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土増園江
青い血の呪縛 3
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2013/06/14
小学五年生になって、2ヵ月が経った。
俺の妹(戸籍上)もすくすく育って、最近では「血が出た」と言い、俺を困らせようとしてくる。
彼女は今年で6歳だ。
妹、多賀江(たがえ)は単刀直入に言えば、お父さんの家族だ。
もっと言えば、お父さんの姉が、夫に破産攻撃を振るわれて、
せめて子供だけでもと、自分は逃げ出して、埼玉から離れ、どっか別のところ(静岡と聞いた)に引っ越して、
……それで姉にとって信頼のおける、弟、お父さんが引き取ることになった。
なんでそんな奴と結婚したんだよ。なんでうちに連れてくんだよ。
まあ当の本人は何も気にせず、おませに、Tシャツにスカートのついた服の裾を引っ張って、
ヨーロッパな感じの挨拶をしてくるのだ。俺は普通に返すけど。
俺の小遣いは減額処分にされてしまった。
毎月2000円だったのが、「お兄ちゃんになるんだから節制ね」という理由で1400円になってしまった。
由々しき事態である。お小遣いが減ると、心も荒む。
俺の体には変化が起こっているらしい。見えないところで。
そういえば最近、長い間走っていても平気だったり、少しくらっとする程度になってきた。
そういえば検診の頻度も減り、このまま周りと同じようになれれば病院に通わなくてもよくなる。
やっとみんなと同じように、野原を駆け回れる。やっとその日が来る。
少しずつ赤血球の数も、大きさも改善されてきている。ようやく赤い血になれるのだろう。
そう思いながら体育の授業を保健室で過ごすことになってしまった。サッカーは動き回るので正直キツイ。
帰宅後、2階に上がるのも疲れる。
目の前を不思議な生き物が右往左往し始める。耳は遠くなり、体の自由も聞かず、
ただ本能だけで一段一段を上がっている。「俺は俺だよ」と何回も頭で唱える。
ドアを開けるのにも力がいるし。かといって力のあまりに引っ張ると、蝶番が壊れてしまう。
それかノブが引っこ抜けるか、ひどい時には扉が割れるかで。何回も修理されていた。
ギリギリで理性を保ち、ノブを回せる程度の余裕を保つためには、やはり体育は休んだ方が得策か、
と思えるほど、俺はドアのノブを憎み、世界中から消し去りたいと思っている。
ランドセルを降ろすのも疲れる。
重荷が無くなって少しは楽になるかもしれない。中には大量の教科書とノート。
中津小学校では置き勉(教科書を学校に置いていくこと。その行為)は禁止されているので、
皆、辛いのを我慢して重い荷物を運ばなければならない。まるで二宮金次郎の集いだ。
宿題はなんだったっけ。早めにやっておかないと忘れちゃうんだよな……
漢字ドリルのページ・……、算数ドリルの、じゃなくて、今日はプリント、え?となり、
連絡帳を取り出そうとする。これも疲れる。
月曜日の時間割、連絡、あれ、今日金曜日か。
やる必要もないよな、と思いつつも、せっかく鉛筆を手に取ったのだから、少しでも
やり進めることができれば、休日が楽になる、そう思っていた。
気のせいだろうか、少し体がだるい。
お父さんと、お母さんと、多賀江と食べる豆腐ハンバーグの時間。
だが俺はそこにいない。俺は部屋にこもっている。下に行きたい。
しかし体は動くことを拒否している。このままベッドでゴロゴロしていたい。
いや、しないともう限界だ。倒れそうだ。今すぐにでも寝てしまいたい。お腹が空いた。
苦しい、苦しい、動けない。声を出すこともできない。
「オマエなあ」
誰かの声が不意にした。聞きなれない声のように思ったが、しかし、自分の声に似ていた。
そんな気がした。実際には確認もせず、目をいきなり開いてしまい、それでいてかつ、
漫画のような、寝過ごした後の、遅刻を恐れたかのような起き上がりをしてしまった。
声の方向に、本能的に。
誰もいない。いたずらかと思った。もう一度寝ようとする。体はけだるさを感じていない。
「そんなにひ弱じゃ守れねえだろ」
まただ。
自分の脳を疑った。どこから聞こえているのだ。この頭か。この頭が悪いのか。
何を守るというのだ。家庭か。アナザーアースか。中津市か。埼玉県か。
それとも、その他にも?俺が何をしたって言うんだ!
