白鬼

藤田 秋

文字の大きさ
上 下
202 / 285
第十八章 勿忘草

18-6 泡沫の夢

しおりを挟む
* * * * * * * *

 しばらく経っても、痛みも苦しみも感じない。

 これが本当の死なのだろうか。死は、何も無くなってしまうのか。
 外の景色はどうなっているか、怖くて目が開けられない。

「……小娘が」
 ぱき、ぱき。硬いものにヒビが入る……音?
 音は連鎖し、範囲を広げる。

「……?」
 薄っすらと瞼を開けてみると、まず恐ろしい顔をしている彼が目に入った。

 普段の『彼』からは想像出来ない程の鋭い眼光、眉間には皺が深く刻まれていた。
 頬や手には亀裂が入っていたが、血は出ていない。

「今になって、ようやく受け入れたのか? 間の悪い……」
 ぱきん、ぱきん、崩れる音。私の首を絞める力も徐々に弱り、ずるりと落とされる。

「へ!?」
 二メートル近い高さから落ちるのだ。小柄な私からしたら落下距離も結構な長さで、着地した尻に大ダメージを受けた。

「いったたた……」
 お尻がじんじんする。目の端に滲んだ涙を拭いつつ、彼を見上げる。

 彼は身体全体にヒビが入り、指の先は崩れ落ちていた。
 その崩れ落ちた欠片はガラスに変化し、地面に叩きつけられると更に細かく砕け散った。

 思わず息を飲んだ。彼は人間ではない。
 は鏡。ガラスの結晶だ。ガラスは今も尚ヒビ割れ、崩壊を続けている。
 完全に壊れてしまうのも時間の問題だろう。

 珀弥君じゃない、珀弥君じゃないけれど。
 彼によく似た姿の人形が壊れていく様は、見るに耐えなかった。

 目を逸らすと、彼は鼻で笑う。

「何だ。この鏡を拒否しておきながら、涙を流すのか?」
「っ!」
 ハッとして頬を触ると、しっとりと濡れていた。いつの間にか泣いていたのだ。

「私が勝手に作り出したのに、私の勝手で死んじゃうの……?」
「ああ、そうだ。お前の勝手で生まれ、死ぬ。身体を得ていない概念なんぞ、そのようなものだ」

 彼は『お前のせいだ』と薄く笑い、膝をついた。またガラスが割れる音が響き、脚がボロボロに砕ける。

「何だその顔は。罪悪感? はっ、勝手に苛まれていろ。お前の薄っぺらい同情など要らんわ」

 一体、私はどんな顔をしていたのだろう。
 とりあえず、彼が不快に思うようなモノだったのは確かなようだ。

 私が罪悪感に苛まれたところで、彼には何の利益も無い。私の自己満足に他ならないんだ。

「わかった。私は同情しない。あなたが此処で一矢報いるならば、私は全力で立ち向かう」

 彼は私が勝手に生み出してしまった命の欠片。そして、私の心の弱さだ。
 引導を渡すのは、私でなくてはならない。

 力の抜けた脚を奮い立たせ、彼に向き合った。

「小娘が大層な口を叩くではないか」
 彼は愉快そうにくつくつと笑う。

 ここで本当に襲われたら私は何もできないけれど、今の彼からは殺気を感じない。……多分、大丈夫。

「ひびの入った鏡なぞ欠陥品よ。お前の魂を取り込んだところで、もう手遅れだ」
 最期の悪足掻きはしない、ということだろうか。

 正直、安心した。私には自分を守る手段が無いから。
 ハッタリのつもりで言ったわけではないけれど、最悪の状況を引き起こしかねなかったことは反省している。

「あなたはどうして突然壊れ始めたの?」
 純粋な疑問だ。
 私は何もやっていない。だからこそ、何がトリガーになったのかわからないのだ。

 彼は私をじっと見つめ、詰まらなそうに息を吐いた。
 そして、右肩からごっそりと腕が崩れ落ち、ガラスの破片が飛び散る。

「お前は呆れるほどに図太い女だな。……まぁいい。手土産に教えてやる」

 珀弥君の顔でそう言われると、結構ヘコむ。
 今まで、彼は優しい言葉ばかり投げ掛けてくれたんだなと思い知った。

「神凪千真による黎藤珀弥の死の否定。それが俺を俺たらしめる条件だ。お前が奴の死を受け入れない限り、俺は存在できるというわけだ」

