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第二章
生まれたくはなかった
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その日の夜。夢を見た。
夢……にしては体が自在に動く。
背景は真っ黒。いや、全てがだ。
体が光っているから周りが少し見えるだけで、ここは闇の中。
目の前には膝を抱えて座り込むシオン。彼女の体もまた、同じように光っている。一つ違うのは、光が薄く消えかかっている。
向かい合うように正面に腰を下ろす。
シオンは泣いていた。声を出さずに。一人静かに。
瞳には生気がなく、そっと触れてみた体は嘘のように冷たい。
「生まれてこなければ良かった」
ポツリと呟いた。
悲痛な叫びに聞こえた。
「誰からも愛されないとわかっていたら、生まれてきたくはなかった」
シオンの記憶や感情が流れ込んでくる。
ああ、これは……痛い。
辛いではなく痛いだ。
薄々感じていた真実から必死に目を背けてきたのに。
そうでもしないと、あまりにもシオンが報われなさすぎる。
子供の取り替えなんて一人では絶対に不可能。取り替える子供の母親の協力なくしては。
夫人は実家で出産している。一人目も二人目もそうだったから、特に怪しまれることはなかった。どうせ公爵は、出産には立ち会わずに仕事ばかり。
子供も実家に連れて行かなければまずバレることはない。
ユファンが生まれる時期に運悪くシオンも生まれた。
しかも魔力を持っていたから、尚のこと取り替えるにはちょうど良い。
親が平民の場合でも、子供は必ずどれかの属性を持つ。加えて公爵は五大魔法全てを持っているため、問題はない。はずだった。
三人の魔力の高い子供を産んだことにより、体は弱りそのまま……。
夫人が死んでしまったことにより、侍女は口を噤むしかなかった。夫人がいなければ子供の取り替えは侍女が勝手に行ったこと。罰せられるのは侍女。
お腹を痛めてシオンを産んだ母親は口止め料として、一生遊んで暮らせる大金を手に入れた。
母親はバカではない。欲をかいて毎月お金を要求して命を危うくするぐらいなら、お金の受け取りを一回だけにして、その額を増やした。
その日のことを忘れて生きていくことも約束した。
お金で売られて、当然のことながら親の愛情なんて一ミリもなくて。
公女が娘と知りながら、本心として悪く言うのだから心が砕ける。
母親からしてみればシオンは金の成る木だったのかもしれない。
それでも!!庇って欲しかった。
ユファンを突き落とそうとしたと噂が一人歩きしたとき、決めつけるのではなくて……。
もし、もしも。庇って信じてくれていたのなら、シオンは砕けた心の一欠片だけでも拾うことは出来たはずなんだ。
ユファンを溺愛するのだって、いつの日か真実が明るみになったときに庇ってもらうため。
平民は貴族に楯突けない。無理強いされたと言い張ればそれまで。
ゲームのエンディングでも、母親の存在は受け入れられて今までユファンを育てたことを感謝されていた。
ユファンの育ての母として全てを許されたのだ。
生まれただけのシオンだけが嫌われ罰せられる。
何がいけなかった?
分不相応に魔力を持って生まれたこと?
おぞましいと中傷される姿だったから?
