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第十七章 触れぬ指先
17-14 とある天狗はただ願う
しおりを挟むいつもお馴染みの可愛らしい少女は、変わり果てた姿で暗闇の中に残されていた。
棄てられた人形のように倒れている彼女からは、生気を感じない。
右肩から左の脇腹まで斜めに切り裂く数本の線。そこから大量に出血しており、傷も相当深い。
これは刃物じゃなくて、獣の爪によるものだろう。
気の立った熊の仕業? まさか。山は近いが、そこは熊の生息地ではない。
この地域に、こんな傷を与えるような猛獣なんて存在する筈がないんだ。
傷口は禍々しい妖気で爛れており、そもそもただの猛獣の仕業ではないことは容易に想像できる。何だこれ、最早呪いじゃんか。
人間なら、この傷は即死かもしれない。それでなくとも、か弱い女の子なら痛みでショック死することも十分考えられる。
傷は大きな引っ掻き傷のみで、他に食い荒らされた形跡も無いのが気になるところだ。
何故なら、こんな美味そうな人間は、飢えた妖怪が放っておくわけないからだ。
あー、まさか、オレは拾い食いなんて下品なことしねえよ? でも、これでも妖怪の端くれなんで、目の前に転がっている人間が美味いかどうかは判別できるモンよ。
とにかく、犯人は千真ちゃんを食うことが目的じゃない妖怪ってことになるが……クソ、誰がこんなことを。
それに、あの珀弥は一体何をしてやがるんだ。大切な女の子が大怪我負ってるんだぞ。
何故、あいつはここにいない?
コマの証言では、少なくともあいつも此処に居た筈だ。こんな状態の千真ちゃんを置いて、どこかに消えるとは考え辛い。
考え辛いだけで、本当にどっか行っちまう可能性は無いわけじゃねーけど……。
大切な女を置いていく程の緊急事態?
正常な判断力を喪ったか……文字通り消えたか……?
不意に小さな手がオレの手からすり抜けた。
「待っ」
呼び止める間も無く、コマは千真ちゃんの傍へ駆け寄る。
その白い着物が赤く染まるのも気にせず、血だまりの中座り込んだ。
勢い良く座ったものだから、血が飛び跳ねてオレの服にも赤い染みが付く。その血は冷たかった。
「ちーちゃん、ちーちゃん。おきて。ちーちゃん」
コマは主人の名を何度も呼ぶが、彼女はピクリとも動かない。
「ちーちゃん、ちーちゃあん……うー……」
子犬は唸るように泣き始めた。その痛ましさに、思わず目を背けたくなるくらいだ。
傷の深さと床に広がる血の量を見ても、生存は絶望的だ。
……まぁそうさねぇ。この惨状を一目見た時から、希望は抱いていない。
「ちょっとごめんよ」
オレは千真ちゃんの首筋に指を当てた。顔は蒼白く、体温も下がっている。
半ば死亡確認のつもりで脈を取るが——。
——トクン……トクン——
「……!」
微かだが、脈を確認した。顔に手を近づけてみると、僅かに風が当たる。どうやら呼吸もしているようだ。
まさか、この状態で生きているのか? こんな小柄な少女が、あの怪我で?
「こうしちゃいられねぇ」
奇跡と言うべきこの状況。もたもたしている場合じゃない。早く手当てをしなければ。
オレは自分の羽織りを強引に破り、千真ちゃんの傷を覆うように巻く。羽織りにはじわりと赤黒い染みが広がった。
コマは戸惑った様子で千真ちゃんとオレを交互に見た。
「千真ちゃんはまだ助かるかもしれない」
「ほん、と?」
オレの言葉に、コマは泣きべそをかきながら問う。
いつもニッコニコな奴が泣いてると調子狂うな。
「ああ。だからさっさと行くぞ。ほれ、お前は背中に乗れ」
オレが千真ちゃんを慎重に抱きかかえると、コマはおずおず背中に乗ってくる。
なるべく動かさない且つ迅速に、か。さぁて、オレ様の飛行テクが試されるな。
「すっげぇ飛ばすから振り落とされんなよ!」
コマに手を回せない今は、落とないように気を回す自信は無い。頑張ってしがみついてくれないと、途中で置いていくことになる。
「うん!」
コマはオレの肩をギュッと掴み、元気よく返事をした。準備万端か?
「オッケー、じゃあ行くぞ!」
翼を羽ばたかせ、瞬時に倉庫から脱出した。ルートはわかっている。あとは進むだけだ。
腕の中でぐったりしている千真ちゃんの顔から、更に血の気が引いている。
本来なら死んでいてもおかしくない状況の中、辛うじて生きているのは奇跡としか言いようがない。
運んでいる間に、弱々しい命の灯火が完全に消える可能性の方が高いだろう。
「まだ、だ……」
こんな若過ぎる友人を看取りたくはない。見送るのはもっと先で良い筈だ。
人間の短い一生を精一杯生きて、君が素敵な婆さんになってからサヨナラしよう。君の記録のページは、まだまだ少な過ぎる。
君に死なれると、オレの可愛い妹分が泣いちまう。
めんどくせぇ友人が完全に壊れちまうかもしれない。
背中に乗ってるチビっ子も手に負えなくなるだろう。
ああ、もう! めんどくせえなっ!
だから、頼む。
「持ち堪えてくれよ……!」
一縷の望みに賭け、夜風を切る。今は祈ることしか出来なかった。
ああ、全く。オレも随分と当事者になっちまったもんだな。
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