181 / 285
第十六章 夏の河と風
16-10 夏の河と風
しおりを挟む
* * * * * * * *
桜が散り、入れ替わるように芽吹いた新緑が眩しい。そんな初夏の河辺。
透き通った水面は太陽の光を反射し、より一層輝いて見えた。
山から降りてきた風が河を通り抜け、一人の少女のスカートをめくり上げる。
「きゃっ!」
彼女は短い悲鳴を上げつつ、スカートの前後を押さえるのであった。なるほど白か。
エッチな風を吹かせたのはオレだけど、特に悪気はないし反省もしない。天狗とはそういうものだ。
人間の男児は女児のスカートをめくり、下着を見るという遊びが好きらしい。
どういう『気持ち』になるのか検証してみたが、特に何も感じない。
長年『記録』をし続けているが、まだまだ人間はわからないものだ。
「恋のばかやろー!」
おっと、あの子が何か言いだしたぞ。
コイノバカヤロー?
恋に馬鹿と言うくらいだ、失恋でもしたのだろう。彼女はことあるごとにこの河辺に来て、水切りをしながら何か叫ぶのだ。
それにしても、水切りの腕が毎回上がっている。
この前は石が七回ほど水面を跳ねたくらいだったが、今は十回に増えた。
***
——あの子を観察し始めたのは、五年ほど前からだ。
この河辺は河童が小屋を作って平然と暮らしているくらい、人が来ない。
とは言っても、江戸の頃まではまだ常連もいたな。
あいつはよく爺サンに相撲を取らされていたっけ。毎度毎度、あらゆる策で爺さんの頭の皿から水を零して勝っていたな。めっちゃ面白かったわ。
でも、あいつの最期は酷えモンだったなぁ。今では自分を殺した人間たちの守護とは恐れ入る。色んな意味で。
おっと、話が逸れたな。
とりあえず、最後の常連が死んでから現在までは、此処で飯を狩る人間はいない。
そういうわけで、あまり忍ぶ必要も無いのだ。
オレがそんな穴場で釣りに興じている時、あの子が来た。
『ばかやろー!』
第一声もコレだった。
人間が来た、と慌てて姿を消し、イレギュラーなお客さんを観察する。
まだ幼さは残っているが、第二次性徴期は迎えたくらいの歳だろうか。
栗色の髪を一本にまとめ上げ、アクセントに白いシュシュをつけている。
目がぱっちりと大きく、肌は雪のような白さ、唇はりんごのように赤い……ってこれシラユキヒメの特徴だな。シラユキヒメは黒髪だが。
とりあえず、あの子は童話の中の姫様のように、上等な容姿を持っているということだ。
彼女は『ちくしょー!』と喚きながら、河に石を投げ込む。
石はドボンと音を立て、川底へ沈んでいった。
喚きながら河に石を投げ込む行為は、正直理解に苦しんだ。
何が目的なのかわからない。わからないからこそ人間は面白いのだが、それにも限度はあるだろうに。
『あー、すっきりしたー』
彼女はひとしきり叫ぶと、満足げに河辺を去っていった。
揺れるポニーテールの髪が、来た時よりも少しだけ元気そうに見えたのは……気のせいでもないだろう。
****
彼女は例に漏れず、散々あーだこーだと叫び、すっきりした顔で去っていく。
まだ、わからない。わからないけれど……。
「面白いな」
いつか、石が対岸に届く日が来るだろう。それまではそっと見守り続けよう。
穴場の侵略者は、今日も今日とて水を切る。
オレはそれを観察する。
ほんの一瞬の、密かな楽しみ。
今度はいつ来るだろうか。
***************
「颯季クン」
ニコニコしながらオレをそう呼ぶのは、事あるごとに河辺で水切りをしながら喚いていたあの子である。
水切りがついに対岸まで到達したんで、思い切って声を掛けてみたのだ。
そうしたら名前を尋ねられたんで、今は五月だからという理由で『サツキ』と答えた。
字はどう書くの聞かれ、『考えていない』と答えたらアラ不思議。『颯季』というステキな名前を頂いてしまったのであった。
