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第一章 主と下僕
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「菜舂ちゃーん、朝ごはーん!」
「はーい!今いくーっ!!」
急いで髪を結んで制服の皺を伸ばす。
都会に移ってから早10年。
私が遭難し、奇跡的に無傷且つ健康体で見つかってから10年。
本当に早かったなぁ…。
幼いながら【死】を目の前に突きつけられた記憶はあるが、何故助かったかまるで覚えていない。
夢にも何度か出てくるある【物体】が居るけれど、それは【人】ではないと何処かで認識している。
まぁ、所詮は夢なのだからと思いながら、私の心のどこかでやりきれない気持ちを抱えている。
私が遭難してから両親は、山に囲まれた田舎からすぐに都市へと移った。
最初はコンクリートとビルに囲まれ、緑の無いこの場所に酷い違和感と冷たさを感じたものの、今は少し慣れた。
でも、今でも恋しい。
あの綺麗な空気。星が鮮明に光輝く空。虫の鳴き声、鳥のさえずり。
都会では何もかもが違う。
緑は無い。空気も苦く感じる。
便利さで言えばやはり都会はいい。
交通手段はいくらでもあるし、コンビニは半径1キロ圏内に何件もある。服も選び放題。美味しい食べ物も密集している。
ネオンライトは独特の美しい光を放つし、情報もいち早く手に入る。
でも、この都会の人々はとても冷たく感じてしまう。
世間の目を気にするにも関わらず、近所と関わりを持とうとしない。
生気を失った機械じみたこの町。
若者は、何処か大人びていて、私にはついていけない。
電車の中に入るとすぐに携帯を取り出していじりだす人々。
皆、こんな大きな窓の外を見ては居ない。
この灰色の現実をから逃避するかのように下を向いて小さな画面から視線を逸らさない。
私はそんな人間味の無い都会の人たちがとても怖く感じられる。
田舎の山に囲まれていた頃はまだよかった。皆あたたかかった。
6歳ながらも鮮明に覚えている。
10年も経つのに染まれ切れない私。友達はいる。
だけど、それは本当に【友】と呼べるのかどうか分からない。
ただつるんでいるだけなのかもしれない。
一人になりたくないが故に一緒にいるだけ。
持たされている携帯も私を縛り付ける鎖でしかない。
ラインが届けばすぐに返信を求められ、スマホが鳴れば応対しなければならない。
誘いを断れば、嫌な雰囲気になる。
都会の人はそんなものなのか。
それとも私が住んでいた田舎が特殊だっただけなのか。
私の兄である、弥鶴はすぐに慣れた。
彼は元々私と対照的に明るくて、優しくて、男前と来た。
兄妹だというのにどうしてここまで違うのだろう?
私の為に田舎を離れる時、寂しそうにしていたのに、何も文句を言わず、私の為に都会に移ってくれた。
私がごめんと謝ったら、優しく笑って
「なーに言ってんだよ。
お前の命より大切なもんなんてこの世にないんだから。気にすんな。
兄ちゃんは、順応性も高いし天才だから大丈夫。
俺の事よりも自分のことを心配しなさい。」
そういって、私の髪をぐしゃぐしゃに撫でてくれた。すごく温かかった。
自信家で頼りのある弥鶴。
その彼は、この家には居ない。
弥鶴は、自分の事を【天才】と称していたけれど、それは自称では無く彼はまぎれもない本物の【天才】だった。
IQ180という桁外れの頭脳。
それを国に見初められ、アメリカの大学へと飛び級して入り、更に飛び級で最短で卒業。
現在Ivyリーグの大学を転々としながら研究している。
ちなみに私と兄の年齢差は、たった4つ。20歳である。
それに比べて私は、見た目も、頭脳も標準。
自分の性格の暗さはよく自分が分かっている。
私はどうも大多数の人間とは波長が合わない。
皆笑っているときに私は面白いとも思わない。
何処が面白いの?何が楽しいの?
