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偽装婚約の話し合い【ギルラック】

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殿下の発言は聞き流せなかった。
俺のことならともかく、アンへの侮辱は許さない。
不敬罪覚悟でぶん殴ってやろうかと思ったけど、アンに迷惑がかかるからやめた。
アンが先に浮気をしたから自分も浮気をしたみたいな言い方に心底腹が立つ。
アンは俺と浮気している暇なんてない。
王妃教育に社交。休みの日はアン大好き家族が片時も傍を離れないのに。
しかも、今回の王妃教育は特に厳しいと王宮の人間が話していた。
それもそのはず。目に見えてのバカが王座に就こうとしている。妻となるアンが殿下の言動全てに対応出来るように、自然と厳しくなってしまう。
一度としてアンのことを気にかけたことのない殿下が、その事実を知っているわけもなく。
俺が新しい婚約者と言ったのが響いたらしく、殿下は一日中、抜け殻のように大人しかった。
愛しのクラッサム嬢に話しかけられても無反応。
自分のことを好きだと思っていた元婚約者が、こんなに早く他の男と婚約してショックなんだろう。
殿下との会話では、アンは自分を好きすぎるあまり、王妃になれない腹いせにクラッサム嬢を暗殺するに違いないと決めつけていた。
名誉を傷つける発言は全て、リードハルム公爵に報告しているから、いずれ断罪されるかもな。
…………で、珍しく平和な一日を過ごせてホッとしていた俺を、なぜかリードハルム家の馬車が迎えに来たんだが?
強制的に乗せられて、向かう先は当然のことながらリードハルム家。
冷たい笑顔を浮かべたフランクに案内された応接室では既に公爵が座っていた。
なぜだろう。ものすごく逃げ出したい。

「早く座りたまえ」

笑顔なのに目が全っ然笑っていない。
フランクはしれっと扉の前に立って逃げられないようにしていた。
合図もなく息の合う連携を取れることに感心する。
観念して向かいに座った。
俺に逃げる意志がないとわかるとフランクは紅茶を淹れる。公爵にだけ。
嘘だろ。公爵家に仕える使用人が客人に紅茶の一杯も淹れないなんて。
そうか。俺は客じゃないんだ。
楽しくお喋りするわけでもなく、問いただしたいだけ。

「それで?ギルラック。いつ君はうちの天使と婚約したのかな?」

言葉こそ優しいが声はドスが効きすぎている。

小心者なら絶対死ぬぞ。

昼休み、公爵にはきちんと報告した。事がバレた後に報告なんてしたら、俺は明日を迎えられなくなる。
返事がなかったからてっきり、認めてもらえたんだと安心していた。
アンは友達何人かとカフェに寄るため帰りが遅くなる。
せめてアンがいてくれたら公爵の怒りは収まってくれたのに。
圧が強すぎて目が合わせられない。
父上でさえここまでの重圧はないぞ。
アンが関わっているからだろうけど、尋常ではない。
どんな言い訳をしたところで通じるはずもない。俺がアンを好きでいる限り。
下心がないと言えば嘘になる。それ以上にあんなバカにアンが振り回されるのが嫌だった。
力になりたくて助けたかった想いが勝っていたとしても、公爵からしてみれば現状を利用してしているだけ。
公爵を納得させられるだけの言い訳は思いつかない。

「ノルスタンとはそこそこ仲良くやっていきたかったが、今日までだな」

関係が途切れたとしても没落するわけではない。俺達が生まれてくる前のギスギスした関係性に戻るだけ。

「では、公爵はアンがあんなクズの側室になってもいいのですか」
「なんだと?」

ここまでハッキリと殿下の悪口を言える場所はここだけ。

「殿下は何がなんでもアンを側室に迎えようとします。ですが、婚約者がいれば手は出せないですし、問題を起こせば陛下からも咎められる」
「その婚約者役がなぜ君なんだ」
「俺が一番適任だからです。アンの近くにいて、誰もが納得してくれます」

