白鬼

藤田 秋

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第十九章 手折られた彼岸花

19-38 守りたいことだけは覚えている

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「へえ……じゃあ、やってみろよ」
 奴は口元に不気味な笑みを湛えた。
 腰に手を伸ばし、すらりと抜き放つのは漆黒の刀。その刃は禍々しい殺気を纏っていた。

「やれるもんならなぁ!」
 漆黒の一閃。檻は呆気なく、粉々に破壊されてしまった。元より足止め程度の効果しか期待していないが、あまりにも儚い。

 俺は檻の脆さに悲嘆する間もなく、次の行動を起こしていた。
 折れた彼岸花を掴めるだけ掴み、奴の頭上に投げる。

硬化降下!」
 言霊に二重の意味を載せ、彼岸花へ告ぐ。
 花の茎は生花から鉄に変化し、真っ直ぐと鬼の頭を狙った。

 だが、鋼鉄の花槍は黒い刃によってあっさりと弾き飛ばされてしまう。

「発破!」
 そう簡単に役目を終えてくれるな。
 宙に舞った彼岸花は無数の針となり、爆炎を帯びながら再び鬼へと襲いかかった。

「……チッ」
 全方位からの攻撃は避けきれなかったのか、奴の頬や腕、脚に火傷が刻まれる。
 しかし、それもつかの間のことで、すぐに白い肌へと戻ってしまった。

 あいつはつまらなそうに、首を左右に傾けてコキコキと音を鳴らす。

「ちまちまとうぜぇな。そろそろ良いか?」
「っ!」
 次の瞬間には、あいつは目の前まで迫っていた。

 内臓が押し潰される感覚と、鈍い痛みが全身を駆け抜ける。
 足が地面から離れ、景色が早送りで流された。あいつに腹を殴られ、そのまま突き飛ばされたのだ。

「ぐっ!」
 硬いものに背中から激突し、破壊しながら身体を埋めた。位置的に墓石だろうか。
 
 ちくしょう、痛過ぎて腹が立つ。あいつはすぐ傷が治るのに、俺はいつまで経っても癒えることがない。反則じゃねえのか。

 だが、今はそんな不公平に怒っても仕方がない。状況が変わるわけでもない。
 痛みを堪え、辛うじて形を保っている墓石に手をついた。

 なんとか立ち上がると、目の前には既に鬼の姿があった。また一瞬で間合いを詰められたのだ。

「不服そうだな?」
 その嘲笑と同時に、左腕に違和感を覚える。

 何事かと視線を向けると、肩から下にはあるはずの腕が無くなっており、夥しい量の血液が流れ出ていた。

 これ、は、
「……っ! ……ぐ、ぁ……あ……」
 腕が切断されていることに気づいた瞬間、激痛が全身を駆け巡る。立っていられなくなり、膝をついてしまった。

「腕一本落としたくらいで大袈裟だな」
 鬼は虫ケラを見るような目で高笑いする。

 こいつは身体の一部を切り落とされたところで、平然としているのだろう。人間と何もかも違う。

「で、まだ続けるのか?」
「っ……!」
 太腿を刃に刺し貫かれ、声にならない叫びを上げた。度重なる激痛で、指一本動かせない。

「弱いなぁ、お前。俺はこんな奴の生命維持装置だったのか? 冗談だろう?」

 何が理由かわからないが、俺はこんな野蛮な力によって、生かされていたらしい。
 鬼の生命維持装置。自分の中にこの化け物を住まわせていたというのか。

 正気ではない。何故、どうして。
 ……思い出せない。記憶が白く塗り潰されてゆく。

 俺の中にどうして鬼がいるのか、どうやって戦うべきなのか、俺が守りたかったモノは何なのか。

 俺の名前はなんだったのか。

「——!」
 薄れゆく意識の中、少女の声が耳に届いた。それは懐かしい響きで、胸が苦しくなる。

 この幼い声は誰のものだ。
 俺は知っている。この苦しさも、この安らぎも、

「……お姫様のご到着か」
 鬼は獲物を見つけた肉食獣のように琥珀色の瞳を爛々と光らせ、舌舐めずりをした。

 ああ、駄目だ。来てはいけない。こいつがいる。お前は来てはいけない。殺される。

「——!」
 声は近くなる。
 一面に咲く彼岸花を掻き分け、彼女は此方へ向かって来た。
 あの小さなシルエットは、やはり見覚えがある。

「——!」
 来たら駄目だ。そう声に出そうとしても、唇さえ碌に動かない。
 名前を忘れても守りたいものが、目前に迫ってきている。守ると決めたのに、俺は——。

「じゃあ、消えろ」
 鬼は俺の脚から刃を引き抜き、そのまま振り上げた。俺を消してから、彼女を食う気なのだろう。

 食わせるか。おれなんかに、大切なものを奪われてたまるか。

 早く、早く、早く、こいつを足止めしないと。
 動け、動け、動け、脚でもいい、腕でもいい、口でもいい。こいつを妨害する為に動いてくれ。

 しかし、刃は無情にも振り下ろされる。俺はもう、何も出来ないまま消えるのだ。

「——倍返し!」
 刹那、キィンと高い金属音が鳴り響く。
 漆黒の刃は軌道を逸れ、鬼もろとも後方へ弾き飛ばされてしまった。
 
 何が起こった?

 奴は転がるように着地し、憎らしげに俺の背後に視線を向ける。ダメージを負っているのか、まだ立ち上がる気配はない。

「やった!」
 この場にそぐわない、少女の嬌声。それは俺のすぐ後ろから聞こえてきた。
 つまり、この不可思議な現象は彼女の仕業なのだろう。

 小柄な少女は俺の前に回り込み、すとんと腰を下ろす。

 そして、彼女は幼い顔に純真無垢な笑みを浮かべ、手を差し伸べてこう言うのだ。

「迎えに来たよ、一真!」
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