「ところで、オレだけ名乗るのはフェアじゃなくなーい?」
「そうね、ごめんなさい。私は雨ケ谷 春海っていうの」
「春海ちゃんね、りょーかい。よろしく~」
お互いに自己紹介を済ませたところで、いつも気になっていたことを聞いてみることにした。
「何で叫びながら水切りしてたの?」
「結構スッキリするのよ。颯季クンもやってみたら?」
「はは、オレは遠慮しとくわ」
「そーお? 残念」
彼女はおもむろに足元の石を拾い上げると、河に向かってサイドスローした。実にキレの良いフォームだ。
回転のかかった平たい石は水面を駆け抜け、あっという間に対岸に上陸してしまった。
「ヒューッ、かっくいー」
「ありがと。いつも此処で水切りをしていたら上手くなっちゃった」
「春海ちゃんのガッツすげぇわ」
知ってる。なーんて言えないんで、オーバーにリアクションを取ってみた。
「んもー、オーバーなんだから。ああ、そういえば此処にはよく通ってるんだけど、人に会うのは初めてね」
「でしょでしょ? 何か知らないけど、誰も来ないんだよねぇ」
この河には河童が住んでいて、攫われるーだとか、神隠しされるーだとか、そういう伝承っつーか風評被害は無いことも無いケド。
ま、人に踏み荒らされるよりはこのままの方がいい。
「颯季クンはよく来るの?」
「もっち。近所に住んでるしね」
嘘は言っていない。山に住んでるし。
「えー! じゃあどうして会ったことが無いんだろう」
「さぁ? もしかしたらいつのまにかすれ違っていたのかも?」
オレの言葉に、彼女は首を傾げた。
「意味深な言い方をするのね?」
「意味深な物言いをするのが魅力的な男の秘訣でっす」
「やだぁ~冗談きつーい!」
「辛辣~!」
人間と他愛のない話をする、ただそれだけの時間。なかなか気分が良い。
少女は思いのほか明るくさっぱりとした性格だった。
今まで観察してきて、彼女を知っている気になっていたが、知らないこともまだあるようだ。
オレとしたことが、分析が甘かったな。
「ねぇ、また此処に来たら会える?」
帰る時間になったのだろう。彼女はぽつりと呟くように尋ねてきた。
「……待ってるよ」
オレはいつでも此処にいる。君もいつも通りに来ると良い。
たまには傍観者でなく、当事者になってみるのも悪くない。
「わかった。またね、颯季クン」
彼女は可愛らしく微笑むと、この場を後にした。
あの少女も、オレが過ごす長い時間の内の一瞬の記録。瞬きをする間に消えてしまうだろう。
時は容赦なく流れ、此処に居る人、居た人、全ては消える。そして、新たな時代に書き換えられるのだ。
オレはほんの束の間の物語を覗き見て、記録を残す。
有象無象の人間は確かにそこに在った。そんな証を、誰に伝えるわけでもなく残し続ける。
使命でもなんでもない、ただの趣味だ。
今回も趣味の一環に過ぎない。いつも通りの有象無象のひとつだ。
……と思っていたのに。
すぐに消えてしまう儚い記録が、生涯で最大の重要な記憶になるなんて、誰が予想出来ただろうか。
ただの好奇心は、別の感情へと変異する。
桜が散り、入れ替わるように芽吹いた新緑が眩しい。そんな初夏の河辺。
透き通った水面は太陽の光を反射し、より一層輝いて見えた。
山から降りてきた風が河を通り抜け、一人の少女のスカートをめくり上げる。
「きゃっ!」
彼女は短い悲鳴を上げつつ、スカートの前後を押さえるのであった。なるほど白か。
エッチな風を吹かせたのはオレだけど、特に悪気はないし反省もしない。天狗とはそういうものだ。
人間の男児は女児のスカートをめくり、下着を見るという遊びが好きらしい。
どういう『気持ち』になるのか検証してみたが、特に何も感じない。
長年『記録』をし続けているが、まだまだ人間はわからないものだ。
「恋のばかやろー!」
おっと、あの子が何か言いだしたぞ。
コイノバカヤロー?
