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●本編●

56.それぞれの夜、晩餐会の後で…。〜家令と団長 in 執務室〜

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 コツコツコツ。

もとより人気のない通路に靴音が響く。
いつもと変わらない響き方であるはずなのに、今夜はやけに耳につく。
それもこれも、本を正せば糞爺が姿をくらましたのが発端で急遽登城することとなった王城、そこで口角を揶揄する笑みの角度にしたローデリヒから手渡された王命と銘打った巫山戯た手紙を否応なく受け取らされた事、そして晩餐会の会場となった食堂でのあれこれすべてが原因で心がささくれだっているせいだろう。

だからこそ心を鎮めるために七面倒でしかないのにわざわざ遠回りをしてまで歩いて執務室に向かっているのだ。
だというのに、心が鎮まる兆しが一向に見えてこない、欠片も感じられないのだった。

カントリーハウスでの執務室は図書室の一角に設けられている、といっても図書室の側からは出入り出来ない仕様になっており、執務室へと通じる扉には魔法によって制限が設けられ、開扉可能な者は少人数に限定されている。

この執務室の扉を開けられるのは家族以外には片手で足りる人数しか居ない、その誰もが私を裏切ることのない信頼の置ける人物ばかりだった。

 ーーそう思っているのは、私だけかもしれないがねぇ。ーー

誰に裏切られてもおかしくなかった一昔前のこの家の惨状を無感情に思い起こす。
前公爵、つまりは私の実父がクズだったせいで幼い頃からしなくていい苦労ばかりしてきたように思う。
成人して直ぐに父母を事故死に見せかけて謀殺し、爵位を難なく継承してからは……思い出したくもない地獄の日々だった。
主に師匠、世間からは救国の英雄だの何だのと持て囃されているあの糞爺のせいでとんでもない地獄を体験させられた。

少し思い出しただけでげんなりする、これ以上思い起こしたら年甲斐もなく気が狂れたように叫びだしてしまうかもしれない、主に怒りで。
グリグリと握り拳でこめかみを押し、胸の悪くなる灰色一色の思い出を頭の思考領域から押し出そうと試みる。
そうこうしているうちに執務室の扉がもうすぐそこ、目と鼻の先の距離まで差し迫っていた。

誰とすれ違うことなく順調に距離を詰めて、目の前にまで近付いた執務室の扉を開けるため取っ手を軽く握り、躊躇なく押し開けた。

キィッ…。

扉を開ける前から何となく先客が居るだろうと予想はしていたが、やはり的中した。
執務室に設えられたソファーに見慣れた人物が腰を落ち着けていたのだ。
姿勢正しく背筋をピンと伸ばしてソファーに腰掛け、自ら持ち込んだのだろう紅茶器一式で紅茶を淹れて優雅に一服して寛いでいる壮年の男がこの部屋の主である私が入室するよりも前に我が物顔で居座っていた。

「随分と遅うございましたねぇ、旦那様。 待ち惚けなんて、一体いつ振りでしょう? 年の瀬に、非常に貴重な体験をさせていただき、恐悦至極に存じます。」

こちらを振り向きもせず、ティーカップに注いだ紅茶の薫りを堪能しながら静かに、微笑みすら浮かべて嫌味を宣ってきた。
といってもこれがこの男の常の態度なので、別段気にならない。

「相変わらず嫌味ったらしいねぇ、遅くなったことは悪かったとは思っているんだよぉ~? でもねぇ~、ヴァルバトスみたいにオズが呼んでから来ればいいといっつも思うのだがねぇ~~?? 自主的に先んじて来ておいてぇ、文句を言われるのは私としても承服しかねるというものだよぉ~~?!」

「それはそれ、これは、これ、ですからねぇ。 また奥方様と離れ難くてイチャついているものと理解しておりましたが、どうやら今宵はそれだけが理由ではなさそうですねぇ。 急遽ライリエルお嬢様のご友人を交えた晩餐会となった、とは風の噂に聞きおよんでおりましたが、そこで何かございましたかねぇ?」