年頃の子は皆恋愛に興味を持つ。
だけど、私は一切この手の話題にはついていけない。
恋なんてしたこともない。
好きになったことなんて16年生きてきて1度もない。
ホント、何のために生きてるんだか。
でも、【死】を前に置かれた時、私は死にたくないと本気で思った。
理由は、家族だけだった。
誰かが生きてても苦しい思いしかしないと言った。
その通りだった。
でもまだこの先長い人生の中で何かがあるかも知れないと思いながら、この10年間生きてきた。
これからもそのつもり。
「ふぁあ、おはよーお母さん。今日はホットケーキですかぃ。」
「菜舂ちゃんの大嫌いな人参を擂って入れてありまーす♪」
「…それ食べる前に言わないで」
とはいえ、小さい頃入れられたのを知らずに口にして普通に食べた記憶があるので最初はフォークで突っつきながらもメープルシロップとバターを塗って口に運ぶ。
メープルとバターの素敵なダンスが舌の上で繰り広げられる。
実に美味でございます、お母さま。
「じゃ、お母さんこれから仕事だから行ってくるねー。
車に気をつけて、夜7時までには帰宅。
不審者が後ろに近付いてくるのを感じたら防犯ブザーを鳴らすこと。
えーとそれから…」
「お母さん、一番最初に戸締りという大切な部分が抜けてますよ。
っていうか、もう小学生じゃなくて高校生なんだからそこまで心配しなくても…」
毎日、登校日や外出する度に言われて耳にタコが出来てます、お母さん。
それも10年間言われ続ければホント暗唱余裕で出来るから。
っていうか高校生に7時に帰れとかどんだけ過保護ですか貴方は。
呆れながらそう言うと、真剣な目をして扉を開きかけたお母さんが私に向き直る。
「昔と同じ過ちを犯したくないからよ、菜舂ちゃん。
あれは全て私の不注意の所為で大事な娘を失いかけた。
もうあの時の絶望感は、味わいたくないのよ。」
両親も弥鶴も全員過去に囚われたまま。
10年も前、10年しか経っていない。
捉え方は人それぞれ。
私もあの時を思い出すと背中から悪寒が走る。
でも同時に何処か暖かく、懐かしくもなるの。
最近よく見る夢のせいかも知れない。
迷子になったアノ山奥で。
生き倒れ、死を待つのみの屍と同等の私。
そんな私に誰かが姿を現して、私が必死に助けをこう。それに対しその人は私にこう囁く。
『これは【契約】。
一生我はお前の傍に居よう。
忠実なる僕と化して、お前の前に現れよう。
人間の娘、菜舂よ。
10年の時を経て、お前に会いに行こうぞ。』
そう言って立ち去る相手に、誰と問う私。
そしてその言葉に止まって口を開いたところで
いつも目が覚めてしまう。
肝心なところがいつも聞けない。
そんな夢がここ1カ月頻繁に見るようになり、今日は3日連続同じ夢を見た。
もうすぐ何かが起こる。そんな予感がしてならない。
だけど、それはいいことなのか悪いことなのか…全く予想できない。
「うん…分かってるよ。
大丈夫、私は今日もまだ生きているから。」
笑ってそういう私に大してお母さんは、硬い表情で笑う。
「じゃあ…いってくるわね、菜舂ちゃん。気をつけてね。」
そう言って扉の向こうへと消えて、玄関が閉まる音がした。
まだ学校に行くまで30分時間はある。
その30分のうち15分は、私の時間は一人になれない。
何故なら弥鶴からビデオ通話がかかって来るから。
―ブーッ、ブーッ
噂をすればなんとやら。
早速、スマホが鳴る。
番号をチェックすると案の上、弥鶴からだ。
デジタル時計を見ると7時15分。
いつも1分の差も無く電話をかけてくる弥鶴。
アメリカの大学を転々としているのにこの時間にいつもかけてくる。
ある意味怖い。下手したストーカーだよ。
これを友達に話したら、あんたのお兄ちゃんシスコン?って真顔で聞かれてしまった…。
えーと、今はコロンビア大学で研究してるから時差は14時間。
あっちでは17時15分か…研究大丈夫なの?
