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一ヵ月後の話。浮気相手とお幸せに
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長期休みに入り、私達は領地に訪れた。とある報告のためギルも一緒。
お父様達は先に屋敷に向かった。領民と顔を会わせたいけど、あの二人を見たら怒りで何をするかわからないから。
普段、領地に来るときフランクは屋敷で留守番をしているけど、今回ばかりはお供させて欲しいとお父様に頼み込んでいた。
元ギルドメンバーはフランクの言葉により従うため、連れて来ない理由はない。
出迎えてくれる領民の中にあの二人を見つけた。すっかりやつれて、自由がないストレスの日々を送っているようだ。
人の間を縫って近付いてくるセリアを地面に叩き付けて制止したのは、フランクのことを未だにマスターと呼ぶ元ギルドメンバーのジグ。
勢いがありすぎて顔を地面に擦った割には額が赤くなっただけで血は出ていない。
初日から随分な歓迎を受けているとみえる。
「マスターもご一緒でしたか」
「その呼び方はやめろ。今はリードハルム家、執事長のフランクだ」
このやり取りはこの先もずっと、やるのだろう。ジグにとってギルドマスターであることに変わりないのだから。
膝の下に人がいることを忘れていそうなぐらい、二人はいつも通り。
「た、助かったよアンリース。彼をどうにかしてくれ」
情けない顔と声で私に縋ろうとしてくるセリアの瞳には、僅かな希望の色が伺える。
まさか助けてもらえるのだと期待でもしていたのだろうか。
ジグが膝に力を入れると震える手を伸ばしてきた。
私を守るように一歩前に出たフランクが睨むのはセリアだけではない。易々とセリアを私に近付けたジグにもご立腹。
「みんなに報告があるの」
セリアを一瞥し、領民をしっかりと見渡したあと、全員に聞こえるように声を張る。
「学園の卒業後にギルと結婚することになったの」
一ヵ月前。私がギルとの婚約を継続したいと言った日。
二人でお父様にお願いをしに行った。クラッサム男爵は帰っていて、執務室にはお父様と後片付けをするフランクだけ。
ワガママを言って困らせるなんて淑女としてあるまじき行為。だから、このお願いを最後にすると決めた。
「お父様。私、ギルとの婚約を終わらせたくない」
雷に打たれたかのように固まったお父様。フランクは空のカップを落とした。その音にハッとしたお父様は、こめかみを抑えながら言葉の意味を理解しようとする。
ゆっくりと手を離し、短いため息をついたあと立ち上がった。
この機会を逃せば、もう二度とこの話は聞いてもらえない。
私も必死だった。まだ見ぬ未来がどうなるとしても、私がギルの隣にいたい。それだけを強く願う。
「待ってお父様!今はわからないけど、必ずこの気持ちが何なのか答えを出すと約束する!だから……」
「私は。アンが本気で好きになった相手に何かするつもりもなければ、認めないつもりもない」
「え……?」
「婚約は認める。近いうちにノルスタン家とも話し合おう」
それだけを言ってお父様は退室した。後を追うように、落として割れたカップを拾い上げたフランクも私達に一礼して。
残されたのは私とギル。
ぎこちなく首を動かしギルを見ると、炎に包まれたかのように体中が熱くなる。
え、好き!?私がギルを……!?
初めて経験する胸の痛みと、時折、感じる温かさ。
感情の正体は、無縁だと思っていたもの。
純粋に私を心配してくれていたギル。あの気持ちに嘘はなかった。
苦笑いをするギルは多分、きっと、私の気持ちに気が付いていたず。
私に教えてくれなかったのは、私自身に気付いて欲しかったから、かな?
家族の次に仲が良い、最も距離が近い幼馴染みだったはずなのに……。
自覚してしまえば、ギルの顔が見られない。平常を保つことがこんなにも難しいなんて。
心臓がうるさい。熱も引かない。
私は本当にギルのことが好きなんだ。
今日はもう話せないと判断したギルは、それでも、そんなことは言わずに家族に報告するからと気遣ってくれた。
思い返してみればギルはいつも私のことを考えてくれていた。
領民はポカンとしていたけど、すぐに祝福してくれた。
良かった。実を言うとセリアのときは全く祝福されなかったのだ。
あの当時はまだ、セリアの頭のことはバレていなかったはずなんだけど。
王都ではその手の噂が広まっていたから、それぞれの領地に届いていても不思議ではない。
領民にさえ、セリアは私の婚約者に相応しくないと烙印を押されていた。
「う、嘘だ!アンリースは僕を好きだったじゃないか!!」
ここでも空気を壊すのは相変わらず。
都合の悪い記憶は全て消えているみたい。
早く助けろと副音声まで聞こえる。
私が口を開くよりも早く、ジグが口を塞ぐよりも先に、フランクの蹴りがセリアの顔面を直撃した。
綺麗に鼻に当たったらしく血が垂れる。
多分、ジグ達でさえ顔には傷を付けなかっただろうに……。容赦ないな、フランク。
頭を踏み付けないのは、せめてもの優しさなんだろうか。
