白鬼

藤田 秋

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第十四章 奥底に秘めるのは

14-1 わくわくサマーセミナー

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「珀弥、君……っ!」
 私を押さえつける彼の目は、果てしなく暗く、何も映していない。

 光の灯っていない瞳で、ただただ虚ろに私を見つめているだけだった。

* * * * * * * *

 本格的に暑くなり、蒸し蒸しと湿気が身体にまとわりつく夏の日のこと。
 私たちは夏休みの最中なのに、わざわざ学校へと出向いていた。

 わくわくサマーセミナー。
 いわゆる『夏期講習』というもの。我が森央学園は生徒の学力維持・向上を目指し云々で、『夏休みも勉強しろよな!』ということらしい。

 しかも、夏期講習も出席日数にカウントされてしまうため、泣く泣く行くしかないのだ。

 私立だし、勉強に力を入れるのは当たり前だ。
 しかし、夏休みの中途半端な時期に入れるなら、序盤の休みを削って『通常授業日』にしてくれた方がまだマシだ。

 夏休みに学校に行くっていうことが嫌なんだもん!

「たりぃ、マジ無理だわー」
 翼君は私たちの心の叫びを代弁しながら突っ伏す。

「一限って何だっけ?」
「世界史よ。最初から辛いわ」
 私の問いに、なっちゃんがげんなりとしながら答えてくれた。
 世界史がトップバッターだなんて、次の授業が保たない! 眠気的な意味で。

「特進は大変だよなー。午後まで授業なんだろ?」
 誰かが私の背中に覆い被さり、思い出したくないことを確認してくる。

「うん、そうなの。って、たけし君!? 何故ここに!」
 聞き覚えのある声だと振り返れば、たけし君が眠そうな顔をして手を振っているのを発見。

 彼も私が同じ高校に通っていると気付いたらしく、ちょこちょこと此方に遊びに来るようになっていた。

「気まぐれだよ。……にしても、俺たちはともかく特進サンでもダラけんのなー」
 たけし君はあまり関心が無さそうに言う。

 私たちのクラスは特別進学クラス、通称『特進科』と呼ばれ、大学進学に力を注いでいる。
 一方、たけし君のクラスは『普通科』と呼ばれ、付属の大学にエスカレーター式で入れるのだ。

 他大学の進学に力を注ぐクラスと、そこそこの学力を保っていれば大学に入れるクラスでは学習量に差が出るようで、それが夏期講習にも反映されていた。

「特進全てがガリ勉ってわけじゃないんだよ。そして手を離せ」
 珀弥君はこれまた私たちの心を代弁し、たけし君の手首を捻り上げる。

「痛っ! お前が離せよ!」
 たけし君は悲鳴を上げると、私から離れ、珀弥君の手を乱暴に振りほどいた。

「彼氏でもねークセに、こいつのボディーガード気取りすか?」
「彼氏でもないのに随分とベタベタ触るんですね、はしたない」

 嫌悪感を隠すことなく前面に押し出す二人。
 相変わらず、仲が悪いみたい。どうしてだろう。仲良くしてくれたら嬉しいんだけどなぁ。

「千真ちゃんったら悪女だな」
「当たり前じゃない。あたしの心を惑わすくらいだもの」
「え! 何で!?」
 翼君となっちゃんが頷き合い、私は二人を交互に見て慌てたのだった。

***

 世界史が終わり、一時間目にして死屍累々の我がクラスであったが、なんとかお昼休みまで耐えきった。
 歴史・理科・英語・数学なんて順番、嫌がらせとしか思えない。

「ふおおおおお! お昼! お昼ぞ!! ひゃあああ!!」
「千真ちゃん、大丈夫?」
 私が発狂していると、志乃ちゃんがひょっこりと現れて心配してくれた。優しい。

「ありがとう。暑さのせいだね、うん」
「ここクーラーはガンガン効いてるけどね」
 珀弥君のツッコミが容赦ないね。何かのせいにしなきゃ、私の頭がおかしいことになってしまうのに。

「チマは可愛いねぇ、お姉さんがヨシヨシしてあげるねー」
 よくわからないが、なっちゃんに子供扱いをされながら頭を撫でられてしまった。
 皆の対応大人過ぎ!

「ういーっ、飯だぜー! テンションあがるぜー!」
「翼うるさい」
 良かった、翼君は仲間だった。

「ふーんだ! 翼君と私は今から同盟組むもんね!」
「マジ? 組んじゃう? 一つになっちゃう!?」
 皆が大人過ぎて寂しいので、仲間意識の持てる翼君と手を組むことにしよう。彼もノリノリだし。

 とりあえず翼君と肩を組んでみたら、珀弥君が鬼のような形相で翼君だけを睨みつけた。

「僕の言いたいことはわかるよね、翼君」
「ウン、ゴメンネ!(裏声)」
 翼君は私に『マジごめん』と耳打ちし、そそくさと肩を組むのをやめてしまった。残念。

「ほーら、中学生の昼休みじゃないんだから」
 なっちゃんが苦笑いをしながら、やっぱり私の頭を撫でてくる。また子供扱いですか!