恋に馬鹿と言うくらいだ、失恋でもしたのだろう。彼女はことあるごとにこの河辺に来て、水切りをしながら何か叫ぶのだ。
それにしても、水切りの腕が毎回上がっている。
この前は石が七回ほど水面を跳ねたくらいだったが、今は十回に増えた。
***
——あの子を観察し始めたのは、五年ほど前からだ。
この河辺は河童が小屋を作って平然と暮らしているくらい、人が来ない。
とは言っても、江戸の頃まではまだ常連もいたな。
あいつはよく爺サンに相撲を取らされていたっけ。毎度毎度、あらゆる策で爺さんの頭の皿から水を零して勝っていたな。めっちゃ面白かったわ。
でも、あいつの最期は酷えモンだったなぁ。今では自分を殺した人間たちの守護とは恐れ入る。色んな意味で。
おっと、話が逸れたな。
とりあえず、最後の常連が死んでから現在までは、此処で飯を狩る人間はいない。
そういうわけで、あまり忍ぶ必要も無いのだ。
オレがそんな穴場で釣りに興じている時、あの子が来た。
『ばかやろー!』
第一声もコレだった。
人間が来た、と慌てて姿を消し、イレギュラーなお客さんを観察する。
まだ幼さは残っているが、第二次性徴期は迎えたくらいの歳だろうか。
栗色の髪を一本にまとめ上げ、アクセントに白いシュシュをつけている。
目がぱっちりと大きく、肌は雪のような白さ、唇はりんごのように赤い……ってこれシラユキヒメの特徴だな。シラユキヒメは黒髪だが。
とりあえず、あの子は童話の中の姫様のように、上等な容姿を持っているということだ。
彼女は『ちくしょー!』と喚きながら、河に石を投げ込む。
石はドボンと音を立て、川底へ沈んでいった。
喚きながら河に石を投げ込む行為は、正直理解に苦しんだ。
何が目的なのかわからない。わからないからこそ人間は面白いのだが、それにも限度はあるだろうに。
『あー、すっきりしたー』
彼女はひとしきり叫ぶと、満足げに河辺を去っていった。
揺れるポニーテールの髪が、来た時よりも少しだけ元気そうに見えたのは……気のせいでもないだろう。
****
彼女は例に漏れず、散々あーだこーだと叫び、すっきりした顔で去っていく。
まだ、わからない。わからないけれど……。
「面白いな」
いつか、石が対岸に届く日が来るだろう。それまではそっと見守り続けよう。
穴場の侵略者は、今日も今日とて水を切る。
オレはそれを観察する。
ほんの一瞬の、密かな楽しみ。
今度はいつ来るだろうか。
***************
「颯季クン」
ニコニコしながらオレをそう呼ぶのは、事あるごとに河辺で水切りをしながら喚いていたあの子である。
水切りがついに対岸まで到達したんで、思い切って声を掛けてみたのだ。
そうしたら名前を尋ねられたんで、今は五月だからという理由で『サツキ』と答えた。
字はどう書くの聞かれ、『考えていない』と答えたらアラ不思議。『颯季』というステキな名前を頂いてしまったのであった。
「ところで、オレだけ名乗るのはフェアじゃなくなーい?」
「そうね、ごめんなさい。私は雨ケ谷 春海っていうの」
「春海ちゃんね、りょーかい。よろしく~」
お互いに自己紹介を済ませたところで、いつも気になっていたことを聞いてみることにした。
「何で叫びながら水切りしてたの?」
「結構スッキリするのよ。颯季クンもやってみたら?」
「はは、オレは遠慮しとくわ」
「そーお? 残念」
彼女はおもむろに足元の石を拾い上げると、河に向かってサイドスローした。実にキレの良いフォームだ。
回転のかかった平たい石は水面を駆け抜け、あっという間に対岸に上陸してしまった。
「ヒューッ、かっくいー」
「ありがと。いつも此処で水切りをしていたら上手くなっちゃった」
「春海ちゃんのガッツすげぇわ」
知ってる。なーんて言えないんで、オーバーにリアクションを取ってみた。
「んもー、オーバーなんだから。ああ、そういえば此処にはよく通ってるんだけど、人に会うのは初めてね」
「でしょでしょ? 何か知らないけど、誰も来ないんだよねぇ」
この河には河童が住んでいて、攫われるーだとか、神隠しされるーだとか、そういう伝承っつーか風評被害は無いことも無いケド。