そう思いながら、ボタンを押した。
「おーはよっ、菜舂ぅ~!
制服姿がまた似合ってるぞ!今日も元気か?」
「おはよ、弥鶴。っていうか、そっち午後5時でしょ?
研究そっちのけで大丈夫なの?」
「お兄ちゃんの心配してくれんのか!?
研究なんかよりもお前との会話の方が俺にとって重要。
というか、会話しなかったら俺死ぬ。」
そこまで私との会話にこだわらなくても…。
たった5分の会話ですが?
こんな他愛も無い会話が毎日行われる。
弥鶴が渡米してから早5年経つけれど、この習慣は変わらない。
私が夏休みの時、冬休みの時、春休みの時、日程を全て確認。
その休みの始まりから終わりまで帰国して私に付きっきり。
過保護にもほどがあるよ・・・。
「弥鶴、いい加減彼女作りなよ…。
もう20歳でしょ?
顔いいんだから沢山寄ってくるでしょうに…。」
「え、俺、菜舂以外興味無いし。
可愛い妹だけ居れば十分!」
…本気で心配になってきたよ。
友達のシスコン説が段々真実味を帯びてきましたよ。
弥鶴の後ろから外国人の人が何やら英語で話しかける。
弥鶴は、それに流暢な英語で対応する。
そして、げんなりした顔を画面に向けた。
「悪い、そろそろ行かなきゃ。
これくらいしか話せなくて本当にごめんよ、寂しくないか?」
「いや、全く。
っていうか、やっぱり研究ほっぽり出してたんでしょ。
その頭脳をお願いだから人類に役立ててください」
「ひ、酷い…。
お兄ちゃんは、人類に役立つことよりも菜舂の傍に居たいのに…」
うん、もう完璧にシスコンだわ。
60億人よりも1人の妹をとるなんて頭おかしい。
いい加減自立しろ。妹離れしろ。
「じゃあ、私の為にも研究してください。
私もそろそろ学校の準備しなきゃいけないし、切るからね。
電気代も時間も勿体ないでしょ。」
「うぅ、仕方ない…。
菜舂が学校遅刻して教師なんかに怒られるの耐えられないから、涙を呑んで切るよ。
気をつけて行って来いよ?
不審者が尾行してる気配があったらすぐに…」
何を言われるか分かっていたので言い終わる前に切った。
時計を見ると7時30分。
話しすぎたみたい。もう出なきゃ、学校に遅刻しちゃう。
急いで食器をキッチンの洗面台に置き、リビングの窓の戸締りを確認する。
一軒家なので本来ならば2階の戸締りも確認した方がいいのかも知れないけれど、そんな時間はもう無さそうだ。
鍵を持っていざ学校に出ようとすると…
―ドカーンッ!!
映画のような破壊音と共にすごい強風により壁に体を打ち付ける。
胃が口から出そうな衝撃と背中の痛みでこれが現実なのだと突きつけられる。
庭が見える方の壁と窓ガラスが破壊されたのを辛うじて理解する。
だとすると、窓ガラスが突き刺さらなかったのは奇跡だなと冷静に考える。
コンクリートの破壊によって撒き上がった埃が煙幕のような役割を果たし、視界がはっきりとしない。
ただ影が見える。
人影が。
それが我が家の壁を崩壊させた人物だろう。
それ以外考えられない。
埃と砂のようなコンクリートの残骸が床に落ちていき、視界が少しずつクリアになっていく。
人影が距離を縮め、瓦礫の山と化したコンクリートの壁に器用に立つ。
最初に見えたのは、黒い革靴。
次に黒いズボン。
黒いマント。
黒い帽子。
間から見える黒い髪。
「契約を果たしに来ましたよ」
異質すぎるその姿。
怖いと瞬間的に思う。
逃げたいのに足が動かない。
目の前の男は、笑みを浮かべて近づいて来る。
「…い、いやっ、来ないで!!」
体を体育座りのように縮めて、頭を膝に埋めて、腕を頭に被せる。
何の意味も成さない防御。
だけど、そうせずには居られなかった。
頭の中は混乱状態。
【契約を果たしに来た】?
