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第十八章 勿忘草
18-6 泡沫の夢
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* * * * * * * *
しばらく経っても、痛みも苦しみも感じない。
これが本当の死なのだろうか。死は、何も無くなってしまうのか。
外の景色はどうなっているか、怖くて目が開けられない。
「……小娘が」
ぱき、ぱき。硬いものにヒビが入る……音?
音は連鎖し、範囲を広げる。
「……?」
薄っすらと瞼を開けてみると、まず恐ろしい顔をしている彼が目に入った。
普段の『彼』からは想像出来ない程の鋭い眼光、眉間には皺が深く刻まれていた。
頬や手には亀裂が入っていたが、血は出ていない。
「今になって、ようやく受け入れたのか? 間の悪い……」
ぱきん、ぱきん、崩れる音。私の首を絞める力も徐々に弱り、ずるりと落とされる。
「へ!?」
二メートル近い高さから落ちるのだ。小柄な私からしたら落下距離も結構な長さで、着地した尻に大ダメージを受けた。
「いったたた……」
お尻がじんじんする。目の端に滲んだ涙を拭いつつ、彼を見上げる。
彼は身体全体にヒビが入り、指の先は崩れ落ちていた。
その崩れ落ちた欠片はガラスに変化し、地面に叩きつけられると更に細かく砕け散った。
思わず息を飲んだ。彼は人間ではない。
アレは鏡。ガラスの結晶だ。ガラスは今も尚ヒビ割れ、崩壊を続けている。
完全に壊れてしまうのも時間の問題だろう。
珀弥君じゃない、珀弥君じゃないけれど。
彼によく似た姿の人形が壊れていく様は、見るに耐えなかった。
目を逸らすと、彼は鼻で笑う。
「何だ。この鏡を拒否しておきながら、涙を流すのか?」
「っ!」
ハッとして頬を触ると、しっとりと濡れていた。いつの間にか泣いていたのだ。
「私が勝手に作り出したのに、私の勝手で死んじゃうの……?」
「ああ、そうだ。お前の勝手で生まれ、死ぬ。身体を得ていない概念なんぞ、そのようなものだ」
彼は『お前のせいだ』と薄く笑い、膝をついた。またガラスが割れる音が響き、脚がボロボロに砕ける。
「何だその顔は。罪悪感? はっ、勝手に苛まれていろ。お前の薄っぺらい同情など要らんわ」
一体、私はどんな顔をしていたのだろう。
とりあえず、彼が不快に思うようなモノだったのは確かなようだ。
私が罪悪感に苛まれたところで、彼には何の利益も無い。私の自己満足に他ならないんだ。
「わかった。私は同情しない。あなたが此処で一矢報いるならば、私は全力で立ち向かう」
彼は私が勝手に生み出してしまった命の欠片。そして、私の心の弱さだ。
引導を渡すのは、私でなくてはならない。
力の抜けた脚を奮い立たせ、彼に向き合った。
「小娘が大層な口を叩くではないか」
彼は愉快そうにくつくつと笑う。
ここで本当に襲われたら私は何もできないけれど、今の彼からは殺気を感じない。……多分、大丈夫。
「ひびの入った鏡なぞ欠陥品よ。お前の魂を取り込んだところで、もう手遅れだ」
最期の悪足掻きはしない、ということだろうか。
正直、安心した。私には自分を守る手段が無いから。
ハッタリのつもりで言ったわけではないけれど、最悪の状況を引き起こしかねなかったことは反省している。
「あなたはどうして突然壊れ始めたの?」
純粋な疑問だ。
私は何もやっていない。だからこそ、何がトリガーになったのかわからないのだ。
彼は私をじっと見つめ、詰まらなそうに息を吐いた。
そして、右肩からごっそりと腕が崩れ落ち、ガラスの破片が飛び散る。
「お前は呆れるほどに図太い女だな。……まぁいい。手土産に教えてやる」
珀弥君の顔でそう言われると、結構ヘコむ。
今まで、彼は優しい言葉ばかり投げ掛けてくれたんだなと思い知った。
「神凪千真による黎藤珀弥の死の否定。それが俺を俺たらしめる条件だ。お前が奴の死を受け入れない限り、俺は存在できるというわけだ」
『実に脆いものだろう?』と付け加える。
死の否定の概念そのもの。それが彼の正体であり、存在意義ならば——。
「しかし、お前が黎藤珀弥の死を受け入れてしまった。だからこうして消えかかっている。単純明快だろうが」
「それは、もう……」
私は珀弥君の死を受け入れた、受け入れられたのか。そうか……。
彼は今も壊れ崩れ続けている。最早、身体は人のカタチをしていない。
顔だけは何とか形を保っており、会話だけはできるようだ。もう長くは保たないだろうが……。
「だが」
彼の顔も崩壊を始める。
「お前が作り出したこいつは、本当に——」
ぱきん、ぱきん……がしゃん。
ガラスは全て割れてしまい、彼は最後まで言葉を紡げずに終わった。
何を言いかけたのだろうか。私にはわからなかった。
呆気なく、珀弥君によく似た人形は壊れてしまった。
しばらく経っても、痛みも苦しみも感じない。
これが本当の死なのだろうか。死は、何も無くなってしまうのか。
外の景色はどうなっているか、怖くて目が開けられない。
「……小娘が」
ぱき、ぱき。硬いものにヒビが入る……音?
