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●本編●

37.この際だから、聞いてみようと思います! ③

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 わたしが思い出せる家族の姿は、後ろ姿だけ。
お父さんも、お母さんも、弟の姿しか目に入らないみたいに、わたしにはいつも背を向けていたから。
弟も両親に倣って、わたしを視界に入れることはなかった。
家族みんながわたしの姿が見えないみたいに振る舞っていた。

わたしなんて元から存在していないかのように。

いつからかわたしは自分が透明人間なのではないかと思うようになった。

名前も呼ばれない。
呼ばれたくもなかったけれど。
理不尽な理由でなじられるだけだから。

 ーーお前さえ生まれてこなければ…!!ーー

お母さんからぶつけられる言葉の端々に、憎悪に塗れた感情がありありと感じ取れた。

お父さんは数年前から家に寄り付かなくなった。
でも弟には会っていたみたい。

コレがわたしの知っている『家族』。
前世のわたしの、血の繋がった『家族』。

愛情なんて、欠片も向けられた覚えがない。
愛情なんて、欠片も抱いた覚えもない。
今となっては、こんな両親からは感情など何一つ向けて欲しいとも思えないけれど。


 ドクドクと心臓が鳴る音が耳に大きく響く。
ラピスラズリの瞳を今世での血の繋がった家族に向ける。

わたくしが何をしても、受け入れてくださる『家族』。
私が前世では一度も貰えなかった愛情モノを見返りもなく注いでくれる『家族』。

 ーー無償の愛なんて、都市伝説かと思ってた。 私には遠くかけ離れたえん所縁ゆかりもない感情だったから。ーー

何が切っ掛けかはわからないが、不意に思い出された前世の記憶。
誕生日には欠片も思い出せなかった、『家族』に関する記憶。
自分の置かれていた家庭環境が特殊だったことは疑いようのない事実で、あれを基準に考えてはいけないと解っている。
解っているけれど、もうどうやっても切り離して考えられない。

 ーーお父様とお母様を見て愛情について考えたことが引き金かもしれない。ーー

ジワジワと昏い記憶が侵蝕してくる感覚。
思い出された昏い記憶が、心を揺るがして意志の力を弱らせる。
意志の力が弱って、封じ込めたはずの『悪い夢』がわずかに開いた小さな隙間から漏れ出して縛めを解きにかかる。
一つまた一つと、ゆっくりと時間をかけて錠が外されていく音がする。

 ーー私は何にこんなに動揺しているんだろう? 向けられた愛情の、何がこんなに心を震わせるんだろう?ーー

「どうかしたの、ライラちゃん? 少し顔色が悪いようだけど…まだ寝ていたほうが良さそうかしらね?」

さらり…。

横から伸ばされた温かな手が、前髪を除けながら私の額に触れる。
直に触れた肌から伝わる自分以外の体温が心地良い。

 ーー心地いいのに、心が痛い。ーー

触れる手から伝わるお母様の愛情を伴った様々な感情が嬉しさと同じだけの痛みを与えてくる。
現在いまの私が喜ぶ反面、前世の私が血を吐くようにうったえてくる。

ぎゅっと瞼を強く閉じて、前世の私が吐き出すそれらの言葉から目をそらす。

「大丈夫です、お母様。 ちょっとだけ…急いで食べすぎてしまったみたいで、お腹がびっくりしてしまったみたいです。」

少しだけ意識して表現を幼くしてみた。
今更無駄な行為だけれど、年相応に振る舞ったほうが今後家族の前以外でボロが出るのを防げるはず。

「? 胃もたれかしら? ライラちゃんのお食事はここまでのほうが良さそうね。」

額から手を離し、前髪を優しく指先で整えてくださる。

「苦しくないか? 耐えられなさそうなら、薬を用意させるか?」

「そこまでは…大丈夫、です、お兄様。 少しの間じっとしていれば、落ち着くはずなので。」

 ーー言葉を選びながら喋るのは中々骨が折れるものね。 思いつくままに喋れるのに、喋ってはいけない現状がストレスだわ。ーー

思わず溜息がもれる。

「どうしたんだい~? 溜息なんていて、やはり薬が必要かなぁ~~?」

「いえ、お気遣い…えと、大丈夫ですわ、お父様。」

「ん~~? もしや言葉遣いを気にしているのかなぁ~? 無理せず今まで通りに話してくれて構わないんだよぉ、ライラ。 気にする必要など無いさぁ~~。」

早速指摘されてしまった。
でも、本当に…良いのだろうか?