「鏡を見ろ」
わかってるわ!顔の造形が整ってないことぐらいは。
しかし俺はなにも言い返せなかった。自分がひ弱なのは分かっていたし、事実だ。
どうあがいたとて、覆しようのない、残酷な事実。
声の方向に、理性的に。
誰もいない。やはり俺の頭だった。窓を開けようとする。体が重く感じている。
この時期は、まだエアコンをつけてもそう変りはしない。むしろ付けた方が暑いという日もある。
除湿に設定していたのを、切って、窓を開ける。
暗闇の女が、光る円を手にとって笑っている。こちらにおいでと誘っている。
体には星々がちりばめられている。しかしそこまで上ではなく、あくまで近くにあった。
そこまでつややかなわけでもない。道の樹を照らす彼のせいで、星は、はがれてしまったのだし。
円のウサギは、動かない。ただそこにあり、照らされているだけ。
誰も通っていかない道を、誰も歩かない歩道を、誰もいない街を見てから、寝直すことにした。
2013/06/15
朝起きた。体が熱い。喉も痛い。明らかな不調でありながら、これまでなかったことだった。
昨日の、食卓に降りてこないことで心配したお母さんがやってきた。
俺を見るなり、布団を引きはがして、
外に行けるような格好にしてから、車に無理やり乗せられてしまった。
どこへ行くのかと。いつもの市立病院である。
普段とはお医者さんも様子が違う。こんなはずはない、と慌てていた。
カウンターで顔を見せるなり、小児科を勧められた。
そのまま流れ作業で、喉を見られて、しかも綿棒まで入れられて、苦しいことこの上なかった。
溶連菌感染症と診断された。
重症化を避けるため、1週間の安静を言い渡された。
つまるところが、出席停止である。
2013/06/18
朝起きた。かゆみや痛みも引いた。しかし出席停止期間である。
暇で仕方がない。しかし安静にしていなければならない。そもそもそういう間だからだ。
天井の、いきり立った岩肌を、目で計測する遊びにも飽きて、布団の布の、構成する糸の結び目を数えるのも飽きた。
毎日のように、学校から連絡物やプリント、宿題は届く。しかしそれも終わらせてしまった。
電波時計を見ていても、ありふれたパターンの繰り返しですぐに飽きてしまった。
これは改善が必要だ。あとこの調子で5日家で過ごさなければならない。
お母さんに、処遇改善の申請をしなければならないと感じた。
「園江元気?」
ここ最近の挨拶である。もう元気だよ。
もう元気になったから、せめて暇つぶしに何かさせてくれよ、と頼むことにしていた。
実際した。
渡されたのは画材店?なんか売ってるところのチラシだった。
今レジン細工が流行っているらしく、色々と出回っているようだ。
これを頼むことにした。自分ができるかできないかなんて、気にも留めなかった。
空枠は、マスキングテープという装飾的なもので支えを作ってやれば皿と同じようにできるし、
母親から借りたマニキュアも、皿に塗ってやればたちまち幻想風景である。
そこにいくつかのモチーフ、キラキラや、切り抜きや、何か、何か入れてやれば、
簡単に芸術作品がなせるのだ。しかし、簡単と言えども確かな目は必要だ。
その奥深さ、予測のできない面白さ、どう仕上がるか、どう作れば美しいか。
作れば作るほど、愛おしくも思うし、いずれは販売もできるだろう。
おそらくこれは、一生涯の趣味になるだろう、俺は確信した。
太陽が無くなっても平気だ。こちらには疑似の太陽がある。
硬化することに徹底した、作り物の太陽。
そのおかげで最初に買ってもらったミール皿も、空枠も、使い切ってしまった。
できる。俺は強いぞ。壊すだけでなく、創ることさえ知ることができた。
「ばぁか」
あの時の俺の声がする。おかしな頭、脳みそが創り出した幻想が声を掛ける。今度こそは負けるものか。
声の主が姿を現す。
吸血鬼然としたマントに、闇夜に光る八重歯、暗い中で自然と光る両の目。紫。俺に似ているようにも見えた。
