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●本編●
97.同い年の幼女との初めての遭遇は、“初めて”満載の忘れられない出逢いの日…。
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「…はぁっ、……はぁ…はっ、いうぅっ!?」
暗闇の中で目が覚める。
夢現で耳にしていた荒い息遣いが、自分が発したものだったと気付いたのは、眼前に広がる暗闇に馴染んだ目が、天蓋の中の様子を薄ぼんやりとでも判別しだした頃だった。
――それにしても暗い…、今って、何時なのかしら…?――
身を起こすための前段階として、まずは仰向けの状態から横に体を向けようとした。
その直後、顔面の中心部からおこった激痛が瞬時に走り抜け、頭の後ろへ向かって真っ直ぐに突き抜けていった。
「……っぅう!! ……っはぁっはぁっはぁ、……はぁ、はぁ~~………。 痛み止めがきれたのね…、ってことは…8時間以上は、経ってるってこと……よね?」
ずくん…ずくん…。
血の巡りに合わせて疼く激しい痛みが落ち着くまで、手と体をギュッと丸めて不規則に襲い来る痛みの大波が去るのを息を短く吐き出して耐えて待つ。
耐える間に繰り返される荒い呼吸はそのままに、チカチカと明滅する視界を数回の瞬きで正常化できないかと試みるも、中々思うように改善されていかない。
痛みに邪魔されて上手く働かない頭をそれでも何とか働かせて、就寝前に筆頭医師の口から語られた内容を思い出してみる。
鎮痛剤の効果は良く保って8時間前後。
初めての使用なら、もう少し長めに効く可能性もある。
昨晩、この寝台の脇に置かれた丸椅子に腰掛けて、不機嫌そうな表情(恐らく)と声で説明してくださったのは、この怪我の手当をしてくださったのと同じユーゴ先生だった。
普段の無愛想さに輪をかけた仏頂面に、堪えきれずにクスリと笑ってしまったのは、ユーゴ先生が真剣に私の怪我を心配してくださっていると感じられたからに他ならなかった。
私が堪えそこねた笑い声を耳にして、今までも十分に不機嫌絶頂だった筆頭医師は口をヘの字にひん曲げたかと思うと、次の瞬間には荒らげた声で説教を開始されてしまった。
ともあれ、今の私が思い出したかったことは、勿論説教されたエピソード部分ではない。
説明された通り薬の効能がきれたことで、抑えられていた痛みが徐々に勢いを取り戻し、激しい痛みに襲われた自分が上げたうめき声で目が覚めてしまったようだ、と考察するのが目的で回想していたのだった。
考えに集中したことが功を奏したのか、強い痛みが大分鎮まり、ゆっくりとなら動いても大丈夫なくらいに回復した。
慎重に無理なくゆっくりと体を起こし、あまり揺れないよう注意して、寝台の上をそろそろと四つん這いで這い進む。
今とっている行動の目的は、今が何時頃なのかを確認する事だった。
なので向かって右手側に方向を定めてはるばる移動し、天蓋から垂らされている厚地のカーテンの合わせ目をやっとの思いでそろりと開いたのだった。
まだ高度の低い金皇の光が薄っすらと差し込み始めたばかりの室内は、無彩色が割合多く見受けられ、天蓋の中よりかは明るいか、という状態だった。
室内の様子から少し遠くにある窓に視線を移す。
長方形に切り取られて見える断片的な空は、未だに濃い藍色に彩られている。
冬は夜が明けきるまでの時間が長いとは云え、日頃の起床時間よりも大分早い時間であることだけは理解出来た。
予定もないのに早起きしてしまったと理解すると、寝直したと思うのは人間の逃れられない性だと思う。
とりわけ、3度の飯の次に寝ることが好き♡な今の私としては、是非とも二度寝に託けたいところだが、如何せんあの激しい痛みで目が冴えてしまった。
そこからまたのろのろと時間をかけて、寝台の縁から足を垂らして座りの良いポジションに落ち着いてから、痛みを訴える顔面の中央に手をかざす。
そこには厚めの不織布もどきが、サージカルテープもどきでしっかりと貼り付けられていた。
何のために貼られているかと云えば、腫れ上がって熱を持ってしまった患部を冷やすために貼っている以外の理由はない。
そして、この貼り付けられている不織布もどきは唯の不織布もどきではなく、冷却効果のあるジェル状の塗布薬を、肌にあたる側の表面に目一杯塗りたくってある代物なのだ。
――間違いなく前世で云うところの冷却シート的な物よね、これって。 ピンクっぽい色味なのに冷たいなんて、違和感あって変な感じだったけど…、その効果ってばホント凄い!! まだまだ、全然冷たさが残ってる!! このファンタジー世界、侮り難し!!!――
と、テンション高めに称賛してみたけれど、実際にこんな爆高いテンションで称賛したら激痛に悶える未来しか視えないので、感情を排した言葉だけでの称賛に留める他無かった。
本来であれば昨日のうちに、キレイサッパリ影も形もありゃしないってくらい完璧に治癒されているはずだったのだけれど…。
何の因果か、昨日は私に都合よく絶妙なタイミングで上手に融通つけて卸してくれる問屋が皆無な日だったらしい。
――…ユーゴ先生の診立てを疑うわけではないのだけど、コレってホントに…陥没骨折とかしてないって、ホントのホント?! ――
ジンジンしてガンガンする。
昨日打ち付けた当初は、酷く感じたとしてもその程度の痛みで済んでいた。
――なのに一夜明けたら、あ~ら不思議☆痛みが倍増どこの騒ぎじゃないのですけど、コレ如何にぃ~~っっ?!?――
今の痛みの度合いは、型に嵌まった普通のオノマトペなんかでは表せないし語れない。
不協和音が鳴り響いてごちゃ混ぜになった音がうわんうわん唸って幾重にも連なった波のように襲い来てるような状態で、とにかく破茶滅茶かってくらい滅茶苦茶に痛いのだ。
――…こんなに痛くなると知っていたなら、アルヴェインお兄様が促してくださった通り、お父様に治癒していただけば良かった…かも(泣)――
一度不運なことがあると、不運は何故か連鎖反応を起こして発生してしまうらしい。
アルヴェインお兄様は昨日、誰に指図されるでもなく魔法の自主練習を行っていたそうな…。
そうしていく中で興が乗ったのか、魔法よりも段違いに多くのマナを消費する“魔術”にも果敢に挑戦されたらしく、予定外に負傷してしまった私の顔面を治癒するに足る十分なマナが残っていなかった。
そんなわけで、魔法による治癒は今日へと持ち越しとなってしまったのだけれど、勿論お父様は治そうか?とちゃんとご提案くださった。
だけどアルヴェインお兄様がすごく責任を感じておられて、このままお父様に治癒していただいたら何かが駄目になってしまう気がした。
ご自分を不甲斐ない兄だ、と今以上に不必要に責めて、長く責め続けてしまわれるのでは無いかと本能的に感じられた。
――う~~ん、今思い返してみると、アルヴェインお兄様ったら何かを焦ってる…のもありそうだったけど、自分の中にあるモヤモヤが消せなくて、答えが出なくてがむしゃらに今できることに打ち込んでしまった、って感じがしたわね…。 いつでも冷静なアルヴェインお兄様が心乱されるような出来事が、何かあったのかしら?――
昨日の会話の中にその答えに辿り着けそうなヒントが無いかと考えて、痛みを紛らわせる意味合いも兼ねて早速思い出してみることにする。
あれはユーゴ先生に手当てをして頂いた少し後。
救護室への本日2度目となる訪問、その訪れ方が大層お気に召さなかったらしく、ぶすくれた筆頭医師が此方へ向けて勢いよく放ってくる不機嫌オーラをビッタビタに浴びせられていた時だった。
『怪我をしたと報告を受けたが…大丈夫なのかいライラ!?』
『どぁ~~~っとぉっ?! 駄目っす!! それはやらんでください旦那様!! 今のお嬢様には振動は極力与えんで下さいよっ!? ホントだったら邪魔したくないんすけどぉ、今回は邪魔せざるを得ないっつーー止むに止まれぬあれですわ!!』
何の前触れもなく、パッと姿を現したお父様に腰を抜かさんばかりに驚きつつも、お父様が私の肩に触れようとしたのを見て正気に立ち返り、慌てて止めにかかる。
ユーゴ先生の言い訳を聞きつつ、邪魔されたお父様が凄みをきかせた視線で、何事かの恨み言をユーゴ先生へビシバシ語りかけている。
でもそれを直接声に出して伝えないのは、お父様もユーゴ先生が医師としての判断に則って止めたのだ、ときちんと理解しているからに他ならない。
ちょっと険悪な2人は扠措いて、そろり…そろり……と体を動かしてメリッサの姿を探すが、見当たらない。
手当てが始まる前まで救護室に居たメリッサは、私の呼び出しに応じて直ぐに救護室に向かって来てくれていた。
けれど、私の姿が廊下になく、救護室にすら居ないと知り、心配するより先に冷ややかな殺気を放ち始めたらしい。
――うふふ、そーゆーとこ本当にブレないわよね~メリッサったら♡――
殺気立った侍女が私の行方を探しに行こうかとした矢先、ヤニス君に介助された私が救護室に舞い戻ってきた、と云う寸法だ。
今はちゃんと止まったけれど、負傷した当初は流血しており、とても見せられた状態の顔面ではなかった。
負傷した鼻部をこの小さすぎる手で覆い、できれば俯きたいのを堪えて必死に上向いてよろよろと入室してきた私を見て、呼び鈴で召喚された侍女が取った行動は次の3つ。
①眼光鋭く(脚色有)一瞥を寄越す。
②結局口を開かず終始無言のまま。
③音を立てずに救護室を退室する。
退室したあとは真っ直ぐにお父様の執務室に向い、今回は魔術を失念せずに行使してパッと現れた、という経緯だろう。
そこまで考えてからお父様へ声をかける。
今は大きめの不織布もどきで覆われた鼻部を指し示し、仰々しく見えてしまうが大した痛みは感じていないと伝えたかったのもあって、そこから話をきりだしてみた。
『心配してくださってありがとうございますお父様。 でも見かけより酷くないんですよ? ユーゴ先生がきちんと手当してくださったので、全然平気なんです♪ …お父様にこの怪我の報告をしたのはメリッサですよね? メリッサのこと…どうか怒らないで下さい。 お父様との“約束事”を守れなかった私が、メリッサを待たなかった私が全部悪いので!』
『怒りはしないさ。 ただ私の立場上、彼女を叱責しないわけにもいかない。 理由はどうあれ、ライラから離れて、監視を怠った彼女にも責任の一端があるのだからね?』
真面目な表情で、真面目な当主っぽい尤もらしい発言をするお父様のお顔をじ…っと見返す。
普段とは違う真剣な雰囲気にコロリと騙されて、サラサラ~とは聞き流せない単語がしっかり1つ在ることに気づいてしまったからだ。
『…監視させていらっしゃったのですか? それは何が目的でさせていたのですか??』
ギクリッ、と角ばった動きに右肩が軋んだのを、私は見逃さなかった。
『え?! いやいやいやぁ~~、今のはあれだよ? 言葉の綾、表現の一種であってだねぇ~?? この言葉が本来持つところの堅っ苦しい意味合いは全く排除したものでねぇ、見守るという言葉の代わりに格好つけて選んだだけであってねぇ~~!? はっはっは、まさか私がライラの行動を本気で監視しようだなんて、思うはずがないだろうともぉ~、あっはっはっはっは!!』