音は連鎖し、範囲を広げる。
「……?」
薄っすらと瞼を開けてみると、まず恐ろしい顔をしている彼が目に入った。
普段の『彼』からは想像出来ない程の鋭い眼光、眉間には皺が深く刻まれていた。
頬や手には亀裂が入っていたが、血は出ていない。
「今になって、ようやく受け入れたのか? 間の悪い……」
ぱきん、ぱきん、崩れる音。私の首を絞める力も徐々に弱り、ずるりと落とされる。
「へ!?」
二メートル近い高さから落ちるのだ。小柄な私からしたら落下距離も結構な長さで、着地した尻に大ダメージを受けた。
「いったたた……」
お尻がじんじんする。目の端に滲んだ涙を拭いつつ、彼を見上げる。
彼は身体全体にヒビが入り、指の先は崩れ落ちていた。
その崩れ落ちた欠片はガラスに変化し、地面に叩きつけられると更に細かく砕け散った。
思わず息を飲んだ。彼は人間ではない。
アレは鏡。ガラスの結晶だ。ガラスは今も尚ヒビ割れ、崩壊を続けている。
完全に壊れてしまうのも時間の問題だろう。
珀弥君じゃない、珀弥君じゃないけれど。
彼によく似た姿の人形が壊れていく様は、見るに耐えなかった。
目を逸らすと、彼は鼻で笑う。
「何だ。この鏡を拒否しておきながら、涙を流すのか?」
「っ!」
ハッとして頬を触ると、しっとりと濡れていた。いつの間にか泣いていたのだ。
「私が勝手に作り出したのに、私の勝手で死んじゃうの……?」
「ああ、そうだ。お前の勝手で生まれ、死ぬ。身体を得ていない概念なんぞ、そのようなものだ」
彼は『お前のせいだ』と薄く笑い、膝をついた。またガラスが割れる音が響き、脚がボロボロに砕ける。
「何だその顔は。罪悪感? はっ、勝手に苛まれていろ。お前の薄っぺらい同情など要らんわ」
一体、私はどんな顔をしていたのだろう。
とりあえず、彼が不快に思うようなモノだったのは確かなようだ。
私が罪悪感に苛まれたところで、彼には何の利益も無い。私の自己満足に他ならないんだ。
「わかった。私は同情しない。あなたが此処で一矢報いるならば、私は全力で立ち向かう」
彼は私が勝手に生み出してしまった命の欠片。そして、私の心の弱さだ。
引導を渡すのは、私でなくてはならない。
力の抜けた脚を奮い立たせ、彼に向き合った。
「小娘が大層な口を叩くではないか」
彼は愉快そうにくつくつと笑う。
ここで本当に襲われたら私は何もできないけれど、今の彼からは殺気を感じない。……多分、大丈夫。
「ひびの入った鏡なぞ欠陥品よ。お前の魂を取り込んだところで、もう手遅れだ」
最期の悪足掻きはしない、ということだろうか。
正直、安心した。私には自分を守る手段が無いから。
ハッタリのつもりで言ったわけではないけれど、最悪の状況を引き起こしかねなかったことは反省している。
「あなたはどうして突然壊れ始めたの?」
純粋な疑問だ。
私は何もやっていない。だからこそ、何がトリガーになったのかわからないのだ。
彼は私をじっと見つめ、詰まらなそうに息を吐いた。
そして、右肩からごっそりと腕が崩れ落ち、ガラスの破片が飛び散る。
「お前は呆れるほどに図太い女だな。……まぁいい。手土産に教えてやる」
珀弥君の顔でそう言われると、結構ヘコむ。
今まで、彼は優しい言葉ばかり投げ掛けてくれたんだなと思い知った。
「神凪千真による黎藤珀弥の死の否定。それが俺を俺たらしめる条件だ。お前が奴の死を受け入れない限り、俺は存在できるというわけだ」
『実に脆いものだろう?』と付け加える。
死の否定の概念そのもの。それが彼の正体であり、存在意義ならば——。
「しかし、お前が黎藤珀弥の死を受け入れてしまった。だからこうして消えかかっている。単純明快だろうが」
「それは、もう……」
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「だが」
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何を言いかけたのだろうか。私にはわからなかった。
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