明らかな偽物では殿下はきっと、自分の気を惹きたいのだと勘違いする。
相手が俺なら周りは納得するし認めるはず。
この一家のことだ。対策を立てる前に殿下を処刑か暗殺しようとするに違いない。だってそういう人達だから。
無言の公爵が怖い。静寂が空間を包む。
公爵と俺とフランク。確かに三人いるはずなのに、人の気配が消えたかのように静かすぎる。
物音一つも立てることは許されない。
視線だけを動かし部屋を見渡す。フランクは扉の近くに立っている。公爵の決断を待っている。

「いつまで婚約者でいるつもりだ?」
「卒業までは継続しようかと」

長すぎると怒るだろうか。今年は半分が過ぎ、あと約二年と少し。
公爵からしてみれば許容範囲ではないかもしれない。

「妥当だな」

だが、予想に反して公爵は小さくうなずいた。驚く俺を気にする素振りはなく、続ける。

「あのバカでクズがアンのことを諦めたとして、すぐに解消してしまえば偽物とバレる。そうなればまた虫のように集ってくるだろう」

回答を誤れば俺は即座にお役御免だった。

「フランク。紙とペンを」

本題はここからだと言うように、ニッコリと笑う公爵に背筋が凍る。

「ギルラック。君をアンの一時的な婚約者として認めよう」
「あ、ありがとう、ございます……?」
「では早速、婚約に当たっていくつかのルールを決めようか」
「ルール?」
「当然だろう。これは正式な手続きなどではない偽装婚約なのだから」

なるほど。紙に記されるのはアンにしてはいけないことってわけか。
この件は俺が口を出していいことではないな。
公爵は固まったまま動かない。

「愛称で呼ぶのは……まぁいい。もう呼んでいるからな。あとは全て却下だ」
「公爵!?」

それ以外は許すつもりがないのか、書こうとする公爵を全力で止めた。

「俺、婚約者ですよ?」
「偽装だがな」
「そうですよ。ギルラック様は仮なのですから、お嬢様に婚約者としての何かを求めるのは間違いではありませんか」

涼しい顔と声で酷いことを言われた。
嫌われすぎだろ、俺。
話を通さずに勝手なことをした俺が悪いのは認める。
こういう策があると事前に提案していれば良かったのだ。

「しかし。殿下は目で見たものしか信じられない視野の狭い方です。証拠を見せろと言われたらどうするのですか」
「人前でベタベタと異性に触れるなんて下品な真似、公爵家がするとでも、と、言えばいい」

クラッサム嬢の前で、ですね。はい、わかりました。

「婚約者なのにどこにも出掛けないとなると怪しまれるのでは」
「は?君はうちの天使を自分都合で連れ回すつもりだったのか?」
「言い方!婚約者ならデートぐらい……」
「それは一体、何の冗談だ?」

完全に笑顔が消えた。俺を敵と認識している。
ここで引くわけにはいかない。

「これまでと同じ関係性では、いくら殿下でも不審がります。学園が終わってから二人で少し寄り道をするとかしないと」

頭ではわかっているが理性が邪魔している様子。
必死に何かと戦っている。俺は決着がつくのを待つ。
偽装の俺でこんなに頭を悩ませるってことは、本当の婚約者が出来たらどうなるんだろ。夫人と小公爵は、家柄と能力。そして容姿。この三点が揃っていれば渋りながらも認めるだろうが、公爵の眼鏡に適う男なんて世界中隅から隅まで捜しても見つかるはずがない。
公爵は誰が相手でも絶対に認めないのだから。

「それぐらいなら許してやる」

声が苦痛に耐えている。そんなに嫌なのか。

「だが、触れることは一切許さん」
「それは手を繋ぐことも……?」
「却下だ」

食い気味に言われた。
一生子離れしない親を持つとアンも大変だな。
家族に愛されるのは良いことなんだろうけど限度がある。

「登下校は許可してもらわなければ困ります」
「戯れ言もほどほどにしておけ」
「公爵だってわかっているはずです。最低限の距離さえ保っていない者が婚約者の座を手にしていても、いずれ破棄すると周りに公言しているようなものだと」