「ですが、可怪しく思われませんか…?」

「可怪しい、とは思わないがねぇ~? 具体的にはどういったことが気にかかっているんだい~~?」

「年に似つかわしくないと、お思いになりませんか?」

「んん~~…いんやぁ~? とくに思わないねぇ、アルヴェインも幼い頃から今みたいな喋り口調だったからねぇ~。 エリファスにしても、口数が少ないだけで考え方は大人びていたしぃ、こんなものかぁ~、ってねぇ~~?」

 ーー前例が既にあったとは!ーー

盲点だった。
いや、生まれる前の出来事なのだから知るはずもない情報だったけれども。
確かにお兄様たちが普通の幼少期である姿は想像できない。
謎の説得力がある。

「そう…ですか、それなら良かったです。 私、思うままに喋れるのが嬉しくて、喋る内容にまで気が回らなくて…。 変に思われていたら、どうしようかと…、本当に変だとは思われませんか?」

 ーー気味が悪いと思いませんか?ーー

ストレートには聞けなかった。
結局同じ意味で聞いているのに、言葉にするのが躊躇われた。

「そんなこと思わないわ。」

ふわり…と優しく触れて、頭を撫ぜながらお母様が微笑みとともに否定してくださる。

「こんな事を考えていたのね、なんて感心してしまうだけで変だなんて少しも思わないわ。 ライラちゃんが楽しそうにお喋りしてくれるのが嬉しいと思うだけよ。 不安に思う必要なんてないわ、今のままのライラちゃんで良いの。 私たちはそのままのライラちゃんが大好きなのだから、ね?」

向けられる眼差しには溢れるほどの愛情が宿っている。

「僕やエリファスだって、言葉遣いなんて昔からまったく気にしていないさ。 相手の顔色を窺ってわざと幼く振る舞う必要はない。 パーティーのときも、誰も気にしていなかっただろう? たとえ誰かがライラの個性を理解せず否定したとしても、僕たちはいつだってライラの全てを肯定できる。 ライラはもっと自信を持っていい。 僕たち家族の愛情は深くて重いんだ、ライラも知っているだろう?」

お兄様からもたらされる声も眼差しも、優しくて温かい。
向けられる愛情をひしひしと感じられる。

「アヴィとアルヴェインの言った通りだともぉ! エリファスだって同じように言うだろうねぇ~、まず間違いないともぉ~~! もう分かっていると思うがぁ、私も一切変だなどとは思っていないからねぇ~~? アルヴェインが言ったようにライラを否定するような輩がいたらぁ…、明言するのはここでは避けよう、兎にも角にもぉ~、いかなる報復行為も辞さない所存だともぉ~~!! 誓ってもいい、何が起こったとしても必ずライラの味方でいるとねぇ~~!!!」

いつもの調子は崩さずに、その声に持たせた力強さで私に伝えてくださる感情おもい


 三者三様、それぞれ思い思いの言葉で私が感じた不安の大きさ以上の想いを返してくださる。
私の抱える不安をその質量で押し潰すように。

「お父様、お母様、お兄様、ありがとうごさいます……っ。」

笑顔で感謝の言葉を口にした、つもりだった。
けれど実際には、くしゃりと顔を歪めただけになってしまった。
眉根は寄り、ハの字になった眉尻は下がりきっていた。

胸がじんわりと温かくなるのに。
目の前の家族が紡いだ言葉に嘘は1つもない、そう感じられるのに…。
虚構フィクションではないかと疑ってしまうのを止められない。
それに今は他にもーー。

 ーー〈それでもいつか、疎まれる。〉ーー

前世のわたしが囁く言葉が頭の中で木霊する。

 ーー〈いつの日にか必ず、見放される。〉ーー

『悪い夢』がその確たる証拠であるかのように、前世のわたしの言葉に否定し難い説得力を持たせる。

急速に負の感情に引きずられ、心の揺らぎが加速する。
グラグラ揺れ動いて、振幅を増してゆく。
揺れの激しさに呼応するように、縛めが緩み自由度が増した『悪い夢』が解錠のスピードを速めた。

色々なものが一緒くたになって、弱った心を一斉に苛んでくる。

安定を失った心では、上手く抑えきれない、コントロールが効かない。
落ち着かなければ、心を空っぽにして、心を揺るがす原因を抑え込まなければ…!

どうすれば良いのだったか…?
あの時はどうしていたっけ?

誕生日に初めてお会いしたゼクウ老師様に心を落ち着けるよう言われた私は…。
前世で愛聴し記憶に刻まれた歌を頭の中で正しく再生した。
そして同じように今も問題なくイントロから思い起こせた。

前世の昏い記憶を背負ったわたしの存在と、漏れ出して縛めを解こうと蠢いていたいた『悪い夢』が大人しくなる。
心を揺るがす原因が大人しくなったことで、安定を取り戻した心が意志に力を与えて抑え込みにかかる。

漏れ出した『悪い夢』を再び箱の中に押し戻し、緩んだ鎖を締め直し、しっかりと施錠し直す。
侵蝕してきた前世の昏い記憶をわたしごと心の奥底へと押しやる。

そうして心は平穏を取り戻した。
一時的なものだとしても落ち着けたことに安堵する。

 ーーこれも幼い身体の弊害の一種なのかしら?ーー

感情の振れ幅が両極端というか、1度安定を失うと傾いだ方に一気に傾倒してしまって、引き戻すのに倍以上の労力を要する。

 ーーまるでシーソーみたいね…。ーー

言い得て妙。
我ながら良い喩えのように思えた。

私の心の中での攻防は実際には数分にも満たないものだったけれど、私の体感時間では倍以上長く感じてしまった。

感謝の言葉を伝えてから後のことは、おそらく家族の目には少しぼーっとしているだけのように見えたはずだ。
それも先に誤魔化しで口にした、胃もたれのせいだろうと思ってくれたように感じる。
でなければ今頃大騒ぎになっていただろう。