押し潰さんとする殺気はこの場に緊張感をもたらす。
ジグは静かに命令を待つ。
「さっさと罪人を連れて行け。これ以上、アン様の視界に入れるな」
立ち上がったジグはセリアの髪を掴んだまま、引きずっていく。同じ目に遭いたくないデイジーは自分の足で後を追う。
「あの二人がみんなに迷惑かけてないかしら」
みんなは困ったように笑った。
迷惑かけているんだな。
さっきみたいに自分都合発言をしているのだとしたらジグ達が黙っていないだろうし。
あの二人は一体何をしているのか。
「お金がないから働きたいと……」
「なるほど。そういうこと」
陛下から最後の情けとして半年は暮らせるお金を渡されていた。
一ヵ月でなくなったということは、金銭感覚に問題あり。通常より多く、しかも一日に三回支払っているため予定よりも早く底を尽きる。
自分達が平民だと自覚していないのだろうか。
近くに街があるため、ここには働き口はない。
馬車を使わずとも歩いて行ける距離。
ただ、街の人達もリードハルム家に絶大な信頼を寄せているため二人を受け入れてくれるかは微妙なところ。
残念なことに二人の醜聞は国全土に広まっている。
お金を稼がなくても食事を得るだけなら、畑仕事を手伝ったり、針仕事を手伝ったり、子供達の面倒を見たりと。方法ならいくらでもあるのに。
「みんなの気持ちはわかるけど、その日の食事ぐらいの働きはさせてあげて」
「アン様がそう言うなら……」
正直、街に働かせに行かせて問題を起こされるのは厄介。一応、今はリードハルム領の領民だから信頼や信用を損なわせる人物を一歩足りとも踏み入らせるわけにはいかない。
デイジーと遊んであげると子供達が手を挙げた。面倒を見てもらうのではなく、見てあげるのか。
流石に子供相手に何かするわけはないだろう。
報告も終わり、私達も屋敷に戻る。管理人のサックを始めとした使用人が出迎えてくれた。
サックはギルドでフランクの補佐をしていて、表の世界に一番最初に慣れた人物でもある。
炎に燃えるような赤い髪とダークブラウンの瞳を宿す目は鋭い。初対面の人は必ず第一声、何もしていないのに謝る。
執務室に案内されると、お父様はひと息つくところだった。
「その様子では改心はしていなかったようだな」
「環境が人を変えるというのは嘘ですね」
ギルはお父様は対等ではないけど、何でも話し合える仲になった。
私と婚約してから屋敷に来るようになり、お父様と顔を会わせる回数が増えたおかげで鍛えられたのだろう。鍛えられたという表現はおかしいかもしれないけど、実際鍛えられている。
今では向かい合っても緊張しないほどに。
背筋が伸びて胸を張り、堂々と目を見て話す。
「領民達の反応はどうだった」
「私とギルの結婚、みんな祝福してくれた」
「……そうか」
私達の仲を認めてくれたとはいえ、祝福されない結婚ならば取りやめようとしていた。
万が一にも私の婚期が遅れないようにと、結婚を卒業後に決めたのはお父様なのに。
お父様とお母様は領民に顔を見せに行く。今ならあの二人はいないから。どうしても顔を合わせたくなかったみたい。
フランクはジグの元に行き、セリアが支払ったお金の回収。そのお金は後で陛下に返金される。
残された私達は紅茶とケーキを食す。
領地滞在は一週間を予定している。
翌日、どうにも領民の様子が気になって見に行くと、宣言通り、子供達がデイジーと遊んでいた。
元々、平民であったデイジーは子供達と触れ合うことで感覚を取り戻してきたのか笑顔。無邪気で純粋。デイジーに貴族の世界は似合っていなかった。
一方、セリアは畑を耕しているものの、慣れていない力仕事に苦戦している。
土で汚れ、体力がないから休憩時間のほうが長い。
私と目が合い、パッと笑顔になるもジグに睨まれ萎縮した。
結婚しているのによく、他の女性に縋ろうとするわね。
「アン様!これどうぞ。お祝いです」
「綺麗ね。ありがとう」
花で作られた冠。
しゃがむと、そっと頭に被せたくれる。
「どうかしら。ギル」
「似合ってるよ、とても。可愛い」
「あ、ありがとう」
ギルの言葉はいつだって本心。だからなのか。可愛いと言われると未だに照れてしまう。
平和な日常が続き、明日には王都に帰らなくてはならない。
お茶会の誘いが山のようにきてるんだよね。
断る理由はないから誘いは受けた。
やらなければならない課題があるし。
長期休みがこんなに忙しくなるなんて思ってもみなかった。
「アン様アン様。これ渡してって」
差し出されたのは二つ折りの紙。
開いて中を読むと、思わず顔をしかめたくなった。
書いたのはセリア。内容はこうだ。
アンリース様。明日には王都にお帰りになると聞きました。
誠に勝手ながら、アンリース様と二人きりでお話がしたいと思っております。
今夜、教会にお越し下さい。
他の者には内緒でお願い致します。
「ねぇギル。どう思う、これ」
セリアのお願いなんて聞く必要はなく、ギルに見せた。
私と同じ反応。
小さな紙だから簡潔に書かなくてはいけないため、見事に自分の要望だけが書かれている。
セリアにしては頑張って言葉を選んだつもりのだろう。
