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第六章 第一節

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報復だ。 報復の時だ!

 冬の、透き通るような冷たさが支配する世界にいた。人間の基盤もまさしく、冷たく、冷酷な基準の上だった。ずっと、変わらないと思っていた。
 けれども、今日聴いたあの報道だけは、何かを変えてくれる力があった、と思う。

『飯盒管理会社エレイディナ爆破、議会長シュルディンガ自殺、税取りラヴァッセ殺害、その他一人を殺害した、計画的犯行犯━━霊体人間セキラを捕縛、のうち無力化刑に処す』

 ここのところ、何かが変わりつつあった感覚は知っている。道ゆく人たちが、暖かな汁物を外に出して、飢えた誰かに与えていた、と聞いた。しかし、決定的な流れにはならず、ずっと、小川のようにわずかな水が流れるかのように、微細な変化だった。
 私にとっては━━洪水を起こすだけの、変化だ。

 実を言うと、私は元々最貧困の真っ只中にいた。自身の唇の皮を剥いで、飢えを凌ぐ日もあったし、自身の血を飲んで、喉の渇きを凌いだ日もあった。毎日ではない。ちゃんとした食事……芋虫や土、カンプ(後に製紙されたカンプを食べたが、やはり甘いのだ)にありつける日だって、あったのだから。
 そんな私が、ある日富裕層の男に拾われた。ここまでならよくある夢物語だ。そして事実、私も自分の人生が夢のようだった。カンプを僅かにしか齧れない日々と、山のようにカンプ紙をつまみ食いできる日々、本当の私はどちらにいるのか、定まらない。
 男は、私に、女性として幸せになって欲しい、とよく言うが、先月、やっと股から血が出る体になったんだ、出産にはまだ早すぎて、遅すぎた。既に私は30年を生きているから。

 身の上話はもういい。
 簡素に、事実を刻もう。

『エレイディナの構造が第三者により置き換えられていたことが発覚、その上今日まで何事もなく稼働し続けていたことから、セキラは構造把握に長けている人物であり━━』

「へえ、エレイディナ無くなったんだってさ」

 私を拾った富裕層の男は、元々エレイディナに勤めていた。爆破された日は、ちょうど有給を貰っていて、それで命は助かったらしい。よく働く人だと聞くが、先程の言葉を摘めば、愛着はないのだろう、そこには怠惰な努力が含まれていた。

「セキラだか、よく知らないけど、馬鹿なんじゃないか? これだけしっかりとした基盤に刃を向けやがって。そこに生きる人間の生活なんてどうでもいいみたいにさ。
いくら飢えようと、いくら肥えようと、人間だっていうのは変わりないのに、なんでああいう正義気取りは、自分の側を人間にしたがるんだろうね?
あ、君に言ってもわからないね、ごめんね?」

 馬鹿は、お前だ。
 これまで、私たちの側を人間扱いしなかったお前らが、何を言っているんだ。拾ってもらって、今の地位に引き上げてくれた恩は忘れない━━だが、お前は私を育てなかった。
 私が育った集団を馬鹿にするならば、お前には死を与えよう。これが本当の平等だ。
 私は持っていた護身刀、男に拾ってもらって1年が経った時の贈り物、それで男を刺した。

「は!?なんで、おまえ、何様……俺に拾ってもらった恩を、忘れたのか? 焼でも入れてやらないと、わかんないのか……?」

 今更になって、自身の権利を主張し始める男を他所に、私は宣言をした。
『忘れてなんかいない、一生、もしくはこの世界が破滅するまで、終わるまで……
そんな貴方と、切り離したいから、殺すの』と。

 迸る血の息吹が、私に「生きる」を感じさせた。最期は非常に短く終わった。
 しかし外だというのに、誰も来ない。警察ですら。取り巻きすら。
 おかしい。そこまでセキラに対する処罰に加担しているのか? 私以外の、殺人者以外に死を知られない彼が、情けなく、そして、かわいそうに思えてくるくらいに、誰も来ない。
 そして、もう一つ、人が殺される音がした。

 人が人を噛みちぎる音。太腿に張り付いた肉が削げて、血が溢れて、その肉を家族に与え、もう一回噛み付いて、別の太腿を狙う。歯は強靭に、いくら栄養が足りなくともまっすぐに、そして、研ぎ澄まされて存在している。失血。痛みに悶える女。次は腹を狙い、噛み付いて、臓物が溢れ出る。小腸が身体の外に出たなら、生物としてお終いだ。私はそれ以上に耳を傾けなかったが、噛み付いた側は飢えに飢えて、我慢できず、家族の事情もあるのだか、仕方なく人間を襲っていたという事実と、噛まれた側は油断しきっていた、丸々太った女性であるという事実は理解した。

 もう一つ、人が殺される音がした。もう一つ。一つ。一つ。一つ。一つ。
 私の投げた石が、水面に波となって広がるように。
 ひいてはセキラの行いが、水面下で多大な変革を起こしていたかのように。

 殺人は暴動となり、これまで起きた歴史のない戦争へと化した。
 そこに参加する全員が、自身の権利を争っていた。義務のない彼らに義務を与えろと、中の一人が叫んでいた。彼らには今日を生きる鼓動も保証されていない。なのに上の人間たちは、金銭の風呂に入っている。
 これまで暴動が起きなかった事実に不快さすら感じる。何故誰も反逆しようとしなかったのか。彼らには力がなかったから? 自分が負けると思っていたから? そんな理由ではないだろうか。セキラが、反逆を示せると知らせたから、全員が躍起になって━━この私ですら。
 クィア全土が血で洗われるまで、続くのだろうか。暴動に参加した者の目的は一緒だ、彼らはまさしく平等を求めているのだから。血で洗われる空想だけで留めた。

 いつしか悲鳴が、肥えた悲鳴が、懇願となっていた。
 その日外を出歩いていた、肥えた人間━━肥えられるだけの資産を持った人間、つまり富裕層は、全員が襲われ、死んでいた。
 内臓、骨まで齧り尽くされて、葬るための骸すら残らない者もいた。その中で私は襲われなかった。理由は単純だ。私は太っていなかった。
 懇願の内容は、決まって単純だ。相当の地位を与えるから、相当の役職を与えるから、私だけは助けてくれ、と。それでも殺すような者もいて、理由は決まって単純だ。「私だけは」が気に入らなかったらしい、もっと別の解があるのだと、暗に示すが如く。

 もちろん、貧困側にも打撃はあった。元々が死んだような肉体だったし、先程反逆をした富裕層の者どもにはいつも、日頃の鬱憤発散に使われたり(殴る蹴るなどの暴行、熱による生命阻害、刃物で切り刻む、火薬を仕込んで爆発させるなど)されていたから、何人もの死者が出ていた。けれども、富裕の者とは違って、悲鳴など、懇願などしなかった。彼らには決意があった。

 そしてこの暴動は、唐突に終わった。この章も、唐突に終わった。
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