生まれたことが罪ならば、シオンだけが罪人として裁かれるのはおかしい。
等しく全員が、裁きを受けなければいけないのに。
あ……だからシオンは、自分で自分を飲み込んだのか。
生きているのが辛い。死ぬのは怖い。
その結果、意識も思考も命以外の全てを闇で飲み込んだ。
それだけが唯一、シオンに残された選択肢。
空っぽとなったシオンの中に私が転生した。
そして……私が入ったことにより私の持つ知識がシオンに流れ込み、知ってしまった。
自分が何者で、愛されない理由さえ。
「確かに貴女の生まれた国は最低な人ばかりだった。でも、優しい人はいたよ?」
優しさに疎かったシオンは、ブレットの優しさに気付けなかっただけ。
もしも一度でも、誰かに優しく接してもらっていたのなら。きっとブレットの優しさにも触れることは出来た。
笑い合えるような、それこそ友達のような関係性になっていたのかも。
「ノアールはずっとシオンのことが大好きよ。愛してるって言ってくれてた」
「ノアールが人間なら良かった」
「うん。そうだね」
ノアール以上にシオンを愛してくれる男は現れないだろう。
先に死ぬことはなく、死ぬまで傍にいてくれる。
独りから二人になって、どんなときも変わらずに名前を呼んでくれることがどれだけ嬉しかったことか。
愛おしい日常だった。
初めて見つけた優しい世界。叶うなら生きていたかったのだろう。
誰もいない、二人だけで。
「リーネットの人達は誰もシオンを否定しない。ねぇシオン。ここでもう一度、やり直してみない?」
涙を流す瞳がゆっくりと私を捉えた。
「自分が何を言っているかわかっているの。私が表に出たらアンタは死ぬのよ」
「だってこの体はシオンの物なんだから、私がいなくなるのが筋だよ」
私の心配をしてくれるシオンはやっぱり優しい。
他人を思いやる気持ちを箱の中に詰め込んで、他人も自分も拒絶して。
それはきっと、毎日のように吐き出される言葉の暴力と痛みと。
生きていることを否定されながらも、生かされ続けた苦しみのせい。
「私はシオンが嫌いだった。何コイツ!って悪態ついてた。シオンのことを何も知らないくせに」
ゲームのキャラなんて作り物。小さな画面の中で、決められた台詞と行動を取るだけ。
こんな風に世界があって、感情を持って動いているなんて想像もしていなかった。
実際にシオンになってみると、目に見える設定だけじゃわからないことを体験した。
シオンは愛されたいから悪女になったのではなく、愛されないから悪女になったのだ。
悪は必ず断罪される運命。
それは共通の認識。なぜ悪になったのかなんて、誰も考えない。私だってその一人。
ヒロインのライバルは悪役令嬢と相場が決まっている。
そう……思っていた。
「私はもういい。疲れたんだ」
「シオン!やり直せるんだよ!?ここから!!」
涙を拭いたシオンは細く折れてしまいそうな腕で私を抱きしめた。
「ありがとうサクラ」
優しくて温かい声。
さっきまで冷たかった体は温かくなり、ポワッと光った。
「お前は自由よ。この体を捨てるも良し。好きにしていい。私には未練などない」
目が覚めると私は泣いていた。
気のせいではない。ずっと私の中に在ったシオンはいなくなっていた。
【シオン?どうしたの?】
流れる涙を舐めながらノアールは心配そうな顔を浮かべる。
いつからシオンが桜だったのだろうか。
意識を取り戻したのは入学式の朝。シオンが全てを諦めたのはもっとずっと昔。
私はシオンの記憶を頼りに、シオンで在っただけの偽物。
私は偽物令嬢だったんだ。
でも!これだけはハッキリしている。ノアールを見つけたのも助けのも私じゃなくてシオン。
あぁ……無理だったんだ。ノアールがいてくれても、砕けたシオンの心が完全に元に戻ることはなく。
人に、世界に、自分に。絶望した。
もういない。この世界のどこにも。
捜しても見つからない。
シオンは殺された。殺したのは世界であり人であり、私。
ごめんね。ごめんねシオン。
何も知ろうとしないのにシオンを悪者と決め付けて。
どんなに話をしてもシオンの決意は変わらなかった。だってシオンは、家族に愛されたかったのだから。
もっと早くに気付くべきだった。私がここにいるなら、本物のシオンはどこにいるのか。
シオンはずっと砕けた心の中で独り泣いていた。
ごめんだけでは足りない。どんな言葉で謝ればいいのか。
泣いて泣いて泣きじゃくる私をノアールは必死に慰めてくれるけど涙は止まらない。
シオンは私に好きにしていいと言った。本物が消えても、この体はシオンでしかない。これまでの行いが一緒に消えるわけではなく、私がシオンとして生きていく必要はないと別の道を用意してくれたんだ。
解釈違いでなければ、私は死ねばまた別の誰かに転生する。
第三の人生を歩めるということ。
全うな人物。誰にも嫌われない普通の人間として。
シオンからのささやかなプレゼント。