契約という言葉が夢とリンクする。
あれは、夢では無く現実に起こったことだというの?
ありえない。
だって、夢でしか見たことが無い。
10年後に会いに来ると言われた。
10年前、私は遭難して死にかけていた。
胸がざわつく…
気付いたら足音は、止まり。
気配は、私の前にあった。
【彼】は、もう私の前に居る。
もう、逃げられない。
布が擂れる音がする。
そして、吐息が私の頭に触れる。
【彼】がしゃがみ込んだのだと理解する。
そして、
暖かいその手が私の頭を優しく撫でた。
何処か懐かしいその手。
一気に緊張が解かれる。
目の前に居る【彼】は、この世のものとは思えないほど妖美だった。
端正な顔立ち。
つり上がった黄色い瞳。
真っ白な染み一つない滑らかな肌。
野性的に飛び跳ねている黒い髪。
全てが私の心をつかんで離さない。
人間では無いはずの【彼】は、何処からどうみても【人間】の姿をしていた。
だけど、その人間は、異質じみた艶めかしさを発していた。
そして、私は質問した。
「貴方は、だぁれ?」
すると、目の前に居る【人間ではない】彼は、美しく微笑む。
その微笑みには悪戯っぽさと冷たさが入り混じっていた。
彼は時を得て、答えを口にする。
何処か私が長年求めていたその答えを。
「私は【怪異】の頂点に君臨していた者。
ですが、今は【契り】の為に舞い戻って来た
貴方を一生お守りするただの【僕】ですよ」
紳士的で丁寧な口調。
私の【僕】と言いながらも何処か見下した感じを漂わせている【彼】は夢で見た男性その人だった。
この怪異に出会った事により、私の日常が木っ端微塵に砕け散ることを知るのは
この時知る由もなかった。
「はーい!今いくーっ!!」
急いで髪を結んで制服の皺を伸ばす。
都会に移ってから早10年。
私が遭難し、奇跡的に無傷且つ健康体で見つかってから10年。
本当に早かったなぁ…。
幼いながら【死】を目の前に突きつけられた記憶はあるが、何故助かったかまるで覚えていない。
夢にも何度か出てくるある【物体】が居るけれど、それは【人】ではないと何処かで認識している。
まぁ、所詮は夢なのだからと思いながら、私の心のどこかでやりきれない気持ちを抱えている。
私が遭難してから両親は、山に囲まれた田舎からすぐに都市へと移った。
最初はコンクリートとビルに囲まれ、緑の無いこの場所に酷い違和感と冷たさを感じたものの、今は少し慣れた。
でも、今でも恋しい。
あの綺麗な空気。星が鮮明に光輝く空。虫の鳴き声、鳥のさえずり。
都会では何もかもが違う。
緑は無い。空気も苦く感じる。
便利さで言えばやはり都会はいい。
交通手段はいくらでもあるし、コンビニは半径1キロ圏内に何件もある。服も選び放題。美味しい食べ物も密集している。
ネオンライトは独特の美しい光を放つし、情報もいち早く手に入る。
でも、この都会の人々はとても冷たく感じてしまう。
世間の目を気にするにも関わらず、近所と関わりを持とうとしない。
生気を失った機械じみたこの町。
若者は、何処か大人びていて、私にはついていけない。
電車の中に入るとすぐに携帯を取り出していじりだす人々。
皆、こんな大きな窓の外を見ては居ない。
この灰色の現実をから逃避するかのように下を向いて小さな画面から視線を逸らさない。
私はそんな人間味の無い都会の人たちがとても怖く感じられる。
田舎の山に囲まれていた頃はまだよかった。皆あたたかかった。
6歳ながらも鮮明に覚えている。
10年も経つのに染まれ切れない私。友達はいる。
だけど、それは本当に【友】と呼べるのかどうか分からない。
ただつるんでいるだけなのかもしれない。
一人になりたくないが故に一緒にいるだけ。
持たされている携帯も私を縛り付ける鎖でしかない。
ラインが届けばすぐに返信を求められ、スマホが鳴れば応対しなければならない。
誘いを断れば、嫌な雰囲気になる。
都会の人はそんなものなのか。
それとも私が住んでいた田舎が特殊だっただけなのか。
私の兄である、弥鶴はすぐに慣れた。
彼は元々私と対照的に明るくて、優しくて、男前と来た。
兄妹だというのにどうしてここまで違うのだろう?
