侍女の返答を待つ。
待ちながら、気になっていた他の事柄も頭の片隅で考え始める。

「どのように対処するかにつきましては、実際に問題が起こってみないことには何とも申せません。 ですが、結果と致しましては何の問題も起こらず、快く過ごしていらしたのみのようにお見受けしましたが、何処か相違ございましたでしょうか?」

「!? そぉ~だけどぉ、概ね、最後の方なんかはわりかしほのぼのからの和気藹々~~だったのだけど、ね?! 問題がなかったって自信たっぷりには断言できないとゆーか、問題はあったようにしか思えないとゆ~~か、判断の匙加減が難しいって云うねぇ??」

『結果的には大団円だったのに、何が問題なのでしょう?』と問うような視線にブスリと痛いところを刺され、見事にど真ん中を射抜かれる。
それでも、厨房で私が被った心労のほどを、この侍女にもきちんと少しでも良いから理解してもらいたい、との思いから、ぐちぐちと言葉を募らせる。

 ――そもそもの話、この『約束事』に縛られてるのって、私だけ…だったのよね? そうでなきゃ、いくらメリッサでもこんな簡単に単独行動しようと思わないわよねぇ~!!――

「もじもじせずしゃきっとなさいませ、はしたのうございます! 経緯はどうあれ何事も起こらなかったのであれば、それまででございます。 それと、お呼びかけなさる際は“ユーゴ先生”ではなく、“Drドクトゥールユーゴ”と仰ってください。 意味合いがまったく違いますので、先程のまま呼びかけるとそれだけで無礼な行為に該当いたします。」

 ――でたっ、伝家の宝刀『はしたのうございます!』!! 終わったことに対してぶつくさ言ってしまうのは確かに女々しいかもしれないけど、はしたなくはなくないのでは??――

納得できない疑問点が目の前にゴロリと転がったままではあるが、これ以上引っかかって突っ込んでいるとサイボーグ侍女からの説教タイムが伸び伸びてしまう未来しか視えない。
自分の保身のため、結局のところ私が行う全ての行動はその一点に集約され帰結する。

自分のことに関しては、我が身可愛さを何より優先させる信条の私としては、ここは折れるより他に道はない。
報われない願望はぺっと道端に破棄して、与えられた話題転換のチャンスに遅れることなく便乗する。

Drドクトゥール? 先生と呼びかけてはダメなの?? それは一体、何故なのかしら???」

彼方かのかたは一介の医師メドゥサンではなく、博士号ドクトラを取得なさったれっきとした博士ドクトゥールであらせられます。 ですので、為人はさておいて、心からは尊敬できずとも、先生などと気軽にお呼びしてはならないお方なのです。」

「まぁ…そうだったの、ね? 色々と知らなかったから、こうやって教えてもらえて…、その、とっても為になったわ!?」

 ――あれぇっ? おっかしぃーーなぁ、なんか軽くジャブ入れる感じで、そこはかとない毒づきが盛大に混入していた気がしたのだけど、これってば私の単なる聞き間違い?? メリッサってば、ユーゴ先生……っじゃなかた、Drドクトゥールユーゴが好きじゃないのかしら…??? 確かに、相性は良くなさそう、な、気がしなくも~なくはない、なんてことも~なくなくない、かなぁ~~???――

これ以上どれくらいまでなら、メリッサの発言に対して突っ込んだ問を重ねて良いのか、と許容される度合いを考え倦ねいているうちに、目的地である救護室に到着してしまった。
何にせよ、この話題については一先ず、ここいらで打ち切られてしまったことは、残念ではあるが仕方ないことでもあった。
私の知らない未知なる事情は未だそこかしこに隠されたままとなった。


 コンココンッ。

「へぇ~い、どちらさんで?」

「職務中失礼致します、先程うかがいました侍女のメリッサでございます。 ライリエルお嬢様がご到着致しましたが、このまま入室していただいても構いませんでしょうか?」

癖のあるノック音の後に続く、よれっとした誰何すいかの声に、気後れせず間髪も入れずに返したメリッサの凛とした声とが、人気のない狭い廊下に反響して大きく響いた。

「あーはいはいぃ~、空いてますんで、どーぞ遠慮なく入ったってくださいよ~~。」

だらだら感は抜けないまでも、先程よりはマシな声音で、直ぐに入室の許可がおりた。
救護室の扉を押し開けて入ったメリッサの後に、少し間をおいてから満を持して、私が見参する。