ま、人に踏み荒らされるよりはこのままの方がいい。
「颯季クンはよく来るの?」
「もっち。近所に住んでるしね」
嘘は言っていない。山に住んでるし。
「えー! じゃあどうして会ったことが無いんだろう」
「さぁ? もしかしたらいつのまにかすれ違っていたのかも?」
オレの言葉に、彼女は首を傾げた。
「意味深な言い方をするのね?」
「意味深な物言いをするのが魅力的な男の秘訣でっす」
「やだぁ~冗談きつーい!」
「辛辣~!」
人間と他愛のない話をする、ただそれだけの時間。なかなか気分が良い。
少女は思いのほか明るくさっぱりとした性格だった。
今まで観察してきて、彼女を知っている気になっていたが、知らないこともまだあるようだ。
オレとしたことが、分析が甘かったな。
「ねぇ、また此処に来たら会える?」
帰る時間になったのだろう。彼女はぽつりと呟くように尋ねてきた。
「……待ってるよ」
オレはいつでも此処にいる。君もいつも通りに来ると良い。
たまには傍観者でなく、当事者になってみるのも悪くない。
「わかった。またね、颯季クン」
彼女は可愛らしく微笑むと、この場を後にした。
あの少女も、オレが過ごす長い時間の内の一瞬の記録。瞬きをする間に消えてしまうだろう。
時は容赦なく流れ、此処に居る人、居た人、全ては消える。そして、新たな時代に書き換えられるのだ。
オレはほんの束の間の物語を覗き見て、記録を残す。
有象無象の人間は確かにそこに在った。そんな証を、誰に伝えるわけでもなく残し続ける。
使命でもなんでもない、ただの趣味だ。
今回も趣味の一環に過ぎない。いつも通りの有象無象のひとつだ。
……と思っていたのに。
すぐに消えてしまう儚い記録が、生涯で最大の重要な記憶になるなんて、誰が予想出来ただろうか。
ただの好奇心は、別の感情へと変異する。
0
お気に入りに追加
102
あなたにおすすめの小説
校長室のソファの染みを知っていますか?
フルーツパフェ
大衆娯楽
校長室ならば必ず置かれている黒いソファ。
しかしそれが何のために置かれているのか、考えたことはあるだろうか。
座面にこびりついた幾つもの染みが、その真実を物語る
王が気づいたのはあれから十年後
基本二度寝
恋愛
王太子は妃の肩を抱き、反対の手には息子の手を握る。
妃はまだ小さい娘を抱えて、夫に寄り添っていた。
仲睦まじいその王族家族の姿は、国民にも評判がよかった。
側室を取ることもなく、子に恵まれた王家。
王太子は妃を優しく見つめ、妃も王太子を愛しく見つめ返す。
王太子は今日、父から王の座を譲り受けた。
新たな国王の誕生だった。
王子を身籠りました
青の雀
恋愛
婚約者である王太子から、毒を盛って殺そうとした冤罪をかけられ収監されるが、その時すでに王太子の子供を身籠っていたセレンティー。
王太子に黙って、出産するも子供の容姿が王家特有の金髪金眼だった。
再び、王太子が毒を盛られ、死にかけた時、我が子と対面するが…というお話。
隣の席の女の子がエッチだったのでおっぱい揉んでみたら発情されました
ねんごろ
恋愛
隣の女の子がエッチすぎて、思わず授業中に胸を揉んでしまったら……
という、とんでもないお話を書きました。
ぜひ読んでください。
【R18】僕の筆おろし日記(高校生の僕は親友の家で彼の母親と倫ならぬ禁断の行為を…初体験の相手は美しい人妻だった)
幻田恋人
恋愛
夏休みも終盤に入って、僕は親友の家で一緒に宿題をする事になった。
でも、その家には僕が以前から大人の女性として憧れていた親友の母親で、とても魅力的な人妻の小百合がいた。
親友のいない家の中で僕と小百合の二人だけの時間が始まる。
童貞の僕は小百合の美しさに圧倒され、次第に彼女との濃厚な大人の関係に陥っていく。
許されるはずのない、男子高校生の僕と親友の母親との倫を外れた禁断の愛欲の行為が親友の家で展開されていく…
僕はもう我慢の限界を超えてしまった… 早く小百合さんの中に…
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる