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●本編●

33.悪夢のあとで…。②

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 パタパタパタ…。
軽い足音を響かせて廊下を歩く。
朝の光を窓から取り入れた廊下は日陰を探すのが難しいほど明るく照らされている。

わたくしの部屋は2階にある。
タウンハウスと同じ、2階に。
食堂に行くためには階段を下りなければならない。

2階から1階に降り、エントランスホールに至る階段は2つある。
といっても完全に独立はしておらず、2つに分かれた階段は左右対称に緩く弧を描きちょうど1階と2階の中間地点となる踊り場で合流し、そこから下へは真っ直ぐにエントランスへと伸びている。

前世の記憶を思い出すきっかけとなった階段を下りる手前で、一旦足を止める。
その場所から階段の全貌をじっくり確認する。
道のりを確認してから片手で手摺をしっかりと掴み、安全を確保してから、ゆっくり慎重に再三足元を確認しながら下り始めた。

 ーー石橋は叩いて渡る! 今日こそ実践しきって見せる!!ーー

3歳児の目線で見ると、この階段は独りで下りるにはけっこうな勇気がいる。
誕生日の日に着たドレスとは違い、今日の装いは足元が確認しやすい。
膨らみの無いスカートに感謝しか無い。

じっくり時間をかけて安全第一に最初の難関を無事クリアした。
今度は1階の廊下をパタパタと靴音を響かせて歩く。
誕生日パーティの会場となった大広間とは反対方向に向かってエントランスホールを通り過ぎ、真っ直ぐな廊下を道なりに歩く。

記憶に真新しい、王都にあるタウンハウスとは違う内装や間取り。
なのに何故か醸し出す雰囲気が似通っている。

だからだろうか、食堂へ向かい歩く廊下が少し…怖い。
家族からの拒絶を言い渡される場に向かう心地になってしまうから。

私の持つ今生の少ない記憶と、16歳まで生きた前世の記憶の上に新たに積み上げられた膨大な回帰の記憶。
最期まで良い思い出がないままとなってしまった繰り返された回帰の記憶。
アンバランスに積み上げられたそれらが、一歩一歩、歩く度にグラグラと傾ぐ。
そしてその振動に耐えきれず、パラパラとふるい落とされた写真のような記憶の断片が脳裏に一枚一枚、一場面ごとにチラついてしまう。

黒い靄が纏わりついているかのような不快感が拭えない。
『悪い夢』の残滓が私に過干渉して苛んでいるかのようで…、落ち着かない。

真っ直ぐな廊下の終わりが見えた。
突き当りを壁に沿って右に曲がり、再び真っ直ぐ進む。
食堂はもうすぐそこ、扉も見えている。

自分の足音が…やけに大きく聞こえる。
何故こんなにも不安が煽られるのか…。
明るいはずの廊下が、昏く感じる。
白昼色であるはずの屋内が、暗褐セピア色の記憶に侵蝕され色彩を染め替えられていくようだ。

食堂への扉が目前に迫る。
鼓動が、ドクドクと逸りだす。
この扉を開けたなら、何が始まるのだろう。
穏やかな日常の一場面か、もしくわーーー。

扉の数歩手前で足が止まる。
心の準備が出来ないまま、無情にも扉が開かれた。
食堂の内側へ向けて、遅すぎず早すぎないスピードで。

入る時の扉の開閉は魔導具によって自動制御されている。
前世での自動ドアのようなもので、人感センサーに相当するものが働いて手を触れずとも開閉可能なのだった。
便利ではあるが、今は少し恨めしい。

無意識に生唾を飲み込む。
コクリ…と小さく喉が鳴った。

瞼を閉じて、深呼吸。
逸る心臓の鼓動はまったく静まらないまま。
私が入室するのを待っている複数の気配が食堂の中から感じられる。

グラグラと揺れ動く心のままで、食堂に踏み入った。

明るい爽やかな朝の光が大きめの窓から降り注ぐ食堂。
開かれた扉から見て右側、その中ほどに、ゆうに10人は同時に食卓を囲めるだろう大きさのテーブルが鎮座している。
その長方形のテーブルを囲む3人の人物。
中央にお父様、その向かいにお母様、そしてお父様の左隣りにアルヴェインお兄様が座っていた。

