白鬼

藤田 秋

文字の大きさ
上 下
260 / 285
第十九章 手折られた彼岸花

19-37 名前を忘れてしまっても

しおりを挟む
* * * * * * * * *

 神凪の巫女は眩い光を放ち、フラリと身体を傾けた。
 ナツはオレ様もビックリな瞬発力で、小さな身体を受け止める。

「流石だなァ」
「チマを地べたに寝かせるわけにはいかないし」
「ねえ、千真ちゃんガチ勢って皆そうなの?」
 珀弥も前にそんなこと言ってた気がするが、まぁ気にしないでおこう。

 その珀弥——カズマだっけ。どっちでもいいや。
 あいつは獰猛な唸り声を上げ、四肢に刺さった矢をへし折った。結界の力で抑えつけられているとはいえ、普通に動けるようになったということだ。……ってぇ!

「それ結構お高い破魔矢なんですけどー!?」
 冗談はさておき、引き続きこの駄々っ子はオレがお相手しよう。

 さぁて。千真ちゃん、最高にハッピーな奇跡を起こしてくれよな。

* * * * * * * *

『——! ——!』
 混濁した意識の中、誰かの名が呼ばれたような気がした。

 自分の名前さえわからなくなったのに、その声に反応してしまうのは何故だろう。なんとか応えたいと思ってしまった。

 だが、身体が動かない。鉛のように重い。
 状況を把握するために視線を落とすと、身体中ズタズタに切り裂かれ、血塗れになっていた。

 近くには真っ黒な鎖と手枷が転がっている。どうしてこうなっているのか、わからない。

 辺りを確認すると、ここは枯れた彼岸花に囲まれており、自分は墓石にもたれかかっているようだ。

「何だ、まだ消えてなかったのか」
「……?」
 頭上から浴びせられた声。その声の主を目で追うと、白髪の男が不機嫌そうに俺を見下ろしていた。

 男の額には異形の角が生えている。ああ、人間ではないのだなと他人事のように思ってしまった。

 何も答えないでいると、彼はフンと鼻を鳴らした。

「……自分が何者かさえ忘れたか。それならそれで構わん。死に損ないはそこでくたばってろ」
「——っ」

 上手く声が出せない。喉が潰されているようだ。痛みは感じないが、きっとそういうことなのだろう。

 痛覚さえ機能しなくなるほど、自分の存在は

「じゃあな死に損ない」
 白髪の男は身を翻し、何処かへ向かおうと足を進める。……何処へ?

 あいつは何者だろうか。わかることは、人間ではないということ。こちらに敵意を抱いているということだ。

 はこのまま消え逝くのを待つだけなのだろう。

 自分が誰だったのか、何をしていたのか、わからない。ただ、簡単に踏み躙られ、消えてしまうほど弱い何かには違いない。

 ——本当に、このまま消えて良いのか?
 何か大切なことを忘れている。そんな気がするのだ。

 止めなければ。漠然とそう思った。
 守らなければいけない。**を守らなければ、自分は、は、

 謎の使命感のお陰か、消えそうになりながらも踏み留まれるようだ。

「っ——……——……」
 ——待て。

 殆ど音にもなっていない掠れた声で、あいつを呼び止める。
 届くかわからない、届いたとしてもどうすればいい。俺には何が出来る?

 次の手を考えつく前に、あいつはくるりと振り向いた。

 鬼の形相、そんな言葉が合う程の恐ろしい表情だ。恐ろしい表情と比喩しただけで、別に恐怖は感じていない。

「何だよ死に損ない」
「……——っ、——……——……——」
 ——俺が、守る。

 何を守ろうとしているのかさえわからないが、そんな言葉が口から零れ落ちた。声にはならなかったが。

 重い身体に鞭を打ち、ゆらりと立ち上がる。眩暈がして、上手く焦点が合わない。

 そんな俺が気にくわないのか、あいつは距離を詰め、胸ぐらを掴み上げてきた。足が少しだけ宙に浮く。

「お前が何を守れるって?  俺がいなけりゃ、ただの無力な人間だろうが」
「……——っ」
 どうやら、俺はどうしようもなく無能らしい。こいつの力が無ければ、何も出来ないのだそうだ。

 今だって、抵抗すら出来ていない。ただ、糸で吊るされた人形のようにぶら下がっているだけ。

「悪足掻きはよせ。この身体は既に俺のものだ」
「——、——……」
 元々は自分の身体ではなかったと言うような口ぶりだ。
 じゃあ、元の持ち主は?

 こいつが邪魔だと思うもの、排除したいもの。だから危害を加える。
 状況的に考えて、俺のことか? そうか、俺はこいつに乗っ取られたのか。

 この後、主導権を握られたら、どうなる?