誰がそんなことするもんか。
私はシオンとして生きていくことを決めた。
痛いも苦しいも全部、背負って生きる。シオンが自分自身にさえ未練がないように、私もシオンを虐げてきたあの国も人々にも未練はない。
新しい人生を歩むのはこの国で。
溢れる涙を拭いて、ノアールを抱き上げた。
「もう大丈夫。心配かけてごめんね」
【怖い夢見たの?】
「ううん。悲しい夢よ」
ノアールはじっと私の目を見つめた後、顔をスリスリしてきた。
何も言わずに慰めてくれる紳士なノアールの可愛さにキュンとする。
心の寂しさがすぐに埋まることはないけれど。
しばらくは胸の痛みを抱えながら、生きていけたらと思った。
私だけは覚えている。この世界で生きた優しくて不器用な、愛を求めた悲しい少女のことを。
まずは昨日の女の子の家に行こう。私には誰かを治し癒す力はない。嘘をついて期待させてしまったことを謝らなければ。
下に降りると朝食の用意がされていた。まだ材料がないため私が起きる前に買ってきてくれていた。
「お嬢様。目が赤いですが、何かあったのですか」
「夢を見ただけ。大丈夫だから心配しないで」
どうか神様。
次にシオンが新しい命として生まれてくるときは、世界中の人に愛されなくていい。家族と友達と、大好きな人に愛されるような普通の女の子にしてあげて。
魔法も、もちろん戦争もなくて。多少の争いは仕方ない。
生まれたことを否定されずに、生きることを拒絶されない。人間が持って生まれる当たり前の特権に囲まれて。
家族は両親が揃っていて、兄弟は……兄はいらない。妹か弟。姉でもいいな。めいっぱい甘やかしてくれるような。
そんな、ここではないどこか別の世界で生きて欲しいと願う。
シオン。貴女が私にくれたプレゼント。自分のために使って。
風が吹いた。私の体をすり抜けたような気がした。
大丈夫よ。私はもう泣いていない。
心配してくれてありがとう。
忘れないからね。ここで生きた、不器用で優しい女の子。
夢……にしては体が自在に動く。
背景は真っ黒。いや、全てがだ。
体が光っているから周りが少し見えるだけで、ここは闇の中。
目の前には膝を抱えて座り込むシオン。彼女の体もまた、同じように光っている。一つ違うのは、光が薄く消えかかっている。
向かい合うように正面に腰を下ろす。
シオンは泣いていた。声を出さずに。一人静かに。
瞳には生気がなく、そっと触れてみた体は嘘のように冷たい。
「生まれてこなければ良かった」
ポツリと呟いた。
悲痛な叫びに聞こえた。
「誰からも愛されないとわかっていたら、生まれてきたくはなかった」
シオンの記憶や感情が流れ込んでくる。
ああ、これは……痛い。
辛いではなく痛いだ。
薄々感じていた真実から必死に目を背けてきたのに。
そうでもしないと、あまりにもシオンが報われなさすぎる。
子供の取り替えなんて一人では絶対に不可能。取り替える子供の母親の協力なくしては。
夫人は実家で出産している。一人目も二人目もそうだったから、特に怪しまれることはなかった。どうせ公爵は、出産には立ち会わずに仕事ばかり。
子供も実家に連れて行かなければまずバレることはない。
ユファンが生まれる時期に運悪くシオンも生まれた。
しかも魔力を持っていたから、尚のこと取り替えるにはちょうど良い。
親が平民の場合でも、子供は必ずどれかの属性を持つ。加えて公爵は五大魔法全てを持っているため、問題はない。はずだった。
三人の魔力の高い子供を産んだことにより、体は弱りそのまま……。
夫人が死んでしまったことにより、侍女は口を噤むしかなかった。夫人がいなければ子供の取り替えは侍女が勝手に行ったこと。罰せられるのは侍女。
お腹を痛めてシオンを産んだ母親は口止め料として、一生遊んで暮らせる大金を手に入れた。
母親はバカではない。欲をかいて毎月お金を要求して命を危うくするぐらいなら、お金の受け取りを一回だけにして、その額を増やした。
その日のことを忘れて生きていくことも約束した。
お金で売られて、当然のことながら親の愛情なんて一ミリもなくて。
公女が娘と知りながら、本心として悪く言うのだから心が砕ける。
母親からしてみればシオンは金の成る木だったのかもしれない。
それでも!!庇って欲しかった。
ユファンを突き落とそうとしたと噂が一人歩きしたとき、決めつけるのではなくて……。
もし、もしも。庇って信じてくれていたのなら、シオンは砕けた心の一欠片だけでも拾うことは出来たはずなんだ。
ユファンを溺愛するのだって、いつの日か真実が明るみになったときに庇ってもらうため。
平民は貴族に楯突けない。無理強いされたと言い張ればそれまで。
ゲームのエンディングでも、母親の存在は受け入れられて今までユファンを育てたことを感謝されていた。
ユファンの育ての母として全てを許されたのだ。
生まれただけのシオンだけが嫌われ罰せられる。
何がいけなかった?