本から細い目を糸のように細めて勘ぐるように笑う、本当に見えているのか不思議に思うが恐らく誰よりも良く見えているのだろう。
この男の前ではどんな嘘偽りも通用せず、ほんの僅かな心の機微も見逃さずに鋭く見抜き、周到に探り出した弱点で以て自分の意のままに人心を操る。
そしてその過程のみを楽しんでいるというからたちが悪い、それもただの暇潰し目的でいたずらに弄んでいるのだ。

 ーー未だに疑問なのだがぁ、旧知の間柄だったとはいえ何故この男は好き好んでこの屋敷に奉公することを願い出たのかねぇ~? 能力だけ・・は確かに、一流と呼ぶのに十分な実力を備えているがぁ~、しかし性格・人格共に難しかない、否、難だらけで破綻していると言っても過言ではないのにねぇ~?? おかしな男に好かれたものだよぉ、まったくぅ~~…。ーー

にまにま笑いを止めない男をジト目で見遣りながら無駄と知りつつ苦言を呈さずにいられない。

「サミー、君はいつもいつもぉ、うちの使用人をいつの間にかあの手この手で抱き込んで自分専用の間諜に仕立て上げるんじゃないよぉ~? 君の最も悪い癖だよぉ、いい加減そういった悪戯じみた行動は控えないとねぇ~、今に痛い目に遭うだろうよぉ~~??」

「アッハッハ、ご忠告有難く頂戴致します♪ ですがこれが私の性分でして♡ 恐らく死ぬまで治らぬ部類のものでございますれば。 それに、どの首を切るか考えやすくなって旦那様にとっても宜しいでしょう? 金に靡く輩は相手が誰であろうとお構いなしですから、ねぇ? 誰に言われずとも家令の仕事を堅実にこなすこの有能さを心置き無く褒め称えて下されば無常の喜びでございます♡」

人の親切を躊躇いもなく紙で包んでくっしゃくしゃに丸めてぽいっと捨てるように無下にする人種、それがこの男のような人間なのだろう。
そしてこの救いようのない人でなしは間違いなく我が公爵家の家令の1人だ、けれどオズワルドとは役割が違う。

「家令の仕事って君ねぇ、お門違いだろうにぃ~? 屋敷の使用人の雇用云々は君の管轄ではないだろう、オズの仕事を奪うものではないよぉ~?? そもそもの問題は君が靡くよう言葉巧みに誘惑するからだろう、誰が逆らえるというのかねぇ~、君の口車に乗らない輩が存在しているのなら是非ともこの目で直に見てみたいものだよぉ~。」

「おやおや、ご存知でないのですか? 旦那様のすぐ側に居るではありませんか! 私の口車に乗せられない忠義心の塊みたいな御仁が1人♡」

わざとらしく驚いてみせながら自分の口車に乗せられなかった人物がこの屋敷に居ると云う。
しかも言葉の終わりに合わせて可愛らしく(オエッ)ピンと立てた人差し指の先を唇に当てて目配せクランドゥイユを寄越してきた、全身の肌という肌が音を立てて粟立つほど甚だ不快しか感じないおぞましい光景だった。

「なんなんだいその仕種と言い方はぁ、気色悪いから金輪際やらないで欲しいのだがねぇ~? それにしてもぉ、忠義心の塊…ねぇ~?? 居たかねぇ~、そんな真人間がこの屋敷にぃ~~???」

「ンアッハッハッハ! 旦那様ぁ~、それはあんまりじゃござーせんかねぇ~~?! 彼が可哀想ですよぉ、そんな言いざまではねぇ~。」

めずらしく本気で笑っている、どうやらこの男のツボにはまったようだ、この笑い方といつものお綺麗な言葉が崩れたのがその証拠だ。
砕けた話し方が耳に懐かしく、あどけない少年時代を思い起こさせる。

 ーーこの男に『旦那様』と呼ばれるようになってかれこれ18年か…、年も取るわけだねぇ~。 サミーにオズ、この2人がいなかったらぁ~…、私はまともに公爵家の当主なんてやっていなかっただろうねぇ~~。 まったく、不思議な巡り合わせに感謝すべきか嘆くべきか…、まぁ、感謝するしかないのだろうがねぇ~。 あの時分にまともでなければ他国から偶々訪れていたアヴィには出逢えなかっただろうからなぁ。ーー