 不安を煽る要素が次から次へと追加されすぎて、見失ってしまいそうになるが、私の本心としては家族に不必要な心配をかけたくはない。

 ーー心を落ち着ける方法を、もっと増やしたほうが良いかしら?ーー

愛聴していたとはいえ、いつまでも変わらずにあの歌を思い起こせるとは限らないのだし。
私のとぼしい音楽的才能で、正しい旋律を未来永劫変わらずに覚えていられる自信など皆無だ。

 ーー前世のようにあの歌をいつでも簡単に聞けたならこんな心配をしなくて済むのに!ーー

私……歌を歌うのは全然下手で、音楽の授業で独り歌わされるときがいつも億劫だったわ。
聞いてるクラスメイトと先生の反応も芳しくなかったと思う。

 ーー歌が上手い人に歌ってもらって、録音できたら最高なのに…。ーー

そこでハッと思い出す。

 ーーメイヴィスお姉様…、今何処にいらっしゃるのかしら……?ーー

歌が上手い人物(希望的観測)で思い浮かんだ少女、記念すべき友人(同性)第一号その人。

 ーー確か誕生日パーティーで強引に引き留めたはずだけれど、まだ滞在していらっしゃるのかしら??ーー

一方的に決めて、強引に泊まらせたくせに熱を出して昏倒すること1週間。

 ーー最低最悪な友人で、迷惑極まりないわね…。 私、嫌われてしまったかしら?ーー

リンリーーン……。

耳にうるさくない音量で鈴に似た音が鳴る。

 ーーん? 何の音かしら?ーー

疑問に思う私の視界の端で、食堂の扉近くに控えていた従僕が動き、扉を開いた。
開かれた扉から食堂へ入ってきたのはメリッサだった。
姿勢を正してテーブルの手前で足を止め、深々と頭を下げてから姿勢を戻して告げる。

「お食事中失礼いたします。 ライリエルお嬢様にお伝えしそびれておりました言伝がございましたので参りました。 今この場でお伝えしても宜しいでしょうか?」

語り出しは家族の顔を見ながら話していたが、私の名前を出してからは私だけに焦点をあてて用件を語りきった。

「言伝…? 誰からのかしら?」

「ご滞在中のメイヴィス男爵令嬢からでございます。」

噂をすれば影が差す。
本人ではないけれど、本人に繋がる情報を携えた乳母がやってきた。
ほんの数分前まで綺麗さっぱり忘れていた事はおくびにも出さず、澄まし顔で首肯しながら許可を出す。

「良いわ、言ってちょうだい。」

「かしこまりました。」

軽く頭を下げてから再び歩き出した乳母。
最初の位置だと私から遠すぎるためか、お母様の後ろを通り私の後ろも通り過ぎて、私の右側に適度な距離をおいて移動してきた。

「では申し上げます。」

スゥーーーーッ。

 ーーん? なんでこんなに空気を取り込んでるの?ーー

その疑問は直ぐに解消された。

「『ライリエル様、お目覚めになられたと聞き安心いたしました! 心配で心配で、夜も眠れな…くは全然全くなくて、かつてない程の安眠をむさぼる毎日を過ごさせていただいておりますが……あれ? 何が言いたかったのでしたっけ?? あぁっ! そうそう、そうでした!! ですからえぇっと、お加減が良いようなら1度お見舞いに馳せ参じたく思っている次第でして! 勿論、ライリエル様のご体調優先で構いませんので、都合が良ければで全然大丈夫ですので!! ご一考頂けましたら幸いです!!』 以上がメイヴィス男爵令嬢からの言伝でございます。 賜った際に『このまま伝えて欲しい』ともおっしゃられましたので、一語一句洩らさずお伝えいたしました。 返答は如何なさいますか?」

メリッサは常日頃の冷静なデキる乳母兼侍女の顔のまま、平然と一息で今の長尺台詞を言い切った。
そして返答を迫られるが、何も言葉が浮かばない。
今目撃したメリッサの行動が衝撃的過ぎて思考停止してしまった。

パチクリ、パチ、パチ。

瞬きを何度繰り返しても、今目撃した一連の出来事は脳裏に残ったまま、変わらぬ衝撃を私に与え続けた。

目一杯空気を取り込んだのはこのためか、とか。
無表情なのに、声真似うますぎか?!とか。
身振り手振りまで再現て、どんなプロ意識だよ?!とか。

色々、ほんと色々、この乳母は私の想像を超えてくる。
私の考える限界値を軽~~~く凌駕してくるから本当に困る。

 ーーなんて言うか…可愛いしかない…っ!! 控えめに言って、愛しいっ好きっ大好きぃ~~!!ーー

本当の意味で私がメリッサを理解できる日は来ないのかも知れない。
でも、それで構わない。
だって、予想できない行動を取るメリッサが、私の唯一無二の乳母なのだから。
そんな彼女だから、こんなにも大好きだと想わされるのだから、仕方ない!
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