目を泳がせて、言葉を濁しながら煙に巻こうとしてくるお父様を、じっとりとしたジト目で上目遣いに見遣っていると、今度はアルヴェインお兄様が救護室に慌ただしく駆け入って来た。
そこでまたお父様と同じように私の身体に触れようとしたアルヴェインお兄様の行動をストップさせて、物言いたげな視線をガンを飛ばさん勢いで向けられる筆頭医師、という、つい先程見たばかりの構図がマイナーチェンジされて再現された。
一連の流れが落とし所に落ち着いた所で、治癒を施そうと云う話になり、そこで先に言ったようなお兄様の自主練習の内容が明かされ、ならば代わりにとお父様が名乗りを上げてくださった場面に繋がる。
治癒できないと口にしたアルヴェインお兄様の表情は、暗く翳り、秀麗な眉は形を崩して垂れ下がり、その眉根は深くしわが浮かぶ程強く、ギュッと寄せられていた。
責任感からだけではない、何かしらの苦渋を伴う感情に彩られた表情。
それを目にした私は、極自然な流れで口を開き、お父様へと断りの言葉を告げていた。
『治そうかとご提案くださってありがとうございます、お父様! でも私、アルヴェインお兄様に治癒していただきたいので、明日まで待ちます。』
言葉の終わりににっこり笑って、お父様のお顔を真っ直ぐに仰ぎ見る。
『ん~?! それは…何と言うか、承服し難い言葉でもあり…納得し難い言葉でもあるのだがねぇ~~? う~ん…、まぁ…こればっかりは仕方ないねぇ。』
もっと食い下がられるかと思いきや、あっけなく承諾したのには、とってもお父様らしいと納得できてしまう独特な理由があってのことだった。
『困ったことに、何事かを決断した時のアヴィと同じ表情をしている。 どぉ~も私はその表情に弱くってねぇ~~? 私には無理だろうなぁ、できそうにない、今のライラの意志を変えさせられる気が全くしないからねぇ~! というわけだアルヴェイン、治療は持ち越し、明日こそはしっかりと頼んだよぉ~??』
顔には苦笑を浮かべていても、その口端はにんっと引き上がっており、本気で苦心していない事がそのことから窺えた。
アルヴェインお兄様の常とは違う、何処か思い詰めて、ピンと気を張り詰めたような雰囲気に、お父様も気づいているのかもしれない。
そんな勘ぐりを誘発する、意味ありあり~な表情に見えた。
ぽんっとお兄様の肩に手をのせてから、鼓舞するようにぽんぽんっと軽く2、3回叩く。
お父様から送られた激励の言葉を、切羽詰まったように強く拒否したのはアルヴェインお兄様ご自身だった。
『?! そんな…駄目です、明日では遅すぎます! ライラ、今すぐ父上に治していただくんだ! でないと…今だってこんなに腫れてるんだ、かなり痛いだろうに……、そんな思いをしてまで、僕に拘る必要なんてない!! 見ている僕のほうが痛くて耐えられない、お願いだから今直ぐ父上に治癒してもらっておくれ…?』
私が感じた痛みを同じだけ感じでいるかの如く、痛ましげに顔を歪め、言葉を重ねて哀願される。
――うう~っまっっっぶしいーーっ!! 心許なさ気に表情を曇らせていても、イケショタは変わらずイケショタ、顔面が麗しくって眼福ですぅっ!!! でもそれはそれこれはこれ、ですからね、今回はチョロくイチコロされたり致しません♪――
フフッと笑い、両腕を交差させて大きくバツ印をつくって、変わらず拒否の意向であると示す。
それからはニコニコ笑顔でグイグイと、自論を押し付けていく。
その際に、お母様の微笑みを強く意識して模倣するのも心掛けてみた。
『うふふ、嫌です、お断り致します♡ 今回のこの傷に関しては、アルヴェインお兄様からの治癒しか受付いたしません!! だから明日こそはしっかりこの傷を治せるよう、今夜はぐっすりと十分な休息をとってお休み下さいね? 間違っても、ご自分を責め抜いて寝不足になどならないで下さいね??』
それが功を奏したかは、真偽不明。
でも、この時のお兄様には何かしらの効果は、少なからずあったと思える。
『いや、だから今父上からの治癒を受けて欲しいと………、はぁ…、わかったよライラ。 僕の負けだ。 姫君の仰せのままに…。 明日は万端整えた体調で、姫君の治癒に臨むとお約束致します。』
頑なだった姿勢がフッと脱力して軟化する。
深く刻まれたままだった眉間のシワも解消され、困ったような表情ながらも緩く微笑んで、私の意志を汲んで了承してくれた。
『うふふっ、良きにはからえ♪ では、明日の朝食の前に治癒して下さい! よろしくお願いしますね、私の小さな魔法使い様♡』
最後には冗談めかして約束してくださったお兄様の言葉に便乗して、お姫様気分で念押しの言葉を添えた。
これが昨日の夕方、救護室で行われた会話のあらましだ。
振り返ってみて改めて思い知る。
この会話の中にはアルヴェインお兄様が何を思い詰めてるのか、その手がかりとなりそうな言葉は無かった。
結局、謎は謎のままとなってしまった。
回想が一段落ついたところで、遠くの窓から見える空が大分白んできていることに気が付き、もう1つ大事なことも思い出した。
――そうだった、鎮痛剤! 予備で貰ったやつがあったんだった!! え~~とぉ…? メリッサったら、何処にしまったのかしら……、あ、あった!!――
そろ~りそろりと慎重に、スロー再生もかくやな動きで鎮痛剤の所在を探す。
ベッドヘッドにある引き出しを順繰りに引き出して中を確認し、結局一番最後の引き出しから発見された。
鎮痛剤は小さな色ガラスっぽい小瓶に収められており、手に取るとカラランと鈴を転がしたような涼やかな音を立てて瓶の中で転がった。
子供用だからか、一錠はかなりな小粒サイズだった。
幼女の手のひらに乗せても小さいと感じるのだから、大人の手に乗せたらゴマ粒か?と勘違いしてしまうかもしれない。
念には念を、と気を利かせたユーゴ先生は本当に色々と気を揉んで教えてくださっていた。
そのうちの1つである、1回分の用量を守り3錠小瓶からフリフリっと出して口に含み、水と一緒に飲み下す。
この水は、ベッドヘッドの上にあった水差しから、同じように置かれていたコップへと注いで、予め準備しておいたものだ。
鎮痛効果があらわれるまでの間、何とかこの鈍痛と親しんでみようかと、あらぬ方向への努力を試みる。
その結果は火を見るよりも明らかで、白旗を振り回すまで、そんなに時間はかからなかった。
無駄な努力も、存外無駄ではなかったかもしれない。
そう考えられたのは、冴え冴えとしていた目が再びしょぼついてきたからだ。
ゴソゴソモゾモゾと掛け布とシーツの間に足から潜り込み、枕の上に仰向けた頭を乗っけると、目のしょぼつきが増した。
でもまだ二度寝に至るまでには程遠く、痛みも強く感じるので、中々直ぐには寝付けそうにない。
なのでもうちょっとの間、微睡みが訪れる迄の時間潰しとして、昨日の記憶を浚い、それに没頭することを決める。
明日治癒魔法を施してくださると約束して直ぐ、アルヴェインお兄様はお父様に向かって深く頭を下げた。
『申し訳ありません、父上。 僕が不甲斐ないばかりに…、ライラの怪我の治癒が遅れてしまうことに……。 以後、気をつけます。』
どこまでも自分が悪い、責任の一端が確実にあると思っているようで、謝ってからも中々顔を上げようとしないお兄様。
その深刻さを軽減させようと考えて、かは定かでないけれど、殊更明るく笑ってみせてからお父様が口にしたのは、全く以ってその通りなこの場での正論だった。
『ははは、なぁ~に、謝らなくとも良いさ! アルヴェインのせいではないのだからねぇ、気に病みすぎないことだよぉ~? というかねぇ、そもそも此の件で1番に反省すべきは暴力をふるった加害者本人であるべきだろう?』
そこで言葉を区切り、顎に手を遣り思案する素振りを見せる。
次に口を開いたときには、先程よりも声のトーンは1段階低められ、その顔に浮かべる表情は冷笑に切り替わっていた。
『まったく、家長不在の最中に、ここまでの騒ぎを引き起こすとは……、誰に似たのかわかり易過ぎる似たもの父娘だなぁ、全く!! ヴァルバトスが帰ってきたらキッチリと、娘が犯した愚行の落とし前をつけさせてやらないとなぁ……。 さぁ~て、どうしたものかなぁ~~? 何を以って贖罪とするか、悩ましくて堪らないねぇ~??』
――って、全然悩まし気じゃありませんよねお父様? 悪どい事を考えまくってる極悪人面になっちゃってますけど、一体何を科すおつもり!?――
大魔王迄には至っていないけれど、慄くに十分な凄味を感じさせる表情に、アバアバしたのは私の他には筆頭医師たるユーゴ先生のみ。
少し普段の調子を取り戻したらしいアルヴェインお兄様は、お父様と比べれば優しく感じられる、氷点下にまで温度を下げた視線で宙を睨みながら、事実を確認するように言葉をこぼした。
『たしか…レグリス、と云う名でしたか? 問題児とは聞き及んでいましたが、ここまでとは思いませんでした。 武器は持ち込んでいないのですよね? 素の拳を振るっただけで、あれだけの被害が出るだなんて…想像を絶する危険人物ですね。』
『やぁ~~、でもですねぇ、坊っちゃん? あのガキンチョだけじゃないんすよ! あの団長一家は全員が全員、何かしらの規格外を体現する一家でしてねぇ~~?! 俺たちもほんっとの本っっ気で!! めぇーーーっちゃくちゃ被害を被ってんですからねぇっ?!?』
一言も二言も口を出さなければ気がすまない様子で口を開いたのは、それまでは気配を殺して空気と化していたユーゴ先生だった。
そう云えば先程、ジェラルド先生が居た時に、騎士団の話題が出た際も、凄く苦々しい表情で語っていらしたなぁ…と思い出す。
ヴァルバトス卿が騎士団長に就任してから居座古座が頻発している、とか、ガキンチョ共がどう、とか。
私と比較していた3歳児って、レグリスさんのことだったのかしら?と今になって思い至る。
――うん…、確かに想像を絶する幼女だったわ…。 なんというか何もかもが予想外と想定外の連続だった。 『会ってみたい』と無邪気に発っしてしまった発言に対して、アグレアス卿があそこまでキョドってしまわれたのも、今となっては納得に尽きるわ。――
けたたましく鳴り響いた物音を聞きつけて駆け込んだ厨房、ヤニス君の背に庇われた後の顛末を思い起こして、溜息が自然と溢れてしまったのは仕方ない反応だったと言える。
結果から言えば、今話に出たレグリスさんが原因で私が負傷する事になった。
コレこそ本当に、「3歳幼女と侮ることなかれ」と注意喚起しなければならない現実的な問題だった。
繰り出される拳は幼女特有のぷにっとした皮下脂肪が目立つ丸みを帯びたそれであるのに、その拳がもたらす威力は並の大人以上。
否、段違いで桁違いな威力で、素の拳で金属製の調理台を凹ませられるという超重量級なヘビー過ぎるものだった。
だっておかしい、打ち付けた拳があげる音が根底からおかしい。
ガキィーーーーーン!