 『実に脆いものだろう?』と付け加える。
 死の否定の概念そのもの。それが彼の正体であり、存在意義ならば——。

「しかし、お前が黎藤珀弥の死を受け入れてしまった。だからこうして消えかかっている。単純明快だろうが」
「それは、もう……」

 私は珀弥君の死を受け入れた、受け入れられたのか。そうか……。

 彼は今も壊れ崩れ続けている。最早、身体は人のカタチをしていない。
 顔だけは何とか形を保っており、会話だけはできるようだ。もう長くは保たないだろうが……。

「だが」
 彼の顔も崩壊を始める。

「お前が作り出したは、本当に——」
 ぱきん、ぱきん……がしゃん。

 ガラスは全て割れてしまい、彼は最後まで言葉を紡げずに終わった。
 何を言いかけたのだろうか。私にはわからなかった。

 呆気なく、珀弥君によく似た人形は壊れてしまった。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

転生しても実家を追い出されたので、今度は自分の意志で生きていきます

藤なごみ
ファンタジー
※コミカライズスタートしました!  2024年10月下旬にコミック第一巻刊行予定です 2023年9月21日に第一巻、2024年3月21日に第二巻が発売されました 2024年8月中旬第三巻刊行予定です ある少年は、母親よりネグレクトを受けていた上に住んでいたアパートを追い出されてしまった。 高校進学も出来ずにいたとあるバイト帰りに、酔っ払いに駅のホームから突き飛ばされてしまい、電車にひかれて死んでしまった。 しかしながら再び目を覚ました少年は、見た事もない異世界で赤子として新たに生をうけていた。 だが、赤子ながらに周囲の話を聞く内に、この世界の自分も幼い内に追い出されてしまう事に気づいてしまった。 そんな中、突然見知らぬ金髪の幼女が連れてこられ、一緒に部屋で育てられる事に。 幼女の事を妹として接しながら、この子も一緒に追い出されてしまうことが分かった。 幼い二人で来たる追い出される日に備えます。 基本はお兄ちゃんと妹ちゃんを中心としたストーリーです カクヨム様と小説家になろう様にも投稿しています 2023/08/30 題名を以下に変更しました 「転生しても実家を追い出されたので、今度は自分の意志で生きていきたいと思います」→「転生しても実家を追い出されたので、今度は自分の意志で生きていきます」 書籍化が決定しました 2023/09/01 アルファポリス社様より9月中旬に刊行予定となります 2023/09/06 アルファポリス様より、9月19日に出荷されます 呱々唄七つ先生の素晴らしいイラストとなっております 2024/3/21 アルファポリス様より第二巻が発売されました 2024/4/24 コミカライズスタートしました 2024/8/12 アルファポリス様から第三巻が八月中旬に刊行予定です

異世界でゆるゆる生活を満喫す 

葉月ゆな
ファンタジー
辺境伯家の三男坊。数か月前の高熱で前世は日本人だったこと、社会人でブラック企業に勤めていたことを思い出す。どうして亡くなったのかは記憶にない。ただもう前世のように働いて働いて夢も希望もなかった日々は送らない。 もふもふと魔法の世界で楽しく生きる、この生活を絶対死守するのだと誓っている。 家族に助けられ、面倒ごとは優秀な他人に任せる主人公。でも頼られるといやとはいえない。 ざまぁや成り上がりはなく、思いつくままに好きに行動する日常生活ゆるゆるファンタジーライフのご都合主義です。

後宮の棘

香月みまり
キャラ文芸
蔑ろにされ婚期をのがした25歳皇女がついに輿入り!相手は敵国の禁軍将軍。冷めた姫vs堅物男のチグハグな夫婦は帝国内の騒乱に巻き込まれていく。 ☆完結しました☆ スピンオフ「孤児が皇后陛下と呼ばれるまで」の進捗と合わせて番外編を不定期に公開していきます。 第13回ファンタジー大賞特別賞受賞! ありがとうございました!!

