白鬼

藤田 秋

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第零章 千年目の彼岸桜 後編

0-47 神にされた男

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***

「あっという間だったわね」
 真は丘の上で桜の木を見上げる。

 昨日まで満開だった桜の花は、一枚も残さず全て散っていた。花びらすら何処かに消えてしまい、咲いていたことさえ幻だったかのように思える。

 雨は弱くなったものの、まだシトシトと降っている。珀蓮の祟りでない以上、天候について解決するわけがなかったのだ。

 桜の下に横たえられていた子供たちの亡骸は、全て親のもとへと返した。
 親は当然悲しみにくれていたが、真たちには掛ける言葉が見つからなかった。

 真も子供たちを奪われる恐怖は理解できる。
 だが、失ってしまった悲しみは、実際に失った者しか理解できない。だからこそ、軽率な言葉は控えたのだ。

 身勝手な人々の犠牲になった子供たち。
 しかし、仇を討とうとしても、その仇すら既に死んでいる。

 なんと後味の悪い事件であろうか。

「もう、此処にはいないかもしれないけれど……」
 真は懐を探る。

 彼女が取り出したのは、赤い髪紐。
 昔、珀蓮に贈った物だったが、いつの間にか手元にあったのだ。

 手の届く位置に伸びている桜の枝を探し、そこに髪紐を結びつける。

「やっぱり、珀蓮に着けていて欲しいな」
 彼女は珀蓮の墓標に笑いかけた。

 小百合は何となく、敗北した気分になった。
 真から詳しく聞いたわけではないが、彼女の様子を見て判る。珀蓮と真は強い絆で結ばれていたのだと。

 珀蓮の想い人も、恐らく真なのだと気付いていた。

 しかし、悔しくはなかった。
 小百合の宿敵となるべき女性が、強くて優しい人であったから。負けたとしても、清々しい気分になった。

 その様子を見ていた狐珱は、口元を綻ばせる。お主は罪な奴じゃ、と桜を見つめながら。

「さ、帰ろうか。珀弥と千真が待っているわ」
 真はすっきりとした顔で振り返った。
 狐珱は同意したのか、首をコキコキと鳴らし、前に進み出る。

「ああ、そうじゃの。儂の分身がちび共の世話に疲れたと申しておる」
「え、わかるの?」
「儂を誰じゃと思っとる」

 狐珱は心外だと云わんばかりの驚いた表情。
 昨日、鬼と死闘を繰り広げた勇ましい九尾と同じ妖怪とは思えなかった。

「ごめんごめん。帰ったら美味しい油揚げあげるから、ね?」
「ふんっ」
 そっぽを向く狐珱にクスリと笑いつつ、真は小百合に目を向けた。

「さようなら。元気でね」
「はい、真さんもお元気で」
 二人は微笑み合い、別れの言葉を交わす。

「狐珱も元気でね」
 小百合が狐珱に呼び掛けると、彼は『じゃあの』と一言返した。

* * * * * * * *

 惨劇の数日後のこと。

 珀蓮が還ったことを知らない人々は、雨がまだ止まなかったり、人が死んでしまったのは、『白鬼の祟り』だと怯えていた。

 そして、珀蓮が住んでいた丘に神社を建てて怒りを鎮めようと、地主の黎藤家に訴えた。
 左兵衛は珀蓮への後ろめたさがあった為、間もなく了承した。

 神社を立てるには時間が掛かるため、まずは仮の小規模なやしろが造られた。
 社が造られると、人々はそれに参拝し、怒りを静めてくださいと手を合わせる。

 珀蓮には聞こえていないことも知らず、人々は毎日毎日手を合わせ続けた。

 暫く時が経ち、神社が完成した。

 怨霊の怒りを収めるための神社であったが、完成する前に雨は止んでいた。
 長い雨は怨霊の仕業ではなかったのだが、人々は許してくれたと喜ぶ。

 人々が完成を祝い、踊り、歌い、祭りを催す。賑やかな雰囲気の中、その様子を気に食わなそうに眺めている者が居た。

「阿呆め」
 それは珀蓮の元式神、狐珱であった。
 彼は桜の木の上に座りながら、人々の宴会を見下ろしている。

 自分の都合で人を殺し、立場が悪くなれば体裁だけは整え、状況が良くなればお祭り騒ぎ。
 それが気に食わない。

「哀れよの、白天童子とやら」
 珀蓮は白き鬼の神という意味で、白天童子と名付けられた。
 ただ勝手に、神として祀り上げられたのだ。

 神社が完成してから、里では不思議なことが起こっていた。

 前までは荒れていた天気だったが、今は程よい太陽、程よい雨、程よい気温に恵まれ、農作物がよく育つようになったのだ。
 これなら、豊作も期待できる。

 他にも、急に経済が良くなったり、嵐が上手い具合に里を逸れたり、あらゆる奇跡が連続した。

 人々は喜び、神社の参拝客は更に増えた。
 それは同時に、白天童子への信仰心が高まりつつあるということだった。

「……ふん」
 狐珱は悪態をつきながらも、こっそりと神社に居座っていた。

 来る日も来る日も、参拝しに訪れる人々を不機嫌そうに眺めている。
 どうして居座っているのかは、彼にしかわからない。ただ、幻術に身を隠しながら、桜の木の上から境内を眺めているのだ。

