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●本編●
70.ひろがる波紋が届く頃には…。
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今ではもうすっかり暗くなった空には金皇の姿はなく、入れ替わりに銀后が顔を出し始めた頃合いだった。
医療魔術師たちを引き止めていた時間はそれほど長くはなかったはずだが、冬の空が暗くなる足が早いのは前世と変わらないようだった。
お母様が倒れたと家令から知らせを受けて、お父様の魔法で一瞬にして移動したお母様の寝室では…色々なことがあった。
1番大きな成果としては、昨日からの私の不審な態度、それをとった相手であるお母様にその態度の理由を不器用ながらに説明して、ちゃんと謝罪できたこと…だろうと思う。
自分が持て余していた未知の感情と向き合うまでに色々な葛藤や懊悩を経験したし、それを受け止めて受け入れるために必要な勇気を…私に足りなかった自信を与えて下さったのは、お父様から惜しみなく与えられた言葉と愛情。
家族からの確かな愛情、家族との確かな絆、それを信じきれなかった臆病な私を丸ごと包んで励まして下さった。
お父様といえば…ちょっと変わった気がする。
私の誕生日パーティーからこっち、何故かはわからないけれどお父様の私に対する愛情が以前よりもかたちがはっきりして、それによって向けられる想いが増したように感じる。
何がそう思わせるのか、本当は私の気のせいかもしれないけれど私個人に対して向けてくれるようになった感じがするのだ。
お母様と瓜二つな私の外見を褒めて下さる時に言葉や態度に滲ませていた想い、それと似て非なる感情を今では全ての言葉の端々に、私に対する振る舞いや態度にも感じられる。
私個人に対しての感情が明確に定まったみたい、お母様に向けるのとは違うけれど…そう、お父様の言葉を借りればお母様には最愛の感情を、私には家族に対する愛情をちゃんと与えてくださるようになった、そう思える。
だからちゃんと響いた、私の心に、前世の記憶に怯えて今世にちゃんと向き合いきれていなかった精神の頑なに閉ざしていた目に、耳に、ちゃんと届いて心を震わせるほど響いた。
誰かへの想いを真似たような曖昧で不明確な愛情や上辺の言葉じゃきっと届かなかった、目を閉じたまま聞き流してしまったはずだから。
そんなお父様にたくさん支えてもらって、背中を押してもらったからこそ、私はお母様にちゃんと向き合えた。
逃げ出さずに、取り繕わずにいられた。
そこで知ったお母様の秘密、もう絶対にそれを『欠点』だなんて言いたくない、お母様にも誰にも言わせたくない。
その秘密は、けれどもうお母様にとっては心を痛めることも、思い悩むこともないものだと知れたから良かった。
そしてお母様が今みたいにただただ穏やかに幸福に包まれて微笑んでいられるのは、お父様の存在があったからと知れて嬉しかった。
その後にお母様が言って下さった言葉も嬉しかった、お母様にとって私たち『子供』の存在がお父様にも負けないくらいにお母様の心の領域を占有していて、1人ひとりが不可欠な唯一無二の存在なのだと知れたから。
私が今世では両親から愛される存在、愛情を得ることが適う存在なのだとやっと理解して、納得して、揺るぎない事実として受け入れられた瞬間だった。
安心したらもっと確かめたくなった、今世の私が触れることを許された温かな『母親』という存在を、私の愚かさを受け止めてくれる優しさを、私の謝罪を受け入れて赦しを与えてくれるその深い愛情を。
初めて縋りついた膝は、想像したそれよりももっとずっと、あたたかくて優しくて柔らかだった。
それら全てが私を一層ぬくまった安心でくるんでくれて、凍えていた心がゆっくりじんわりと解かされた。
溶けて温められた水が、熱い涙となって両の眼からどっと溢れ出した。
それを静かに受け止めて、優しく撫でて慈しんでくれるお母様の手に誘われて安らかな眠りにおちていった。
私が泣きつかれて寝入ったあと、どれくらい時間が経ったかは正確に把握できていなかったけれど次に目を覚ました時にはお兄様たちの姿はなく、医療魔術師たちが出ていくところだった。
お兄様たちが退室させられたその理由は誰に言われるでもなくすぐにわかった。
お父様がお母様の診察に立ち会わせるのを嫌って締め出したのだろうと察しがついたからだ。
息子たち相手にまで徹底した態度を崩さないお父様なのだから、赤の他人に対してならどうやっても許可など降ろさないと思える。
それなのに同席を許された人物、我がフォコンペレーラ公爵家の筆頭医師だという中年男性、ユーゴと名乗った人物はお父様とお母様、そのどちらの記憶にも残るほど恩ある人物だという。
ユーゴさんにとっては忘れられていて当然と思うような些細な出来事だったらしいけれど、お父様とお母様にはそうではなかったらしい。
その証拠に、お父様自らが率先して必要以上の高圧的な態度を取って、彼の為人を晒させるよう仕向けて、私に信頼に足る人物であると示してくださったのだから。
お父様の脅しに近い威圧に対しても怯むこと無く自身の身の潔白を啖呵を切って宣ってみせた、その理由も凄くシンプルで、それでいて今の私にとっては信じても大丈夫だと納得できるものだった。
人の命、特に子供の命を軽んじる輩の言いなりには絶対にならない。
その言葉が本心であることが、何故か不思議なくらい疑いなく納得できた。
それもこれも、真っ直ぐ向けられた言葉の威力のなせる技なのか、あるいは向けられる視線の強さのせいだったのか。
明確な理由が見つけられないのに、今ではもうすっかり彼を信頼しても良いと、大丈夫であると思えてしまっていたのだ。