せめて、出だしの文章はもうちょっと考えるべきだった。
突然、このような、とか。
「え、ごめん。二人で会うとか無理じゃないか」
ギルは不思議そうに言った。
大丈夫。私も思ってたから。
どんなに頑張っても私達は二人きりにはなれない。セリアには常に監視の目が光っているのだから。
私なら指定の時間に監視を外すことは可能。それとなく、そうするようにお願いする文面。
セリアと二人で話して私に得があるわけではない。
加えるなら、この手紙?を子供に渡して私に届けさせたとこまで見られているはず。
そしてもう一つ。あの二人は私に接近禁止命令が出ている。具体的な距離は決まってないけど。
忘れているから初日に駆け寄って来たんだろうな。
これは無視をするのが正しいはずなんだけど、それをすると手紙の渡し役のあの子が、わざと渡さなかったと思い酷い言葉を浴びせる可能性が高い。
一体、何を企んでいるのか。
お父様に報告すれば、かつてないほどの怒りに燃えていた。
どんなに慕ってくれている領民でも、一瞬で散ってしまう。
「バカの考えることなど到底理解は出来んが……。アン、まさかと思うが行くわけではないな?」
「行かなければ何をするかわからないし。安心してお父様。ギルも一緒だから」
「守ります。アンのことは」
「フランクのほうが役に立つんだがな。まぁいい。今夜、教会に行けるように監視を外してやれ」
「かしこまりました」
「私は少し出掛ける。ギルラック。必ずアンを守れ。バカ共の好きにはさせるな。いいな?」
「もちろんです!」
信頼が生まれている。お父様からギルへ。そしてギルもまた、応えようとする。
本物の親子みたいでつい笑みが零れてしまう。
食事を終えて、ギルと二人で教会へ向かう。さりげなく繋いでくれる手からは、ギルの温もりを感じて、僅かに残っていた恐怖心が消えた。
教会にいるのがセリアだけだと確認済み。
ギルには外で待機してもらう。
中に入るとステンドグラスを眺めてきたセリアが振り向く。
土汚れを落とし、服もなるべく綺麗なものを着ている。
私と会うための精一杯のお洒落。
嬉しそうに近付いてこようとするセリアを制止した。ピタリと動きが止まる。
話すだけなら、わざわざ近くに寄る必要はない。
「アンリース」
この期に及んで私を呼び捨てにするセリアを睨んだ。
「……様」
「それで?私を呼び出した理由は?」
雑談をするつもりも、思い出に花を咲かせるつもりもない。
本題に入ると、セリアは丁寧な動作で頭を下げた。
「ずっと謝りたかったんだ。本当にすまなかった」
突然の謝罪に、外にいるギルと二人して頭を混乱させる。
「みんなの前で謝っても誠意がなくて、ただ許しが欲しいだけになってしまうから」
喋っている間も頭を上げることはない。
「僕のせいでアンリース様に嫌な思いをさせ続けて、本当に……ごめんなさい」
拍子抜けだ。まさかセリアに謝られるなんて。
自分の置かれている状況を少しでも理解して反省したのなら、領地送りになった意味はある。
もっと早くに気付けていれば、こんなことにはなってないんだけどね。
許すとは言うつもりはない。許すないから。
「でも……」
何が起きたのか。
視界に映る景色が変わった。
セリアが私を見下ろしている。
屋敷に戻ろうと背を向けて歩き出した瞬間、走ってきたセリアに肩を掴まれた感覚はあった。
私は今、押し倒されてるのだと理解するのに、時間はかからなかった。
恐怖はなく冷静でいられる。
この男は一生、反省なんかしない。
そう思うと自然に体が動く。
手加減なしに頬を叩いて、怯んだ隙に突き飛ばす。
逆上し拳を握って駆け寄ってくるセリアの顔面に、ギルの重たい拳が当たり反動で体は後ろに飛ぶ。
「何してんだテメー」
ギルがキレた。
仮にも元主への態度ではない。
起き上がろうとするセリアの胸ぐらを掴んでは、もう数発、殴った。力の差は歴然。
少しは気が晴れたのか手を離し、心配そうに私に声をかけた。
「アン!大丈夫だったか?」
「ええ。見ての通り」
「良かった」
「ふ、二人で話すって言ったのに。ギルを連れて来るなんて卑怯だ!!」
鼻を抑えながら叫ぶ。ギルの拳が当たったのは鼻の横だったけど。
感情のない目で見下ろせば小さく悲鳴を上げた。
「ここに呼び出したのは貴方。誰も連れて来ないなんて約束してないわ」
「手紙には二人で話したいって書いたじゃないか」
「貴方の言葉は信じるに値しないのよ」
フランクには私が三十分経っても帰らなかったら教会に来るようお願いしていた。
現れたフランクは状況を察して、尻もちをついたまま後ずさって逃げようとするセリアのお腹を蹴り上げた。
神聖な教会でこれ以上、血を流させるわけにはいかず、首根っこを掴み引きずったまま教会を後にする。
向かった先はセリアとデイジーの家。中に放り込み、無防備なお腹を踏み付けた段々と力が入っているのは気のせいではない。
そんなことをしなくても、一つしかない入り口を塞いでいるから逃げられないのに。
「足は離してたげたら?」
「そのままでいい」
私の言葉に被せてきたのは、いつの間にか帰ってきていたお父様。
「私の娘に何をしようとした?」