初めて出逢った時のアヴィは、正に天使だった。
あの日の自分は色々と限界を迎えていた。
クズな両親が底をつかせた公爵家の逼迫した財政を立て直すため、資金調達に1番てっとり早かったのが戦争に参戦して報奨金を稼ぐことだった。

もともと魔法は得意だったがそこに輪をかけて私はご先祖様譲りのある能力を発現していた為にどの戦場でも向かうところ敵無し、獅子奮迅の活躍振りだった。
しばらくして個人での参戦では儲けが少ないと気付きその足で魔術師団の門戸を叩き即入団、そこからが地獄の一丁目。
魔術師団が駆り出される全ての戦場に赴き、糞爺の課してくる全ての訓練をこなし、追加で課される鬼のような訓練をもこなし、不意打ちで仕掛けられる訓練の範疇を越えた実戦形式の訓練をひたすらこなし、何とか五体満足で帰り着いた屋敷にて家令2人が寄越す当主にしか捌けない一日で山積みになる業務を燃え尽きながらこなす。

睡眠時間はほぼないに等しく、日を追うごとに消耗して擦り切れて、精も根も尽き果てようかという極限状態に到達してしまった私は登城した王城の人気のない回廊で文字通り行き倒れた。
倒れた状態のまま身体がピクリとも動かない、指の先さえ微かにも動かせない。
視界はぐるぐると回り続けており、意識も朦朧として助けを呼ぶ声もまともに上げられなかった。
このまま死んでしまうのかも、と脳裏に過ぎった考えにそれも良いかと半ば本気で思い始めた頃、その瞬間は訪れた。

私が行き倒れている回廊、そこへ丁度通りかかったのが誰あろうアヴィその人だった。
白いドレスを着たアヴィを見た瞬間、私は天に召されてしまったのかと本気で思った。
それからこれは現実で私はまだちゃんと生きている、そう実感できたのはアヴィが私の額に慰撫するように触れたからだった。
子供らしい幼さを感じさせるふくよかで柔らかな掌の感触、記憶のどこを探っても母親からは1度も触れられた記憶などない、それなのに不思議な懐かしさと安堵感を素直に得られた。

当時10歳だったアヴィには純粋な好意のみを抱いていた、流石に恋愛感情を抱いたのはアヴィが成人してからだったが…今思うとあの瞬間にはもうこの心は決まっていたのかも知れない。
だから余計にアヴィは凄い大人物だと思う、今考えても12も上の成人男性から再会した出会い頭に『貴女をとても好ましく想っています、まずは友人からお願いします!』と言われて泣き出さなかった彼女は凄く大人だった。
泣くどころかニコリと可愛らしく微笑んで『こちらこそ、宜しくお願い致します♡(←脚色有)』と快諾されて、夢かと思ってしまったくらいだった。


 あの時のアヴィの笑顔もやはり天使だった…と考えた辺りで執務室の扉を静かにノックする音で現実に引き戻された。
取り留めもなく回想に耽っていた事実を悟られないように、普段通りの声音を意識して扉の外に居る人物たちに入室の許可を短い言葉で伝える。

私の返事を聞き扉を押し開けたのはもう1人の家令、オズワルドだった。
足音も立てずに入室すると後に続く人物のために仕方なく扉を広く開け放してやっている、あそこまで嫌々な態度を隠さないのは相手が気を遣う必要のない人物だからだった。
のっそのっそと鈍く怠そうな動作で入室してくる猛獣のような大男は並の成人男性が余裕で通れる扉を前のめりに屈んで入ってくる。
1歩、2歩、3、4歩、足元が覚束ない様子で執務室内に何とか進み入り、この長身の酔っぱらいが入室早々酒気を撒き散らして吠えた。