分不相応に魔力を持って生まれたこと?
おぞましいと中傷される姿だったから?
生まれたことが罪ならば、シオンだけが罪人として裁かれるのはおかしい。
等しく全員が、裁きを受けなければいけないのに。
あ……だからシオンは、自分で自分を飲み込んだのか。
生きているのが辛い。死ぬのは怖い。
その結果、意識も思考も命以外の全てを闇で飲み込んだ。
それだけが唯一、シオンに残された選択肢。
空っぽとなったシオンの中に私が転生した。
そして……私が入ったことにより私の持つ知識がシオンに流れ込み、知ってしまった。
自分が何者で、愛されない理由さえ。
「確かに貴女の生まれた国は最低な人ばかりだった。でも、優しい人はいたよ?」
優しさに疎かったシオンは、ブレットの優しさに気付けなかっただけ。
もしも一度でも、誰かに優しく接してもらっていたのなら。きっとブレットの優しさにも触れることは出来た。
笑い合えるような、それこそ友達のような関係性になっていたのかも。
「ノアールはずっとシオンのことが大好きよ。愛してるって言ってくれてた」
「ノアールが人間なら良かった」
「うん。そうだね」
ノアール以上にシオンを愛してくれる男は現れないだろう。
先に死ぬことはなく、死ぬまで傍にいてくれる。
独りから二人になって、どんなときも変わらずに名前を呼んでくれることがどれだけ嬉しかったことか。
愛おしい日常だった。
初めて見つけた優しい世界。叶うなら生きていたかったのだろう。
誰もいない、二人だけで。
「リーネットの人達は誰もシオンを否定しない。ねぇシオン。ここでもう一度、やり直してみない?」
涙を流す瞳がゆっくりと私を捉えた。
「自分が何を言っているかわかっているの。私が表に出たらアンタは死ぬのよ」
「だってこの体はシオンの物なんだから、私がいなくなるのが筋だよ」
私の心配をしてくれるシオンはやっぱり優しい。
他人を思いやる気持ちを箱の中に詰め込んで、他人も自分も拒絶して。
それはきっと、毎日のように吐き出される言葉の暴力と痛みと。
生きていることを否定されながらも、生かされ続けた苦しみのせい。
「私はシオンが嫌いだった。何コイツ!って悪態ついてた。シオンのことを何も知らないくせに」
ゲームのキャラなんて作り物。小さな画面の中で、決められた台詞と行動を取るだけ。
こんな風に世界があって、感情を持って動いているなんて想像もしていなかった。
実際にシオンになってみると、目に見える設定だけじゃわからないことを体験した。
シオンは愛されたいから悪女になったのではなく、愛されないから悪女になったのだ。
悪は必ず断罪される運命。
それは共通の認識。なぜ悪になったのかなんて、誰も考えない。私だってその一人。
ヒロインのライバルは悪役令嬢と相場が決まっている。
そう……思っていた。
「私はもういい。疲れたんだ」
「シオン!やり直せるんだよ!?ここから!!」
涙を拭いたシオンは細く折れてしまいそうな腕で私を抱きしめた。
「ありがとうサクラ」
優しくて温かい声。
さっきまで冷たかった体は温かくなり、ポワッと光った。
「お前は自由よ。この体を捨てるも良し。好きにしていい。私には未練などない」
目が覚めると私は泣いていた。
気のせいではない。ずっと私の中に在ったシオンはいなくなっていた。
【シオン?どうしたの?】
流れる涙を舐めながらノアールは心配そうな顔を浮かべる。
いつからシオンが桜だったのだろうか。
意識を取り戻したのは入学式の朝。シオンが全てを諦めたのはもっとずっと昔。