この屋敷で顔と名前が一致する使用人は片手で足りる、私が頼れる大人は少なすぎるのが偽りない現状だ。
それなのに今現在この屋敷に勤める使用人は全員が全員、味方とは限らないときている。
実際に雇う際には厳しい審査が行われているけれど、一端雇用されてしまえば問題行動を取らない限り再度身辺を探られることは基本的にはない。
この屋敷の使用人になってから唆されて、間者となってしまったなら、すぐにはそれと見抜けるはずもない。
今回奇しくもターゲットにされてしまったのはお母様だったけれど、私が安全と言いきれる保証はどこにもない。
弱い者から狙われる、それが世の常なのは異世界でも変わらないらしい。
そう考えるともしかしたら、あの誕生日パーティーの日に問題を起こした子豚令息こと、ヒューシャホッグ・アンジェロン子爵令息もこの騒動の布石の1つだったのかもしれない。
あの時から、もしくはあの時以前から既に虎視眈々と狙われていたのかもしれない。
疑いだしたら本当にきりがない、何もかもが全て疑わしくなってしまってしょうが無い。
こんな事に考える時間を費やすのは、はっきり言って無駄でしかない。
そんな時間があればまず第一にやるべきことはたった1つ、事の真相を解き明かすためにも黒幕の尻尾を掴む事が1番の急務だ。
今回お母様が倒れた原因はお母様に処方された栄養剤、錠剤型のそれにある栄養素が規定量以上に配合されていた為だった。
もちろん人体に必要な栄養素ではある、けれどそれを接種しなさすぎても、し過ぎても、害を与える物質であったことが盲点となり害を与えるに至ってしまった。
素人が知り得ない知識であることが対策を遅らせ、事が起こり手遅れとなってから露見するはずだった。
この不必要なはずの栄養剤の存在に偶然気が付いた1人の医師によって、疑わしい人物たちに早急に焦点があてられた。
主人一家をお抱え医師たちが診るのは急病、もしくは定期検診くらいのもので、裂傷などの怪我は当主か嫡男が魔法で治癒できるために基本的にそれ以外に出番はない。
普段の仕事はもっぱら屋敷の使用人、その家族や騎士団連中の怪我・病気の対応に追われるのみだった。
公爵夫人の妊婦健診は医療魔術師に一元管理されていて屋敷の常駐医は誰1人、一切関与していなかったのだ、今日この時までは。
だから気づけるはずもなかった、偶然にもこの診療記録を見なければ。
十分厳選して選んだ担当の医療魔術師たちの腕前を信頼していたのだから尚更、手遅れになるまで誰も目を向けることはなかったはずだった。
居た堪れない自身の置かれた状況、何かで気を紛らわせなければとてもじゃないが耐え難い現実から逃避するためにとった偶然の行動だった。
それが功を奏してお母様が倒れた本当の原因を突き止められた。
今回の立役者であるユーゴさんが医療魔術師たちの経歴書を見て、医療関係の知識がない医療魔法専門の人物は除外して大丈夫と言った。
医療知識も備えた魔術師はそれ専門の養成機関を修了した旨を必ず記載し、且つ修了証明書の控えも合わせて担当となる顧客へと提出しないとならない規則があるのだという。
これによって成功報酬や給金の額も桁違いとなるし、記載を漏らせば厳罰にも処されるため、偽る者はまずいないらしい。
そして診療記録を記入できるのは専門の養成機関を修了した者だけらしいので、絞り込むことが出来るのだという。
そうは言ったものの、時間が経ってからよくよく考えた結果、こちらに出された経歴書だけが改竄されている可能性も無きにしも非ず、嘘偽りではないと精査したとお父様は言っていたけれど、『医療院に保管してある原本とも照らし合わせた後で絞り込み直した方が良いかもぉ、な~~んちゃってぇ……?』と後ろ頭を掻きつつ果敢に提案してきたユーゴさんは勇者だった。
お父様は目に見えて嫌っそーーーな顔をして無言で相手を睨み据えた一瞬の後、お母様ともうすぐで産まれるお腹の赤ちゃんのためと早々に頭を切り替えて、担当の医療魔術師たち全員に監視をつけるのと並行してそちらの手配を整える事も即決する。
というのも、今現在黒とはっきりしていた人物、共犯者確定だった薬剤師が十中八九口封じを理由に、既に殺害されていた事実を知った為だ。
相手の情け容赦ない残忍さが浮き彫りとなり、万全を期す必要に迫られたのだった。
これはお母様の専属担当である医療魔術師たちの監視の手配を整える間、前もって足止め役を任されていた家令のオズワルドが寝室に戻って来た際に顔色を曇らせ、表情を固くしながらも報告してくれた内容だった。
医療魔術師たちの到着の遅れを問うた結果に得られた情報であったそうだが、予想もしていなかった答えに驚愕して慄いてしまったのは意外なことにこの部屋においては私くらいのものだった。
私を変わらず膝抱っこしているお父様は、無感情にポツリと一言「先手を打たれたかぁ…、何にしても今回の相手は短気な馬鹿者らしいなぁ。」と呟いて、黒すぎる微笑みを浮かべている。
取り乱して騒ぎ立てるかと思われたユーゴさんは意外や意外、「口封じかぁ、これだから貴族って奴はやることがえげつねぇ~…、胸糞悪ぃぜまったく!!」とぼやいてからがしがしっと勢い強く頭を掻き毟ってわかり易く憤っていた。
そしてお母様は特に言葉を発することはなく、それでいて常と変わらず穏やかに微笑み続けている。
ーー待って待って、私の周人がソー・クール!! 超・冷静すぎるんですけどぉ、ちょっと控えめに言って怖さが過ぎるんですけどぉ~!? お母様まで微笑みを絶やさずに居られるって、何、そんな日常茶飯事なイベントだったかしら、口封じの為引き起こされる殺人って?! それに慣れ親しむことが高位貴族家での必須要件なら御免被りたいのですがぁーーーっ、心の底から願い奉るたった1つの言葉は誰でもいいから今すぐヘルプ・ミーーーーっ!!!ーー
頭の中は大パニック!!