 無様にもがく俺に呆れ果てたのか、奴は溜息をつく。

「仕方ないな。可哀想なお前の為に、あの女を食ってやるよ。それなら文句ないだろう?」

 こいつが指してる人物が誰なのか、わからない。奴の口ぶりからして、俺にとって重要な誰かなのだろう。

 他人事のように右から左へ流れていくかと思いきや、ズシリと重く頭に残る。

「お前のことはずっと見てきた。だから。あの女が欲しい」

 ……忘れてはいけない大切なものが、あいつに壊されてしまう。はっきりしない意識の中でも、それだけは理解できた。

「血も肉も魂も、全て糧にしようか。お前はあの女と共に融けて消える。最高の幕引きだろう?」
 狂っている。このおれは、狂っている。

 おれを止めなければ、きっとまた後悔する。
 手放してしまった、手放したくなかった、大切なもの。それを、守らなきゃならない。

!」

 無謀にも鬼を蹴り飛ばそうと脚を振り上げかけたが、その前に投げ捨てられてしまった。

 地面に叩きつけられ、豪快に彼岸花の茎を折ってしまう。
 今度は痛みを感じた。少しは自分というものを取り戻せたようだ。

 ここは現実の世界ではない。恐らく自分の世界こころの中。なのに、身体能力に格差があるなんて理不尽な話だ。

「急に復活すんなよ、面倒くせえな」
「お前が戯れ言抜かすからだ」

 呆けている場合じゃない。こいつに身体を渡してたまるか。
 俺が睨み返すと、鬼は苛立たしげに舌打ちした。

「……『内』も『外』も鬱陶しい」

 外も?
 俺の『身体』に繋がる感覚は非常に薄くなっている。大部分があいつにからだ。

 その微かな繋がりの中で感じるのは、四肢を貫く痺れ。
 誰かが強い力で俺の身体を封じているのだろう。今は好都合だ。そのままおれを抑え付けてくれよ。

「拘束——!」
 先手必勝。先に仕掛けたのは俺だった。

 血の滴る腕を横に振り、奴に向かって血を振り掛ける。赤い飛沫は奴を囲むように広がり、即席の檻を形成した。

 鬼はつまらなそうに赤い檻を眺める。

「何だよ、やる気か?」
「お前を此処から出すわけにはいかない」
 必ず、守ってみせる。おれには、負けない。負けるわけにはいかないんだ。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

[R18] 激しめエロつめあわせ♡

ねねこ
恋愛
短編のエロを色々と。 激しくて濃厚なの多め♡ 苦手な人はお気をつけくださいませ♡

校長室のソファの染みを知っていますか?

フルーツパフェ
大衆娯楽
校長室ならば必ず置かれている黒いソファ。 しかしそれが何のために置かれているのか、考えたことはあるだろうか。 座面にこびりついた幾つもの染みが、その真実を物語る

王が気づいたのはあれから十年後

基本二度寝
恋愛
王太子は妃の肩を抱き、反対の手には息子の手を握る。 妃はまだ小さい娘を抱えて、夫に寄り添っていた。 仲睦まじいその王族家族の姿は、国民にも評判がよかった。 側室を取ることもなく、子に恵まれた王家。 王太子は妃を優しく見つめ、妃も王太子を愛しく見つめ返す。 王太子は今日、父から王の座を譲り受けた。 新たな国王の誕生だった。

王子を身籠りました

青の雀
恋愛
婚約者である王太子から、毒を盛って殺そうとした冤罪をかけられ収監されるが、その時すでに王太子の子供を身籠っていたセレンティー。 王太子に黙って、出産するも子供の容姿が王家特有の金髪金眼だった。 再び、王太子が毒を盛られ、死にかけた時、我が子と対面するが…というお話。

♡蜜壺に指を滑り込ませて蜜をクチュクチュ♡

x頭金x
大衆娯楽
♡ちょっとHなショートショート♡年末まで毎日5本投稿中!!

JKがいつもしていること

フルーツパフェ
大衆娯楽
平凡な女子高生達の日常を描く日常の叙事詩。 挿絵から御察しの通り、それ以外、言いようがありません。

隣の席の女の子がエッチだったのでおっぱい揉んでみたら発情されました

ねんごろ
恋愛
隣の女の子がエッチすぎて、思わず授業中に胸を揉んでしまったら…… という、とんでもないお話を書きました。 ぜひ読んでください。

【R18】僕の筆おろし日記(高校生の僕は親友の家で彼の母親と倫ならぬ禁断の行為を…初体験の相手は美しい人妻だった)

幻田恋人
恋愛
 夏休みも終盤に入って、僕は親友の家で一緒に宿題をする事になった。  でも、その家には僕が以前から大人の女性として憧れていた親友の母親で、とても魅力的な人妻の小百合がいた。  親友のいない家の中で僕と小百合の二人だけの時間が始まる。  童貞の僕は小百合の美しさに圧倒され、次第に彼女との濃厚な大人の関係に陥っていく。  許されるはずのない、男子高校生の僕と親友の母親との倫を外れた禁断の愛欲の行為が親友の家で展開されていく…  僕はもう我慢の限界を超えてしまった… 早く小百合さんの中に…

処理中です...