私の為に田舎を離れる時、寂しそうにしていたのに、何も文句を言わず、私の為に都会に移ってくれた。
私がごめんと謝ったら、優しく笑って
「なーに言ってんだよ。
お前の命より大切なもんなんてこの世にないんだから。気にすんな。
兄ちゃんは、順応性も高いし天才だから大丈夫。
俺の事よりも自分のことを心配しなさい。」
そういって、私の髪をぐしゃぐしゃに撫でてくれた。すごく温かかった。
自信家で頼りのある弥鶴。
その彼は、この家には居ない。
弥鶴は、自分の事を【天才】と称していたけれど、それは自称では無く彼はまぎれもない本物の【天才】だった。
IQ180という桁外れの頭脳。
それを国に見初められ、アメリカの大学へと飛び級して入り、更に飛び級で最短で卒業。
現在Ivyリーグの大学を転々としながら研究している。
ちなみに私と兄の年齢差は、たった4つ。20歳である。
それに比べて私は、見た目も、頭脳も標準。
自分の性格の暗さはよく自分が分かっている。
私はどうも大多数の人間とは波長が合わない。
皆笑っているときに私は面白いとも思わない。
何処が面白いの?何が楽しいの?
年頃の子は皆恋愛に興味を持つ。
だけど、私は一切この手の話題にはついていけない。
恋なんてしたこともない。
好きになったことなんて16年生きてきて1度もない。
ホント、何のために生きてるんだか。
でも、【死】を前に置かれた時、私は死にたくないと本気で思った。
理由は、家族だけだった。
誰かが生きてても苦しい思いしかしないと言った。
その通りだった。
でもまだこの先長い人生の中で何かがあるかも知れないと思いながら、この10年間生きてきた。
これからもそのつもり。
「ふぁあ、おはよーお母さん。今日はホットケーキですかぃ。」
「菜舂ちゃんの大嫌いな人参を擂って入れてありまーす♪」
「…それ食べる前に言わないで」
とはいえ、小さい頃入れられたのを知らずに口にして普通に食べた記憶があるので最初はフォークで突っつきながらもメープルシロップとバターを塗って口に運ぶ。
メープルとバターの素敵なダンスが舌の上で繰り広げられる。
実に美味でございます、お母さま。
「じゃ、お母さんこれから仕事だから行ってくるねー。
車に気をつけて、夜7時までには帰宅。
不審者が後ろに近付いてくるのを感じたら防犯ブザーを鳴らすこと。
えーとそれから…」
「お母さん、一番最初に戸締りという大切な部分が抜けてますよ。
っていうか、もう小学生じゃなくて高校生なんだからそこまで心配しなくても…」
毎日、登校日や外出する度に言われて耳にタコが出来てます、お母さん。
それも10年間言われ続ければホント暗唱余裕で出来るから。
っていうか高校生に7時に帰れとかどんだけ過保護ですか貴方は。
呆れながらそう言うと、真剣な目をして扉を開きかけたお母さんが私に向き直る。
「昔と同じ過ちを犯したくないからよ、菜舂ちゃん。
あれは全て私の不注意の所為で大事な娘を失いかけた。
もうあの時の絶望感は、味わいたくないのよ。」
両親も弥鶴も全員過去に囚われたまま。
10年も前、10年しか経っていない。
捉え方は人それぞれ。
私もあの時を思い出すと背中から悪寒が走る。
でも同時に何処か暖かく、懐かしくもなるの。
最近よく見る夢のせいかも知れない。
迷子になったアノ山奥で。
生き倒れ、死を待つのみの屍と同等の私。
そんな私に誰かが姿を現して、私が必死に助けをこう。それに対しその人は私にこう囁く。
『これは【契約】。