「オズの野郎がうるっせぇから、仕方無しに来てやったぞぉ、用件は何だぁ~?! いい気分で飲んでたってぇ~のにぃ、くだらねぇ用件ならはっ倒すぞぉ~~!!?」

「「 ………。 」」

普段からこんな喋り口調ではあるが普段よりも少し不愉快さが増した物言いだと思えた、それに苦言を呈したのは案の定オズワルドだった。

「言葉が過ぎますよ、ヴァルバトス殿! 酔っ払いだからと看過できる範疇を越えた振る舞いは控えていただくようご忠告申し上げます。」

普段温厚なオズに珍しく、厳しい表情と口調で武人のヴァルバトス相手にも怯むこと無く毅然と注意してのけた。
サミーは我関せず、聞き耳だけはしっかり立ててあとは傍観の構えを崩さない。

 ーーこういうところだよぉ、サミュエルって男を今一信用しきれない要因はねぇ~?ーー

あくまでも舞台を観賞する観客に徹するサミュエルを容赦なく舞台上に引っ張り上げるため、オズに続いて発破をかける言葉を紡いだ。

「まぁ~~た、飲んだくれていたのかいぃ~~? そんななりでぇ、騎士団の仕事はちゃんと果たしているのだろうねぇ~、給料泥棒は御法度だよぉ~~?? サミー、現行犯だ。 遠慮なく給金を減らしてやってくれ給えよぉ~!!」

非常に個人的な理由により気分を害した、先程まで天使なアヴィの思い出に浸っていた余韻で非常に良い気分だったのがこの男の酔っ払い丸出しな咆哮で台無しになったのは紛れもない事実。
その腹いせに少しくらい八つ当たりの当て擦りをしたって許される、なにせ私は彼ら全員の雇用主なのだから多少の職権乱用は大目に見てもらえる権利があって然るべきだ。

「それはよう御座いますねぇ♪ 団長だけでなく、他の団員に関しても早速実態調査をさせていただき、然るべき減給金額を算出しましょうねぇ~♪ あ~~忙しい、忙しいっ♪」

金勘定が大の好物であるサミュエルは当初の予定を変更してウキウキと騎士団における人件費の削減額の試算に最早頭の中で取り掛かっている。

「おいおいおいぃーーーっ!! 誰が給料泥棒だってぇんだよぉっ!! だ・れ・がぁっ?!! 俺様たちが暇してんのはよぉ、ここに居る誰かさんのせいだろうともよぉっ!! 俺様たちの仕事を奪ってんのは主にあ・ん・た、だろうによぉ、なぁ~~、『死神』さんよぉ~~?」

見かけ泥酔に近い酔っ払いは頭だけは冴えているらしく、早々に己の危機的状況を察するや責任転嫁の先をこちらに定めてきた、良い迷惑でしかない。

「こらこらぁ~、雇い主に向かってその態度ぉ、褒められたものではないよぉ~~? まぁったくぅ~! それと君ねぇ、物騒で不名誉な二つ名は呼ばってくれるな、今は昔ほど血気盛んじゃないのだからねぇ~?! 近頃は穏やかで定評のある私への風評被害で訴えられる案件だよぉ~~??!」

財政を右肩上がりへ軌道修正が完了してからは率先して戦場に赴くことはせず、アヴィと結婚してからはなお一層戦場からは遠ざかり第一線は退いた。
それもこれも、全てはアヴィと過ごすため、少しでも長く一緒に過ごせる時間を確保したくて今の副師団長という役職に就いた。
なので今現在の王城で諸外国に響き渡っていた私の不名誉な二つ名や悪名を知る者は少ない、親交のあるセヴィですら聞いても首を傾げることだろう。

溢れる自信を持って告げた言葉に、瞬時には理解が追いつかなかったかのような少しの間、それからは各々の偽らざる率直な否定の言葉が方々から同時に返された。

「ンアッハッハッハ!! 旦那様、それは無理ですよぉ!」
「旦那様、今現在でも世間一般からみた旦那様は穏やかとは程遠い評価と存じます。」
「無~理無理ぃ~、お前さんが穏やかなんてよぉ!? 天地がひっくり返ったとしてもよぉ~、がっははぁ、む~り~な~話だぜぇ~~~っ!!? 笑い話にもなりゃしねぇ~ぜぇ~~~っ!!!」

昔のやんちゃな自分と今の自分は程遠い存在である、そのはずだというのにうちの家臣共ときたら、揃いも揃って主人を敬う姿勢がまったく見て取れないのだから、頭にくる。
とくに酔っ払いの無駄にデカくて耳障りな笑い声が怒りを煽る、黙らせようと声を上げる前に酔っ払いが今思い出したように信じられない内容を話しだした。