鳴り響く心臓の音、頭痛、全てを振り切って俺は叫んだ。
「もう俺は弱くなんかないぞ!」
叫んだ瞬間、彼はきょとんとしていたようにも見えた。
いきなり叫ばれたらまあそうなるわな、という感じの反応であった。
しかし、数秒もすれば、彼は少しにこやかになった。憎たらしさのない。
純粋な笑顔が、俺を待ち受けることとなった。暗さに光が舞い降りた。
「学校の奴らにも見せてやれよ?」
そう言って彼は蝙蝠にはならず、すっと消えていった。吸血鬼ではなかった。
何だったんだ、本当に。どっと疲れが出たようにも思えた。椅子の上でうなだれてみた。
しかしこの問答が、俺の中に在る何かを育てたというのならば、それもまたいいのかもしれない。
これまで壊すことしかできなかったけれど、創れることの方が、強いんだろうなあ。
―ここまで考えたところで、非常に重大なことに気付いてしまった。
もう午前2時になっていた。いい子はともかく、悪い子もぼちぼち寝ている頃だ。
ああ、これで俺も悪い子リストにぶち込まれるのかな、そしたらクリスマスプレゼントもらえないのかな、
と若干の恐れを抱きながら、歯を磨いて、寝間着に着替えて、風呂に入るのを忘れていたのに気づいて、
風呂を自分で沸かして、入って、歯を磨いて、寝間着に着替えて、眠りに就くことにした。
2013/06/24
朝起きた。病気は完全に治っていた。合併症も罹っていないため、とりあえずは落ち着けることになった。
久しぶりの登校である。灰色の空の中、赤いランドセルと黒いランドセルが交互になって行進している。
この前の問答の通り、作ったものを持っていく……のも気恥ずかしく思って、結局持ってこれなかった。
「少し肌白くなった?」
と、若干日に焼けたさやかが問いかけた。染められた青の髪はまあ、うん。
教室の蛍光灯に照らされて輝いているが、あまりにも目立ちすぎている。
次に彼女は、出席停止の時何をやっていたのかを聞いてきた。予想通りではあった。
俺は正直に話すことにした。彼女の前では何も隠すことができないし、隠すほどでもない。
「今度見せてもらってもいい?」
彼女も最近ものづくりを始めたらしく(といっても去年からだが)、
特に奇抜だと思われることもなく、全ては温和に終わっていった。
このころの年代では、何か頭角を現すことがあれば、容赦なくへし折っていくのが常だが、
さやかはそんなことをしなかった。いいや、するはずもなかった。
いつうちに来るのかな、さやかはどんな色が好きなのかな、と考えながら泳いでいたら、
次の瞬間にはプールサイドに倒れていた。どうも溺れていたらしい。
その証拠に、喉の奥から塩素のにおいがする。これは食道洗浄コース不可避だ。
向こうのプールでは、さやかがまさに泳ごうとしていた。
ヨーロッパ出身の父親の血を引いた高貴な青色の瞳さえ除けば、普通にそこら辺にいるような女子だった。
知らないうちに、惹かれる面もあったのかもしれない。
腕に比べて日焼けしていない白い太もも、少しだけちらりと見えてしまった透き通るような胸の谷間、
不毛な無毛の腋、すらりと伸びた首筋、小学生にしては大人らしい体型、しかしどことない幼さ……
気がつかないうちに、夢中になっていたのだろう。
結局、見学することにして、その実さやかを目で追っかけ回した。
気づかれたら大変なことになるとわかっていても、男としてはどうしても見てしまうのだ。
しかし、その欲の意味もわからない状態だったから、
きっとこれは食欲だったのだろう、と自分を落ち着かせようとしていた。
そうでもしなければ、今すぐにでも食べてしまいそうだったから……
小学五年生になって、2ヵ月が経った。
俺の妹(戸籍上)もすくすく育って、最近では「血が出た」と言い、俺を困らせようとしてくる。
彼女は今年で6歳だ。
妹、多賀江(たがえ)は単刀直入に言えば、お父さんの家族だ。