私に最初に声をかけてくださったのはお父様だ。
いつもと同じ間延びした口調で、朗らかに。
それなのに、おかしな現象が起こる。

「やぁやぁ、お寝坊さんだったねぇ~、うちのお姫様はぁ~~! おはよう、ライラ。 さぁさぁ、座りなさい、立ったままでは、食べられないよぉ~~?」
『ーライラ、君には失望したよ。 義妹の命を狙うなんて、悍ましい。 君が私の娘だなんて、絶望だよ。』

副音声のように、おかしな声が重なる。

息が苦しい…喉が詰まって、呼吸がし辛い。
酸素を求めて浅く早い呼吸になる。

「おはよう、ライラちゃん。 こちらへいらっしゃい? 今日の朝食は、貴女の好きなものばかりなのよ。」
『ーライラちゃん、どうしてこんな子に、育ってしまったのかしら? 貴女が私の娘だなんて…恥ずかしいわ。』

お母様の声にも、おかしな声が重なった。

震えだした身体が、ピクリとも動かせない。

「ライラ、大丈夫か? まだ本調子じゃないだろうが、少しでも食べないと良くならないからな。 さぁ、お兄様と行こう?」
『ーさぁ、こちらへ来い。 お前に相応しい場所にエスコートしよう。 これで最後だ。 清々するよ、その顔を二度と見なくて済むのだから。』

アルヴェインお兄様の声にも…おかしな声が重なる。

一向に動かない私を心配して、アルヴェインお兄様が席を立って迎えに来て下さる。
その動きが、スローモーションのように映る。


 ぐにゃり…。
視界が歪む、捻じ曲げられていく、上下が逆しまになる。

未来の家族が紡いだ、私に絶望を与える言葉たち。
それが思い出されて、目の前の現在いまを侵蝕してくる。
『悪い夢』が、断片的に再生された…それだけのはずなのに、このまま、また始まってしまいそう…。
魂に写し込まれた恐怖によって、視界が急速に暗くなる。
優しい笑顔を、目に見えるまま、信じることが、出来なくなる。
否定したくても、否定できない…。
引きずり込まれて、呑み込まれてしまいそう。
真っ黒な感情の渦に。

ここにきて金縛りが解けたように、1歩、2歩、ぎこちなくヨロヨロと後ずさってしまう。
優しいアルヴェインお兄様は、私を心配して追いかけてくださる。
わかってる、今のお兄様は、『悪い夢』のお兄様とは違うと。

でも…怖い!
追いつかれて、手を捕られてしまったら、発狂してしまいそうだ。
大声で、叫ばずにいられる自信がない。

伸ばされる手が、私を絶望に引きずり込もうとする“■■”の手に見えてしまう。
コワイっっっ!!

激しく震えてしまう身体を小さく丸めて、守ろうとする。
でも、何を?
私は何を守れるというのか…?
守ったところで『悪い夢』の中ではずっと、死に続けていったのに……?
守る価値など、在るのだろうか、私に………?

過ぎった考えが心に冷たい闇を生み出す。
シミのように広がり、心を浸蝕しようとする。


 心が冷たい闇に囚われきるより早く、無遠慮に絡みつく温かな腕に背後から柔らかく捕らえられた。

「おはよう、お寝坊さん~♪ 今日は起きられたんだねぇ~、良かった良かったぁ~~♪♪ お腹は空いてるかなぁ~って、当たり前かぁ~~!! 誕生日パーティーから1週間、ずぅ~~っと寝込んでたんだからぁ、空いてなきゃ嘘だよねぇ~~??」

独特な癖のある間延びした話し方。
お父様とよく似た口調の幼さの残る高い声。
何時もの調子でマイペースに話す次兄が、背後から私を抱きしめていた。
不思議なことに、『悪い夢』の声は聴こえてこなかった。

身体の震えも徐々に治まり、落ち着きを取り戻していく。
背中から温かな体温がじんわり伝わってきて、血の気が引いて白くなっていた肌が、元の健康的な赤味を取り戻してきた。

そして恐怖に凝り固まっていた思考が解されて、耳で停滞していた先程の次兄の言葉が脳に届き、やっと理解する。
理解して…、理解できない部分に気がつく。

『1週間、寝込んでたんだからぁ』ーーと、言ったか…?