元暗殺者でさえ息を飲む殺気。お父様が暗殺者だと言われても違和感はない。
「僕は……王になるために生まれてきたんだ!!それなのに、愛する女性と愛し合っただけで、身分の剥奪だけでなく、公爵領でのこの仕打ち!!」
“だけ”じゃないから、こんなことになっていると思わないのかな。
「僕とアンリースに関係があれば、誰も僕を無視出来なくなる。それだけじゃない!王族にだって戻れる!!」
「ふざけんな!!そんな身勝手な理由でアンを襲おうとしたのか!?」
「アンリースだって僕と関係を持てれば嬉しいに決まってる!!そうだろう!!?アンリース!!」
「は?気持ち悪っ」
心の声が無意識に出てしまった。
好きでもない、ましてや煩わしいだけの相手と関係を持つなんて。想像しただけで気分が悪くなる。
感情なんてものはなく、ただただ冷めた目で見下ろすだけ。
あんなにも好きではないと言ったにも関わらず、すっかり忘れてしまっているとは流石としか言いようがない。
一種の才能。
強い拒絶をされるなんて予想外だったのか、それとも、受け入れた私がお父様に助けてあげてと涙ながらにお願いするとでも夢見ていたのか。
ここまでくると、軽蔑しかない。
ショックを受けたセリアは口を閉ざした。
「そ、そんな……。セリア、アンリース様に乱暴しようとしたの……!?」
「あ、そういうお芝居はいいから」
口元を隠しながら驚き、自分は無関係だと主張しようとするデイジーを止めた。
「貴女と遊んでくれていた子供達に話していたそうね。私をどうにか出来たら今の生活から抜け出せるって」
デイジーと別れた夕方頃だったか。数人の子供が屋敷に訪れ教えてくれたのだ。
言葉の意味こそわからなかったけど、私に酷いことをするのではと心配して。
その甲斐あって、心の準備は出来ていた。
だから、驚いた。まさか謝罪の言葉聞くなんて。私を油断させるための嘘だったけど。
まぁ最も、その謝罪さえ信用していなかった。
本気で謝罪したいなら、夜に、しかも人気のない教会に呼び出したりはしない。
真っ青になりながら視線は逸れていき、私を見ることはなくなった。
「私をここまで怒らせて、領地で生きていけると思うなよ」
「こ、殺すの!?私達を!?」
「はっ。人ですらなくなった貴様らなど、殺す価値もない。フランク、離してやれ」
「しかし」
「そいつらの売却は完了した。即刻、領地から追い出す」
…………売却?
あー、なるほど。
借金返済ってそういうこと。
労力として売ったんだ。二人を。
頭にバンダナを巻いた軽薄そうな男性は旅商人。
お父様から仕入れた商品を持ち、世界中を渡り歩く。彼らのために一部商品は店頭に並ぶことはない。
店で手に入らない商品を扱うからこそ、かなり高額でも常に完売する。
彼らは年に四回。商品の仕入れに戻ってきては、色んな国で手に入れた珍しい品を私達にくれたりもする。
安く仕入れさせてもらっているお礼だとか。
毎回、売上の十%を献上してくれているのだから、気を遣わなくてもいいのに。
商品を仕入れてくれるだけで、売上はいらないと言っていたお父様に十%でも受け取らせる粘り強さには尊敬するものがある。
今回は戻ってくるのが早すぎる。旅のルートは予め報告してから行くため、時間さえあれば追いつき呼び戻すことは可能。
その商人が明らかに使い物にならない二人を高値で買ってくれるなんて怪しい。
裏がありそう。
そういえば。お母様の実家、エヴァンス家が所有する山からピンクダイヤモンドが発掘されたと言っていた。
もしかしたら、それらを加工した商品を売る権利を全て彼らに渡したのかもしれない。
エヴァンス侯爵も私のことをとても大切にしてくれている。
セリアとの婚約で一番冷静ではなかったのがエヴァンス侯爵。
王命を下した陛下を手にかけようとしていた。お母様が止めなければどうなっていたことか。笑い事ではない。
お父様とエヴァンス侯爵が手を組んだとみてまず間違いない。
旅をするにあたって、腕っぷしの強い人が何人もいて、彼らの手によって連れて行かれる。
セリアには抵抗するだけの力は残っておらず、デイジーは暴れるも縄で縛られ動けなくされた。
「待って下さい」
行ってしまう前にこれだけは言っておかないと。
ニッコリと笑えば、助けてもらえるのだと安堵していた。
「愛する人と一緒なら、どんな困難でも乗り越えられるわ」
「へ?ア、アンリース……?」
「元婚約者様。浮気相手とお幸せに」
解放された喜びと、きっともう二度と出会わない絶対の確信から満面の笑みを浮かべた。
絶望の谷底へと突き落とされたかのように、最後の力を振り絞って必死に抗おうするも無理やり馬車に押し込まれる。
領地でさえこの仕打ち。外に、ましてや国外に出たら何をされるか。本能が危険を察知していたようだけど、もう遅い。
こうなったのは全て自業自得。
反省さえして、慎ましく暮らしていればいつかは領民も心を開き、人としての生活が手に入ったかもしれないのに。
まぁ、無理だとは思っていたけど。
一ヵ月か。あの二人にしては頑張ったほうかな。もっと早くに根を上げて問題を起こすと予想していたから。
監視が怖すぎて大人しくしていたのかな?