もっと言えば、お父さんの姉が、夫に破産攻撃を振るわれて、
せめて子供だけでもと、自分は逃げ出して、埼玉から離れ、どっか別のところ(静岡と聞いた)に引っ越して、
……それで姉にとって信頼のおける、弟、お父さんが引き取ることになった。
なんでそんな奴と結婚したんだよ。なんでうちに連れてくんだよ。
まあ当の本人は何も気にせず、おませに、Tシャツにスカートのついた服の裾を引っ張って、
ヨーロッパな感じの挨拶をしてくるのだ。俺は普通に返すけど。
俺の小遣いは減額処分にされてしまった。
毎月2000円だったのが、「お兄ちゃんになるんだから節制ね」という理由で1400円になってしまった。
由々しき事態である。お小遣いが減ると、心も荒む。
俺の体には変化が起こっているらしい。見えないところで。
そういえば最近、長い間走っていても平気だったり、少しくらっとする程度になってきた。
そういえば検診の頻度も減り、このまま周りと同じようになれれば病院に通わなくてもよくなる。
やっとみんなと同じように、野原を駆け回れる。やっとその日が来る。
少しずつ赤血球の数も、大きさも改善されてきている。ようやく赤い血になれるのだろう。
そう思いながら体育の授業を保健室で過ごすことになってしまった。サッカーは動き回るので正直キツイ。
帰宅後、2階に上がるのも疲れる。
目の前を不思議な生き物が右往左往し始める。耳は遠くなり、体の自由も聞かず、
ただ本能だけで一段一段を上がっている。「俺は俺だよ」と何回も頭で唱える。
ドアを開けるのにも力がいるし。かといって力のあまりに引っ張ると、蝶番が壊れてしまう。
それかノブが引っこ抜けるか、ひどい時には扉が割れるかで。何回も修理されていた。
ギリギリで理性を保ち、ノブを回せる程度の余裕を保つためには、やはり体育は休んだ方が得策か、
と思えるほど、俺はドアのノブを憎み、世界中から消し去りたいと思っている。
ランドセルを降ろすのも疲れる。
重荷が無くなって少しは楽になるかもしれない。中には大量の教科書とノート。
中津小学校では置き勉(教科書を学校に置いていくこと。その行為)は禁止されているので、
皆、辛いのを我慢して重い荷物を運ばなければならない。まるで二宮金次郎の集いだ。
宿題はなんだったっけ。早めにやっておかないと忘れちゃうんだよな……
漢字ドリルのページ・……、算数ドリルの、じゃなくて、今日はプリント、え?となり、
連絡帳を取り出そうとする。これも疲れる。
月曜日の時間割、連絡、あれ、今日金曜日か。
やる必要もないよな、と思いつつも、せっかく鉛筆を手に取ったのだから、少しでも
やり進めることができれば、休日が楽になる、そう思っていた。
気のせいだろうか、少し体がだるい。
お父さんと、お母さんと、多賀江と食べる豆腐ハンバーグの時間。
だが俺はそこにいない。俺は部屋にこもっている。下に行きたい。
しかし体は動くことを拒否している。このままベッドでゴロゴロしていたい。
いや、しないともう限界だ。倒れそうだ。今すぐにでも寝てしまいたい。お腹が空いた。
苦しい、苦しい、動けない。声を出すこともできない。
「オマエなあ」
誰かの声が不意にした。聞きなれない声のように思ったが、しかし、自分の声に似ていた。
そんな気がした。実際には確認もせず、目をいきなり開いてしまい、それでいてかつ、
漫画のような、寝過ごした後の、遅刻を恐れたかのような起き上がりをしてしまった。
声の方向に、本能的に。
誰もいない。いたずらかと思った。もう一度寝ようとする。体はけだるさを感じていない。
「そんなにひ弱じゃ守れねえだろ」
まただ。
自分の脳を疑った。どこから聞こえているのだ。この頭か。この頭が悪いのか。
何を守るというのだ。家庭か。アナザーアースか。中津市か。埼玉県か。
それとも、その他にも?俺が何をしたって言うんだ!