こんにちはボンジュールDrドクトゥールユーゴ、御機嫌如何でいらっしゃいますか? 昨日の今日で突然うかがうことにしてしまってごめんなさい。 急な申し出にもかかわらず、訪問を快諾してくださってどうもありがとう!! お言葉に甘えて、少しの間お邪魔しますね!!」

先程仕入れた鮮度抜群な豆知識を元に、得意満面・意気揚々と挨拶し、称号付きで呼びかける。
気分が上がりすぎて、無駄に張り切った行動をとってしまった。
出っ張りのない胸を良いだけ反らして、ババァ~~~ンッと脳内効果音を伴って鼻息荒くその場で踏ん反り返る。

「…あぁ、はい、ども。 …コンニチハ、デス。」

「? やっぱり、迷惑でしたか??」

 ――反応うっす、何かメッチャ恥ずか死気味てくる、というか何で片言? 忙しすぎて、精も根も尽きは果ててしまわれていたのかしら?! 今すぐにでも回れ右してお暇したほうが良い感じ!?――

反らしていた背が、途端に内側へと戻り、前屈みな姿勢へと変化する。
上がっていた気分は急降下して、地表へ墜落する間近な底辺にまで一気に落ち込んでしまった。

「や、ちげーーっす。 Drドクトゥールとか、呼ばれるのすんげー久々すぎて、吃驚しちまっただけで! 迷惑なんてっ、んなこと口が裂けたって言えやしませんから!! 此処に居るとそーゆー称号的なもんって、まっっったく無意味なんで、忘れてたっつ―――だけっすわ…!! ハハハ、ハハ…………はぁ~~ー…。」

『迷惑なんて口にしようものなら自分の首が飛ぶ(比喩≦物理の意味で)!!』と、顔色を青くして酷く怯えた様子を見せ、ブルブルブルっと首から上を激しく左右に振動させて力一杯に否定する。

 ――何に怯えているのかは、突っ込むべからずで良いとして! 称号が無意味になる職場って、ヤバくない?!――

「それは…、えーっと、どう言えば良いのか…。 ご愁傷様です、ね?」

私が口にした唯一閃いた慰めの言葉は、お決まりな慰めの言葉だったのだが、このくたびれ感を増幅させた博士号ドクトラ持ちの筆頭医師メドゥサン・シェフはガクッと勢いよく肩を落とし、曲げたそれぞれの両膝の上に、各々の両肘をついて、両手で項垂れた頭部を受け止めて、メソメソした泣き言を口遊みだした。

「うわぁ~~…、なんか泣きそーっすわ、俺。 効く、心に沁み過ぎる、その言葉。 自分で思う以上に疲れてんのかなぁ~~…。 や、違うな、ぜってー―違う! ただ単純に、此の職場に癒やしがないだけだ!! ホント精神的にだけキツイっつーーねっ?! 悪魔しかいねぇーーっすから、ここの同輩連中にはっ!! アイツラ揃いも揃って、俺のこと便利な何でも屋くらいにしか思ってねぇーーーんすよぉ?? 連勤地獄から解放されたと思ったら、まさかの魔窟っすよぉっ?! ホント、ありえねぇーーくらい、職場運なさすぎて、笑うしかね―――っっっすわ!!! アッハッハッハッハッハッハ!!!」

 ――あばばばっ、ヤバい方向に突き抜けてぇ~~、イッちゃってる!! どうしよう、どうしたらこの自暴自棄気味に走り出してしまわれた筆頭医師メドゥサン・シェフを正気に戻せるのかしらぁ~~~っ?!?――

有効と思われる対処法を決めかねて、わたわたと慌てふためく私の前で、次の瞬間。

バシィーーーーンッ!!

