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第一章 第一節 ミファース=キトリ(2)

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 滅多に人の来ない、小さな村の中。巣野草(球状になって、よく転がっている草)に覆われた屋根の、質素な家に少女は住んでいる。きょうも、動けるような時間になったから、少女は柔らかな寝台から、硬い土へと足を滑らせる。
 それからの動きは直線的で、なおかつ飽きやすい、日常の一部だ。少女はまず、寝起きで体を清めるか、朝食を食べるかどうかで悩み始める。少女が次の行動を決定付けた要因は、寝起きにしては体温が高くないという事実が一つ。わずかに頭が痛むという事実が二つ。そして、まるで竜巻が全てを巻き上げ尽くして虚無だけが残ったように、空っぽになった胃が決定打だった。

 少女の名はミファース=キトリ。ミファース一族の三番目の娘。他のきょうだいは全員、村の誰かと、それか他の村へ嫁いだり、働きに出てしまった。キトリが急いで婚姻などせずとも、家は自動的に守り継がれる。つまり、素晴らしい子孫なら他で済んでいる、という事実だ。
 キトリは若干の焦りを持っていた。家に恥じない娘になれ、という圧力に対する焦り。しかし、キトリにも達成できるであろう実績は、既に他のきょうだいが奪っていった。
 子沢山なら二番目の娘、キトリの二歳上の姉。
 長生きなら一番目の娘、キトリの六歳上の姉。現在進行形だという。
 手駒にした男の数なら四番目の娘。キトリの二歳下の妹。
 他にも、農業なら三番目の息子。
 漁獲量なら四番目の息子。
 螺旋牛(鳴き声と角がねじ曲がっている、主に乳を食用とする動物)の頭数なら二番目の息子。
 殺した人間の数なら一番目の息子。死因は鉛苺の毒。

 およそ現世で達成できる、人類としての功績は他が持って行った。キトリにも何か残されていれば良かった、しかし、残された功績は表彰式が終わった後の空気だけだった。キトリに取り分は残されていない。一応一族の中には入っているらしい。だが、キトリは自分が恥ずかしくなって、少し離れに家を造った。離反した。
 焦りからか、地鳴鳥(鳴き声がうるさい鳥)の卵を土に落としてしまい、音と、足に広がる卵白の這い寄るような感覚で、キトリは我に帰ると共に、
「だから私は何も残せないんだ」
と、自己嫌悪の層をさらに積み重ねた。

 一応、キトリは食事も作る。自分で捕ってきた地鳴鳥を養殖して、卵を産ませたり、もしくはさばいて、物々交換に出して袋穀物(そういう植物で、中に栄養価の高い種子が入っている)を貰ったり。地産地消も、自分の力で生きる決意も、できている。しかし。
━━先ほど落とした卵が無事だったなら、どれだけ食事が豪華になるだろうか。
 虚しい追憶にひたりながら、キトリは食事を貪り始める。

 本来ならば地鳴鳥の卵を乗せた、海水を沸騰させて柔らかくした袋穀物に、天日干しした海藻を乗せ、油豆(潰すと液体が出てくる豆)の粉砕物を分離させて得た出汁に、鈍魚の出汁を混ぜて、袋穀物の入った碗に注ぎ込む。キトリの完璧な食事だ。
 しかし、卵をかけなければ、味が中和されない。塩が多すぎて、破裂してしまいそうなほどに。キトリは自身の将来と、食物がもったいないという理由同士を戦わせた結果、もったいないが勝ったため、塩気を我慢して、胃に流し込む。
━━そこに感情はなく、ただ結果があるのみ。

 ところでキトリの家には、水がない。
 しばらく雨が降っていなかったから、貯水葉桶にも、一滴も入っていない。
 物々交換あるのみぞ、と、キトリは考える。何を持っていくか。今、家に何があるだろうか。自分に価値などあるだろうか。考えが低音に近づいていくから、キトリはもう、動いてしまおうと決めた。

 村に近づけば、あまり好ましくない現実が待っている。
 比較。
 比較する周囲の耳から逃れる為に、ひとりだけの世界に来たはずなのに。
 またこうして、人の中に紛れ込む日が来るなんて。

 人間は多くはない。だが、あまりに音が、声が大きいから、数百人規模の都市を連想してしまう。実際は、いても五十と四十、そこいらだ。
 あれ、いつも、こんなにうるさかったっけ? まるで赤子のようにわめく村人が、そこな道を埋め尽くしていた。
 何か、戦争でも起きてしまったか? それとも、つまらない人間の失踪報告? そうでもなければ、何故ここまで騒ぐだろうか?
 キトリは、この機会に乗じて功績を得るか、何も聞かなかったように過ごすか、の二択を迫られていた。どちらを選択したとしても、キトリに待ち受ける未来は変わらない。しかし。キトリは何かを変えたかった、かもしれない。だから、騒ぎの元へ辿り着こうとした。

 普段は人間なんて、家に引きこもっているべき存在だ。キトリもそうだ。普段は家の中で何か、自身を証明すればいい。しかし義務から離れて、外の往来へ足を揃えては、騒ぐ民衆がいる。
 このような状況下では、真っ先に向かうべきは村長の家だと、昔からキトリの家では言い伝えられている。だが、人混みに押されている以上、目的地に足を運べない。難しい。
 キトリはもどかしくなって、手刀を作っては、道を開けてもらうように頼み込み始めた。そうでもしなければ、騒ぎたいだけの人間どもは道を開けないからだ。
 そうして辿り着いた村長の家には、祈りを捧げるように平伏した、巫女がいた。
 巫女だけではない。この村の静けさのほとんどは、村長の家の前に集まっていた。道で騒いでいる人間どもは……ただの、野次馬のような存在だ。
 中の巫女の1人が、キトリに声をかけた。

「あなた……世界を、救う気はありませんか?」
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