「あんっ?! おもしれぇといやぁ、あれだ!! お前んとこのお嬢ちゃんにさっき偶然遭遇したぜぇ?! ちょーど玄関入った辺りで彷徨いてたもんでよぉ、ちょいっと脅かしてやろうかってぇ、悪戯心ってやつが騒いじまってよぉ~~!! 軽~~く蹴飛ばして床に転がしてやったら、目ぇまんっ丸にして驚いてやがったぜぇ~~??! がぁーーーーっはっはっはっはぁ!!! ありゃぁ~~見ものだったぜぇ!!!」

その光景を脳裏に鮮やかに思い出し、豪快に笑ってから手に持った酒瓶を傾けて酒を呷ろうとする。

パチン!!

「どぅわぁ~~~~っとおぉっ!!? 何しやがるんでぇっ!? 『死神』この野郎!!! 俺様の上等な酒に何しでかしてくれてんだよぉ、喧嘩売ってんのかぁあっ?!!」

跳び退く前までヴァルバトスの身体があった場所、丁度心臓の辺りで爆ぜて燃え上がった真っ赤な生まれたての炎が一際強く燃え盛ってすぐに消えた。
その犠牲になったのは酒瓶だけだったのが残念この上ない。
指を鳴らしてやったのは多少の情け、否、気付けない程の無能ならあのまま焼け死ぬのがお似合いだっただろう。

 ーーうちの娘に、何をしたと言ったんだ? この男は一体何を考えている? そもそも思考する能力をまともに備えた人間だったのだろうか?ーー

「お前こそ何をしたって? 私の娘に許可もなく勝手に遭遇して、蹴飛ばして転がした…だと? ヴァルバトス、君ぃ、よっぽど死にたいようだねぇ?」

沸々と湧き上がり煮え滾る怒りに呼応するようにエメラルドの瞳が一際強く煌めき、琥珀色の髪が燃え盛る赤の陽炎を纏い燦めきだす。

「だぁあーーーーーっとぉ!? おめぇさん、なぁにマジにブチ切れてんだよぉっ?!! じょーだん、かぁ~~るいじょーだんじゃねえかよぉっ!! わかれよそのくらい!! 本気でやるわきゃねぇだろがっ、素人じゃあるめぇし、怪我させるような下手くそな転ばせ方誰がするかっつーーーのっ!!!」

この期に及んで場を和ませようとでもしているのか、的はずれで見当違いな言い訳もどきを喚き出した男を黙らせるため威圧する。

「怪我云々は言うまでもない。 そもそも転ばせる意図が全く理解できないんだよ。 やはりぃ、君を雇い入れたのは間違いだったようだねぇ。 サミュエルぅ、あれ、クビ。」

『あれ』と指でヴァルバトスを指し示してから、首を横に1回ゆるく振ってサミュエルに本気の指示を出す。

「アッハッハ、畏まりました旦那様♪ 早急に解雇通知を作成の後、強制退去を断行致しましょうねぇ~♪ いやぁ~~、年の瀬だというのに遣ることがてんこ盛りでてんてこ舞とわ、何とも忙しない年越しとなりそうですよぉ~(笑)」

私の指示に応えた男の声は心底楽しげで、全く苦を感じられないほど朗らかだった。

「てめぇっ、サムっ、この野郎ぉっ?! 笑ってねぇでちったぁ止めろよなぁっ!!!」

「んふふ、嫌ですよ。 身から出た錆でしょうに、今更ぐだぐだ言いなさんな。 ヴァルバトス君が旦那様の逆鱗を見誤ったのがそもそもの原因でしょうに? 潔く諦めて、新しい就職先もとい定住先を見つけて下さいネ♡ アデュー、ムスュー♪」