 ーー私、そんなに、寝込んでいたの…?? え、嘘、人ってそんなに眠り続けられるものだったんだ、コレは冬眠も夢ではない??!ーー

「1週間、寝てた…の、ですか……? 私、目、溶けておりませんか…??」

先程鏡で確認したばかりなのに、自分の目で見たものが信じられなくなっていたせいで、思わず呟いてしまった。
その言葉に律儀に反応して次兄が動く。

「ん~~? どれどれぇ~~?? そうだなぁ~、うん、言えることは1つ。 いつも通り、可愛いお目々がちゃぁ~~んと、元のまま、眼窩に収まってるよ♪ 安心してぇ? 顔も瞼もぽんっぽんに腫れてるけど、それも可愛いからさぁ~~♡」

私の顎を捉えて上向かせ、後ろから覆いかぶさるようにして、顔面を覗き込まれる。
頭一つ分よりも身長差があるから、難なく覗き込まれてしまった。

下を向いているお兄様の顔は前髪に邪魔されていないため、目の覚めるような美貌がドアップで映し出され、視界を占領される。
スフェーンの瞳が、私の顔面を隈なく観察し、見透かしてくる。
その瞳の妖しい美しさに魅せられながら、思う。

 ーー起き抜けの美少年小悪魔次兄の顔面、最っっっっっ高♡♡♡ーー

言葉の最後の方に、聞き逃がせない単語が聴こえたが、にっこり微笑んで可愛いと手放しで褒めてくれる次兄にイチコロされた。

優しく顔の向きを戻された後は、後ろから私の頭に頬ずりをしつつ、その腕で優しく抱き竦められる。

スリスリ、ギューギュー、スリスリ、ギューギュー。

ダブルコンボの無限ループ。
こんな幸福なループ、私から解除することなどありはしない!
死んでもしない、絶対に!!

一向にその体勢から動こうとしない次兄に痺れを切らしたのは、私をエスコートしようと側近くに来ていた長兄だった。

「エリファス、いい加減ライラを解放してやれ。 いつまで経っても食事が始められないだろう!」

「あれあれぇ~? もしかしてぇ~~、兄さんったらぁ……嫉妬?? ライラが兄さんじゃなくてボクに懐いてるからってぇ、嫉妬してるのぉ~~?? 心狭いなぁ~、アルヴェインお兄様ってばぁ~~(笑) そんなんじゃぁ、余計避けられちゃうよぉ~???」

「何を根拠に、お前が僕よりもライラに好かれていると断定したのか知らんが、絡みつくのを止めろ。 今直ぐに、だ!」

何だか私の所在を巡って(キャッ♡)イケメン兄ーズがじゃれ付いている(眼福♡)。
常日頃と何ら変わらない気のおけない戯れ付き
その平和なやり取りでやっと人心地つけた、最後まで身体にこびりついていたきょうふによる強張りが溶け消えた。

ワルイユメは、終わったのだ。
私は、私の知る、『日常』に戻ってこられたのだ。

途端に、笑いが込み上げる。
自然と溢れてきた温かな気持ちの緩みから、こぼれ出た柔い笑顔が顔いっぱいに浮かぶ。

「ふふっ、あはははっ、あははっ、ふふふっ…。 ごめんなさい、アルヴェインお兄様、エリファスお兄様。 …怖い夢を、見てしまって…寝惚けていたみたいです。 でも、もう大丈夫。 目が醒めましたから、もう、平気です。 お待たせして、ごめんなさい。」

 ーーそう、あれは『悪い夢』。 高熱が見せた、ただのワルイユメだ。ーー

「エスコート、お願いできますか? アルヴェインお兄様?」

にっこり微笑んで、手を差し出す。
すぐさま、迷いなく伸ばされる長兄の手。
私の手は優しく掬い上げられて、優しい力で握り込まれる。
温かい、私の手よりも大きな手。
夢の中とは違う、小さな手。