「ま、待ってアンリース!!この馬車が行ってしまったら、きっともう、僕達は会えなくなるんだよ!」
「ええ、そうね」
「君はそれでいいのかい。本当に!?冷静になってよく考えてごらん」
「何が言いたいの?」
「だから!僕と会えなくなったらアンリースも寂しいだろ?」
「貴方がどうして、そんなバカなことを言っているの知らないけど、私はもう二度と、貴方の顔を見なくて済むと思うと嬉しいわ」
二人を乗せた馬車はすぐに見えなくなった。
何度も私を呼ぶ声が聞こえた気がしたけど、きっと気のせいだ。
ここに、私を「アンリース」と呼ぶ人は一人もいないのだから。
お父様達は先に屋敷に向かった。領民と顔を会わせたいけど、あの二人を見たら怒りで何をするかわからないから。
普段、領地に来るときフランクは屋敷で留守番をしているけど、今回ばかりはお供させて欲しいとお父様に頼み込んでいた。
元ギルドメンバーはフランクの言葉により従うため、連れて来ない理由はない。
出迎えてくれる領民の中にあの二人を見つけた。すっかりやつれて、自由がないストレスの日々を送っているようだ。
人の間を縫って近付いてくるセリアを地面に叩き付けて制止したのは、フランクのことを未だにマスターと呼ぶ元ギルドメンバーのジグ。
勢いがありすぎて顔を地面に擦った割には額が赤くなっただけで血は出ていない。
初日から随分な歓迎を受けているとみえる。
「マスターもご一緒でしたか」
「その呼び方はやめろ。今はリードハルム家、執事長のフランクだ」
このやり取りはこの先もずっと、やるのだろう。ジグにとってギルドマスターであることに変わりないのだから。
膝の下に人がいることを忘れていそうなぐらい、二人はいつも通り。
「た、助かったよアンリース。彼をどうにかしてくれ」
情けない顔と声で私に縋ろうとしてくるセリアの瞳には、僅かな希望の色が伺える。
まさか助けてもらえるのだと期待でもしていたのだろうか。
ジグが膝に力を入れると震える手を伸ばしてきた。
私を守るように一歩前に出たフランクが睨むのはセリアだけではない。易々とセリアを私に近付けたジグにもご立腹。
「みんなに報告があるの」
セリアを一瞥し、領民をしっかりと見渡したあと、全員に聞こえるように声を張る。
「学園の卒業後にギルと結婚することになったの」
一ヵ月前。私がギルとの婚約を継続したいと言った日。
二人でお父様にお願いをしに行った。クラッサム男爵は帰っていて、執務室にはお父様と後片付けをするフランクだけ。
ワガママを言って困らせるなんて淑女としてあるまじき行為。だから、このお願いを最後にすると決めた。
「お父様。私、ギルとの婚約を終わらせたくない」
雷に打たれたかのように固まったお父様。フランクは空のカップを落とした。その音にハッとしたお父様は、こめかみを抑えながら言葉の意味を理解しようとする。
ゆっくりと手を離し、短いため息をついたあと立ち上がった。
この機会を逃せば、もう二度とこの話は聞いてもらえない。
私も必死だった。まだ見ぬ未来がどうなるとしても、私がギルの隣にいたい。それだけを強く願う。
「待ってお父様!今はわからないけど、必ずこの気持ちが何なのか答えを出すと約束する!だから……」
「私は。アンが本気で好きになった相手に何かするつもりもなければ、認めないつもりもない」
「え……?」
「婚約は認める。近いうちにノルスタン家とも話し合おう」
それだけを言ってお父様は退室した。後を追うように、落として割れたカップを拾い上げたフランクも私達に一礼して。
残されたのは私とギル。
ぎこちなく首を動かしギルを見ると、炎に包まれたかのように体中が熱くなる。
え、好き!?私がギルを……!?
初めて経験する胸の痛みと、時折、感じる温かさ。
感情の正体は、無縁だと思っていたもの。
純粋に私を心配してくれていたギル。あの気持ちに嘘はなかった。
苦笑いをするギルは多分、きっと、私の気持ちに気が付いていたず。
私に教えてくれなかったのは、私自身に気付いて欲しかったから、かな?
家族の次に仲が良い、最も距離が近い幼馴染みだったはずなのに……。
自覚してしまえば、ギルの顔が見られない。平常を保つことがこんなにも難しいなんて。
心臓がうるさい。熱も引かない。
私は本当にギルのことが好きなんだ。
今日はもう話せないと判断したギルは、それでも、そんなことは言わずに家族に報告するからと気遣ってくれた。
思い返してみればギルはいつも私のことを考えてくれていた。
領民はポカンとしていたけど、すぐに祝福してくれた。
良かった。実を言うとセリアのときは全く祝福されなかったのだ。
あの当時はまだ、セリアの頭のことはバレていなかったはずなんだけど。
王都ではその手の噂が広まっていたから、それぞれの領地に届いていても不思議ではない。
領民にさえ、セリアは私の婚約者に相応しくないと烙印を押されていた。
「う、嘘だ!アンリースは僕を好きだったじゃないか!!」
ここでも空気を壊すのは相変わらず。
都合の悪い記憶は全て消えているみたい。
早く助けろと副音声まで聞こえる。
私が口を開くよりも早く、ジグが口を塞ぐよりも先に、フランクの蹴りがセリアの顔面を直撃した。
綺麗に鼻に当たったらしく血が垂れる。
多分、ジグ達でさえ顔には傷を付けなかっただろうに……。容赦ないな、フランク。
頭を踏み付けないのは、せめてもの優しさなんだろうか。