「鏡を見ろ」
わかってるわ!顔の造形が整ってないことぐらいは。
しかし俺はなにも言い返せなかった。自分がひ弱なのは分かっていたし、事実だ。
どうあがいたとて、覆しようのない、残酷な事実。
声の方向に、理性的に。
誰もいない。やはり俺の頭だった。窓を開けようとする。体が重く感じている。
この時期は、まだエアコンをつけてもそう変りはしない。むしろ付けた方が暑いという日もある。
除湿に設定していたのを、切って、窓を開ける。
暗闇の女が、光る円を手にとって笑っている。こちらにおいでと誘っている。
体には星々がちりばめられている。しかしそこまで上ではなく、あくまで近くにあった。
そこまでつややかなわけでもない。道の樹を照らす彼のせいで、星は、はがれてしまったのだし。
円のウサギは、動かない。ただそこにあり、照らされているだけ。
誰も通っていかない道を、誰も歩かない歩道を、誰もいない街を見てから、寝直すことにした。
2013/06/15
朝起きた。体が熱い。喉も痛い。明らかな不調でありながら、これまでなかったことだった。
昨日の、食卓に降りてこないことで心配したお母さんがやってきた。
俺を見るなり、布団を引きはがして、
外に行けるような格好にしてから、車に無理やり乗せられてしまった。
どこへ行くのかと。いつもの市立病院である。
普段とはお医者さんも様子が違う。こんなはずはない、と慌てていた。
カウンターで顔を見せるなり、小児科を勧められた。
そのまま流れ作業で、喉を見られて、しかも綿棒まで入れられて、苦しいことこの上なかった。
溶連菌感染症と診断された。
重症化を避けるため、1週間の安静を言い渡された。
つまるところが、出席停止である。
2013/06/18
朝起きた。かゆみや痛みも引いた。しかし出席停止期間である。
暇で仕方がない。しかし安静にしていなければならない。そもそもそういう間だからだ。
天井の、いきり立った岩肌を、目で計測する遊びにも飽きて、布団の布の、構成する糸の結び目を数えるのも飽きた。
毎日のように、学校から連絡物やプリント、宿題は届く。しかしそれも終わらせてしまった。
電波時計を見ていても、ありふれたパターンの繰り返しですぐに飽きてしまった。
これは改善が必要だ。あとこの調子で5日家で過ごさなければならない。
お母さんに、処遇改善の申請をしなければならないと感じた。
「園江元気?」
ここ最近の挨拶である。もう元気だよ。
もう元気になったから、せめて暇つぶしに何かさせてくれよ、と頼むことにしていた。
実際した。
渡されたのは画材店?なんか売ってるところのチラシだった。
今レジン細工が流行っているらしく、色々と出回っているようだ。
これを頼むことにした。自分ができるかできないかなんて、気にも留めなかった。
空枠は、マスキングテープという装飾的なもので支えを作ってやれば皿と同じようにできるし、
母親から借りたマニキュアも、皿に塗ってやればたちまち幻想風景である。
そこにいくつかのモチーフ、キラキラや、切り抜きや、何か、何か入れてやれば、
簡単に芸術作品がなせるのだ。しかし、簡単と言えども確かな目は必要だ。
その奥深さ、予測のできない面白さ、どう仕上がるか、どう作れば美しいか。
作れば作るほど、愛おしくも思うし、いずれは販売もできるだろう。
おそらくこれは、一生涯の趣味になるだろう、俺は確信した。
太陽が無くなっても平気だ。こちらには疑似の太陽がある。
硬化することに徹底した、作り物の太陽。
そのおかげで最初に買ってもらったミール皿も、空枠も、使い切ってしまった。
できる。俺は強いぞ。壊すだけでなく、創ることさえ知ることができた。
「ばぁか」
あの時の俺の声がする。おかしな頭、脳みそが創り出した幻想が声を掛ける。今度こそは負けるものか。