私はシオンの記憶を頼りに、シオンで在っただけの偽物。
私は偽物令嬢だったんだ。
でも!これだけはハッキリしている。ノアールを見つけたのも助けのも私じゃなくてシオン。
あぁ……無理だったんだ。ノアールがいてくれても、砕けたシオンの心が完全に元に戻ることはなく。
人に、世界に、自分に。絶望した。
もういない。この世界のどこにも。
捜しても見つからない。
シオンは殺された。殺したのは世界であり人であり、私。
ごめんね。ごめんねシオン。
何も知ろうとしないのにシオンを悪者と決め付けて。
どんなに話をしてもシオンの決意は変わらなかった。だってシオンは、家族に愛されたかったのだから。
もっと早くに気付くべきだった。私がここにいるなら、本物のシオンはどこにいるのか。
シオンはずっと砕けた心の中で独り泣いていた。
ごめんだけでは足りない。どんな言葉で謝ればいいのか。
泣いて泣いて泣きじゃくる私をノアールは必死に慰めてくれるけど涙は止まらない。
シオンは私に好きにしていいと言った。本物が消えても、この体はシオンでしかない。これまでの行いが一緒に消えるわけではなく、私がシオンとして生きていく必要はないと別の道を用意してくれたんだ。
解釈違いでなければ、私は死ねばまた別の誰かに転生する。
第三の人生を歩めるということ。
全うな人物。誰にも嫌われない普通の人間として。
シオンからのささやかなプレゼント。
誰がそんなことするもんか。
私はシオンとして生きていくことを決めた。
痛いも苦しいも全部、背負って生きる。シオンが自分自身にさえ未練がないように、私もシオンを虐げてきたあの国も人々にも未練はない。
新しい人生を歩むのはこの国で。
溢れる涙を拭いて、ノアールを抱き上げた。
「もう大丈夫。心配かけてごめんね」
【怖い夢見たの?】
「ううん。悲しい夢よ」
ノアールはじっと私の目を見つめた後、顔をスリスリしてきた。
何も言わずに慰めてくれる紳士なノアールの可愛さにキュンとする。
心の寂しさがすぐに埋まることはないけれど。
しばらくは胸の痛みを抱えながら、生きていけたらと思った。
私だけは覚えている。この世界で生きた優しくて不器用な、愛を求めた悲しい少女のことを。
まずは昨日の女の子の家に行こう。私には誰かを治し癒す力はない。嘘をついて期待させてしまったことを謝らなければ。
下に降りると朝食の用意がされていた。まだ材料がないため私が起きる前に買ってきてくれていた。
「お嬢様。目が赤いですが、何かあったのですか」
「夢を見ただけ。大丈夫だから心配しないで」
どうか神様。
次にシオンが新しい命として生まれてくるときは、世界中の人に愛されなくていい。家族と友達と、大好きな人に愛されるような普通の女の子にしてあげて。
魔法も、もちろん戦争もなくて。多少の争いは仕方ない。
生まれたことを否定されずに、生きることを拒絶されない。人間が持って生まれる当たり前の特権に囲まれて。
家族は両親が揃っていて、兄弟は……兄はいらない。妹か弟。姉でもいいな。めいっぱい甘やかしてくれるような。
そんな、ここではないどこか別の世界で生きて欲しいと願う。
シオン。貴女が私にくれたプレゼント。自分のために使って。
風が吹いた。私の体をすり抜けたような気がした。
大丈夫よ。私はもう泣いていない。
心配してくれてありがとう。
忘れないからね。ここで生きた、不器用で優しい女の子。
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