一生我はお前の傍に居よう。
忠実なる僕と化して、お前の前に現れよう。
人間の娘、菜舂よ。
10年の時を経て、お前に会いに行こうぞ。』
そう言って立ち去る相手に、誰と問う私。
そしてその言葉に止まって口を開いたところで
いつも目が覚めてしまう。
肝心なところがいつも聞けない。
そんな夢がここ1カ月頻繁に見るようになり、今日は3日連続同じ夢を見た。
もうすぐ何かが起こる。そんな予感がしてならない。
だけど、それはいいことなのか悪いことなのか…全く予想できない。
「うん…分かってるよ。
大丈夫、私は今日もまだ生きているから。」
笑ってそういう私に大してお母さんは、硬い表情で笑う。
「じゃあ…いってくるわね、菜舂ちゃん。気をつけてね。」
そう言って扉の向こうへと消えて、玄関が閉まる音がした。
まだ学校に行くまで30分時間はある。
その30分のうち15分は、私の時間は一人になれない。
何故なら弥鶴からビデオ通話がかかって来るから。
―ブーッ、ブーッ
噂をすればなんとやら。
早速、スマホが鳴る。
番号をチェックすると案の上、弥鶴からだ。
デジタル時計を見ると7時15分。
いつも1分の差も無く電話をかけてくる弥鶴。
アメリカの大学を転々としているのにこの時間にいつもかけてくる。
ある意味怖い。下手したストーカーだよ。
これを友達に話したら、あんたのお兄ちゃんシスコン?って真顔で聞かれてしまった…。
えーと、今はコロンビア大学で研究してるから時差は14時間。
あっちでは17時15分か…研究大丈夫なの?
そう思いながら、ボタンを押した。
「おーはよっ、菜舂ぅ~!
制服姿がまた似合ってるぞ!今日も元気か?」
「おはよ、弥鶴。っていうか、そっち午後5時でしょ?
研究そっちのけで大丈夫なの?」
「お兄ちゃんの心配してくれんのか!?
研究なんかよりもお前との会話の方が俺にとって重要。
というか、会話しなかったら俺死ぬ。」
そこまで私との会話にこだわらなくても…。
たった5分の会話ですが?
こんな他愛も無い会話が毎日行われる。
弥鶴が渡米してから早5年経つけれど、この習慣は変わらない。
私が夏休みの時、冬休みの時、春休みの時、日程を全て確認。
その休みの始まりから終わりまで帰国して私に付きっきり。
過保護にもほどがあるよ・・・。
「弥鶴、いい加減彼女作りなよ…。
もう20歳でしょ?
顔いいんだから沢山寄ってくるでしょうに…。」
「え、俺、菜舂以外興味無いし。
可愛い妹だけ居れば十分!」
…本気で心配になってきたよ。
友達のシスコン説が段々真実味を帯びてきましたよ。
弥鶴の後ろから外国人の人が何やら英語で話しかける。
弥鶴は、それに流暢な英語で対応する。
そして、げんなりした顔を画面に向けた。
「悪い、そろそろ行かなきゃ。
これくらいしか話せなくて本当にごめんよ、寂しくないか?」
「いや、全く。
っていうか、やっぱり研究ほっぽり出してたんでしょ。
その頭脳をお願いだから人類に役立ててください」
「ひ、酷い…。
お兄ちゃんは、人類に役立つことよりも菜舂の傍に居たいのに…」
うん、もう完璧にシスコンだわ。
60億人よりも1人の妹をとるなんて頭おかしい。
いい加減自立しろ。妹離れしろ。
「じゃあ、私の為にも研究してください。
私もそろそろ学校の準備しなきゃいけないし、切るからね。
電気代も時間も勿体ないでしょ。」
「うぅ、仕方ない…。
菜舂が学校遅刻して教師なんかに怒られるの耐えられないから、涙を呑んで切るよ。
気をつけて行って来いよ?