夢の中の冷たい手とは違う。
だから、この手は大丈夫。

私を突き落としたりしない、底の見えない、奈落の底へと。
嘲笑いながら、絶望の谷底へと追いやったりしない。
見捨てられたりしない、今は絶対に、大丈夫なのだ。

『悪い夢』の残滓に怯えながら、必死に言い聞かせて、記憶の蓋を閉める。

漏れ出さないように。
溢れ出さないように。
侵蝕し、増殖しないように。

抱えきれない、重すぎる未来たちを丸ごと小さな箱に仕舞い込む。
鎖で雁字搦めにして、何重にも鍵をかけて、ちょっとやそっとでは開かないように、封印する。

そうしてやっと、いつもの私に戻れたと。
そう思い込むことで、現在いまの私らしい私に戻りたかった。

いつか来る、避けられない未来だとしても、今はまだワルイユメとして目を背けていたかった。


 差し出した手はアルヴェインお兄様がしっかり持って下さっている。
私の身体はエリファスお兄様がしっかり抱き込んで下さっている。
結果として、立ち往生する結果となり、何も進展していない。

「エリファス! いい加減にしないか!! ライラが歩けないだろう!!!」

「えぇーー? もうちょっと…せめてあと10~~時間♡」

「却下だ。 馬鹿なことを言うな! まったく、ほら、大人しく観念して腕を解け!!」

容赦なく顔を片手で掴んで後ろに押しやりながら、もう片方の手で私に絡みついた腕を解いていく。

「ゔぅぅ~~っ、兄さんの意地悪ぅ~~! 添い寝もしてくれないしぃ、冷血漢~~っ!!」

「誰がするかっ! 当たり前だろう。 変なことばかり言ってないで、お前は食事が終わってるんだ、部屋へ戻っていろ。 邪魔にしかならないからな。」

「冷たいなぁ~、ボクだって偶には傷つくよぉ~~? まぁ今回は平気だけど♡ ライラの顔が見れたしぃ、気分が良いからぁ、偶にはお兄様の云うことを聞いてあげよぉ~~っと♪ また後でねぇ~ライラ♡♡」

他の家族への挨拶は無いが、誰も何も言わないので、これでエリファスお兄様は平常運転なのだろう。
食堂の出入り口へ向かいながら、ヒラヒラとご機嫌で手を振る次兄に、反射的に手を振って見送る。

エリファスお兄様は、不思議な人だ。
ただの准危険人物ではなく、私にとっては空気清浄機みたいに、黒く淀んでいた気持ちを清く戻してくれる。
そんな不思議な存在。

丁度侍従が扉を開け、食堂を出ていく背中に向けて。

 ーーありがとう、エリファスお兄様…。ーー

心の中で次兄へ心からの感謝を伝える。
聴こえるはずはないのに、扉の向こうに踏み出すお兄様の口角が上がったように見えた。




 食堂を後にして、人気のない廊下を歩く。
妹からの感謝の言葉を反芻しながら、左手を持ち上げる。

「本当に馬鹿だなぁ~、こんなもの、蔓延らせてさぁ~~。」

廊下の中程で足を止めて、持ち上げた左手、その掌に収めたモノを見る。
親指と人差指で抓むようにして掲げた黒い塊。
朝の眩しい光に翳してみる
光を一切通さず弾かない、暗黒を凝縮したような球状の物体。
2本の指の間で弄びながら独りごちる。

「役目を果たせないなら、存在する価値もないのに…。 ホント、目障りだなぁ……。」

目線の高さに下げた黒の球体を通して、憎悪の対象を透かし見る。
しばらく、じっ…、とスフェーンの瞳で見つめた後、躊躇いもなくその塊を口内に放り込む。

ガリッ……。

容赦なく奥歯で咬み砕き、飲み下す。

「不っ味…。」

短い感想を洩らし、何事もなかったかのように歩き出した。
その足は迷いなく自室へと向かう。
今の自分に供された居場所へと帰るために。
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