「えぇい! 少年の心を忘るべからずだぁい!」
「お前の場合はガキ過ぎんだよ」
「痛いっ!」
 辛辣な言葉と共に、私の頭を軽く叩いてくる人。こんなの、一人しか居ない。

「ひどいよたけし君!」
 そう、たけし君だ。また遊びに来たんだ。

「たけしじゃねぇっつーの! お前はホントに馬鹿だよな。鼠の方が脳みそあるだろ」
「頭は足りないかも知れないけど、そんなに馬鹿じゃないもん!」
 人間の骨格相応の脳みそはあるはずだ。多分。

「多少は自覚してんのかよ……」
 たけし君は呆れながら頭を掻くと、私を指さす。

「今日の放課後、残れよな」
 と命令口調でそうのたまうのだ。いきなりそんなこと言われてもなぁ。暇ではあるけど。

「え? 何か用事でもあるの?」
「あるんだから言ってんだろバァカ。それだけだ、じゃーな」
 たけし君はぶっきらぼうに吐き捨てると、さっさと教室から出て行ってしまった。

 用事って何だろう。私は疑問に首を傾げながら、お弁当箱を開けた。
 やったああああ! お昼だあああ!!

「あの人、千真ちゃんに頻繁にちょっかい出してくるよね」
 志乃ちゃんはたけし君が出て行った方を見て、ぽつりと呟く。少し引き気味だ。

「小学校の時もそうだったよー。結構振り回されたかも」
 鉛筆を取り上げられたり、給食のおかずを盗られたり、チビって言われたり……意地悪だったなぁ。

「でも、好きだったのよね?」
 なっちゃんが怖いオーラを出しながら私に訊ねてくるので、怯えながらうんうんと何度も頷いた。

「意地悪だったけど、優しいところもあったから……」
 私が理由を言うと、紙パックのジュースを飲んでいた翼君が口を開く。

「やっぱアレか、ギャップにドキッとしちゃったカンジ? 映画版ジャイ*ンの法則的な?」
「狗宮君、それ以上言っちゃいけない」
 常識人・志乃ちゃんは誰かの刺客なのだろうか。

 ほんのりとコントが繰り広げられるなか、珀弥君が虚ろな目をしながらとんでもないことを言い放った。

「……たけし君もさ、千真さんのこと……好きだったんだろうね」
 そして、彼の手の中で箸が無惨に折れる。ああっ、勿体無い!

「あの、もう一回言って貰っていいですか?」
「たけし君も千真さんのことを好きだったんだろうね」
 珀弥君は機械的に台詞を繰り返す。

「つまりどういうことなんだってばよ……」
「そのままの意味ですよ。当時はきっと両想いだったんでしょう。ヨカッタネ」

 心の籠もっていない『よかったね』の後、珀弥君はペットボトルのお茶をぐいっと飲む。
 その様は、やけ酒を呷る哀愁漂うお父さんの様だった。

「え、ええええ! お父さん! 冗談はお止しなさいな!」
「本当に冗談ならもっと笑えるものを用意するけどね」

 私のボケにも突っ込んでくれないくらいだから、本気で言っているのだろう。
 いや、でも、信じられない。たけし君が私なんかを好きだったなんて……。

「でも、どうしてそう思ったの?」
「見てれば判るよ」

「ま、そうだな」
「そうね……」
「そうだねぇ」
 珀弥君だけでなく、他の皆も気付いていたみたい。何このアウェー感。

「か、解説を求めます!」
「そう仰ると予想していましたので、こちらのパネルを用意致しました」

 珀弥君は机の下から、ノートを開いた大きさ程度のパネルを取り出した。いつ用意してたんだろう。

 でも、内容はド真ん中に『ガキ大将』と殴り書きがあるだけで、どう見ても解説用じゃない。

「このパネルは関係ないよ」
「やっぱり関係ないんだ」

「とりあえず、小学生くらいの男子は『好きな女の子にやたらとちょっかいを出す』生き物です。ついでにやり過ぎて嫌われるのも様式美」
「ほうほう」
 やたらとちょっかいを出されましたね。……えっ。

「で、プールでの勝負のこと。千真さんがリコーダーで吹けなかった音まで把握してるなんて、確実に気があります。当時は君のことを凄く見ていたと思うよ」

「言われてみれば……」
 同じ小学校、クラスと言えども、私の不得意なこと(マニアック編)を把握してる人なんて、滅多に居ないはず。

「そして、極めつけに今の状況。特進科と普通科の教室は階が違うので遠いです。しかし、彼はマメに会いに来てます。それが全てです」

「おおおぅ」
 これも言われてみればそうだ。教室が遠くて面倒くさいのに、わざわざ来るなんて……。

「ど、どうしよう」
 今更。今更なのに、顔が熱くなってきてしまった。戸惑いの中に、ほんの少しの嬉しさがこみ上げる。

 珀弥君は何も言わず、にこりと笑った。
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