所構わず叫び散らしてしまいたい、喚いて泣いてしまいたい、そんなどうにも抑え辛い衝動を遠い目をすることで空気中に散らし紛れさす。
1人悶々としながら貴族社会の世知辛さに辟易していると、入り口付近から寝台の横に置かれた椅子の上(お父様を間に挟んで)にいる私のもとへやってきて静かに頭を下げてから謝罪の言葉を口にしたのは家令のオズワルドだった。
「先程は大変失礼いたしました、ライリエルお嬢様。 お恥ずかしながら年甲斐もなく、気が動転しておりまして…返答できず不徳の致すところでございました。 どうか平にご容赦くださいませ。」
困り眉で殊更申し訳無さそうに表情を崩しながら謝ってくれた家令の顔を見返していると、自然にある疑問が浮かんできた。
ーーこんなちんちくりん幼女に対しても紳士的に謝ってくれるなんて…さすがオズワルド! 使用人の鑑だわ、これで独身とか、世の中謎に満ちているわね…。ーー
「もちろん許すわ! だからそんなに謝らないで、気にしていないから大丈夫よ。 私だったらもっと取り乱していると思うし、オズワルドもメリッサも…震えずにしゃんと立っていられるのだもの、それだけで十分凄いわ!!」
ちゃんとにこりと微笑めていることを祈りつつ、オズワルドへ言葉を返す。
今だって私の脳内はパニック状態が継続中で必死に顔に出ないように頑張っているのだ、それなのにもう立ち直っているオズワルドは凄いと思う。
ーーそう言えばメリッサは…うん、もういつもの無表情に立ち返っているわ、さすがね!!ーー
寝室の扉の近くの壁際に静かに立って控えているサイボーグ侍女をチラリと見ると、表情も雰囲気も気配すら消していつものように立っていた。
この公爵家の主人に仕えるには、心臓に毛が生えていないと身が持たないのだろうなぁー、とも考えてしまう。
だって私に謝ってくれた後、今度はお父様に話しかけているオズワルドの言葉が否応なく耳に入り込んでくるのだ、これだけ近くにいるのだから一言一句聞き漏らすこともできない。
「お坊っちゃま方をお呼びしてまいりましょうか?」
「いんやぁ、その必要はないよぉ~、夕食のときにでも話すさ。 さてはてぇ、面倒なことになってきたものだねぇ~…。 今になって、なんでまたうちにちょっかいを出してくるのかねぇ~、こんなことしそうな輩には思い当たる顔は幾つがあるがぁ、それにしたって今仕掛けてくるとは思っていなかったのだがねぇ~~? ふぅ~~む、読み違えたかなぁ??」
実直な家令の問いかけに返すお父様の言葉の中には物騒過ぎる内容がてんこ盛りなのだもの、聞いたことを後悔しそう。
ーー思い当たっちゃう人物が幾人も居てしまうのですね…。 怖っ、高位貴族、……怖っ!!ーー
今世の家族は大好きだけれど、ちょっと、いや、かなりこの公爵家を取り巻く環境には抵抗があり過ぎる、だって幼女の精神衛生上大変よろしくないのだもの。
ユーゴさんですら実感している貴族社会のドロドロ具合と面倒臭さに今からへこたれてしまいそう。
そう思っていると私からは結構遠い壁際に控えてステルス機能をONにしていたメリッサが身動ぎした。
こちらも家令と同じく足音を消して毎度驚いてしまう静かさで、私達の近くまで来ると一礼してからお父様に向かって声をかける。
「旦那様、サミュエル様がいらしておいでですが、如何なさいますか? 執務室の方へご移動なさいますか?」
ーーえ、その情報どうやって知ったの? そんな情報キャッチした素振りやモーション、何処かにあった?!ーー
侍女からもたらさせた驚きの報告に目を剥いて驚嘆する。
でも誰も私の驚きに共感してくれない、私だけが事ある毎に過剰に驚いているみたいで少し恥ずかしくなってしまった。
「ん~~? サミーがかい~、珍しいねぇ、こんな早い時間に尋ねてくるなんてぇ~! 嫌な予感しかしないけれど、ここで話を聞くよぉ~、通してやってくれメリッサ。」
「かしこまりました。」
再び一礼してからキビキビとした動きでサミュエルなる人物が待つお母様の居室の扉へと向かう侍女の背を見送る。
ーーサミュエル…サミュエル? 聞き覚えはあるけれど、どなた様だったかしら…??ーー
“サミュエル”がどんな流れで耳にした名前だったかを侍女の動きを目で追いながら考える、確か最近耳にしたはずなのに…、どこで聞いたのだったか。
昨日から怒涛の勢いで新着情報を満載に取得している為、脳内が情報を精査しきれておらずごった返している。
ここでは一つ一つの記憶を丁寧に確認して思い返している時間は与えられず、今思いついたようにお父様がサミュエルについてのある話題を振ってきた。
「いい機会だからライラにも紹介しておこう、今から来る男もねぇ、家令の1人なんだよぉ~。 見た目は胡散臭いの一言に尽きるのだけれどねぇ、彼もまずもって信頼しても大丈夫な人間だからねぇ~。 こと職務に関しては、と注釈が付いてしまう人間性に難アリな要注意人物でもあるのだけれどねぇ!!」
殆どが相手のディスりで埋め尽くされている、どれだけ仕事抜きでは信用のおけないやべぇ人物なのかと身を固くしているとーー。
「おやまぁ、酷い言われようで甚だ心外でございますよ旦那様。 ご無沙汰しております、奥様におかれましては大事無くあらせられて、心より安堵致しました。 ご挨拶が遅れましたこと誠に申し訳ございません、なにぶん旦那様から放り投げられた数々の仕事に忙殺されておりまして、このようにお伺いするのに遅れを取ってしまったのでございます。」