最強の異世界やりすぎ旅行記

萩場ぬし
ファンタジー
主人公こと小鳥遊 綾人(たかなし あやと)はある理由から毎日のように体を鍛えていた。 そんなある日、突然知らない真っ白な場所で目を覚ます。そこで綾人が目撃したものは幼い少年の容姿をした何か。そこで彼は告げられる。 「なんと! 君に異世界へ行く権利を与えようと思います!」 バトルあり!笑いあり!ハーレムもあり!? 最強が無双する異世界ファンタジー開幕!

絶世の美女の侍女になりました。

秋月一花
キャラ文芸
 十三歳の朱亞(シュア)は、自分を育ててくれた祖父が亡くなったことをきっかけに住んでいた村から旅に出た。  旅の道中、皇帝陛下が美女を後宮に招くために港町に向かっていることを知った朱亞は、好奇心を抑えられず一目見てみたいと港町へ目的地を決めた。  山の中を歩いていると、雨の匂いを感じ取り近くにあった山小屋で雨宿りをすることにした。山小屋で雨が止むのを待っていると、ふと人の声が聞こえてびしょ濡れになってしまった女性を招き入れる。  女性の名は桜綾(ヨウリン)。彼女こそが、皇帝陛下が自ら迎えに行った絶世の美女であった。  しかし、彼女は後宮に行きたくない様子。  ところが皇帝陛下が山小屋で彼女を見つけてしまい、一緒にいた朱亞まで巻き込まれる形で後宮に向かうことになった。  後宮で知っている人がいないから、朱亞を侍女にしたいという願いを皇帝陛下は承諾してしまい、朱亞も桜綾の侍女として後宮で暮らすことになってしまった。  祖父からの教えをきっちりと受け継いでいる朱亞と、絶世の美女である桜綾が後宮でいろいろなことを解決したりする物語。

エアポート・ドクター ~ 寝取られOLは性悪ドクターとの恋や事件に忙しい! ~

華藤りえ
キャラ文芸
 守屋千秋は中小企業の貧乏女子。  残業にもめげず仕事漬けな日々を送る中、家に転がり込んできた双子の妹・千春に彼氏を寝取られてしまう。    そんな千秋の耳に飛び込んで来たのは、南国・沖縄に出向する社員を探す上司のぼやき。     神の啓示のような一言に、いわくつきの案件とも知らず飛びついて、意気揚々と乗り込んだ飛行機で千秋と席が隣あったのは、冷泉というクールな美貌を持つ性悪男。     とあるハプニングがきっかけで印象最悪となった彼が、 〝腕はいいがやる気がない。顔はいいが口は悪い〟で有名な空港診療所のドクターで仕事のお客様と聞かされ千秋は――⁉ ===  脳筋体育会系パイロットに、玉の輿を狙う爆乳小悪魔系看護師。  そこに客室常務委員の夜会巻女王様軍団まで加わり今日も空港は大騒ぎ!! === ・短編連作型の日常系事件もの。お仕事要素&恋愛要素ありです。 ・文庫本半分ぐらいで一つの話が終了予定。 ※イラストはエベコ様( https://twitter.com/ebek_00 )に著作権があります。 ※この話はフィクションです。

余四郎さまの言うことにゃ

かずえ
BL
 太平の世。国を治める将軍家の、初代様の孫にあたる香山藩の藩主には四人の息子がいた。ある日、藩主の座を狙う弟とのやり取りに疲れた藩主、玉乃川時成は宣言する。「これ以上の種はいらぬ。梅千代と余四郎は男を娶れ」と。  これは、そんなこんなで藩主の四男、余四郎の許婚となった伊之助の物語。

特殊部隊の俺が転生すると、目の前で絶世の美人母娘が犯されそうで助けたら、とんでもないヤンデレ貴族だった

なるとし
ファンタジー
 鷹取晴翔(たかとりはると)は陸上自衛隊のとある特殊部隊に所属している。だが、ある日、訓練の途中、不慮の事故に遭い、異世界に転生することとなる。  特殊部隊で使っていた武器や防具などを召喚できる特殊能力を謎の存在から授かり、目を開けたら、絶世の美女とも呼ばれる母娘が男たちによって犯されそうになっていた。  武装状態の鷹取晴翔は、持ち前の優秀な身体能力と武器を使い、その母娘と敷地にいる使用人たちを救う。  だけど、その母と娘二人は、    とおおおおんでもないヤンデレだった…… 第3回次世代ファンタジーカップに出すために一部を修正して投稿したものです。

処理中です...