声の主が姿を現す。
吸血鬼然としたマントに、闇夜に光る八重歯、暗い中で自然と光る両の目。紫。俺に似ているようにも見えた。
鳴り響く心臓の音、頭痛、全てを振り切って俺は叫んだ。
「もう俺は弱くなんかないぞ!」
叫んだ瞬間、彼はきょとんとしていたようにも見えた。
いきなり叫ばれたらまあそうなるわな、という感じの反応であった。
しかし、数秒もすれば、彼は少しにこやかになった。憎たらしさのない。
純粋な笑顔が、俺を待ち受けることとなった。暗さに光が舞い降りた。
「学校の奴らにも見せてやれよ?」
そう言って彼は蝙蝠にはならず、すっと消えていった。吸血鬼ではなかった。
何だったんだ、本当に。どっと疲れが出たようにも思えた。椅子の上でうなだれてみた。
しかしこの問答が、俺の中に在る何かを育てたというのならば、それもまたいいのかもしれない。
これまで壊すことしかできなかったけれど、創れることの方が、強いんだろうなあ。
―ここまで考えたところで、非常に重大なことに気付いてしまった。
もう午前2時になっていた。いい子はともかく、悪い子もぼちぼち寝ている頃だ。
ああ、これで俺も悪い子リストにぶち込まれるのかな、そしたらクリスマスプレゼントもらえないのかな、
と若干の恐れを抱きながら、歯を磨いて、寝間着に着替えて、風呂に入るのを忘れていたのに気づいて、
風呂を自分で沸かして、入って、歯を磨いて、寝間着に着替えて、眠りに就くことにした。
2013/06/24
朝起きた。病気は完全に治っていた。合併症も罹っていないため、とりあえずは落ち着けることになった。
久しぶりの登校である。灰色の空の中、赤いランドセルと黒いランドセルが交互になって行進している。
この前の問答の通り、作ったものを持っていく……のも気恥ずかしく思って、結局持ってこれなかった。
「少し肌白くなった?」
と、若干日に焼けたさやかが問いかけた。染められた青の髪はまあ、うん。
教室の蛍光灯に照らされて輝いているが、あまりにも目立ちすぎている。
次に彼女は、出席停止の時何をやっていたのかを聞いてきた。予想通りではあった。
俺は正直に話すことにした。彼女の前では何も隠すことができないし、隠すほどでもない。
「今度見せてもらってもいい?」
彼女も最近ものづくりを始めたらしく(といっても去年からだが)、
特に奇抜だと思われることもなく、全ては温和に終わっていった。
このころの年代では、何か頭角を現すことがあれば、容赦なくへし折っていくのが常だが、
さやかはそんなことをしなかった。いいや、するはずもなかった。
いつうちに来るのかな、さやかはどんな色が好きなのかな、と考えながら泳いでいたら、
次の瞬間にはプールサイドに倒れていた。どうも溺れていたらしい。
その証拠に、喉の奥から塩素のにおいがする。これは食道洗浄コース不可避だ。
向こうのプールでは、さやかがまさに泳ごうとしていた。
ヨーロッパ出身の父親の血を引いた高貴な青色の瞳さえ除けば、普通にそこら辺にいるような女子だった。
知らないうちに、惹かれる面もあったのかもしれない。
腕に比べて日焼けしていない白い太もも、少しだけちらりと見えてしまった透き通るような胸の谷間、
不毛な無毛の腋、すらりと伸びた首筋、小学生にしては大人らしい体型、しかしどことない幼さ……
気がつかないうちに、夢中になっていたのだろう。
結局、見学することにして、その実さやかを目で追っかけ回した。
気づかれたら大変なことになるとわかっていても、男としてはどうしても見てしまうのだ。
しかし、その欲の意味もわからない状態だったから、
きっとこれは食欲だったのだろう、と自分を落ち着かせようとしていた。
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