不審者が尾行してる気配があったらすぐに…」
何を言われるか分かっていたので言い終わる前に切った。
時計を見ると7時30分。
話しすぎたみたい。もう出なきゃ、学校に遅刻しちゃう。
急いで食器をキッチンの洗面台に置き、リビングの窓の戸締りを確認する。
一軒家なので本来ならば2階の戸締りも確認した方がいいのかも知れないけれど、そんな時間はもう無さそうだ。
鍵を持っていざ学校に出ようとすると…
―ドカーンッ!!
映画のような破壊音と共にすごい強風により壁に体を打ち付ける。
胃が口から出そうな衝撃と背中の痛みでこれが現実なのだと突きつけられる。
庭が見える方の壁と窓ガラスが破壊されたのを辛うじて理解する。
だとすると、窓ガラスが突き刺さらなかったのは奇跡だなと冷静に考える。
コンクリートの破壊によって撒き上がった埃が煙幕のような役割を果たし、視界がはっきりとしない。
ただ影が見える。
人影が。
それが我が家の壁を崩壊させた人物だろう。
それ以外考えられない。
埃と砂のようなコンクリートの残骸が床に落ちていき、視界が少しずつクリアになっていく。
人影が距離を縮め、瓦礫の山と化したコンクリートの壁に器用に立つ。
最初に見えたのは、黒い革靴。
次に黒いズボン。
黒いマント。
黒い帽子。
間から見える黒い髪。
「契約を果たしに来ましたよ」
異質すぎるその姿。
怖いと瞬間的に思う。
逃げたいのに足が動かない。
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「…い、いやっ、来ないで!!」
体を体育座りのように縮めて、頭を膝に埋めて、腕を頭に被せる。
何の意味も成さない防御。
だけど、そうせずには居られなかった。
頭の中は混乱状態。
【契約を果たしに来た】?
契約という言葉が夢とリンクする。
あれは、夢では無く現実に起こったことだというの?
ありえない。
だって、夢でしか見たことが無い。
10年後に会いに来ると言われた。
10年前、私は遭難して死にかけていた。
胸がざわつく…
気付いたら足音は、止まり。
気配は、私の前にあった。
【彼】は、もう私の前に居る。
もう、逃げられない。
布が擂れる音がする。
そして、吐息が私の頭に触れる。
【彼】がしゃがみ込んだのだと理解する。
そして、
暖かいその手が私の頭を優しく撫でた。
何処か懐かしいその手。
一気に緊張が解かれる。
目の前に居る【彼】は、この世のものとは思えないほど妖美だった。
端正な顔立ち。
つり上がった黄色い瞳。
真っ白な染み一つない滑らかな肌。
野性的に飛び跳ねている黒い髪。
全てが私の心をつかんで離さない。
人間では無いはずの【彼】は、何処からどうみても【人間】の姿をしていた。
だけど、その人間は、異質じみた艶めかしさを発していた。
そして、私は質問した。
「貴方は、だぁれ?」
すると、目の前に居る【人間ではない】彼は、美しく微笑む。
その微笑みには悪戯っぽさと冷たさが入り混じっていた。
彼は時を得て、答えを口にする。
何処か私が長年求めていたその答えを。
「私は【怪異】の頂点に君臨していた者。
ですが、今は【契り】の為に舞い戻って来た
貴方を一生お守りするただの【僕】ですよ」
紳士的で丁寧な口調。
私の【僕】と言いながらも何処か見下した感じを漂わせている【彼】は夢で見た男性その人だった。
この怪異に出会った事により、私の日常が木っ端微塵に砕け散ることを知るのは
この時知る由もなかった。
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