ここでも半端ない既視感に襲われる。
アグレアス卿の頭部を殴打したヴァスバトス卿の拳も、同じような金属音に近い鈍すぎる音を響かせていた。
その場面がありありと思い出され、こんなところで確かな血の繋がりを確信してしまえるなんて、何か複雑、とも思ってしまった。
年長者たる責任感からか、ヤニス君は私ともう1人、私と同い年くらいの少年を背に庇いながら、慣れ親しんで勝手知ったる厨房を、右に左に、飛んだり跳ねたりして逃げ回る。
逃げる方向はその都度、被害が出ない場所を選んでいるけれど、思うような結果が得られていないのが現状。
逃げれば逃げるほどに、被害は拡大していく一方だった。
このまま庇われたままでいて良いはずがない。
厨房内が暴風一過、な惨状になる中でようやっとその考えに思い至った。
だって今ここで庇ってくれているヤニス君は、護衛などその道のプロではなく、厨房で料理修行に勤しむ幼気な成人前の少年なのだ。
我が家に奉公してくれている使用人、しかも前途ある善良な若人を守れないでは公爵令嬢の名折れだ。
何度目かの拳を避けて距離を取った所で、肩で息をするヤニス君の前にずずいっと躍り出て足を踏ん張り、お腹に力を込めて強めな声を絞り出す。
『あ、あのっ! お話しませんか? 拳で解決するのでなく、話し合いで解決しましょう?! 私の名前はライリエルと言います、挨拶が遅くなってしまってごめんなさい。 貴女のお名前を聞いてもいいかしら?』
会話が成立するのか、という一抹の不安はあった。
けれど、私の問いかけから少し間をおいて、予想していたよりもちゃんとした返事が返された。
『…レグリス。 かぞくはあたいをレリってよぶけど、アンタはぜったいよばないで!』
『…わかったわ、じゃあ……レグリス“ちゃん”、と呼んでもいいかしら?』
『“レグリス様”ってなら、よばしてあげてもいーけどぉ? いま決めた、ソレいがいはキャッカ!』
――あらら、いきなり下に見られてしまったわ…。 こんなの初めてで、どう返すのが正解なのかしら?!――
『……それは、ちょっと難しいですね。 レグリス“さん”では駄目かしら?』
『……ちぇっ、じゃあソレで。 しょーがないから、よばせてあげる!』
――私が渋々許される側なのね、これも初体験! これが普通の3歳児って感じの、ちょっと生意気でおませさんな幼女さんなのね!! こうやって話してみると和める可愛らしさだわぁ~♡ 思い切って話し合いを提案してみて、大正解だったわね♡♡――
『でもぉ…、ふぅーーーん? アンタがあのリャイリエリュねぇ~? なぁ~~んだぁ、ほっとにあたいよりちっこいんだぁ~~♪ やぁ~~いっ、ちびちびのちびっ子ぉ~~♪ んまぁ~ねぇ~、あたいのほーがアンタよりひーでてりゅにゃんて、あったりまえだけどねぇ~~っ!!』
やはり父娘はふとした瞬間に出る仕草まで似るものらしい。
私のことを頭の天辺から足の先までしけしげと見やる仕草は、数日前のヴァルバトス卿が取った仕草を彷彿とさせる、似通い過ぎたものだった。
そのことにも驚きつつ、幼女が放った言葉にも吃驚した。
『 !? 』
――衝撃!! ちびっこにちっこいって言われてしまったわっ?! 凄い、これも初体験!! そして何より、『ラ行』多めな言いにくい名前でホント…、ごめんなさいっ、って一言謝りたくなってしまってしょうがない!!!――
そんな事を考えてオロオロし出した私の態度を見て、揶揄されたことを気にしていると勘違いしたヤニス君が、すかさず励ましの言葉を投げ寄越してくれた。
『おいっ!? あいつが何言っても気にすんなよ! 泣くひつよーとか、全然ないんだからなっ?!』
『あ、はい。 大丈夫、言われた言葉は全然、気になってもいないから平気よ。』
ケロッとしてキッパリと、間髪入れずに即否定する。
『お……ぉう? そんならまぁ、良いんだけど……よぉ?』
私のサッパリし過ぎたドライな対応に面食らうこととなったのは、心配して言葉を寄越してくれた少年の方だった。
そのたじたじになった様子に、微笑ましく思ってにっこり笑顔を返しながら、頭の中では全く違う観点から騒然となっていた。
9日前の自分も経験していた、何度も、何度でも煩わされた、この年齢特有の幼女の舌っ足らずな滑舌、それにとっては天敵中の天敵、『サ行』と『ラ行』どちらかが一つでも紛れ込んでるととんでもない大事故必至なのだ。
主に精神がやられる、頭で思い描いた音と現実の耳に聞こえてくる音が食い違いすぎて、かけ離れ打度合いによって受けるダメージが何倍にも膨れ上がってしまうのだから、打開策を緊急で要する死活問題だ。
神妙な面持ちで俯き加減に、自分の考えに沈み込んでいた私は、相対する幼女がどんな表情で私を見ているのか、まるで気づいていなかった。
それどころか、目の前の幼女が寄越した台詞の内容も、自分の名前(らしき音)以降全く解析されないまま、右から左へと聞き流してしまっていた。
そのせいで相手がこれみよがしにイキってオラついてみせた台詞を完全に無視してしまっている現状に気が付くことができていなかったのだ。
すぐに怒って言い返すか、傷ついて泣き出すかのどちらかだと予想していたのに、相手が返してきたのはそのどちらでもない反応だった。
何の反応も返されずに放置され、ぽかんと呆けたのは最初の数分間だけ。
段々と無視された事に腹を立てて、顔を赤くして怒りを溜め込み始めたレグリスと名乗った幼女は、ぎりぎりっと幼女に似つかわしくない音をさせて、再びぷにっとした拳を握り込んでいく。
もう握り込める隙間がない限界まで、きつく拳を握り込むと、今度はその拳を振り、ズンズンと肩を怒らせ大股で歩み始めた。
幼女が足を向ける先にいるのは、同じ幼女である私で。
向かい来る幼女が放つ異常な怒気、その危険な気配をいち早く察知して、私と怒りに巻かれた幼女の間に小柄な影が割り込む。
視界が陰ったことで、思考の沼の底から緊急浮上することができた。
今私の目の前に見える背中は、ヤニス少年のもので間違いなかった。
背格好からしてそうとしか断じれないが、今この場には幼女2人の他にはこの少年しか居なかった、というのも理由の1つだ。
厨房に先程までいたはずのもう1人の少年、ヤニス君が最初から庇っていた弟のテオ君の姿が今は厨房の何処にも見当たらない。
レグリス嬢にロックオンされていたテオ君は、対話を試み出したあたりから何処かに行ってしまった、もとい避難し果せたようで、いつの間にやらこの場にはそれらしい影も見えなくなっていた。
うろうろと思考を彷徨かせながら、何で再びヤニス君の背に庇われる状況になってしまったのか把握しようと勤める。
すると突如、不動かと思われたヤニス君の背中が急に弾け飛んで眼前へと急激に迫ってきた。
飛んでくる前に、ゴキャッとかなんとか、とんでもなく不穏な効果音が発生していたようにも思うが、今は冷静に振り返ってる時間が無かった。
だってもう、元々狭い私の視界にはヤニス君の着用している衣服の色しか映っていない。
この現状から導き出される、この後私に待ち受ける未来はたった1つ。
ヤニス君の背中が私の顔面、主に出っ張った鼻部から接触して激突し、それを以ってしても全く威力が削がれず2人諸共になって後方へとぶっ飛ばされ、厨房の床に転がった。
この日初めて、私は“痛み”を体感し、“恐怖”を思い出し“憤り”を感じた。
暴威に晒される恐怖、暴力を振るわれる恐怖、それをただ過ぎ去るのを待つしか出来ない無力な自分への憤懣。
強打した鼻部はジンジンと痛みを訴えだし、損傷した粘膜からは鮮血が湧き出し、重力に従い鼻孔から流れ出ていった。
ポツポツと滴り落ちていく赤い液体を眺めながら、考える。
こんな時にはどうしたって考えてしまう。
『私にもっと“力”があったなら――』
その後に続く、こうありたいと望む理想の自分が選び取る行動は――。
白い光に意識が呑み込まれ、それ以上考えることは出来なくなってしまった。
どこまでが回想で、どこからが夢想だったのか。
いつの間にやら二度寝に成功していたらしく、鎮痛剤の効果にも助けられて、次に目を開いたときには部屋に射し込む金皇の光は真昼のそれとなっていた。
自分の犯した取り返しの付かない失態に、自己嫌悪に陥るのもそこそこで切り上げて。
今は一刻も早く現状を把握して、挽回の余地がないか探るべく、呼び鈴を振って侍女を早急に召喚する。
冷ややかな目で見られるかと思いきや、特にお小言を食らわされることもなく淡々と着せ替えられ、身支度を整えられていく。
聞けば答えてくれるのだけど、何だかメリッサもちょっと様子がおかしい。
けれど、今現在の時刻を聞いた私には、侍女の様子が普段と違う、という事に気を回せるだけの余裕が皆無となってしまった。
わたわたと自室を出て、ばたばたばたっと食堂へ向かい、昼食を食べている最中のお父様とお兄様ーズへ朝の挨拶もそこそこに、ありったけの謝罪の気持ちを込めて「アルヴェインお兄様ごめんなさいっ!!」と(泣き)叫んだ。
朝食の時、と約束したはずの治癒魔法の行使が、お昼時にまでずれ込んでしまった。
その原因が自分の寝坊だなんて、言い出しっぺなのに笑えない。
平謝りする私に対して、いつも通りに戻ったように見えるアルヴェインお兄様は、慈しみ溢れる優しい笑顔で許してくださった。
アルヴェインお兄様がお食事を食べきられるまでの間、横長のソファーにエリファスお兄様と並んで座り、分けてもらったお菓子を齧りながら待つ。
その間、他愛ない雑談にも興じた際には普段と変わらない兄弟の絡みも見られ、概ね収穫大な食事の一幕となった。
お食事を終えられたアルヴェインお兄様は直ぐに席を立ち、真っ直ぐに此方へ向かい来て、私の右隣にストンと腰を下ろされた。
かと思うと、慎重な手つきで不織布もどきを取り去り、怪我の具合を確認して、きれいさっぱり跡形もなく治癒せしめてくださった。
笑顔でお礼を良い、憂いは去ったと無邪気に喜ぶ傍らで、今回ちょっと怖かったなぁ~…と思った事柄について頭の端っこで考えていた。
患部の冷却のために貼っていた不織布もどきを剥がす時に、ちょっとだけ、ほんのすこーーーしだけ!!
あまりに強力な粘着具合に、このまま一緒に鼻がもげてしまうのでは?!なぁーーんて不安に思ってしまった事、これは誰がなんと聞いてきても答えない、一生のヒミツだ。
昼食を食べ終えた後、私は昨日は来ることが出来なかったお母様の寝室に来ていた。
怪我をしたことは伏せて、昨日の子爵令息との面会の際起こった出来事や、その後の騎士たちの見送り等を話している途中で、寝室の扉が叩かれた。
コンコンコンッ。
「失礼します奥様、筆頭医師のユーゴです。 廊下から何度か扉を叩いて待ちはしたんですが、音沙汰なかったので寝室前まで来てしまいました事、どーぞ寛大な心でお許しください。 ってなわけで、入っても宜しーでしょーーかねぇ?」
ノックの音に続いて飛び込んできたのは、一昨日も同じ、お母様がいらっしゃるこの寝室で初めて対面した、今ではすっかり顔馴染となったユーゴ先生らしい言い回しの、ユーゴ先生らしい遠慮の抜け落ちたセリフだった。
「ふふ、えぇどうぞ、入ってちょうだいな。」
カチャッ。
言葉とは裏腹に、扉を開く音は控え目で、配慮が為されたことがうかがえるものだった。
「しつれーしやーーす……てぇっ?! お嬢様もここにいたんすか!? っだよもーー、こっち来る前にお嬢様の部屋にも寄ったんすよぉ~?? あっちでも待ち惚けたのに蛻の殻だし、こっちもそーなるかって、あるわけねーーけど、無駄に焦っちまいましたよ!!」
気怠げに入室してきたユーゴ先生は、お母様の寝台の横に置かれた椅子にちょこんと乗っかっている私の姿を見て、途端に喚き始めてしまわれた。
「私の部屋に立ち寄られたのですか? え…でも、何故??」
「何故って…、決まってんでしょ?! 昨日あれだけっ、大変な思いしたんすから、その後どーーなったかって気になって当然でしょうにぃっ!!」
がしがしがしっ!