公爵相手にここまで口答えしたのは初めてだ。
殿下の側近候補になったのも、殿下の不貞を記録したのも、全部が公爵の指示。
アンのためになるならと思っていたし、俺がアンの役に立ちたかったのもある。だから素直に従っていた。
今回ばかりは違う。
指示に従っているだけではアンを守れない。

「旦那様。もう少し折れてあげてはいかがですか。どうせ二年後には赤の他人に戻るのですから」
「だからこそ、淡い期待を抱かぬように徹底しておかなければならんのだ」
「それはそうですが」

俺って罪人だっけ?
いくら何でもぞんざいに扱われすぎだろ。
一対一でもキツいのに二対一とか、心が粉々に砕けそう。

「では、朝の登校だけは認める」
「朝だけですか」
「放課後はアンにも予定がある。それを邪魔する権利など私にも君にもないはずだ」

一理ある。
今日みたいに友達と寄り道したい日だってあるはず。それを婚約者だからと俺が邪魔をしていいわけがない。

「ちなみに。朝は馬車……」
「徒歩に決まっているだろう?幼少期からの友人関係であるだけの男と密室で二人きりなど……!!」
「二人きりって。御者もいるではありませんか」
「外にな」
「どうしても馬車で出掛けたいなら、もう一人女性を同乗させれば許可はしてやる」
「わかりました。馬車を使うときは事前に連絡します」

俺が女性を連れていたらあらぬ誤解を生む。
リザならアンの侍女だし、不審がられることもない。

「馬車だけに限った話ではないと理解しているだろう。ギルラック」
「……はい。部屋の中でも、ですよね」
「わかっているならいい。ああ、それと、プレゼントは控えてくれ。いずれ別れる男からの物など邪魔になるだけだ」

徹底して俺の存在を二年後には抹消したいようだ。
婚約を解消した途端、殺されるんじゃないかと不安と恐怖が入り交じる。
後ろから突き刺さる視線はフランクのもの。
今でこそ公爵家の執事長をやっているが、アンが生まれる数ヵ月前までは闇の住人だった。暗殺を生業とする表には存在しないギルドの長。
公爵が大金を払ってギルドそのものを買ったと聞く。
人を殺してきたことは許されることではないが、その道を歩ませてしまったことは人の上に立つ貴族として責任を取らなければならないと全員を真っ当な人間へと変えた。
ただ、フランクだけ変わっていく日常を受け入れられなかった。
血で汚れた手で普通の生活を送るなんて想像が出来ない。
不安を抱えたまま時間だけが過ぎていき、周りに上手く馴染めないまま、アンが生まれた。
幼いアンは引かれた一線を飛び越えては、フランクの手を取り

『フランクの手は汚れていないよ。だって、こんなにも温かい』

そう言った。
フランクの心は救われ、そして……。アンのためなら再び手を血で染める決意までしてしまった。
と、フランク本人から聞いたが、どこからどこまでが本当かは俺にはわからない。
わかることがあるとすれば、フランクもアンを大切にしていることだけ。

「だがまぁ、プレゼントの一つも贈れない情けない男が婚約者などと噂が広まるのも困る。私が許可した物だけアンに渡して構わない」

しれっと恐ろしいことを言っているんだが。
俺のセンスがめちゃくちゃ問われるじゃないか、それ。
ドレスや宝石は絶対に却下される。
菓子なら自信はあるが、毎回となるとアン本人に嫌がられる。花は……殿下のことがあるからな。しばらくはやめたほうがいい。
アンに直接、渡すのであれば何でも喜んでくれるのに。
偽装婚約の契約書が完成した。
曖昧に言葉を濁すことなく簡潔に書かれている。
期間は二年。
許されたのは朝の登校。週に一度なら寄り道をしてもいい。プレゼントは公爵の審査が通った物のみアンの手に渡る。
人前でベタベタ触るな。イチャつくな。
密室で二人きりになったら殺す。
要約すると、こんな感じか。
改めて読んでみると、今とあまり変わらない気がする。
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