お父様に軽く文句を言った後は、綺麗な所作でお辞儀をして、優雅に上体を起こしてからは畏まった態度でお母様に挨拶をしてそのまま流れるようにお父様が仕事を寄越しすぎたせい、という言い訳をしゃあしゃあと口遊んでみせた。
ーーお父様とは似た者同士みたい、類は友を呼ぶって言うけど、本当なのね!ーー
格好はオズワルドと殆ど同じ、使用人用のお仕着せをきっちりと着こなしており、如何にも仕事が出来ます、なオーラを惜しみなく周囲に振りまいている。
象牙色の柔らかそうな髪、前髪は目にかからない長さに切り揃えて分け目に合わせて自然に流して、後ろ髪は背の中程までの長さがあるが乱れて邪魔にならないようきっちりと結われている。
ニコリと笑った顔、その目の細さと髪色も相まって狐が化かすように微笑んでいるような、人を食ったような表情に見えてしまう。
「なぁライラ、わかっただろう? この男はねぇ、息をするのと同じくらい極々自然に針の穴を通すように狙って人の事を悪しざまに宣ってくる輩なんだよぉ、サミュエルって男はねぇ~! ほんっっっっとーーーに!! 心底窮地に陥ったときだけ、頼るように、良いねぇ?! 決して普段から親しくしようとか、まっっったく思わなくていいからねぇ~!!!」
「旦那様ぁ、ぜーーーんぶ筒抜けて私の耳にも届いておりますよぉ? そんなにわかり易く期待されてしまったら、普段から親しんでしまおうと努力する私だと知っておいででしょうに。 ライリエルお嬢様、お初にお目にかかります、サミュエル・セヴと申します。 私は此処におりますオズワルドとは違う役割を担う領地家令の役職を旦那様より賜っております。 普段この屋敷にいることは稀とはなりますが、顔を見かけた際は遠慮なく言葉をかけてくださいましね♡」
ーーうんわぁあっ!! 凄い、スマートにウインクされた!! それに語尾にハートマークがあったっぽい、すっごくお茶目さんだわこのオジサマ!!!ーー
ウインクとともにピンと立てた人差し指を可愛らしく口元に当てており、そのお茶目な仕草が驚く程違和感なくしっくりきている、とってもこの人物に似合っているのだった。
オズワルドも密かに女性使用人から人気を集める類の初老の紳士だけれど、このサミュエルも例外なく騒がれて放って置かれなさそうな人物だった。
顔面偏差値高めなイケオジであることと、イケオジ以前に男の人にウインクを寄越された経験などあるはずもなく、その分余計にドキドキしてしまっている気がする。
それでもどうにか胸に去来するトキメキをやり過ごして、普段通りの対応を心がけて挨拶をし返す。
「こちらこそ、これからよろしくお願いね、サミュエル。 私も普段は私室から出歩かないとは思うのだけど、姿を見かけたら挨拶するよう心がけるわ。 信頼できる大人が増えて、私も心強いわ。」
「おや、早くも信頼できると仰って頂けて嬉しい限りではございますが、些か心配にもなりますねぇ。 私が自分で言うのもおかしな話ですが、私のような人間を信頼できるなどと…お父君の言葉だけで判断してしまって、本当に宜しいのですかぁ?」
ーー自分で言っちゃうんだ? 面倒くさい性格な自覚ありって、もうわざとやってるってことよね。 やっぱりお父様とは似た者同士・類友家令なのね!ーー
妙なところに感心しながら、自分を信じるその心は?と問われたことを受け、素直に思ったままを言葉にして返す。
「勿論です、だってお父様が私に嘘をつく意味などありませんもの。 私を騙して何の得もないのに、わざわざ心にもない言葉を仰るはずございませんから。 それに私はお父様をこそ信頼しておりますので、お父様の言葉を疑う余地など微塵もありません。」
「ライラぁ~~~っ!! なんっっって、嬉しいことを言ってくれるんだぁ~~、君って娘わぁ~~~~っ!!!」
一瞬で感極まったお父様の腕に捕まり、力一杯目一杯に抱き締められる。
スリスリされてグリグリもされまくる。
力加減がちょっと強めで、普通に苦しい。
「う~~、お父ひゃま、苦ひーでふぅ~~!」
見かけ華奢な厚い胸板と鍛え上げられた鋼のような腕に挟まれて、顔が軽く圧迫されているために紡ぐ言葉が意図せずふにゃってしまう。
私のか細い訴えを、相好が崩れてデレついた表情でうんうん頷くのみで聞き流し、抱き込む腕を緩めてくれる気配が一向に感じられない。
お父様の話の聞いてくれなさに諦めの境地に達して、挨拶をしてくれたサミュエルが口元を片手で軽く覆いながら固まっている姿に気がついて、そちらに目を向ける。
するとタイミングよく驚愕から覚めた領地家令の男が信じられない言葉を聞いて、呆然としながら同じ言葉を繰り返し呟いてからーー。
「……旦那様を、信頼? ふ、………っくくくっ、くっは、ンアッハッハッハッハッハ!! それはそれは、……っくく、何ともまぁー御見逸れ致しました!! あの旦那様が大層溺愛されているとは聞き及んでおりましたが、成る程これは致し方ございませんねぇー。 如何に人間不信気味な旦那様であろうと、ここまで真っ直ぐで無垢な好意を示されればイチコロになってしまわれるのも素直に頷けるというもの。」
口元を強く、隙間なく手で覆って笑い声を閉じ込めようと努力するも虚しく、勢いを増した呵いは掌に収まることなく盛大に広い寝室に響き渡った。
どこかつくったような上品な喋りが取っ払われ、素の喋りが顔を出してからは主人に対してはかなり不適切で失礼な見解が飛び出した。
兎にも角にも、転生してからこっち、私は年上によく笑われる体質になってしまったみたい。
可笑しそうに笑って主人を嬉々としてディスる領地家令を見遣りながら、複雑な心境でその眼福な光景を心のアルバムにしっかりと納めるのだった。