押し潰さんとする殺気はこの場に緊張感をもたらす。
ジグは静かに命令を待つ。
「さっさと罪人を連れて行け。これ以上、アン様の視界に入れるな」
立ち上がったジグはセリアの髪を掴んだまま、引きずっていく。同じ目に遭いたくないデイジーは自分の足で後を追う。
「あの二人がみんなに迷惑かけてないかしら」
みんなは困ったように笑った。
迷惑かけているんだな。
さっきみたいに自分都合発言をしているのだとしたらジグ達が黙っていないだろうし。
あの二人は一体何をしているのか。
「お金がないから働きたいと……」
「なるほど。そういうこと」
陛下から最後の情けとして半年は暮らせるお金を渡されていた。
一ヵ月でなくなったということは、金銭感覚に問題あり。通常より多く、しかも一日に三回支払っているため予定よりも早く底を尽きる。
自分達が平民だと自覚していないのだろうか。
近くに街があるため、ここには働き口はない。
馬車を使わずとも歩いて行ける距離。
ただ、街の人達もリードハルム家に絶大な信頼を寄せているため二人を受け入れてくれるかは微妙なところ。
残念なことに二人の醜聞は国全土に広まっている。
お金を稼がなくても食事を得るだけなら、畑仕事を手伝ったり、針仕事を手伝ったり、子供達の面倒を見たりと。方法ならいくらでもあるのに。
「みんなの気持ちはわかるけど、その日の食事ぐらいの働きはさせてあげて」
「アン様がそう言うなら……」
正直、街に働かせに行かせて問題を起こされるのは厄介。一応、今はリードハルム領の領民だから信頼や信用を損なわせる人物を一歩足りとも踏み入らせるわけにはいかない。
デイジーと遊んであげると子供達が手を挙げた。面倒を見てもらうのではなく、見てあげるのか。
流石に子供相手に何かするわけはないだろう。
報告も終わり、私達も屋敷に戻る。管理人のサックを始めとした使用人が出迎えてくれた。
サックはギルドでフランクの補佐をしていて、表の世界に一番最初に慣れた人物でもある。
炎に燃えるような赤い髪とダークブラウンの瞳を宿す目は鋭い。初対面の人は必ず第一声、何もしていないのに謝る。
執務室に案内されると、お父様はひと息つくところだった。
「その様子では改心はしていなかったようだな」
「環境が人を変えるというのは嘘ですね」
ギルはお父様は対等ではないけど、何でも話し合える仲になった。
私と婚約してから屋敷に来るようになり、お父様と顔を会わせる回数が増えたおかげで鍛えられたのだろう。鍛えられたという表現はおかしいかもしれないけど、実際鍛えられている。
今では向かい合っても緊張しないほどに。
背筋が伸びて胸を張り、堂々と目を見て話す。
「領民達の反応はどうだった」
「私とギルの結婚、みんな祝福してくれた」
「……そうか」
私達の仲を認めてくれたとはいえ、祝福されない結婚ならば取りやめようとしていた。
万が一にも私の婚期が遅れないようにと、結婚を卒業後に決めたのはお父様なのに。
お父様とお母様は領民に顔を見せに行く。今ならあの二人はいないから。どうしても顔を合わせたくなかったみたい。
フランクはジグの元に行き、セリアが支払ったお金の回収。そのお金は後で陛下に返金される。
残された私達は紅茶とケーキを食す。
領地滞在は一週間を予定している。
翌日、どうにも領民の様子が気になって見に行くと、宣言通り、子供達がデイジーと遊んでいた。
元々、平民であったデイジーは子供達と触れ合うことで感覚を取り戻してきたのか笑顔。無邪気で純粋。デイジーに貴族の世界は似合っていなかった。
一方、セリアは畑を耕しているものの、慣れていない力仕事に苦戦している。
土で汚れ、体力がないから休憩時間のほうが長い。
私と目が合い、パッと笑顔になるもジグに睨まれ萎縮した。
結婚しているのによく、他の女性に縋ろうとするわね。
「アン様!これどうぞ。お祝いです」
「綺麗ね。ありがとう」
花で作られた冠。
しゃがむと、そっと頭に被せたくれる。
「どうかしら。ギル」
「似合ってるよ、とても。可愛い」
「あ、ありがとう」
ギルの言葉はいつだって本心。だからなのか。可愛いと言われると未だに照れてしまう。
平和な日常が続き、明日には王都に帰らなくてはならない。
お茶会の誘いが山のようにきてるんだよね。
断る理由はないから誘いは受けた。
やらなければならない課題があるし。
長期休みがこんなに忙しくなるなんて思ってもみなかった。
「アン様アン様。これ渡してって」
差し出されたのは二つ折りの紙。
開いて中を読むと、思わず顔をしかめたくなった。
書いたのはセリア。内容はこうだ。
アンリース様。明日には王都にお帰りになると聞きました。
誠に勝手ながら、アンリース様と二人きりでお話がしたいと思っております。
今夜、教会にお越し下さい。
他の者には内緒でお願い致します。
「ねぇギル。どう思う、これ」
セリアのお願いなんて聞く必要はなく、ギルに見せた。
私と同じ反応。
小さな紙だから簡潔に書かなくてはいけないため、見事に自分の要望だけが書かれている。
セリアにしては頑張って言葉を選んだつもりのだろう。
せめて、出だしの文章はもうちょっと考えるべきだった。
突然、このような、とか。
「え、ごめん。二人で会うとか無理じゃないか」
ギルは不思議そうに言った。
大丈夫。私も思ってたから。
どんなに頑張っても私達は二人きりにはなれない。セリアには常に監視の目が光っているのだから。