いつもより乱暴目に頭を掻き毟り、何でその理由を理解して貰えないのか、と理不尽に思って声を荒らげて反論された。
「えぇーーと…? そういうのも…なのかしら?? でも、アルヴェインお兄様が完治できないような重傷でもありませんでしたし、それはユーゴ先生も承知されていらしたから、てっきりもうお見せしなくても良いものだと解釈していたのですけど…駄目でしたか???」
確かに、私の個人的な見解で、勝手に再診の必要なしと断じてはしまったけれど、そんなに駄目な判断だったのだろうか。
「駄目ってこたーありませんけど、俺は気になるんです! そーゆーー性分なんです!! だから不必要だろーと、無駄足だろーーと、自分のこの目で確認しないと納得できねーーーんですよ、悪かったですね面倒な性分で!!!」
――あらら、何だか変な角度からネガってしまわれたわね…? でもユーゴ先生ったら、本当に素敵な先生よね!! 完治するってわかってても、最後まで見届けたいだなんて…上司だけでなく、医師の鑑でもあるのだわ、ホント尊敬しますっ!!!――
「あははっ、ユーゴ先生は最後まで自分の患者さんに責任を持ちたい性分なんですね、わかりました。 今度からは言われずとも完治するまできっちり診ていただけるのだとちゃんと記憶して、心しておきますね♪」
「や、だから…、そーー…ですね、はい。 もーソレでいいです。 その認識でいておいて下さい。」
ちょっとだけ照れつきながら否定の言葉を重ねようとして、何を言っても私がニコニコするだけだと悟ったのか、諦めたように項垂れてから、かしかしと首の下ら辺を掻いて投げやりな言葉をボソボソっと零した。
私達のやり取りが一段落するのを、じっと聞き入って待っていたらしいお母様がここで口を開く。
「…ところで、昨日ライラちゃんはどこか怪我でもしたのかしら? 2人がとっても仲良しになったきっかけも気になるのだけれど、それよりもっと気になるのは、“診てもらう”必要がある何かが起こった、かもしれない事実なの。 ふふっ、ライラちゃん、何があったのか勿論話してくれるわよね?」
――あれれのれ~おっかしいなぁ~? 花の妖精の如く可憐なお母様の笑顔が、なんか黒い!! それに迫力が満点過ぎて、ちょっと……きょわい!!――
「ひょえっ?! そっ…、そぉ~~~~れは、ですねぇ、何とご説明すればよいのか………、ちょっとしっかり考えをまとめてからまた後日お話するというのが妥当か――」
「今ここで、お話を聞かせてちょうだいな? 安静にしているのって、寝ること以外他に出来ることも限られてしまって…、丁度退屈していたところなの。 だからお願い、お話を聞かせてちょうだい? 上手い下手なんて気にしなくて良いから、ね?」
お母様の笑顔を直視していられず、視線を逸してしどろもどろに逃げの一手を打とうとして、ピシャリとその手を封じられてしまう。
――駄目だ!! 笑顔なのに、圧が凄いし全く逃げ出せる隙がない!! これものっそいあかんヤツ、完全にロックオンされて逃げ出す機会潰し尽されとるパターンのヤツぅ!!!――
今になって漸く理解する。
普段から笑顔を絶やさない人物は、ここぞという時1番の凄味をきかせられる人物だ、と云う事実を。
普段と変わらない癒し系な微笑みに、ちょっとした凄味が追加されるだけで、滅茶苦茶脅しつけられているかの如く~な迫力が加味されてしまうものなのだ、と身を以て体感した、貴重な経験を得た瞬間だった。
あの後、私が怪我をした事の起こりから今朝治癒してもらうまでに至るまで、何から何まで全部丸っと語り尽くすこととなった。
細部に至るまで事細かに説明を要求され、質問を差し挟まれ、気がつけば優に1時間は喋り通したかも知れない。
語り終わりぐったりと疲れ切った私と交代するようにして、ユーゴ先生はお母様の診察をし始めた。
私が見守る傍らで、テキパキと診察を進めるユーゴ先生の手際は、流れるように淀みなく、正確無比に最小の動きで行われていく。
――何だか安心して見てられる。 昨日、私も手当してもらって実感していたけど、客観的視点で見ていてもユーゴ先生って本当に腕の良いお医者様だってわかるわね~。――
感心しながら見ていると、ユーゴ先生が初めて聞くような明るく弾んだ声で話しだした。
「………ん、大分数値も安定してきましたね、試薬がドンピシャ合ってたみたいっすわ! つっても、まだまだ当分の間、安静にしていただかないといけませんけど、ね? やぁ~~しっかし、ホント昨日まではどーーしたもんかぁ~って、あったま痛かったっすけど、アイツラが研究バカだったおかげで、今回はマジで助かったっすわ、ホント!!」
「?! もしかして何か進展があったんですか!?」
「その通り!! 俺は何もできてないっすけど、昨日言ってた薬剤師、アイツ結局相方にも全部話しちまってて、こっちの事情ガン無視しやがったんすけどね? でもこの通り、成分から何から殆どぜぇーーんぶ調べ尽くした挙げ句、飽き足らなくなって強化された結合を破壊する成分まで突き止めて試薬、完成させちまったらしーーっすわ。」
“コレ”と現物を掲げて見せてくださりながら、次に続ける言葉は薬剤師に対する不平不満とは一線を画した内容に変遷していった。
「やーー…なんつーーか、キモイ。 その間不眠不休で稼働しっぱなし、2徹したてのギラッギラした目で超至近距離から見られて怖気がしたのなんのって、ホントキモイっすわぁ~~アイツラ。」
――殆ど悪口な気がするのですが…、そんな言う程キモイなんてこと、ある??――
「その言い方は…ちょっと、言い過ぎなのでは?」
「それは現物を見てないから言えるんすよ、お嬢様!! アイツラはキモイ!! 誰がなんと言おうとキモイ!! ホント見たら解りますって!!」
間髪入れずに否定された。
ひと目見たらわかる、なんて、その薬剤師たちはどれだけ“キモイ”のだろう…ちょっと、興味が湧いてしまった。
だってこれだけ強調されるのだもの、その方たちも例外なく濃いキャラであること確定だ。
「あ、でもこれ悪口じゃないんすよ? なんつーのかなぁ、アイツラを一言で表現すると、“キモイ”しか浮かんでこないっつーーか? 人間性は全然、悪さの欠片もない、無害な奴らないんですよ、ホント。」
――語弊しかありませんけど? ネガな意味にしか捉えられない単語なのですが?! そんな紛らわしい言葉しかチョイスできない薬剤師たち、俄然逢いたくてたまらなくなったのですが!!――
言い切ってスッキリしたのか、私からお母様へと視線を戻したユーゴ先生は、軽めにがしがしっと後ろ頭を掻き毟って、言いにくそうにしながらお母様へペコリと頭を下げた。
「あーー…、その、今夜はレヴェイヨンなのに、参加できるまでに回復させられなくってスンマセン、奥様。 でもジャン=ジャックの旦那にはちょっと豪華目にって言っときますんで! ちょっとだけ期待しとってくださいや!!」
にかっと歯を見せて笑う、その表情には凄く見覚えがあった。
昨日救護室で見せたのと同じその表情は、今と同じように、相手を励ます時に見せる彼のお決まりの表情のようだった。
「まぁ…うふふふっ、ありがとうユーゴ。 楽しみができて嬉しいわ。 貴方はこの後、まだお仕事が残っているの?」
「少しだけ事務仕事して、その後は今年最後の日なんで、キリの良いとこまで掃除しとくかなって感じっすかね? 普段は確認しない棚の奥なんかを、一応確認しとこーーかと思いまして、ね…。 毎年発見したくないもんばっか出てきちまうんすけど、ソレ以上熟成させるわけにもいかんので…仕方なく。」
「まぁ、何だか楽しそう…! 何が出てきたか、良かったら後で教えてちょうだいね?」
「えぇ、まぁ…、言葉で表現できるモノだったら、ご報告します、はい。」
――言葉で表現できないものが発掘された過去があるとでも?! 何ソレ、メッチャ面白そう!! 私も何が出てきたのか知りたいっ、でもそれよりも先に知りたいのは“レヴェイヨン”が何かってことなのですけどぉっ!?!――
チラチラしつつ、ギラギラした視線を送ってしまう。
私の異様な視線に気がついた筆頭医師は無視すること無く、見ないふりを決め込まずに、ちゃんと問いかけてくださった。
「えーーと、何すかねその視線? その視線が意味するところは、何か知りたいことがあるって解釈でよろしーでしょーーか、お嬢様?」
「全くその通りです!! さすが博士でいらっしゃる、察しの良さが違いますね、ユーゴ先生!!!」
「……だから、褒めても何も出ませんからね!? んで、何すか?! 今度は何が気になっちゃったんすか、お嬢様は!!」
褒め殺すとふてぶてしい二の句が継げなくなるらしい筆頭医師の弱点を突いて、的確に自分の求める答えが得られるよう下準備を整える。
そしてその隙を逃さず、一気に質問を投げかける。
「ズバリ、レヴェイヨンって何ですか?!」
「あー…なる、そーいやお嬢様は3歳児でしたねぇ~? 去年のこととか、覚えてないっすよねさすがに…。」
「…という事は、毎年やるものなんですね?」
「せーかい! ま、年の終わりと始まりを祝う無礼講っすわ、簡単な話。 毎年大晦日の仕事は午前中までって決まってるんすけど、厨房だけは例外で夕方くらいまでは大忙しなんすわ! それって言うのがレヴェイヨンの為の御馳走をたぁ~~んまり、使用人の分まで準備しなきゃならない、1年で1番の大仕事の日だからっつーー話でね?」
1年の終わりに盛大に行われる無礼講、所謂どんちゃん騒ぎは夜通し続けられ、豪華な料理の数々が盛大に振る舞われる一大イベントなのだという。
がちょうや七面鳥の丸焼き、牡蠣などのシーフードやパンデピスなどお菓子に至るまで、この公爵家では毎年、一夜で食べ切れるのか疑問な量振る舞われるらしい。
普段食べられないような豪華な食事は、屋敷中のみならず、この塀に囲まれた敷地内に居る誰にもに振る舞われるというのだから、一体何百人前分作らねばならないのか、考えただけで目眩がする。
それでも、あの総料理長なら喜んで調理するだろうと、容易に想像できてしまって、我知らず微笑んでしまった。
「あとは…あれか、年が明けて最初の金日に食べる特別な菓子もありますよ? ガレット・デ・ロワっつって、ちょっとした運試しができるんですけどねぇ~? お嬢様が最年少だから、主役っぽく楽しめるんじゃないっすか?」
なんでも、その“ガレット・デ・ロワ”にはフェーヴという陶器の人形が1つ隠されており、人数分に切り分けた後、一切れ毎に誰に食べさせるか決めるのは家族の最年少者の役目らしい。
フェーヴを当てた人はその1年間幸運が続く、という縁起物のお菓子なのだそうだ。
ーーえっ?! 運試しができる…特別な……おかすぃ!? “ガレット・デ・ロワ”、なんだかとっても夢いっぱい♡にファンシーで、甘美この上ない響きを伴ったお菓子名ですね!! 是非須らく賞味せねば!!!ーー
キュンッ♡とお腹とハートがほぼ同時に高鳴った。
高鳴りすぎて勢い余って、タラリ…、と涎が垂れそうになって慌てて手の甲で口元を抑える。
けれど、それだけでは対策が不十分すぎた。
……ぐぅ……っきゅるぅ~~…、きゅるきゅる…きゅるるぅ~~~………。
期待に高鳴ったのは私の心臓だけではなかった。
腹の虫までもが、未知なるお菓子に色めき立ち、咆哮をあげずにはいられない興奮を覚えてしまったらしい。
「まぁ、ライラちゃんったら、うふふふっ! さっきお食事してきたばかりでしょうに、今の話を聞いただけで、もうお腹が空いてきてしまったのね? ふふっ、可愛いわね♡」
――可愛くないですお母様ぁっ!! 食い意地が張ってるだけで、全っっっ然、可愛さの欠片もありませんからぁ~~~っ(泣)!!!――
気休めの慰めでしかない言葉なんて欲しくない、必要ない。
それならもういっそのこと、盛大に笑い転げてほしいくらいだ。