医療魔術師たちを引き止めていた時間はそれほど長くはなかったはずだが、冬の空が暗くなる足が早いのは前世と変わらないようだった。
お母様が倒れたと家令から知らせを受けて、お父様の魔法で一瞬にして移動したお母様の寝室では…色々なことがあった。
1番大きな成果としては、昨日からの私の不審な態度、それをとった相手であるお母様にその態度の理由を不器用ながらに説明して、ちゃんと謝罪できたこと…だろうと思う。
自分が持て余していた未知の感情と向き合うまでに色々な葛藤や懊悩を経験したし、それを受け止めて受け入れるために必要な勇気を…私に足りなかった自信を与えて下さったのは、お父様から惜しみなく与えられた言葉と愛情。
家族からの確かな愛情、家族との確かな絆、それを信じきれなかった臆病な私を丸ごと包んで励まして下さった。
お父様といえば…ちょっと変わった気がする。
私の誕生日パーティーからこっち、何故かはわからないけれどお父様の私に対する愛情が以前よりもかたちがはっきりして、それによって向けられる想いが増したように感じる。
何がそう思わせるのか、本当は私の気のせいかもしれないけれど私個人に対して向けてくれるようになった感じがするのだ。
お母様と瓜二つな私の外見を褒めて下さる時に言葉や態度に滲ませていた想い、それと似て非なる感情を今では全ての言葉の端々に、私に対する振る舞いや態度にも感じられる。
私個人に対しての感情が明確に定まったみたい、お母様に向けるのとは違うけれど…そう、お父様の言葉を借りればお母様には最愛の感情を、私には家族に対する愛情をちゃんと与えてくださるようになった、そう思える。
だからちゃんと響いた、私の心に、前世の記憶に怯えて今世にちゃんと向き合いきれていなかった精神の頑なに閉ざしていた目に、耳に、ちゃんと届いて心を震わせるほど響いた。
誰かへの想いを真似たような曖昧で不明確な愛情や上辺の言葉じゃきっと届かなかった、目を閉じたまま聞き流してしまったはずだから。
そんなお父様にたくさん支えてもらって、背中を押してもらったからこそ、私はお母様にちゃんと向き合えた。
逃げ出さずに、取り繕わずにいられた。
そこで知ったお母様の秘密、もう絶対にそれを『欠点』だなんて言いたくない、お母様にも誰にも言わせたくない。
その秘密は、けれどもうお母様にとっては心を痛めることも、思い悩むこともないものだと知れたから良かった。
そしてお母様が今みたいにただただ穏やかに幸福に包まれて微笑んでいられるのは、お父様の存在があったからと知れて嬉しかった。
その後にお母様が言って下さった言葉も嬉しかった、お母様にとって私たち『子供』の存在がお父様にも負けないくらいにお母様の心の領域を占有していて、1人ひとりが不可欠な唯一無二の存在なのだと知れたから。
私が今世では両親から愛される存在、愛情を得ることが適う存在なのだとやっと理解して、納得して、揺るぎない事実として受け入れられた瞬間だった。
安心したらもっと確かめたくなった、今世の私が触れることを許された温かな『母親』という存在を、私の愚かさを受け止めてくれる優しさを、私の謝罪を受け入れて赦しを与えてくれるその深い愛情を。
初めて縋りついた膝は、想像したそれよりももっとずっと、あたたかくて優しくて柔らかだった。
それら全てが私を一層ぬくまった安心でくるんでくれて、凍えていた心がゆっくりじんわりと解かされた。
溶けて温められた水が、熱い涙となって両の眼からどっと溢れ出した。
それを静かに受け止めて、優しく撫でて慈しんでくれるお母様の手に誘われて安らかな眠りにおちていった。
私が泣きつかれて寝入ったあと、どれくらい時間が経ったかは正確に把握できていなかったけれど次に目を覚ました時にはお兄様たちの姿はなく、医療魔術師たちが出ていくところだった。
お兄様たちが退室させられたその理由は誰に言われるでもなくすぐにわかった。
お父様がお母様の診察に立ち会わせるのを嫌って締め出したのだろうと察しがついたからだ。
息子たち相手にまで徹底した態度を崩さないお父様なのだから、赤の他人に対してならどうやっても許可など降ろさないと思える。
それなのに同席を許された人物、我がフォコンペレーラ公爵家の筆頭医師だという中年男性、ユーゴと名乗った人物はお父様とお母様、そのどちらの記憶にも残るほど恩ある人物だという。
ユーゴさんにとっては忘れられていて当然と思うような些細な出来事だったらしいけれど、お父様とお母様にはそうではなかったらしい。
その証拠に、お父様自らが率先して必要以上の高圧的な態度を取って、彼の為人を晒させるよう仕向けて、私に信頼に足る人物であると示してくださったのだから。
お父様の脅しに近い威圧に対しても怯むこと無く自身の身の潔白を啖呵を切って宣ってみせた、その理由も凄くシンプルで、それでいて今の私にとっては信じても大丈夫だと納得できるものだった。
人の命、特に子供の命を軽んじる輩の言いなりには絶対にならない。
その言葉が本心であることが、何故か不思議なくらい疑いなく納得できた。
それもこれも、真っ直ぐ向けられた言葉の威力のなせる技なのか、あるいは向けられる視線の強さのせいだったのか。
明確な理由が見つけられないのに、今ではもうすっかり彼を信頼しても良いと、大丈夫であると思えてしまっていたのだ。
この屋敷で顔と名前が一致する使用人は片手で足りる、私が頼れる大人は少なすぎるのが偽りない現状だ。
それなのに今現在この屋敷に勤める使用人は全員が全員、味方とは限らないときている。