尾を引く叩音こうおんを響かせて、目の前で発狂したような奇声で笑い転げていたDrドクトゥールの頭が沈没した。

「しっかりおしっ!! お嬢様が怯えておいでだよ!! いい大人がみっともない、自棄になるのはその辺で終いにして、ちゃんと正気に戻りなね、ユーゴ君!!」

そうかと思ったら、威力過多な鋭いツッコミの後直ぐに、肝っ玉母ちゃんからの力強すぎる檄が追い打ちのように筆頭医師の後頭部に向けて見舞われた。

何が起きたのか直ぐには理解できずに固まる私の前で、気心の知れた職場の同士たちの会話はずんずんと進行していく。

「ーーーってぇ~~!! 破茶滅茶にいっってぇっすわ、ホント、ふつーに!! 口で注意するだけで十分っすから、次からドツキに近い感じで叩くのは、マジで勘弁してくだせーーーよ、ローレンス看護師長!?」

叩かれた後頭部を擦りつつ、長い前髪に隠された目に涙を浮かべて背後の夫人をのろのろと振り返る。

「あはっはっは、こりゃ悪い事したねぇ! でもついねぇ~、息子とおんなじくらいの頭の高さしてるから、叩きやすくって!! ついいつもの感じで、こう…手が出ちまったよぉ!! でもねぇ、本を正せばユーゴ君がライリエルお嬢様の前で変な態度取ってたのが原因だよ? それだけは自覚して、しっかり反省して、今以上にもっと優しぃ~~く接してもらわなきゃ困っちまうからねぇ??」

手をヒラヒラとひらめかせてから、様々なジェスチャーを披露して自分の言葉の補足説明の足しにする。
昨日お母様の寝室で会った時と同じ、浴びた者を不思議とリラックスさせたちどころに安堵させるオーラを放出する、御年56歳の塾年看護師ローレンス・ラノワは、Drユーゴの発言を言葉の通りに信じるなら看護師長であるらしい。

「あー…、それは、まぁ、俺が悪いんで否定できねーっすけど。 でも叩かれるのはちょっと……。 免疫無いんで、どー反応すれば良いのか、困るっつーー感じっす。」

「あはっはっはっは! ユーゴ君はイイトコのお坊ちゃんだから、言葉以外の叱責は経験が無いんだねぇ~!! ごめんねぇ、そりゃ悪い事しちまった、婆のすることだと思って、大目に見てくれると助かるんだがねぇ~~?」

「イイトコとか…、此処と比べたら屁でもねぇっすから、俺の実家なんて。 つか育った環境はおいといて、母親がいねーから反応に困ってるだけっすよ。 結局親父はこのまんまで再婚しそうにねぇーし、兄貴の嫁さんともそんな話さねーーしで。 家族としての距離感に、単純に慣れてねーーんすわ。」

「おやまぁ、それは知らなかったよ! そんな身の上で、こんな婆に職場で絡まれたら、そりゃ――困るってもんだねぇ!! あはっはっはっは、まぁぼちぼち慣れてっておくれよ!! あたしゃずぅーーっとこんな調子できたからねぇ、もう染み付いちまって!! 残念ながらこの性格は修正できそうに無いから、諦めて順応しておくれねぇ~~!!」

唐突にもたらされた暴露話にも怯むことなく、家庭の事情を赤裸々告白したユーゴに対して全く慌てることも同情することもなく、ケロリと変わらぬ調子で言葉を返すローレンスは堂々たる振る舞いだった。
これぞ年の功の為せる業、というものだろうか。

「ハハ、開き直っちまうんすね? 流石っす、そーゆー流されねぇーとこ尊敬しますわ、マジで。 俺にはできそーにね~なぁ~~…、あと20年も経ちゃぁ、自然とこーーなれんのかぁ~~?? ………や、無理だな。 俺には無理だわ、一生無理。」

引き攣った笑いの連続で頬が攣りそうになりながら、どーにか此の場を明るく切り抜けようと、ダメ元で良い方向に捉えて、年長者に習ってみようとするも虚しく、その作戦は功を奏さず敢え無く失敗。

自分には向かない物事の捉え方だ、とした、根本的な性格の属性不一致が如実に浮き彫りとなっただけだった。

たはは…、と呆れながらもらした笑いはすぐに彼方へと吹き飛ぶこととなる。
というのも、視線を戻した先に、とんでもない表情を晒した少女の顔を見てしまったからだった。

「って、どぉっ?! ど~どどどっどぅぉ~~~っしちゃったんでしょーーーかねぇ~~~っ!? ライリエルお嬢様ぁ~~、何でそんな泣きそーーな、ものっそい悲しげぇ~~な表情をなさっていらっしゃるんでぇすぅ~かぁ~~ぬぅぇ~~~っ?!?」

回転椅子の上でびょんっと飛び上がってから、必死になって表情を曇らせた原因を探るべく、言葉を慎重に選び、選びに選んで、慎重になり過ぎた。
その結局、一周回って元に戻ったいつもの調子で、それでも“優しぃ~~く”だけは忘れずに心掛けながら問いかけた。

「立ち入った事を、偶然ででも耳にしてしまって、ごめんなさいっ!! お母様が…その、いらっしゃらないなんて、知らなくて…!! でもそれは、当たり前で、そこではなくって!! 私、何と言えば良いのか、全然、言葉が無くて…思いつかなくて……、ごめんなさい!!」

「え? あぁ~何だ、その事かぁ…! 俺が気づかないうちになんかやらかしたのかって、焦った!! マジで生きた心地しなくなって、ヤバかった!!!」

っっっっはぁ~~~ぁぁぁ~~~~………。

長ったらしく盛大な溜息を良いだけ、気の済むまで吐いてから、姿勢をしゃんと戻した筆頭医師メドゥサン・シェフは、もうすっかり安堵して、いつもの調子を取り戻して、カラカラと笑いながら少女に馴れ馴れしく絡み始めた。

「俺の身の上話聞いちゃったっつーー話なら全然いーーっすよ、気にせんでください。 母親が亡くなったのだって、俺産んだ時っすから、記憶すら無いっつーーね? なんで、辛いとか悲しいとかって感情は無いんで、気にしなくてホント大丈夫ですから、んね?」

にかっと歯を見せて笑う。
私を安心させ、罪悪感を払拭させるためだけに繕われた屈託のない笑顔に、喉がキュッと狭まり、胸が詰まって、ググゥ~~ッと徐々に絞られるかのように苦しくなる。

 ――うぅ…ダメだ、これ、ダメなやつだぁ~! もうこれ以上堪えられない、申し訳無さが抑えられないぃ~~!! もぉダメ、もぉ~~ぜったい、泣くやつですからこれぇ~~~っ!!!――

「……、……っごめんなさいぃ~~~っ!!」

堪えきれなかった事と、目の前で泣いてしまう事、その両方の意味で謝りながら、え~んえ~んから始まりわんわんわぁ~~んっとなるまで、バリエーションに富んだ泣きざまを感情が振り切れて堰が崩壊したままの状態で気の済むまで晒し続けてしまった。

それもこれも、歯止めが効かないそもそもの原因となる、幼女が皆例外なく保持してしまっている、走り出したら一方向に突き抜けて邁進してしまう、直情的且つ猪突猛進な性質のせいだ。

 ――私のせいじゃない! 断じて違うっ!! そんな冤罪的な嫌疑、断固拒否しますからねーーっだ!!!――

と、元気よく抗議の声(心でのみ)をあげられるのは、もう少し泣く勢いが落ち着いた後の話で。
目下最大級に泣き散らかしている私が、最大級に被害をムリクリ押し付けているのは、此の救護室の主たる筆頭医師メドゥサン・シェフその人へ、だったのは云うまでもない。

「ぎゃぁっ?! 泣かんでくださいっっ!! ホントそれだけは勘弁してくださいってぇっっ!? 洒落でも比喩的表現でもなく、俺の首が物理的にスパッとソッコーーで刎ね飛ばされますからぁ~~っっ!! お願いだから今すぐソッコーーで泣き止んでくれやがってくださいませんかねぇ~~~っっっ!!!」

地の喋りと雑に融合を果たしたなんちゃって敬語を駆使しつつ、何とかかんとか、あの手この手を引っ張り出して、泣き出してしまった多方面に地雷源が点在する少女をあやそうと必死になる。

その様は誰の目にも明らかに、今日1で必死、否、決死の覚悟を持って臨んでいたあやしであった、と素直に首を縦に上下させられる、迫力満点な説得力を伴った光景だった。
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