手をヒラヒラっと軽妙に振って今生の別れの挨拶を告げる、その顔に悲壮感はまったく影も形も伺えない。
声音と同じに、朗らかさ一色だった。

「勝手に話進めんなっつーーのっ!! んな目くじら立てて怒んなよぉっ、俺様とおめぇの仲じゃねぇかぁ~~?! んなっ?! 頼むっ!! このとーーーーりっ!! 二度としねぇって!! ここ追ん出されたらぁよぉ、おめぇ、俺様がどやされんのは上さんだけじゃねぇんだっつぅ話でよぉっ!!?」

恥も外聞もなく、いっそ清々しいほど潔く頭を下げて必死に哀願してくる酔が抜けてきたほろ酔い気味の赤味がかった顔、中年男のむさ苦しさと言ったら…筆舌に尽くし難いことこの上なし。
追い出そうにも梃子でも動かないだろうし、空間転移したとしても即行で舞い戻ってきてくるだろうことが容易に想像できてしまう、その想像だけでもドッと疲労感が押し寄せてくる。

「……っはあぁ~~~。 五月蝿いねぇ、君って男は昔っから戦場以外ではぐちぐちとぉ~! もぉ沢山だ、そこまでにしてくれ給えよぉ~、このまま喚かれ続けたら頭が割れるってものだからねぇ~~?! 二度目はない、その事を夢々忘れないことだよぉ~、その都合の悪いことはすぐに忘れてしまえる頭にしっかりと刻み込んでおくことだねぇ~~!!!」

執務室に来る前と同様に、きつく握った拳の指の背でこめかみをグリグリと圧迫しながら苦りきった声音で告げる。
9歳年上のオッサンに拝まれ続けるなんて、悪夢でしかない。

「おうともよぉーーーっ!! 俺様は一度交わした約束はぜってぇーーーーーっに、守る男だからなぁっ!!! がぁーーーーっはっはっはっはぁ!!!」

「本当に調子が良いやつだなぁ、君って奴は! 落ち込んでても機嫌が良くても五月蝿くてかなわないったらないねぇ~!? はぁあ~~っ、何だって君みたいな厄介な人物を雇い入れてしまったんだろうねぇ、声を大にしてあの日の自分に言ってやりたいよぉ、『早まるな!!』ってねぇ~~!!!」

時を巻き戻せるのなら迷わず断行したことだろう、だがいかんせん矮小なる人の子である我が身では扱うこと叶わぬ魔法、神のみが扱うことのできる魔法である為に煮え湯を飲まされる心地となろうとも諦める他ない。

「がぁーーーっはっはっはぁ!! そりゃおめぇ、俺様のことが心底憎みきれねえからだろうがよぉっ?! 『死神』も人の子ってこったぁなぁ~~?? がぁーーーーっはっはっはっは!!!」

「あぁ~~~っ、五月蝿い!! まったくぅ、静かにし給えよぉっ、いい加減にねぇ~!? これじゃいつまで経っても本題に入れないだろう~~?!!」

「そうよそれよぉ~~!! こぉ~~んな夜更けにわざわざ呼び出すたぁ、一体全体どんだけ火急な用件だったんでぇ~~っ?!」

やっと振り出しに戻った。
これからは少しまともになったこの男が話の腰を折る愚行を犯さないことを切に願うばかりだ。
私が今から話そうとしている事柄をこの場に居る3人は全く知り得ない。
あの場に居合わせた者は1人も居ないのだから当たり前だが、1から順を追って説明しなければならない現実が少し恨めしい。
無駄に体力を消耗しすぎた、けれど執務室に来る前まで付きまとっていたささくれだった心の状態は不思議と消え去っていた。

苦笑いを浮かべた口元を手で覆い隠しながら、反対の手で立ったままのオズワルドとヴァルバトスに座るよう促す。
自分もようやっと執務机の前にある椅子に腰掛けてから、彼らがソファーに腰を落ち着けるのを待っている間にどこから説明しようかと考える。
子豚令息の今後の処遇、そしてアンジェロン子爵家へ賠償として請求する報償の内容を頭の中で整理する。

長い夜は始まったばかり、執務室に詰めるのは平均年齢42歳の中年男4人、このむさ苦しさしかない空間にできれば長居はしたくない。
自分より年上の家臣である男どもを眺めつつ、1分1秒でも早くこの部屋から出られるようこの中では最年少の公爵家当主は意気込んで口を開くのだった。
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