私なら指定の時間に監視を外すことは可能。それとなく、そうするようにお願いする文面。
セリアと二人で話して私に得があるわけではない。
加えるなら、この手紙?を子供に渡して私に届けさせたとこまで見られているはず。
そしてもう一つ。あの二人は私に接近禁止命令が出ている。具体的な距離は決まってないけど。
忘れているから初日に駆け寄って来たんだろうな。
これは無視をするのが正しいはずなんだけど、それをすると手紙の渡し役のあの子が、わざと渡さなかったと思い酷い言葉を浴びせる可能性が高い。
一体、何を企んでいるのか。
お父様に報告すれば、かつてないほどの怒りに燃えていた。
どんなに慕ってくれている領民でも、一瞬で散ってしまう。
「バカの考えることなど到底理解は出来んが……。アン、まさかと思うが行くわけではないな?」
「行かなければ何をするかわからないし。安心してお父様。ギルも一緒だから」
「守ります。アンのことは」
「フランクのほうが役に立つんだがな。まぁいい。今夜、教会に行けるように監視を外してやれ」
「かしこまりました」
「私は少し出掛ける。ギルラック。必ずアンを守れ。バカ共の好きにはさせるな。いいな?」
「もちろんです!」
信頼が生まれている。お父様からギルへ。そしてギルもまた、応えようとする。
本物の親子みたいでつい笑みが零れてしまう。
食事を終えて、ギルと二人で教会へ向かう。さりげなく繋いでくれる手からは、ギルの温もりを感じて、僅かに残っていた恐怖心が消えた。
教会にいるのがセリアだけだと確認済み。
ギルには外で待機してもらう。
中に入るとステンドグラスを眺めてきたセリアが振り向く。
土汚れを落とし、服もなるべく綺麗なものを着ている。
私と会うための精一杯のお洒落。
嬉しそうに近付いてこようとするセリアを制止した。ピタリと動きが止まる。
話すだけなら、わざわざ近くに寄る必要はない。
「アンリース」
この期に及んで私を呼び捨てにするセリアを睨んだ。
「……様」
「それで?私を呼び出した理由は?」
雑談をするつもりも、思い出に花を咲かせるつもりもない。
本題に入ると、セリアは丁寧な動作で頭を下げた。
「ずっと謝りたかったんだ。本当にすまなかった」
突然の謝罪に、外にいるギルと二人して頭を混乱させる。
「みんなの前で謝っても誠意がなくて、ただ許しが欲しいだけになってしまうから」
喋っている間も頭を上げることはない。
「僕のせいでアンリース様に嫌な思いをさせ続けて、本当に……ごめんなさい」
拍子抜けだ。まさかセリアに謝られるなんて。
自分の置かれている状況を少しでも理解して反省したのなら、領地送りになった意味はある。
もっと早くに気付けていれば、こんなことにはなってないんだけどね。
許すとは言うつもりはない。許すないから。
「でも……」
何が起きたのか。
視界に映る景色が変わった。
セリアが私を見下ろしている。
屋敷に戻ろうと背を向けて歩き出した瞬間、走ってきたセリアに肩を掴まれた感覚はあった。
私は今、押し倒されてるのだと理解するのに、時間はかからなかった。
恐怖はなく冷静でいられる。
この男は一生、反省なんかしない。
そう思うと自然に体が動く。
手加減なしに頬を叩いて、怯んだ隙に突き飛ばす。
逆上し拳を握って駆け寄ってくるセリアの顔面に、ギルの重たい拳が当たり反動で体は後ろに飛ぶ。
「何してんだテメー」
ギルがキレた。
仮にも元主への態度ではない。
起き上がろうとするセリアの胸ぐらを掴んでは、もう数発、殴った。力の差は歴然。
少しは気が晴れたのか手を離し、心配そうに私に声をかけた。
「アン!大丈夫だったか?」
「ええ。見ての通り」
「良かった」
「ふ、二人で話すって言ったのに。ギルを連れて来るなんて卑怯だ!!」
鼻を抑えながら叫ぶ。ギルの拳が当たったのは鼻の横だったけど。
感情のない目で見下ろせば小さく悲鳴を上げた。
「ここに呼び出したのは貴方。誰も連れて来ないなんて約束してないわ」
「手紙には二人で話したいって書いたじゃないか」
「貴方の言葉は信じるに値しないのよ」
フランクには私が三十分経っても帰らなかったら教会に来るようお願いしていた。
現れたフランクは状況を察して、尻もちをついたまま後ずさって逃げようとするセリアのお腹を蹴り上げた。
神聖な教会でこれ以上、血を流させるわけにはいかず、首根っこを掴み引きずったまま教会を後にする。
向かった先はセリアとデイジーの家。中に放り込み、無防備なお腹を踏み付けた段々と力が入っているのは気のせいではない。
そんなことをしなくても、一つしかない入り口を塞いでいるから逃げられないのに。
「足は離してたげたら?」
「そのままでいい」
私の言葉に被せてきたのは、いつの間にか帰ってきていたお父様。
「私の娘に何をしようとした?」
元暗殺者でさえ息を飲む殺気。お父様が暗殺者だと言われても違和感はない。
「僕は……王になるために生まれてきたんだ!!それなのに、愛する女性と愛し合っただけで、身分の剥奪だけでなく、公爵領でのこの仕打ち!!」
“だけ”じゃないから、こんなことになっていると思わないのかな。
「僕とアンリースに関係があれば、誰も僕を無視出来なくなる。それだけじゃない!王族にだって戻れる!!」
「ふざけんな!!そんな身勝手な理由でアンを襲おうとしたのか!?」
