白鬼

藤田 秋

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第十六章 夏の河と風

16-10 夏の河と風

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* * * * * * * *

 桜が散り、入れ替わるように芽吹いた新緑が眩しい。そんな初夏の河辺。
 透き通った水面は太陽の光を反射し、より一層輝いて見えた。

 山から降りてきた風が河を通り抜け、一人の少女のスカートをめくり上げる。

「きゃっ!」
 彼女は短い悲鳴を上げつつ、スカートの前後を押さえるのであった。なるほど白か。

 エッチな風を吹かせたのはオレだけど、特に悪気はないし反省もしない。天狗とはそういうものだ。

 人間の男児は女児のスカートをめくり、下着を見るという遊びが好きらしい。
 どういう『気持ち』になるのか検証してみたが、特に何も感じない。

 長年『記録』をし続けているが、まだまだ人間はわからないものだ。

「恋のばかやろー!」
 おっと、あの子が何か言いだしたぞ。

 コイノバカヤロー?
 恋に馬鹿と言うくらいだ、失恋でもしたのだろう。彼女はことあるごとにこの河辺に来て、水切りをしながら何か叫ぶのだ。

 それにしても、水切りの腕が毎回上がっている。
 この前は石が七回ほど水面を跳ねたくらいだったが、今は十回に増えた。

***

 ——あの子を観察し始めたのは、五年ほど前からだ。

 この河辺は河童が小屋を作って平然と暮らしているくらい、人が来ない。

 とは言っても、江戸の頃まではまだ常連もいたな。
 あいつはよく爺サンに相撲を取らされていたっけ。毎度毎度、あらゆる策で爺さんの頭の皿から水を零して勝っていたな。めっちゃ面白かったわ。

 でも、あいつの最期は酷えモンだったなぁ。今では自分を殺した人間たちの守護とは恐れ入る。色んな意味で。

 おっと、話が逸れたな。
 とりあえず、最後の常連が死んでから現在までは、此処で飯を狩る人間はいない。

 そういうわけで、あまり忍ぶ必要も無いのだ。
 オレがそんな穴場で釣りに興じている時、あの子が来た。

『ばかやろー!』
 第一声もコレだった。
 人間が来た、と慌てて姿を消し、イレギュラーなお客さんを観察する。

 まだ幼さは残っているが、第二次性徴期は迎えたくらいの歳だろうか。
 栗色の髪を一本にまとめ上げ、アクセントに白いシュシュをつけている。

 目がぱっちりと大きく、肌は雪のような白さ、唇はりんごのように赤い……ってこれシラユキヒメの特徴だな。シラユキヒメは黒髪だが。

 とりあえず、あの子は童話の中の姫様のように、上等な容姿を持っているということだ。

 彼女は『ちくしょー!』と喚きながら、河に石を投げ込む。
 石はドボンと音を立て、川底へ沈んでいった。

 喚きながら河に石を投げ込む行為は、正直理解に苦しんだ。
 何が目的なのかわからない。わからないからこそ人間は面白いのだが、それにも限度はあるだろうに。

『あー、すっきりしたー』
 彼女はひとしきり叫ぶと、満足げに河辺を去っていった。

 揺れるポニーテールの髪が、来た時よりも少しだけ元気そうに見えたのは……気のせいでもないだろう。

****

 彼女は例に漏れず、散々あーだこーだと叫び、すっきりした顔で去っていく。
 まだ、わからない。わからないけれど……。

「面白いな」
 いつか、石が対岸に届く日が来るだろう。それまではそっと見守り続けよう。

 穴場の侵略者は、今日も今日とて水を切る。
 オレはそれを観察する。
 ほんの一瞬の、密かな楽しみ。

 今度はいつ来るだろうか。

***************

颯季さつきクン」
 ニコニコしながらオレをそう呼ぶのは、事あるごとに河辺で水切りをしながら喚いていたあの子である。

 水切りがついに対岸まで到達したんで、思い切って声を掛けてみたのだ。

 そうしたら名前を尋ねられたんで、今は五月だからという理由で『サツキ』と答えた。

 字はどう書くの聞かれ、『考えていない』と答えたらアラ不思議。『颯季』というステキな名前を頂いてしまったのであった。

「ところで、オレだけ名乗るのはフェアじゃなくなーい?」
「そうね、ごめんなさい。私は雨ケ谷あまがや 春海はるみっていうの」
「春海ちゃんね、りょーかい。よろしく~」

 お互いに自己紹介を済ませたところで、いつも気になっていたことを聞いてみることにした。

「何で叫びながら水切りしてたの?」
「結構スッキリするのよ。颯季クンもやってみたら?」
「はは、オレは遠慮しとくわ」
「そーお? 残念」

 彼女はおもむろに足元の石を拾い上げると、河に向かってサイドスローした。実にキレの良いフォームだ。

 回転のかかった平たい石は水面を駆け抜け、あっという間に対岸に上陸してしまった。

「ヒューッ、かっくいー」
「ありがと。いつも此処で水切りをしていたら上手くなっちゃった」
「春海ちゃんのガッツすげぇわ」
 知ってる。なーんて言えないんで、オーバーにリアクションを取ってみた。

「んもー、オーバーなんだから。ああ、そういえば此処にはよく通ってるんだけど、人に会うのは初めてね」
「でしょでしょ? 何か知らないけど、誰も来ないんだよねぇ」

 この河には河童が住んでいて、攫われるーだとか、神隠しされるーだとか、そういう伝承っつーか風評被害は無いことも無いケド。
 ま、人に踏み荒らされるよりはこのままの方がいい。

「颯季クンはよく来るの?」
「もっち。近所に住んでるしね」
 嘘は言っていない。山に住んでるし。

「えー! じゃあどうして会ったことが無いんだろう」
「さぁ? もしかしたら?」

 オレの言葉に、彼女は首を傾げた。

「意味深な言い方をするのね?」
「意味深な物言いをするのが魅力的な男の秘訣でっす」

「やだぁ~冗談きつーい!」
「辛辣~!」
 人間と他愛のない話をする、ただそれだけの時間。なかなか気分が良い。

 少女は思いのほか明るくさっぱりとした性格だった。
 今まで観察してきて、彼女を知っている気になっていたが、知らないこともまだあるようだ。
 オレとしたことが、分析が甘かったな。

「ねぇ、また此処に来たら会える?」
 帰る時間になったのだろう。彼女はぽつりと呟くように尋ねてきた。

「……待ってるよ」
 オレはいつでも此処にいる。君もいつも通りに来ると良い。
 たまには傍観者でなく、当事者になってみるのも悪くない。

「わかった。またね、颯季クン」
 彼女は可愛らしく微笑むと、この場を後にした。

 あの少女も、オレが過ごす長い時間の内の一瞬の記録。瞬きをする間に消えてしまうだろう。

 時は容赦なく流れ、此処に居る人、居た人、全ては消える。そして、新たな時代れきしに書き換えられるのだ。

 オレはほんの束の間の物語じんせいを覗き見て、記録を残す。
 有象無象の人間は確かにそこに在った。そんな証を、誰に伝えるわけでもなく残し続ける。

 使命でもなんでもない、ただの趣味だ。

 今回も趣味の一環に過ぎない。いつも通りの有象無象のひとつだ。
 ……と思っていたのに。

 すぐに消えてしまう儚い記録が、生涯で最大の重要なになるなんて、誰が予想出来ただろうか。

 ただの好奇心は、別の感情へと変異する。
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