「あっはっはっはっは!! や、やんごとなき身分の“オジョーサマ”も、所詮はまだまだお子様ってかぁ~?! 御馳走と、菓子の話聞いて、そんな…腹まで鳴らして喜べるなんて、…ックククク、年相応でカワイーとこもあるんだなぁ? なぁ~~んかメッチャ安心したわ!! あっはっはっはっは!!!」
――だからって、ここまで豪快且つ盛大に笑い転げられても、傷ついてしまうのが繊細な乙女心と云うものなのですよ、ユーゴ先生?!――
自分の膝をバッシバシ叩きながら、お腹を抱えて笑い出した筆頭医師を、可愛さ余って憎さ0倍♡なデレ状態全開でガン見しつつ、そんな煩悩塗れな下心はキレーに覆い隠してみせる。
おこな表情を意識し、ツンとした態度を心掛けて反論もどきなセリフを口にする。
「うぅ…、それって褒めてませんよね? 子供っぽいとおっしゃられましても、私はれっきとした3歳の幼女でございますから! お生憎様でしたわね!!」
「っはっはっはっはっは、お生憎様って、ちょっ、それ、幼女の知ってる語彙なはず、ねーーーじゃんよぉっ!? っかしぃーー、ホンット、何もかも予想に反するっつーか、一緒に居て飽きねぇーーわ!! お嬢様見てっと、俺一生笑ってられそーーーだわ、マジで!!!」
ーーえぇーーーっ!? それって実は乙(女な顔)面だったユーゴ先生の屈託ない笑顔を一生眺められるってことですよねぇーーーっっ?! 役得感ッパネェーーーッッッ!!!ーー
にっこにこと可憐に微笑むお母様の穏やかな笑顔と、ゲラっゲラ笑い転げる筆頭医師の、半分以上がモジャっとした癖が激しい前髪に邪魔されて大口を開ける口元しか確認できない賑やかな笑顔を、気の済むまで観察し続ける。
和やかで朗らかな心温まる時間は、驚くほどの速さで急速に終わりを告げる。
“あの時1人でお母様の部屋を後にしなければ”、“あの時他に通りかかる使用人が誰でも良いから1人でも居たならば”。
これらのような、詮無い思いに駆られる事態が待ち受けているなど、この日この時この場所で、心のアルバム更新作業に余念なく没頭する少女には、知る由のない、まったく未知な未来の出来事であった。
暗闇の中で目が覚める。
夢現で耳にしていた荒い息遣いが、自分が発したものだったと気付いたのは、眼前に広がる暗闇に馴染んだ目が、天蓋の中の様子を薄ぼんやりとでも判別しだした頃だった。
――それにしても暗い…、今って、何時なのかしら…?――
身を起こすための前段階として、まずは仰向けの状態から横に体を向けようとした。
その直後、顔面の中心部からおこった激痛が瞬時に走り抜け、頭の後ろへ向かって真っ直ぐに突き抜けていった。
「……っぅう!! ……っはぁっはぁっはぁ、……はぁ、はぁ~~………。 痛み止めがきれたのね…、ってことは…8時間以上は、経ってるってこと……よね?」
ずくん…ずくん…。
血の巡りに合わせて疼く激しい痛みが落ち着くまで、手と体をギュッと丸めて不規則に襲い来る痛みの大波が去るのを息を短く吐き出して耐えて待つ。
耐える間に繰り返される荒い呼吸はそのままに、チカチカと明滅する視界を数回の瞬きで正常化できないかと試みるも、中々思うように改善されていかない。
痛みに邪魔されて上手く働かない頭をそれでも何とか働かせて、就寝前に筆頭医師の口から語られた内容を思い出してみる。
鎮痛剤の効果は良く保って8時間前後。
初めての使用なら、もう少し長めに効く可能性もある。
昨晩、この寝台の脇に置かれた丸椅子に腰掛けて、不機嫌そうな表情(恐らく)と声で説明してくださったのは、この怪我の手当をしてくださったのと同じユーゴ先生だった。
普段の無愛想さに輪をかけた仏頂面に、堪えきれずにクスリと笑ってしまったのは、ユーゴ先生が真剣に私の怪我を心配してくださっていると感じられたからに他ならなかった。
私が堪えそこねた笑い声を耳にして、今までも十分に不機嫌絶頂だった筆頭医師は口をヘの字にひん曲げたかと思うと、次の瞬間には荒らげた声で説教を開始されてしまった。
ともあれ、今の私が思い出したかったことは、勿論説教されたエピソード部分ではない。
説明された通り薬の効能がきれたことで、抑えられていた痛みが徐々に勢いを取り戻し、激しい痛みに襲われた自分が上げたうめき声で目が覚めてしまったようだ、と考察するのが目的で回想していたのだった。
考えに集中したことが功を奏したのか、強い痛みが大分鎮まり、ゆっくりとなら動いても大丈夫なくらいに回復した。
慎重に無理なくゆっくりと体を起こし、あまり揺れないよう注意して、寝台の上をそろそろと四つん這いで這い進む。
今とっている行動の目的は、今が何時頃なのかを確認する事だった。
なので向かって右手側に方向を定めてはるばる移動し、天蓋から垂らされている厚地のカーテンの合わせ目をやっとの思いでそろりと開いたのだった。
まだ高度の低い金皇の光が薄っすらと差し込み始めたばかりの室内は、無彩色が割合多く見受けられ、天蓋の中よりかは明るいか、という状態だった。
室内の様子から少し遠くにある窓に視線を移す。
長方形に切り取られて見える断片的な空は、未だに濃い藍色に彩られている。
冬は夜が明けきるまでの時間が長いとは云え、日頃の起床時間よりも大分早い時間であることだけは理解出来た。
予定もないのに早起きしてしまったと理解すると、寝直したと思うのは人間の逃れられない性だと思う。
とりわけ、3度の飯の次に寝ることが好き♡な今の私としては、是非とも二度寝に託けたいところだが、如何せんあの激しい痛みで目が冴えてしまった。
そこからまたのろのろと時間をかけて、寝台の縁から足を垂らして座りの良いポジションに落ち着いてから、痛みを訴える顔面の中央に手をかざす。
そこには厚めの不織布もどきが、サージカルテープもどきでしっかりと貼り付けられていた。
何のために貼られているかと云えば、腫れ上がって熱を持ってしまった患部を冷やすために貼っている以外の理由はない。
そして、この貼り付けられている不織布もどきは唯の不織布もどきではなく、冷却効果のあるジェル状の塗布薬を、肌にあたる側の表面に目一杯塗りたくってある代物なのだ。
――間違いなく前世で云うところの冷却シート的な物よね、これって。 ピンクっぽい色味なのに冷たいなんて、違和感あって変な感じだったけど…、その効果ってばホント凄い!! まだまだ、全然冷たさが残ってる!! このファンタジー世界、侮り難し!!!――
と、テンション高めに称賛してみたけれど、実際にこんな爆高いテンションで称賛したら激痛に悶える未来しか視えないので、感情を排した言葉だけでの称賛に留める他無かった。
本来であれば昨日のうちに、キレイサッパリ影も形もありゃしないってくらい完璧に治癒されているはずだったのだけれど…。
何の因果か、昨日は私に都合よく絶妙なタイミングで上手に融通つけて卸してくれる問屋が皆無な日だったらしい。
――…ユーゴ先生の診立てを疑うわけではないのだけど、コレってホントに…陥没骨折とかしてないって、ホントのホント?! ――
ジンジンしてガンガンする。
昨日打ち付けた当初は、酷く感じたとしてもその程度の痛みで済んでいた。
――なのに一夜明けたら、あ~ら不思議☆痛みが倍増どこの騒ぎじゃないのですけど、コレ如何にぃ~~っっ?!?――
今の痛みの度合いは、型に嵌まった普通のオノマトペなんかでは表せないし語れない。
不協和音が鳴り響いてごちゃ混ぜになった音がうわんうわん唸って幾重にも連なった波のように襲い来てるような状態で、とにかく破茶滅茶かってくらい滅茶苦茶に痛いのだ。
――…こんなに痛くなると知っていたなら、アルヴェインお兄様が促してくださった通り、お父様に治癒していただけば良かった…かも(泣)――
一度不運なことがあると、不運は何故か連鎖反応を起こして発生してしまうらしい。
アルヴェインお兄様は昨日、誰に指図されるでもなく魔法の自主練習を行っていたそうな…。
そうしていく中で興が乗ったのか、魔法よりも段違いに多くのマナを消費する“魔術”にも果敢に挑戦されたらしく、予定外に負傷してしまった私の顔面を治癒するに足る十分なマナが残っていなかった。
そんなわけで、魔法による治癒は今日へと持ち越しとなってしまったのだけれど、勿論お父様は治そうか?とちゃんとご提案くださった。
だけどアルヴェインお兄様がすごく責任を感じておられて、このままお父様に治癒していただいたら何かが駄目になってしまう気がした。
ご自分を不甲斐ない兄だ、と今以上に不必要に責めて、長く責め続けてしまわれるのでは無いかと本能的に感じられた。
――う~~ん、今思い返してみると、アルヴェインお兄様ったら何かを焦ってる…のもありそうだったけど、自分の中にあるモヤモヤが消せなくて、答えが出なくてがむしゃらに今できることに打ち込んでしまった、って感じがしたわね…。 いつでも冷静なアルヴェインお兄様が心乱されるような出来事が、何かあったのかしら?――
昨日の会話の中にその答えに辿り着けそうなヒントが無いかと考えて、痛みを紛らわせる意味合いも兼ねて早速思い出してみることにする。
あれはユーゴ先生に手当てをして頂いた少し後。
救護室への本日2度目となる訪問、その訪れ方が大層お気に召さなかったらしく、ぶすくれた筆頭医師が此方へ向けて勢いよく放ってくる不機嫌オーラをビッタビタに浴びせられていた時だった。
『怪我をしたと報告を受けたが…大丈夫なのかいライラ!?』
『どぁ~~~っとぉっ?! 駄目っす!! それはやらんでください旦那様!! 今のお嬢様には振動は極力与えんで下さいよっ!? ホントだったら邪魔したくないんすけどぉ、今回は邪魔せざるを得ないっつーー止むに止まれぬあれですわ!!』
何の前触れもなく、パッと姿を現したお父様に腰を抜かさんばかりに驚きつつも、お父様が私の肩に触れようとしたのを見て正気に立ち返り、慌てて止めにかかる。
ユーゴ先生の言い訳を聞きつつ、邪魔されたお父様が凄みをきかせた視線で、何事かの恨み言をユーゴ先生へビシバシ語りかけている。
でもそれを直接声に出して伝えないのは、お父様もユーゴ先生が医師としての判断に則って止めたのだ、ときちんと理解しているからに他ならない。
ちょっと険悪な2人は扠措いて、そろり…そろり……と体を動かしてメリッサの姿を探すが、見当たらない。
手当てが始まる前まで救護室に居たメリッサは、私の呼び出しに応じて直ぐに救護室に向かって来てくれていた。
けれど、私の姿が廊下になく、救護室にすら居ないと知り、心配するより先に冷ややかな殺気を放ち始めたらしい。
――うふふ、そーゆーとこ本当にブレないわよね~メリッサったら♡――
殺気立った侍女が私の行方を探しに行こうかとした矢先、ヤニス君に介助された私が救護室に舞い戻ってきた、と云う寸法だ。
今はちゃんと止まったけれど、負傷した当初は流血しており、とても見せられた状態の顔面ではなかった。
負傷した鼻部をこの小さすぎる手で覆い、できれば俯きたいのを堪えて必死に上向いてよろよろと入室してきた私を見て、呼び鈴で召喚された侍女が取った行動は次の3つ。
①眼光鋭く(脚色有)一瞥を寄越す。
②結局口を開かず終始無言のまま。
③音を立てずに救護室を退室する。
退室したあとは真っ直ぐにお父様の執務室に向い、今回は魔術を失念せずに行使してパッと現れた、という経緯だろう。
そこまで考えてからお父様へ声をかける。
今は大きめの不織布もどきで覆われた鼻部を指し示し、仰々しく見えてしまうが大した痛みは感じていないと伝えたかったのもあって、そこから話をきりだしてみた。
『心配してくださってありがとうございますお父様。 でも見かけより酷くないんですよ? ユーゴ先生がきちんと手当してくださったので、全然平気なんです♪ …お父様にこの怪我の報告をしたのはメリッサですよね? メリッサのこと…どうか怒らないで下さい。 お父様との“約束事”を守れなかった私が、メリッサを待たなかった私が全部悪いので!』
『怒りはしないさ。 ただ私の立場上、彼女を叱責しないわけにもいかない。 理由はどうあれ、ライラから離れて、監視を怠った彼女にも責任の一端があるのだからね?』
真面目な表情で、真面目な当主っぽい尤もらしい発言をするお父様のお顔をじ…っと見返す。
普段とは違う真剣な雰囲気にコロリと騙されて、サラサラ~とは聞き流せない単語がしっかり1つ在ることに気づいてしまったからだ。
『…監視させていらっしゃったのですか? それは何が目的でさせていたのですか??』
ギクリッ、と角ばった動きに右肩が軋んだのを、私は見逃さなかった。
『え?! いやいやいやぁ~~、今のはあれだよ? 言葉の綾、表現の一種であってだねぇ~?? この言葉が本来持つところの堅っ苦しい意味合いは全く排除したものでねぇ、見守るという言葉の代わりに格好つけて選んだだけであってねぇ~~!? はっはっは、まさか私がライラの行動を本気で監視しようだなんて、思うはずがないだろうともぉ~、あっはっはっはっは!!』
目を泳がせて、言葉を濁しながら煙に巻こうとしてくるお父様を、じっとりとしたジト目で上目遣いに見遣っていると、今度はアルヴェインお兄様が救護室に慌ただしく駆け入って来た。
そこでまたお父様と同じように私の身体に触れようとしたアルヴェインお兄様の行動をストップさせて、物言いたげな視線をガンを飛ばさん勢いで向けられる筆頭医師、という、つい先程見たばかりの構図がマイナーチェンジされて再現された。
一連の流れが落とし所に落ち着いた所で、治癒を施そうと云う話になり、そこで先に言ったようなお兄様の自主練習の内容が明かされ、ならば代わりにとお父様が名乗りを上げてくださった場面に繋がる。
治癒できないと口にしたアルヴェインお兄様の表情は、暗く翳り、秀麗な眉は形を崩して垂れ下がり、その眉根は深くしわが浮かぶ程強く、ギュッと寄せられていた。
責任感からだけではない、何かしらの苦渋を伴う感情に彩られた表情。
それを目にした私は、極自然な流れで口を開き、お父様へと断りの言葉を告げていた。
『治そうかとご提案くださってありがとうございます、お父様! でも私、アルヴェインお兄様に治癒していただきたいので、明日まで待ちます。』
言葉の終わりににっこり笑って、お父様のお顔を真っ直ぐに仰ぎ見る。
『ん~?! それは…何と言うか、承服し難い言葉でもあり…納得し難い言葉でもあるのだがねぇ~~? う~ん…、まぁ…こればっかりは仕方ないねぇ。』
もっと食い下がられるかと思いきや、あっけなく承諾したのには、とってもお父様らしいと納得できてしまう独特な理由があってのことだった。
『困ったことに、何事かを決断した時のアヴィと同じ表情をしている。 どぉ~も私はその表情に弱くってねぇ~~? 私には無理だろうなぁ、できそうにない、今のライラの意志を変えさせられる気が全くしないからねぇ~! というわけだアルヴェイン、治療は持ち越し、明日こそはしっかりと頼んだよぉ~??』
顔には苦笑を浮かべていても、その口端はにんっと引き上がっており、本気で苦心していない事がそのことから窺えた。
アルヴェインお兄様の常とは違う、何処か思い詰めて、ピンと気を張り詰めたような雰囲気に、お父様も気づいているのかもしれない。
そんな勘ぐりを誘発する、意味ありあり~な表情に見えた。
ぽんっとお兄様の肩に手をのせてから、鼓舞するようにぽんぽんっと軽く2、3回叩く。
お父様から送られた激励の言葉を、切羽詰まったように強く拒否したのはアルヴェインお兄様ご自身だった。
『?! そんな…駄目です、明日では遅すぎます! ライラ、今すぐ父上に治していただくんだ! でないと…今だってこんなに腫れてるんだ、かなり痛いだろうに……、そんな思いをしてまで、僕に拘る必要なんてない!! 見ている僕のほうが痛くて耐えられない、お願いだから今直ぐ父上に治癒してもらっておくれ…?』
私が感じた痛みを同じだけ感じでいるかの如く、痛ましげに顔を歪め、言葉を重ねて哀願される。
――うう~っまっっっぶしいーーっ!! 心許なさ気に表情を曇らせていても、イケショタは変わらずイケショタ、顔面が麗しくって眼福ですぅっ!!! でもそれはそれこれはこれ、ですからね、今回はチョロくイチコロされたり致しません♪――
フフッと笑い、両腕を交差させて大きくバツ印をつくって、変わらず拒否の意向であると示す。
それからはニコニコ笑顔でグイグイと、自論を押し付けていく。
その際に、お母様の微笑みを強く意識して模倣するのも心掛けてみた。
『うふふ、嫌です、お断り致します♡ 今回のこの傷に関しては、アルヴェインお兄様からの治癒しか受付いたしません!! だから明日こそはしっかりこの傷を治せるよう、今夜はぐっすりと十分な休息をとってお休み下さいね? 間違っても、ご自分を責め抜いて寝不足になどならないで下さいね??』
それが功を奏したかは、真偽不明。
でも、この時のお兄様には何かしらの効果は、少なからずあったと思える。
『いや、だから今父上からの治癒を受けて欲しいと………、はぁ…、わかったよライラ。 僕の負けだ。 姫君の仰せのままに…。 明日は万端整えた体調で、姫君の治癒に臨むとお約束致します。』
頑なだった姿勢がフッと脱力して軟化する。
深く刻まれたままだった眉間のシワも解消され、困ったような表情ながらも緩く微笑んで、私の意志を汲んで了承してくれた。
『うふふっ、良きにはからえ♪ では、明日の朝食の前に治癒して下さい! よろしくお願いしますね、私の小さな魔法使い様♡』
最後には冗談めかして約束してくださったお兄様の言葉に便乗して、お姫様気分で念押しの言葉を添えた。
これが昨日の夕方、救護室で行われた会話のあらましだ。
振り返ってみて改めて思い知る。
この会話の中にはアルヴェインお兄様が何を思い詰めてるのか、その手がかりとなりそうな言葉は無かった。
結局、謎は謎のままとなってしまった。
回想が一段落ついたところで、遠くの窓から見える空が大分白んできていることに気が付き、もう1つ大事なことも思い出した。
――そうだった、鎮痛剤! 予備で貰ったやつがあったんだった!! え~~とぉ…? メリッサったら、何処にしまったのかしら……、あ、あった!!――
そろ~りそろりと慎重に、スロー再生もかくやな動きで鎮痛剤の所在を探す。
ベッドヘッドにある引き出しを順繰りに引き出して中を確認し、結局一番最後の引き出しから発見された。
鎮痛剤は小さな色ガラスっぽい小瓶に収められており、手に取るとカラランと鈴を転がしたような涼やかな音を立てて瓶の中で転がった。
子供用だからか、一錠はかなりな小粒サイズだった。
幼女の手のひらに乗せても小さいと感じるのだから、大人の手に乗せたらゴマ粒か?と勘違いしてしまうかもしれない。
念には念を、と気を利かせたユーゴ先生は本当に色々と気を揉んで教えてくださっていた。
そのうちの1つである、1回分の用量を守り3錠小瓶からフリフリっと出して口に含み、水と一緒に飲み下す。
この水は、ベッドヘッドの上にあった水差しから、同じように置かれていたコップへと注いで、予め準備しておいたものだ。
鎮痛効果があらわれるまでの間、何とかこの鈍痛と親しんでみようかと、あらぬ方向への努力を試みる。
その結果は火を見るよりも明らかで、白旗を振り回すまで、そんなに時間はかからなかった。
無駄な努力も、存外無駄ではなかったかもしれない。
そう考えられたのは、冴え冴えとしていた目が再びしょぼついてきたからだ。
ゴソゴソモゾモゾと掛け布とシーツの間に足から潜り込み、枕の上に仰向けた頭を乗っけると、目のしょぼつきが増した。
でもまだ二度寝に至るまでには程遠く、痛みも強く感じるので、中々直ぐには寝付けそうにない。
なのでもうちょっとの間、微睡みが訪れる迄の時間潰しとして、昨日の記憶を浚い、それに没頭することを決める。
明日治癒魔法を施してくださると約束して直ぐ、アルヴェインお兄様はお父様に向かって深く頭を下げた。
『申し訳ありません、父上。 僕が不甲斐ないばかりに…、ライラの怪我の治癒が遅れてしまうことに……。 以後、気をつけます。』
どこまでも自分が悪い、責任の一端が確実にあると思っているようで、謝ってからも中々顔を上げようとしないお兄様。
その深刻さを軽減させようと考えて、かは定かでないけれど、殊更明るく笑ってみせてからお父様が口にしたのは、全く以ってその通りなこの場での正論だった。
『ははは、なぁ~に、謝らなくとも良いさ! アルヴェインのせいではないのだからねぇ、気に病みすぎないことだよぉ~? というかねぇ、そもそも此の件で1番に反省すべきは暴力をふるった加害者本人であるべきだろう?』
そこで言葉を区切り、顎に手を遣り思案する素振りを見せる。
次に口を開いたときには、先程よりも声のトーンは1段階低められ、その顔に浮かべる表情は冷笑に切り替わっていた。
『まったく、家長不在の最中に、ここまでの騒ぎを引き起こすとは……、誰に似たのかわかり易過ぎる似たもの父娘だなぁ、全く!! ヴァルバトスが帰ってきたらキッチリと、娘が犯した愚行の落とし前をつけさせてやらないとなぁ……。 さぁ~て、どうしたものかなぁ~~? 何を以って贖罪とするか、悩ましくて堪らないねぇ~??』
――って、全然悩まし気じゃありませんよねお父様? 悪どい事を考えまくってる極悪人面になっちゃってますけど、一体何を科すおつもり!?――
大魔王迄には至っていないけれど、慄くに十分な凄味を感じさせる表情に、アバアバしたのは私の他には筆頭医師たるユーゴ先生のみ。
少し普段の調子を取り戻したらしいアルヴェインお兄様は、お父様と比べれば優しく感じられる、氷点下にまで温度を下げた視線で宙を睨みながら、事実を確認するように言葉をこぼした。
『たしか…レグリス、と云う名でしたか? 問題児とは聞き及んでいましたが、ここまでとは思いませんでした。 武器は持ち込んでいないのですよね? 素の拳を振るっただけで、あれだけの被害が出るだなんて…想像を絶する危険人物ですね。』
『やぁ~~、でもですねぇ、坊っちゃん? あのガキンチョだけじゃないんすよ! あの団長一家は全員が全員、何かしらの規格外を体現する一家でしてねぇ~~?! 俺たちもほんっとの本っっ気で!! めぇーーーっちゃくちゃ被害を被ってんですからねぇっ?!?』
一言も二言も口を出さなければ気がすまない様子で口を開いたのは、それまでは気配を殺して空気と化していたユーゴ先生だった。
そう云えば先程、ジェラルド先生が居た時に、騎士団の話題が出た際も、凄く苦々しい表情で語っていらしたなぁ…と思い出す。
ヴァルバトス卿が騎士団長に就任してから居座古座が頻発している、とか、ガキンチョ共がどう、とか。
私と比較していた3歳児って、レグリスさんのことだったのかしら?と今になって思い至る。
――うん…、確かに想像を絶する幼女だったわ…。 なんというか何もかもが予想外と想定外の連続だった。 『会ってみたい』と無邪気に発っしてしまった発言に対して、アグレアス卿があそこまでキョドってしまわれたのも、今となっては納得に尽きるわ。――
けたたましく鳴り響いた物音を聞きつけて駆け込んだ厨房、ヤニス君の背に庇われた後の顛末を思い起こして、溜息が自然と溢れてしまったのは仕方ない反応だったと言える。
結果から言えば、今話に出たレグリスさんが原因で私が負傷する事になった。
コレこそ本当に、「3歳幼女と侮ることなかれ」と注意喚起しなければならない現実的な問題だった。
繰り出される拳は幼女特有のぷにっとした皮下脂肪が目立つ丸みを帯びたそれであるのに、その拳がもたらす威力は並の大人以上。
否、段違いで桁違いな威力で、素の拳で金属製の調理台を凹ませられるという超重量級なヘビー過ぎるものだった。
だっておかしい、打ち付けた拳があげる音が根底からおかしい。
ガキィーーーーーン!
ここでも半端ない既視感に襲われる。
アグレアス卿の頭部を殴打したヴァスバトス卿の拳も、同じような金属音に近い鈍すぎる音を響かせていた。
その場面がありありと思い出され、こんなところで確かな血の繋がりを確信してしまえるなんて、何か複雑、とも思ってしまった。
年長者たる責任感からか、ヤニス君は私ともう1人、私と同い年くらいの少年を背に庇いながら、慣れ親しんで勝手知ったる厨房を、右に左に、飛んだり跳ねたりして逃げ回る。
逃げる方向はその都度、被害が出ない場所を選んでいるけれど、思うような結果が得られていないのが現状。
逃げれば逃げるほどに、被害は拡大していく一方だった。
このまま庇われたままでいて良いはずがない。
厨房内が暴風一過、な惨状になる中でようやっとその考えに思い至った。
だって今ここで庇ってくれているヤニス君は、護衛などその道のプロではなく、厨房で料理修行に勤しむ幼気な成人前の少年なのだ。
我が家に奉公してくれている使用人、しかも前途ある善良な若人を守れないでは公爵令嬢の名折れだ。
何度目かの拳を避けて距離を取った所で、肩で息をするヤニス君の前にずずいっと躍り出て足を踏ん張り、お腹に力を込めて強めな声を絞り出す。
『あ、あのっ! お話しませんか? 拳で解決するのでなく、話し合いで解決しましょう?! 私の名前はライリエルと言います、挨拶が遅くなってしまってごめんなさい。 貴女のお名前を聞いてもいいかしら?』
会話が成立するのか、という一抹の不安はあった。
けれど、私の問いかけから少し間をおいて、予想していたよりもちゃんとした返事が返された。
『…レグリス。 かぞくはあたいをレリってよぶけど、アンタはぜったいよばないで!』
『…わかったわ、じゃあ……レグリス“ちゃん”、と呼んでもいいかしら?』
『“レグリス様”ってなら、よばしてあげてもいーけどぉ? いま決めた、ソレいがいはキャッカ!』
――あらら、いきなり下に見られてしまったわ…。 こんなの初めてで、どう返すのが正解なのかしら?!――
『……それは、ちょっと難しいですね。 レグリス“さん”では駄目かしら?』
『……ちぇっ、じゃあソレで。 しょーがないから、よばせてあげる!』
――私が渋々許される側なのね、これも初体験! これが普通の3歳児って感じの、ちょっと生意気でおませさんな幼女さんなのね!! こうやって話してみると和める可愛らしさだわぁ~♡ 思い切って話し合いを提案してみて、大正解だったわね♡♡――
『でもぉ…、ふぅーーーん? アンタがあのリャイリエリュねぇ~? なぁ~~んだぁ、ほっとにあたいよりちっこいんだぁ~~♪ やぁ~~いっ、ちびちびのちびっ子ぉ~~♪ んまぁ~ねぇ~、あたいのほーがアンタよりひーでてりゅにゃんて、あったりまえだけどねぇ~~っ!!』
やはり父娘はふとした瞬間に出る仕草まで似るものらしい。
私のことを頭の天辺から足の先までしけしげと見やる仕草は、数日前のヴァルバトス卿が取った仕草を彷彿とさせる、似通い過ぎたものだった。
そのことにも驚きつつ、幼女が放った言葉にも吃驚した。
『 !? 』
――衝撃!! ちびっこにちっこいって言われてしまったわっ?! 凄い、これも初体験!! そして何より、『ラ行』多めな言いにくい名前でホント…、ごめんなさいっ、って一言謝りたくなってしまってしょうがない!!!――
そんな事を考えてオロオロし出した私の態度を見て、揶揄されたことを気にしていると勘違いしたヤニス君が、すかさず励ましの言葉を投げ寄越してくれた。
『おいっ!? あいつが何言っても気にすんなよ! 泣くひつよーとか、全然ないんだからなっ?!』
『あ、はい。 大丈夫、言われた言葉は全然、気になってもいないから平気よ。』
ケロッとしてキッパリと、間髪入れずに即否定する。
『お……ぉう? そんならまぁ、良いんだけど……よぉ?』
私のサッパリし過ぎたドライな対応に面食らうこととなったのは、心配して言葉を寄越してくれた少年の方だった。
そのたじたじになった様子に、微笑ましく思ってにっこり笑顔を返しながら、頭の中では全く違う観点から騒然となっていた。
9日前の自分も経験していた、何度も、何度でも煩わされた、この年齢特有の幼女の舌っ足らずな滑舌、それにとっては天敵中の天敵、『サ行』と『ラ行』どちらかが一つでも紛れ込んでるととんでもない大事故必至なのだ。
主に精神がやられる、頭で思い描いた音と現実の耳に聞こえてくる音が食い違いすぎて、かけ離れ打度合いによって受けるダメージが何倍にも膨れ上がってしまうのだから、打開策を緊急で要する死活問題だ。
神妙な面持ちで俯き加減に、自分の考えに沈み込んでいた私は、相対する幼女がどんな表情で私を見ているのか、まるで気づいていなかった。
それどころか、目の前の幼女が寄越した台詞の内容も、自分の名前(らしき音)以降全く解析されないまま、右から左へと聞き流してしまっていた。
そのせいで相手がこれみよがしにイキってオラついてみせた台詞を完全に無視してしまっている現状に気が付くことができていなかったのだ。
すぐに怒って言い返すか、傷ついて泣き出すかのどちらかだと予想していたのに、相手が返してきたのはそのどちらでもない反応だった。
何の反応も返されずに放置され、ぽかんと呆けたのは最初の数分間だけ。
段々と無視された事に腹を立てて、顔を赤くして怒りを溜め込み始めたレグリスと名乗った幼女は、ぎりぎりっと幼女に似つかわしくない音をさせて、再びぷにっとした拳を握り込んでいく。
もう握り込める隙間がない限界まで、きつく拳を握り込むと、今度はその拳を振り、ズンズンと肩を怒らせ大股で歩み始めた。
幼女が足を向ける先にいるのは、同じ幼女である私で。
向かい来る幼女が放つ異常な怒気、その危険な気配をいち早く察知して、私と怒りに巻かれた幼女の間に小柄な影が割り込む。
視界が陰ったことで、思考の沼の底から緊急浮上することができた。
今私の目の前に見える背中は、ヤニス少年のもので間違いなかった。
背格好からしてそうとしか断じれないが、今この場には幼女2人の他にはこの少年しか居なかった、というのも理由の1つだ。
厨房に先程までいたはずのもう1人の少年、ヤニス君が最初から庇っていた弟のテオ君の姿が今は厨房の何処にも見当たらない。
レグリス嬢にロックオンされていたテオ君は、対話を試み出したあたりから何処かに行ってしまった、もとい避難し果せたようで、いつの間にやらこの場にはそれらしい影も見えなくなっていた。
うろうろと思考を彷徨かせながら、何で再びヤニス君の背に庇われる状況になってしまったのか把握しようと勤める。
すると突如、不動かと思われたヤニス君の背中が急に弾け飛んで眼前へと急激に迫ってきた。
飛んでくる前に、ゴキャッとかなんとか、とんでもなく不穏な効果音が発生していたようにも思うが、今は冷静に振り返ってる時間が無かった。
だってもう、元々狭い私の視界にはヤニス君の着用している衣服の色しか映っていない。
この現状から導き出される、この後私に待ち受ける未来はたった1つ。
ヤニス君の背中が私の顔面、主に出っ張った鼻部から接触して激突し、それを以ってしても全く威力が削がれず2人諸共になって後方へとぶっ飛ばされ、厨房の床に転がった。
この日初めて、私は“痛み”を体感し、“恐怖”を思い出し“憤り”を感じた。
暴威に晒される恐怖、暴力を振るわれる恐怖、それをただ過ぎ去るのを待つしか出来ない無力な自分への憤懣。
強打した鼻部はジンジンと痛みを訴えだし、損傷した粘膜からは鮮血が湧き出し、重力に従い鼻孔から流れ出ていった。
ポツポツと滴り落ちていく赤い液体を眺めながら、考える。
こんな時にはどうしたって考えてしまう。
『私にもっと“力”があったなら――』
その後に続く、こうありたいと望む理想の自分が選び取る行動は――。
白い光に意識が呑み込まれ、それ以上考えることは出来なくなってしまった。
どこまでが回想で、どこからが夢想だったのか。
いつの間にやら二度寝に成功していたらしく、鎮痛剤の効果にも助けられて、次に目を開いたときには部屋に射し込む金皇の光は真昼のそれとなっていた。
自分の犯した取り返しの付かない失態に、自己嫌悪に陥るのもそこそこで切り上げて。
今は一刻も早く現状を把握して、挽回の余地がないか探るべく、呼び鈴を振って侍女を早急に召喚する。
冷ややかな目で見られるかと思いきや、特にお小言を食らわされることもなく淡々と着せ替えられ、身支度を整えられていく。
聞けば答えてくれるのだけど、何だかメリッサもちょっと様子がおかしい。
けれど、今現在の時刻を聞いた私には、侍女の様子が普段と違う、という事に気を回せるだけの余裕が皆無となってしまった。
わたわたと自室を出て、ばたばたばたっと食堂へ向かい、昼食を食べている最中のお父様とお兄様ーズへ朝の挨拶もそこそこに、ありったけの謝罪の気持ちを込めて「アルヴェインお兄様ごめんなさいっ!!」と(泣き)叫んだ。
朝食の時、と約束したはずの治癒魔法の行使が、お昼時にまでずれ込んでしまった。
その原因が自分の寝坊だなんて、言い出しっぺなのに笑えない。
平謝りする私に対して、いつも通りに戻ったように見えるアルヴェインお兄様は、慈しみ溢れる優しい笑顔で許してくださった。
アルヴェインお兄様がお食事を食べきられるまでの間、横長のソファーにエリファスお兄様と並んで座り、分けてもらったお菓子を齧りながら待つ。
その間、他愛ない雑談にも興じた際には普段と変わらない兄弟の絡みも見られ、概ね収穫大な食事の一幕となった。
お食事を終えられたアルヴェインお兄様は直ぐに席を立ち、真っ直ぐに此方へ向かい来て、私の右隣にストンと腰を下ろされた。
かと思うと、慎重な手つきで不織布もどきを取り去り、怪我の具合を確認して、きれいさっぱり跡形もなく治癒せしめてくださった。
笑顔でお礼を良い、憂いは去ったと無邪気に喜ぶ傍らで、今回ちょっと怖かったなぁ~…と思った事柄について頭の端っこで考えていた。
患部の冷却のために貼っていた不織布もどきを剥がす時に、ちょっとだけ、ほんのすこーーーしだけ!!
あまりに強力な粘着具合に、このまま一緒に鼻がもげてしまうのでは?!なぁーーんて不安に思ってしまった事、これは誰がなんと聞いてきても答えない、一生のヒミツだ。
昼食を食べ終えた後、私は昨日は来ることが出来なかったお母様の寝室に来ていた。
怪我をしたことは伏せて、昨日の子爵令息との面会の際起こった出来事や、その後の騎士たちの見送り等を話している途中で、寝室の扉が叩かれた。
コンコンコンッ。
「失礼します奥様、筆頭医師のユーゴです。 廊下から何度か扉を叩いて待ちはしたんですが、音沙汰なかったので寝室前まで来てしまいました事、どーぞ寛大な心でお許しください。 ってなわけで、入っても宜しーでしょーーかねぇ?」
ノックの音に続いて飛び込んできたのは、一昨日も同じ、お母様がいらっしゃるこの寝室で初めて対面した、今ではすっかり顔馴染となったユーゴ先生らしい言い回しの、ユーゴ先生らしい遠慮の抜け落ちたセリフだった。
「ふふ、えぇどうぞ、入ってちょうだいな。」
カチャッ。
言葉とは裏腹に、扉を開く音は控え目で、配慮が為されたことがうかがえるものだった。
「しつれーしやーーす……てぇっ?! お嬢様もここにいたんすか!? っだよもーー、こっち来る前にお嬢様の部屋にも寄ったんすよぉ~?? あっちでも待ち惚けたのに蛻の殻だし、こっちもそーなるかって、あるわけねーーけど、無駄に焦っちまいましたよ!!」
気怠げに入室してきたユーゴ先生は、お母様の寝台の横に置かれた椅子にちょこんと乗っかっている私の姿を見て、途端に喚き始めてしまわれた。
「私の部屋に立ち寄られたのですか? え…でも、何故??」
「何故って…、決まってんでしょ?! 昨日あれだけっ、大変な思いしたんすから、その後どーーなったかって気になって当然でしょうにぃっ!!」
がしがしがしっ!
いつもより乱暴目に頭を掻き毟り、何でその理由を理解して貰えないのか、と理不尽に思って声を荒らげて反論された。
「えぇーーと…? そういうのも…なのかしら?? でも、アルヴェインお兄様が完治できないような重傷でもありませんでしたし、それはユーゴ先生も承知されていらしたから、てっきりもうお見せしなくても良いものだと解釈していたのですけど…駄目でしたか???」
確かに、私の個人的な見解で、勝手に再診の必要なしと断じてはしまったけれど、そんなに駄目な判断だったのだろうか。
「駄目ってこたーありませんけど、俺は気になるんです! そーゆーー性分なんです!! だから不必要だろーと、無駄足だろーーと、自分のこの目で確認しないと納得できねーーーんですよ、悪かったですね面倒な性分で!!!」
――あらら、何だか変な角度からネガってしまわれたわね…? でもユーゴ先生ったら、本当に素敵な先生よね!! 完治するってわかってても、最後まで見届けたいだなんて…上司だけでなく、医師の鑑でもあるのだわ、ホント尊敬しますっ!!!――
「あははっ、ユーゴ先生は最後まで自分の患者さんに責任を持ちたい性分なんですね、わかりました。 今度からは言われずとも完治するまできっちり診ていただけるのだとちゃんと記憶して、心しておきますね♪」
「や、だから…、そーー…ですね、はい。 もーソレでいいです。 その認識でいておいて下さい。」
ちょっとだけ照れつきながら否定の言葉を重ねようとして、何を言っても私がニコニコするだけだと悟ったのか、諦めたように項垂れてから、かしかしと首の下ら辺を掻いて投げやりな言葉をボソボソっと零した。
私達のやり取りが一段落するのを、じっと聞き入って待っていたらしいお母様がここで口を開く。
「…ところで、昨日ライラちゃんはどこか怪我でもしたのかしら? 2人がとっても仲良しになったきっかけも気になるのだけれど、それよりもっと気になるのは、“診てもらう”必要がある何かが起こった、かもしれない事実なの。 ふふっ、ライラちゃん、何があったのか勿論話してくれるわよね?」
――あれれのれ~おっかしいなぁ~? 花の妖精の如く可憐なお母様の笑顔が、なんか黒い!! それに迫力が満点過ぎて、ちょっと……きょわい!!――
「ひょえっ?! そっ…、そぉ~~~~れは、ですねぇ、何とご説明すればよいのか………、ちょっとしっかり考えをまとめてからまた後日お話するというのが妥当か――」
「今ここで、お話を聞かせてちょうだいな? 安静にしているのって、寝ること以外他に出来ることも限られてしまって…、丁度退屈していたところなの。 だからお願い、お話を聞かせてちょうだい? 上手い下手なんて気にしなくて良いから、ね?」
お母様の笑顔を直視していられず、視線を逸してしどろもどろに逃げの一手を打とうとして、ピシャリとその手を封じられてしまう。
――駄目だ!! 笑顔なのに、圧が凄いし全く逃げ出せる隙がない!! これものっそいあかんヤツ、完全にロックオンされて逃げ出す機会潰し尽されとるパターンのヤツぅ!!!――
今になって漸く理解する。
普段から笑顔を絶やさない人物は、ここぞという時1番の凄味をきかせられる人物だ、と云う事実を。
普段と変わらない癒し系な微笑みに、ちょっとした凄味が追加されるだけで、滅茶苦茶脅しつけられているかの如く~な迫力が加味されてしまうものなのだ、と身を以て体感した、貴重な経験を得た瞬間だった。
あの後、私が怪我をした事の起こりから今朝治癒してもらうまでに至るまで、何から何まで全部丸っと語り尽くすこととなった。
細部に至るまで事細かに説明を要求され、質問を差し挟まれ、気がつけば優に1時間は喋り通したかも知れない。
語り終わりぐったりと疲れ切った私と交代するようにして、ユーゴ先生はお母様の診察をし始めた。
私が見守る傍らで、テキパキと診察を進めるユーゴ先生の手際は、流れるように淀みなく、正確無比に最小の動きで行われていく。
――何だか安心して見てられる。 昨日、私も手当してもらって実感していたけど、客観的視点で見ていてもユーゴ先生って本当に腕の良いお医者様だってわかるわね~。――
感心しながら見ていると、ユーゴ先生が初めて聞くような明るく弾んだ声で話しだした。
「………ん、大分数値も安定してきましたね、試薬がドンピシャ合ってたみたいっすわ! つっても、まだまだ当分の間、安静にしていただかないといけませんけど、ね? やぁ~~しっかし、ホント昨日まではどーーしたもんかぁ~って、あったま痛かったっすけど、アイツラが研究バカだったおかげで、今回はマジで助かったっすわ、ホント!!」
「?! もしかして何か進展があったんですか!?」
「その通り!! 俺は何もできてないっすけど、昨日言ってた薬剤師、アイツ結局相方にも全部話しちまってて、こっちの事情ガン無視しやがったんすけどね? でもこの通り、成分から何から殆どぜぇーーんぶ調べ尽くした挙げ句、飽き足らなくなって強化された結合を破壊する成分まで突き止めて試薬、完成させちまったらしーーっすわ。」
“コレ”と現物を掲げて見せてくださりながら、次に続ける言葉は薬剤師に対する不平不満とは一線を画した内容に変遷していった。
「やーー…なんつーーか、キモイ。 その間不眠不休で稼働しっぱなし、2徹したてのギラッギラした目で超至近距離から見られて怖気がしたのなんのって、ホントキモイっすわぁ~~アイツラ。」
――殆ど悪口な気がするのですが…、そんな言う程キモイなんてこと、ある??――
「その言い方は…ちょっと、言い過ぎなのでは?」
「それは現物を見てないから言えるんすよ、お嬢様!! アイツラはキモイ!! 誰がなんと言おうとキモイ!! ホント見たら解りますって!!」
間髪入れずに否定された。
ひと目見たらわかる、なんて、その薬剤師たちはどれだけ“キモイ”のだろう…ちょっと、興味が湧いてしまった。
だってこれだけ強調されるのだもの、その方たちも例外なく濃いキャラであること確定だ。
「あ、でもこれ悪口じゃないんすよ? なんつーのかなぁ、アイツラを一言で表現すると、“キモイ”しか浮かんでこないっつーーか? 人間性は全然、悪さの欠片もない、無害な奴らないんですよ、ホント。」
――語弊しかありませんけど? ネガな意味にしか捉えられない単語なのですが?! そんな紛らわしい言葉しかチョイスできない薬剤師たち、俄然逢いたくてたまらなくなったのですが!!――
言い切ってスッキリしたのか、私からお母様へと視線を戻したユーゴ先生は、軽めにがしがしっと後ろ頭を掻き毟って、言いにくそうにしながらお母様へペコリと頭を下げた。
「あーー…、その、今夜はレヴェイヨンなのに、参加できるまでに回復させられなくってスンマセン、奥様。 でもジャン=ジャックの旦那にはちょっと豪華目にって言っときますんで! ちょっとだけ期待しとってくださいや!!」
にかっと歯を見せて笑う、その表情には凄く見覚えがあった。
昨日救護室で見せたのと同じその表情は、今と同じように、相手を励ます時に見せる彼のお決まりの表情のようだった。
「まぁ…うふふふっ、ありがとうユーゴ。 楽しみができて嬉しいわ。 貴方はこの後、まだお仕事が残っているの?」
「少しだけ事務仕事して、その後は今年最後の日なんで、キリの良いとこまで掃除しとくかなって感じっすかね? 普段は確認しない棚の奥なんかを、一応確認しとこーーかと思いまして、ね…。 毎年発見したくないもんばっか出てきちまうんすけど、ソレ以上熟成させるわけにもいかんので…仕方なく。」
「まぁ、何だか楽しそう…! 何が出てきたか、良かったら後で教えてちょうだいね?」
「えぇ、まぁ…、言葉で表現できるモノだったら、ご報告します、はい。」
――言葉で表現できないものが発掘された過去があるとでも?! 何ソレ、メッチャ面白そう!! 私も何が出てきたのか知りたいっ、でもそれよりも先に知りたいのは“レヴェイヨン”が何かってことなのですけどぉっ!?!――
チラチラしつつ、ギラギラした視線を送ってしまう。
私の異様な視線に気がついた筆頭医師は無視すること無く、見ないふりを決め込まずに、ちゃんと問いかけてくださった。
「えーーと、何すかねその視線? その視線が意味するところは、何か知りたいことがあるって解釈でよろしーでしょーーか、お嬢様?」
「全くその通りです!! さすが博士でいらっしゃる、察しの良さが違いますね、ユーゴ先生!!!」
「……だから、褒めても何も出ませんからね!? んで、何すか?! 今度は何が気になっちゃったんすか、お嬢様は!!」
褒め殺すとふてぶてしい二の句が継げなくなるらしい筆頭医師の弱点を突いて、的確に自分の求める答えが得られるよう下準備を整える。
そしてその隙を逃さず、一気に質問を投げかける。
「ズバリ、レヴェイヨンって何ですか?!」
「あー…なる、そーいやお嬢様は3歳児でしたねぇ~? 去年のこととか、覚えてないっすよねさすがに…。」
「…という事は、毎年やるものなんですね?」
「せーかい! ま、年の終わりと始まりを祝う無礼講っすわ、簡単な話。 毎年大晦日の仕事は午前中までって決まってるんすけど、厨房だけは例外で夕方くらいまでは大忙しなんすわ! それって言うのがレヴェイヨンの為の御馳走をたぁ~~んまり、使用人の分まで準備しなきゃならない、1年で1番の大仕事の日だからっつーー話でね?」
1年の終わりに盛大に行われる無礼講、所謂どんちゃん騒ぎは夜通し続けられ、豪華な料理の数々が盛大に振る舞われる一大イベントなのだという。
がちょうや七面鳥の丸焼き、牡蠣などのシーフードやパンデピスなどお菓子に至るまで、この公爵家では毎年、一夜で食べ切れるのか疑問な量振る舞われるらしい。
普段食べられないような豪華な食事は、屋敷中のみならず、この塀に囲まれた敷地内に居る誰にもに振る舞われるというのだから、一体何百人前分作らねばならないのか、考えただけで目眩がする。
それでも、あの総料理長なら喜んで調理するだろうと、容易に想像できてしまって、我知らず微笑んでしまった。
「あとは…あれか、年が明けて最初の金日に食べる特別な菓子もありますよ? ガレット・デ・ロワっつって、ちょっとした運試しができるんですけどねぇ~? お嬢様が最年少だから、主役っぽく楽しめるんじゃないっすか?」
なんでも、その“ガレット・デ・ロワ”にはフェーヴという陶器の人形が1つ隠されており、人数分に切り分けた後、一切れ毎に誰に食べさせるか決めるのは家族の最年少者の役目らしい。
フェーヴを当てた人はその1年間幸運が続く、という縁起物のお菓子なのだそうだ。
ーーえっ?! 運試しができる…特別な……おかすぃ!? “ガレット・デ・ロワ”、なんだかとっても夢いっぱい♡にファンシーで、甘美この上ない響きを伴ったお菓子名ですね!! 是非須らく賞味せねば!!!ーー
キュンッ♡とお腹とハートがほぼ同時に高鳴った。
高鳴りすぎて勢い余って、タラリ…、と涎が垂れそうになって慌てて手の甲で口元を抑える。
けれど、それだけでは対策が不十分すぎた。
……ぐぅ……っきゅるぅ~~…、きゅるきゅる…きゅるるぅ~~~………。
期待に高鳴ったのは私の心臓だけではなかった。
腹の虫までもが、未知なるお菓子に色めき立ち、咆哮をあげずにはいられない興奮を覚えてしまったらしい。
「まぁ、ライラちゃんったら、うふふふっ! さっきお食事してきたばかりでしょうに、今の話を聞いただけで、もうお腹が空いてきてしまったのね? ふふっ、可愛いわね♡」
――可愛くないですお母様ぁっ!! 食い意地が張ってるだけで、全っっっ然、可愛さの欠片もありませんからぁ~~~っ(泣)!!!――
気休めの慰めでしかない言葉なんて欲しくない、必要ない。
それならもういっそのこと、盛大に笑い転げてほしいくらいだ。
「あっはっはっはっは!! や、やんごとなき身分の“オジョーサマ”も、所詮はまだまだお子様ってかぁ~?! 御馳走と、菓子の話聞いて、そんな…腹まで鳴らして喜べるなんて、…ックククク、年相応でカワイーとこもあるんだなぁ? なぁ~~んかメッチャ安心したわ!! あっはっはっはっは!!!」
――だからって、ここまで豪快且つ盛大に笑い転げられても、傷ついてしまうのが繊細な乙女心と云うものなのですよ、ユーゴ先生?!――
自分の膝をバッシバシ叩きながら、お腹を抱えて笑い出した筆頭医師を、可愛さ余って憎さ0倍♡なデレ状態全開でガン見しつつ、そんな煩悩塗れな下心はキレーに覆い隠してみせる。
おこな表情を意識し、ツンとした態度を心掛けて反論もどきなセリフを口にする。
「うぅ…、それって褒めてませんよね? 子供っぽいとおっしゃられましても、私はれっきとした3歳の幼女でございますから! お生憎様でしたわね!!」
「っはっはっはっはっは、お生憎様って、ちょっ、それ、幼女の知ってる語彙なはず、ねーーーじゃんよぉっ!? っかしぃーー、ホンット、何もかも予想に反するっつーか、一緒に居て飽きねぇーーわ!! お嬢様見てっと、俺一生笑ってられそーーーだわ、マジで!!!」
ーーえぇーーーっ!? それって実は乙(女な顔)面だったユーゴ先生の屈託ない笑顔を一生眺められるってことですよねぇーーーっっ?! 役得感ッパネェーーーッッッ!!!ーー
にっこにこと可憐に微笑むお母様の穏やかな笑顔と、ゲラっゲラ笑い転げる筆頭医師の、半分以上がモジャっとした癖が激しい前髪に邪魔されて大口を開ける口元しか確認できない賑やかな笑顔を、気の済むまで観察し続ける。
和やかで朗らかな心温まる時間は、驚くほどの速さで急速に終わりを告げる。
“あの時1人でお母様の部屋を後にしなければ”、“あの時他に通りかかる使用人が誰でも良いから1人でも居たならば”。
これらのような、詮無い思いに駆られる事態が待ち受けているなど、この日この時この場所で、心のアルバム更新作業に余念なく没頭する少女には、知る由のない、まったく未知な未来の出来事であった。
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