「アンリースだって僕と関係を持てれば嬉しいに決まってる!!そうだろう!!?アンリース!!」
「は?気持ち悪っ」
心の声が無意識に出てしまった。
好きでもない、ましてや煩わしいだけの相手と関係を持つなんて。想像しただけで気分が悪くなる。
感情なんてものはなく、ただただ冷めた目で見下ろすだけ。
あんなにも好きではないと言ったにも関わらず、すっかり忘れてしまっているとは流石としか言いようがない。
一種の才能。
強い拒絶をされるなんて予想外だったのか、それとも、受け入れた私がお父様に助けてあげてと涙ながらにお願いするとでも夢見ていたのか。
ここまでくると、軽蔑しかない。
ショックを受けたセリアは口を閉ざした。
「そ、そんな……。セリア、アンリース様に乱暴しようとしたの……!?」
「あ、そういうお芝居はいいから」
口元を隠しながら驚き、自分は無関係だと主張しようとするデイジーを止めた。
「貴女と遊んでくれていた子供達に話していたそうね。私をどうにか出来たら今の生活から抜け出せるって」
デイジーと別れた夕方頃だったか。数人の子供が屋敷に訪れ教えてくれたのだ。
言葉の意味こそわからなかったけど、私に酷いことをするのではと心配して。
その甲斐あって、心の準備は出来ていた。
だから、驚いた。まさか謝罪の言葉聞くなんて。私を油断させるための嘘だったけど。
まぁ最も、その謝罪さえ信用していなかった。
本気で謝罪したいなら、夜に、しかも人気のない教会に呼び出したりはしない。
真っ青になりながら視線は逸れていき、私を見ることはなくなった。
「私をここまで怒らせて、領地で生きていけると思うなよ」
「こ、殺すの!?私達を!?」
「はっ。人ですらなくなった貴様らなど、殺す価値もない。フランク、離してやれ」
「しかし」
「そいつらの売却は完了した。即刻、領地から追い出す」
…………売却?
あー、なるほど。
借金返済ってそういうこと。
労力として売ったんだ。二人を。
頭にバンダナを巻いた軽薄そうな男性は旅商人。
お父様から仕入れた商品を持ち、世界中を渡り歩く。彼らのために一部商品は店頭に並ぶことはない。
店で手に入らない商品を扱うからこそ、かなり高額でも常に完売する。
彼らは年に四回。商品の仕入れに戻ってきては、色んな国で手に入れた珍しい品を私達にくれたりもする。
安く仕入れさせてもらっているお礼だとか。
毎回、売上の十%を献上してくれているのだから、気を遣わなくてもいいのに。
商品を仕入れてくれるだけで、売上はいらないと言っていたお父様に十%でも受け取らせる粘り強さには尊敬するものがある。
今回は戻ってくるのが早すぎる。旅のルートは予め報告してから行くため、時間さえあれば追いつき呼び戻すことは可能。
その商人が明らかに使い物にならない二人を高値で買ってくれるなんて怪しい。
裏がありそう。
そういえば。お母様の実家、エヴァンス家が所有する山からピンクダイヤモンドが発掘されたと言っていた。
もしかしたら、それらを加工した商品を売る権利を全て彼らに渡したのかもしれない。
エヴァンス侯爵も私のことをとても大切にしてくれている。
セリアとの婚約で一番冷静ではなかったのがエヴァンス侯爵。
王命を下した陛下を手にかけようとしていた。お母様が止めなければどうなっていたことか。笑い事ではない。
お父様とエヴァンス侯爵が手を組んだとみてまず間違いない。
旅をするにあたって、腕っぷしの強い人が何人もいて、彼らの手によって連れて行かれる。
セリアには抵抗するだけの力は残っておらず、デイジーは暴れるも縄で縛られ動けなくされた。
「待って下さい」
行ってしまう前にこれだけは言っておかないと。
ニッコリと笑えば、助けてもらえるのだと安堵していた。
「愛する人と一緒なら、どんな困難でも乗り越えられるわ」
「へ?ア、アンリース……?」
「元婚約者様。浮気相手とお幸せに」
解放された喜びと、きっともう二度と出会わない絶対の確信から満面の笑みを浮かべた。
絶望の谷底へと突き落とされたかのように、最後の力を振り絞って必死に抗おうするも無理やり馬車に押し込まれる。
領地でさえこの仕打ち。外に、ましてや国外に出たら何をされるか。本能が危険を察知していたようだけど、もう遅い。
こうなったのは全て自業自得。
反省さえして、慎ましく暮らしていればいつかは領民も心を開き、人としての生活が手に入ったかもしれないのに。
まぁ、無理だとは思っていたけど。
一ヵ月か。あの二人にしては頑張ったほうかな。もっと早くに根を上げて問題を起こすと予想していたから。
監視が怖すぎて大人しくしていたのかな?
「ま、待ってアンリース!!この馬車が行ってしまったら、きっともう、僕達は会えなくなるんだよ!」
「ええ、そうね」
「君はそれでいいのかい。本当に!?冷静になってよく考えてごらん」
「何が言いたいの?」
「だから!僕と会えなくなったらアンリースも寂しいだろ?」
「貴方がどうして、そんなバカなことを言っているの知らないけど、私はもう二度と、貴方の顔を見なくて済むと思うと嬉しいわ」
二人を乗せた馬車はすぐに見えなくなった。
何度も私を呼ぶ声が聞こえた気がしたけど、きっと気のせいだ。
ここに、私を「アンリース」と呼ぶ人は一人もいないのだから。
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