実際に雇う際には厳しい審査が行われているけれど、一端雇用されてしまえば問題行動を取らない限り再度身辺を探られることは基本的にはない。
この屋敷の使用人になってから唆されて、間者となってしまったなら、すぐにはそれと見抜けるはずもない。
今回奇しくもターゲットにされてしまったのはお母様だったけれど、私が安全と言いきれる保証はどこにもない。
弱い者から狙われる、それが世の常なのは異世界でも変わらないらしい。
そう考えるともしかしたら、あの誕生日パーティーの日に問題を起こした子豚令息こと、ヒューシャホッグ・アンジェロン子爵令息もこの騒動の布石の1つだったのかもしれない。
あの時から、もしくはあの時以前から既に虎視眈々と狙われていたのかもしれない。
疑いだしたら本当にきりがない、何もかもが全て疑わしくなってしまってしょうが無い。
こんな事に考える時間を費やすのは、はっきり言って無駄でしかない。
そんな時間があればまず第一にやるべきことはたった1つ、事の真相を解き明かすためにも黒幕の尻尾を掴む事が1番の急務だ。
今回お母様が倒れた原因はお母様に処方された栄養剤、錠剤型のそれにある栄養素が規定量以上に配合されていた為だった。
もちろん人体に必要な栄養素ではある、けれどそれを接種しなさすぎても、し過ぎても、害を与える物質であったことが盲点となり害を与えるに至ってしまった。
素人が知り得ない知識であることが対策を遅らせ、事が起こり手遅れとなってから露見するはずだった。
この不必要なはずの栄養剤の存在に偶然気が付いた1人の医師によって、疑わしい人物たちに早急に焦点があてられた。
主人一家をお抱え医師たちが診るのは急病、もしくは定期検診くらいのもので、裂傷などの怪我は当主か嫡男が魔法で治癒できるために基本的にそれ以外に出番はない。
普段の仕事はもっぱら屋敷の使用人、その家族や騎士団連中の怪我・病気の対応に追われるのみだった。
公爵夫人の妊婦健診は医療魔術師に一元管理されていて屋敷の常駐医は誰1人、一切関与していなかったのだ、今日この時までは。
だから気づけるはずもなかった、偶然にもこの診療記録を見なければ。
十分厳選して選んだ担当の医療魔術師たちの腕前を信頼していたのだから尚更、手遅れになるまで誰も目を向けることはなかったはずだった。
居た堪れない自身の置かれた状況、何かで気を紛らわせなければとてもじゃないが耐え難い現実から逃避するためにとった偶然の行動だった。
それが功を奏してお母様が倒れた本当の原因を突き止められた。
今回の立役者であるユーゴさんが医療魔術師たちの経歴書を見て、医療関係の知識がない医療魔法専門の人物は除外して大丈夫と言った。
医療知識も備えた魔術師はそれ専門の養成機関を修了した旨を必ず記載し、且つ修了証明書の控えも合わせて担当となる顧客へと提出しないとならない規則があるのだという。
これによって成功報酬や給金の額も桁違いとなるし、記載を漏らせば厳罰にも処されるため、偽る者はまずいないらしい。
そして診療記録を記入できるのは専門の養成機関を修了した者だけらしいので、絞り込むことが出来るのだという。
そうは言ったものの、時間が経ってからよくよく考えた結果、こちらに出された経歴書だけが改竄されている可能性も無きにしも非ず、嘘偽りではないと精査したとお父様は言っていたけれど、『医療院に保管してある原本とも照らし合わせた後で絞り込み直した方が良いかもぉ、な~~んちゃってぇ……?』と後ろ頭を掻きつつ果敢に提案してきたユーゴさんは勇者だった。
お父様は目に見えて嫌っそーーーな顔をして無言で相手を睨み据えた一瞬の後、お母様ともうすぐで産まれるお腹の赤ちゃんのためと早々に頭を切り替えて、担当の医療魔術師たち全員に監視をつけるのと並行してそちらの手配を整える事も即決する。
というのも、今現在黒とはっきりしていた人物、共犯者確定だった薬剤師が十中八九口封じを理由に、既に殺害されていた事実を知った為だ。
相手の情け容赦ない残忍さが浮き彫りとなり、万全を期す必要に迫られたのだった。
これはお母様の専属担当である医療魔術師たちの監視の手配を整える間、前もって足止め役を任されていた家令のオズワルドが寝室に戻って来た際に顔色を曇らせ、表情を固くしながらも報告してくれた内容だった。
医療魔術師たちの到着の遅れを問うた結果に得られた情報であったそうだが、予想もしていなかった答えに驚愕して慄いてしまったのは意外なことにこの部屋においては私くらいのものだった。
私を変わらず膝抱っこしているお父様は、無感情にポツリと一言「先手を打たれたかぁ…、何にしても今回の相手は短気な馬鹿者らしいなぁ。」と呟いて、黒すぎる微笑みを浮かべている。
取り乱して騒ぎ立てるかと思われたユーゴさんは意外や意外、「口封じかぁ、これだから貴族って奴はやることがえげつねぇ~…、胸糞悪ぃぜまったく!!」とぼやいてからがしがしっと勢い強く頭を掻き毟ってわかり易く憤っていた。
そしてお母様は特に言葉を発することはなく、それでいて常と変わらず穏やかに微笑み続けている。
ーー待って待って、私の周人がソー・クール!! 超・冷静すぎるんですけどぉ、ちょっと控えめに言って怖さが過ぎるんですけどぉ~!? お母様まで微笑みを絶やさずに居られるって、何、そんな日常茶飯事なイベントだったかしら、口封じの為引き起こされる殺人って?! それに慣れ親しむことが高位貴族家での必須要件なら御免被りたいのですがぁーーーっ、心の底から願い奉るたった1つの言葉は誰でもいいから今すぐヘルプ・ミーーーーっ!!!ーー
頭の中は大パニック!!
所構わず叫び散らしてしまいたい、喚いて泣いてしまいたい、そんなどうにも抑え辛い衝動を遠い目をすることで空気中に散らし紛れさす。
1人悶々としながら貴族社会の世知辛さに辟易していると、入り口付近から寝台の横に置かれた椅子の上(お父様を間に挟んで)にいる私のもとへやってきて静かに頭を下げてから謝罪の言葉を口にしたのは家令のオズワルドだった。
「先程は大変失礼いたしました、ライリエルお嬢様。 お恥ずかしながら年甲斐もなく、気が動転しておりまして…返答できず不徳の致すところでございました。 どうか平にご容赦くださいませ。」
困り眉で殊更申し訳無さそうに表情を崩しながら謝ってくれた家令の顔を見返していると、自然にある疑問が浮かんできた。
ーーこんなちんちくりん幼女に対しても紳士的に謝ってくれるなんて…さすがオズワルド! 使用人の鑑だわ、これで独身とか、世の中謎に満ちているわね…。ーー
「もちろん許すわ! だからそんなに謝らないで、気にしていないから大丈夫よ。 私だったらもっと取り乱していると思うし、オズワルドもメリッサも…震えずにしゃんと立っていられるのだもの、それだけで十分凄いわ!!」
ちゃんとにこりと微笑めていることを祈りつつ、オズワルドへ言葉を返す。
今だって私の脳内はパニック状態が継続中で必死に顔に出ないように頑張っているのだ、それなのにもう立ち直っているオズワルドは凄いと思う。
ーーそう言えばメリッサは…うん、もういつもの無表情に立ち返っているわ、さすがね!!ーー
寝室の扉の近くの壁際に静かに立って控えているサイボーグ侍女をチラリと見ると、表情も雰囲気も気配すら消していつものように立っていた。
この公爵家の主人に仕えるには、心臓に毛が生えていないと身が持たないのだろうなぁー、とも考えてしまう。
だって私に謝ってくれた後、今度はお父様に話しかけているオズワルドの言葉が否応なく耳に入り込んでくるのだ、これだけ近くにいるのだから一言一句聞き漏らすこともできない。
「お坊っちゃま方をお呼びしてまいりましょうか?」
「いんやぁ、その必要はないよぉ~、夕食のときにでも話すさ。 さてはてぇ、面倒なことになってきたものだねぇ~…。 今になって、なんでまたうちにちょっかいを出してくるのかねぇ~、こんなことしそうな輩には思い当たる顔は幾つがあるがぁ、それにしたって今仕掛けてくるとは思っていなかったのだがねぇ~~? ふぅ~~む、読み違えたかなぁ??」
実直な家令の問いかけに返すお父様の言葉の中には物騒過ぎる内容がてんこ盛りなのだもの、聞いたことを後悔しそう。
ーー思い当たっちゃう人物が幾人も居てしまうのですね…。 怖っ、高位貴族、……怖っ!!ーー
今世の家族は大好きだけれど、ちょっと、いや、かなりこの公爵家を取り巻く環境には抵抗があり過ぎる、だって幼女の精神衛生上大変よろしくないのだもの。
ユーゴさんですら実感している貴族社会のドロドロ具合と面倒臭さに今からへこたれてしまいそう。
そう思っていると私からは結構遠い壁際に控えてステルス機能をONにしていたメリッサが身動ぎした。
こちらも家令と同じく足音を消して毎度驚いてしまう静かさで、私達の近くまで来ると一礼してからお父様に向かって声をかける。
「旦那様、サミュエル様がいらしておいでですが、如何なさいますか? 執務室の方へご移動なさいますか?」
ーーえ、その情報どうやって知ったの? そんな情報キャッチした素振りやモーション、何処かにあった?!ーー
侍女からもたらさせた驚きの報告に目を剥いて驚嘆する。
でも誰も私の驚きに共感してくれない、私だけが事ある毎に過剰に驚いているみたいで少し恥ずかしくなってしまった。
「ん~~? サミーがかい~、珍しいねぇ、こんな早い時間に尋ねてくるなんてぇ~! 嫌な予感しかしないけれど、ここで話を聞くよぉ~、通してやってくれメリッサ。」
「かしこまりました。」
再び一礼してからキビキビとした動きでサミュエルなる人物が待つお母様の居室の扉へと向かう侍女の背を見送る。
ーーサミュエル…サミュエル? 聞き覚えはあるけれど、どなた様だったかしら…??ーー
“サミュエル”がどんな流れで耳にした名前だったかを侍女の動きを目で追いながら考える、確か最近耳にしたはずなのに…、どこで聞いたのだったか。
昨日から怒涛の勢いで新着情報を満載に取得している為、脳内が情報を精査しきれておらずごった返している。
ここでは一つ一つの記憶を丁寧に確認して思い返している時間は与えられず、今思いついたようにお父様がサミュエルについてのある話題を振ってきた。
「いい機会だからライラにも紹介しておこう、今から来る男もねぇ、家令の1人なんだよぉ~。 見た目は胡散臭いの一言に尽きるのだけれどねぇ、彼もまずもって信頼しても大丈夫な人間だからねぇ~。 こと職務に関しては、と注釈が付いてしまう人間性に難アリな要注意人物でもあるのだけれどねぇ!!」
殆どが相手のディスりで埋め尽くされている、どれだけ仕事抜きでは信用のおけないやべぇ人物なのかと身を固くしているとーー。
「おやまぁ、酷い言われようで甚だ心外でございますよ旦那様。 ご無沙汰しております、奥様におかれましては大事無くあらせられて、心より安堵致しました。 ご挨拶が遅れましたこと誠に申し訳ございません、なにぶん旦那様から放り投げられた数々の仕事に忙殺されておりまして、このようにお伺いするのに遅れを取ってしまったのでございます。」
お父様に軽く文句を言った後は、綺麗な所作でお辞儀をして、優雅に上体を起こしてからは畏まった態度でお母様に挨拶をしてそのまま流れるようにお父様が仕事を寄越しすぎたせい、という言い訳をしゃあしゃあと口遊んでみせた。
ーーお父様とは似た者同士みたい、類は友を呼ぶって言うけど、本当なのね!ーー
格好はオズワルドと殆ど同じ、使用人用のお仕着せをきっちりと着こなしており、如何にも仕事が出来ます、なオーラを惜しみなく周囲に振りまいている。
象牙色の柔らかそうな髪、前髪は目にかからない長さに切り揃えて分け目に合わせて自然に流して、後ろ髪は背の中程までの長さがあるが乱れて邪魔にならないようきっちりと結われている。
ニコリと笑った顔、その目の細さと髪色も相まって狐が化かすように微笑んでいるような、人を食ったような表情に見えてしまう。
「なぁライラ、わかっただろう? この男はねぇ、息をするのと同じくらい極々自然に針の穴を通すように狙って人の事を悪しざまに宣ってくる輩なんだよぉ、サミュエルって男はねぇ~! ほんっっっっとーーーに!! 心底窮地に陥ったときだけ、頼るように、良いねぇ?! 決して普段から親しくしようとか、まっっったく思わなくていいからねぇ~!!!」
「旦那様ぁ、ぜーーーんぶ筒抜けて私の耳にも届いておりますよぉ? そんなにわかり易く期待されてしまったら、普段から親しんでしまおうと努力する私だと知っておいででしょうに。 ライリエルお嬢様、お初にお目にかかります、サミュエル・セヴと申します。 私は此処におりますオズワルドとは違う役割を担う領地家令の役職を旦那様より賜っております。 普段この屋敷にいることは稀とはなりますが、顔を見かけた際は遠慮なく言葉をかけてくださいましね♡」
ーーうんわぁあっ!! 凄い、スマートにウインクされた!! それに語尾にハートマークがあったっぽい、すっごくお茶目さんだわこのオジサマ!!!ーー
ウインクとともにピンと立てた人差し指を可愛らしく口元に当てており、そのお茶目な仕草が驚く程違和感なくしっくりきている、とってもこの人物に似合っているのだった。
オズワルドも密かに女性使用人から人気を集める類の初老の紳士だけれど、このサミュエルも例外なく騒がれて放って置かれなさそうな人物だった。
顔面偏差値高めなイケオジであることと、イケオジ以前に男の人にウインクを寄越された経験などあるはずもなく、その分余計にドキドキしてしまっている気がする。
それでもどうにか胸に去来するトキメキをやり過ごして、普段通りの対応を心がけて挨拶をし返す。
「こちらこそ、これからよろしくお願いね、サミュエル。 私も普段は私室から出歩かないとは思うのだけど、姿を見かけたら挨拶するよう心がけるわ。 信頼できる大人が増えて、私も心強いわ。」
「おや、早くも信頼できると仰って頂けて嬉しい限りではございますが、些か心配にもなりますねぇ。 私が自分で言うのもおかしな話ですが、私のような人間を信頼できるなどと…お父君の言葉だけで判断してしまって、本当に宜しいのですかぁ?」
ーー自分で言っちゃうんだ? 面倒くさい性格な自覚ありって、もうわざとやってるってことよね。 やっぱりお父様とは似た者同士・類友家令なのね!ーー
妙なところに感心しながら、自分を信じるその心は?と問われたことを受け、素直に思ったままを言葉にして返す。
「勿論です、だってお父様が私に嘘をつく意味などありませんもの。 私を騙して何の得もないのに、わざわざ心にもない言葉を仰るはずございませんから。 それに私はお父様をこそ信頼しておりますので、お父様の言葉を疑う余地など微塵もありません。」
「ライラぁ~~~っ!! なんっっって、嬉しいことを言ってくれるんだぁ~~、君って娘わぁ~~~~っ!!!」
一瞬で感極まったお父様の腕に捕まり、力一杯目一杯に抱き締められる。
スリスリされてグリグリもされまくる。
力加減がちょっと強めで、普通に苦しい。
「う~~、お父ひゃま、苦ひーでふぅ~~!」
見かけ華奢な厚い胸板と鍛え上げられた鋼のような腕に挟まれて、顔が軽く圧迫されているために紡ぐ言葉が意図せずふにゃってしまう。
私のか細い訴えを、相好が崩れてデレついた表情でうんうん頷くのみで聞き流し、抱き込む腕を緩めてくれる気配が一向に感じられない。
お父様の話の聞いてくれなさに諦めの境地に達して、挨拶をしてくれたサミュエルが口元を片手で軽く覆いながら固まっている姿に気がついて、そちらに目を向ける。
するとタイミングよく驚愕から覚めた領地家令の男が信じられない言葉を聞いて、呆然としながら同じ言葉を繰り返し呟いてからーー。
「……旦那様を、信頼? ふ、………っくくくっ、くっは、ンアッハッハッハッハッハ!! それはそれは、……っくく、何ともまぁー御見逸れ致しました!! あの旦那様が大層溺愛されているとは聞き及んでおりましたが、成る程これは致し方ございませんねぇー。 如何に人間不信気味な旦那様であろうと、ここまで真っ直ぐで無垢な好意を示されればイチコロになってしまわれるのも素直に頷けるというもの。」
口元を強く、隙間なく手で覆って笑い声を閉じ込めようと努力するも虚しく、勢いを増した呵いは掌に収まることなく盛大に広い寝室に響き渡った。
どこかつくったような上品な喋りが取っ払われ、素の喋りが顔を出してからは主人に対してはかなり不適切で失礼な見解が飛び出した。
兎にも角にも、転生してからこっち、私は年上によく笑われる体質になってしまったみたい。
可笑しそうに笑って主人を嬉々としてディスる領地家令を見遣りながら、複雑な心境でその眼福な光景を心のアルバムにしっかりと納めるのだった。
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