 彼は気まぐれで桜から降り、拝殿の方へと回った。目的は、人々が持ってくる供え物のつまみ食いだ。

 供物を受け取る神など居ないのじゃ、なら儂が貰ってやろう。と、図々しく考えながら拝殿へとたどり着く。

 賽銭箱の周りに並べられた供物たち。
 人が居るにも関わらず、大胆にも狐珱はそれに手を伸ばした。
 幻術で目くらましをしている彼の姿は誰にも見えない為、堂々と盗みを働けるのだ。

 饅頭に指先が触れようとしたとき。

 ——こらーっ! それは私のなのですーっ!——

「ぬっ!?」
 狐珱は手を止める。
 空耳だろうか。何か、妙な声が聞こえた気がする。

 それも、どこか懐かしい声音のような……。

「気のせいかの?」
 狐珱は気を取り直し、つまみ食いを働こうと手を伸ばした。

 ——駄目なのです!——
 今度こそ聞こえた。後ろから、女の子のような高い声が。

「のっ!?」
 狐珱が慌てて振り返る。

 ——そこには白髪の子供がちょこんと立っていた。

 という表現には若干の語弊がある。正確には、地面からわずかに浮き、宙に漂っていたのだ。
 とても、人間に為せる業ではない。

 白い長髪を赤い髪紐で纏め、身体には天女の羽衣のように呪符をまとっている。
 女の子のような顔立ちに、緑色の瞳。

 狐珱はこの顔を知っている。

「珀蓮……!?」
 封印した筈の友が、再び姿を現したのだ。

 しかし、『感動の再会』にはならなかった。何故なら——。

「はう? はくれん、さん……それはどちら様でしょうか?」
 子供が不思議そうに首を傾げたからだ。

 『初めてその単語を聞いた』と云わんばかりに拙く繰り返した様は、冗談を言っているようには思えなかった。
 本当に、わからないのだ。

「何じゃ……お主は……」
 呆然としながら、ぽろりと疑問がこぼれ落ちる。
 目の前にいる、友人によく似た幽霊は誰なのだと。

「妖怪さん?」
 子どもは狐珱を見上げ、どうしたのかと声を掛ける。
 名前も呼ばず、『妖怪さん』と他人行儀。狐珱のこともわからないようだ。

「はう……。私は生まれたばかりなので、わからないことだらけなのです」
 何も答えない狐珱に申し訳ないと思ったのか、少し俯き自分の状況を説明する。

「しかし、私は人の喜ぶ顔を見るのがで、いっぱいお願い事を叶えております」
 前半は推測、後半はそれに基づいての行動。自分の性質も把握していないようだ。

「ええと、ええと……」
 今度は何を伝えようかと悩んでいるが、それもわからなくなっている。
 漠然とした存在を目に、狐珱は何かに気づいたように『あっ』と声を上げた。

「……そうか、お主は白天童子じゃったかの」
 彼は納得して頷き、恨めしそうに白天童子の頬を摘む。
 鬼神は突然のことに驚き、泣きべそをかきながら暴れ出した。

「ふえええっ、痛いのです!」
「阿呆、痛みは感じぬじゃろ」
「はっ!」

 白天童子は珀蓮であって珀蓮ではない。
 珀蓮への信仰心から造られた、似て非なる存在であったのだ。

 根本は珀蓮の魂なのかもしれないが、彼は生まれたばかりの赤ん坊と、何ら変わりはなかった。

「むう、妖怪さんは意地悪なのです!」
 頬を膨らませ、短い腕を突き上げながらぷりぷりと怒る神。
 狐珱はくつくつと笑いながら、腕を組んだ。

「お主が無知なのが悪い」
「うー……」
 理不尽なことを言われたが、白天童子は言い返す言葉が見つからない。
 自分が無知であるということは間違っていないからだ。

「……ならば、貴方が教えてください。私のことを知っているのでしょう?」
 彼は狐珱を真っ直ぐと見る。
 好奇心旺盛な翡翠の瞳。それは、桜の下で眠る友人の姿と重なった。

「よく似た奴なら知っておる。お主は、奴に成るのか?」
「はい!」
 元気いっぱいに返事をする。目をきらきらと輝かせ、興味津々に身を乗り出した。

「では、儂が知ってることは教えてやる。じゃが、奴に成りたいのならば、お主自身で奇跡を起こすが良い」
 狐珱の心に、ほんの少しの気紛れが働いた。

 珀蓮とは別の存在で、何の繋がりも無いのかもしれない。
 もしかしたら糸一本ほどの因縁があるかもしれない。

 ならば、その糸の存在を信じて奇跡を起こそうではないか。

「わかりました、!」
 また元気良く返す白天童子に、狐珱は目を丸くする。
 本人は自覚がないのか、『妖怪さん』が驚いていることに関して首を傾げた。

「ふっ……」
 自分の信じる奇跡は起こるかもしれない。そう確信し、狐珱はニヤリと笑う。

「儂は厳しいぞ、珀蓮」
 初めまして、久しぶり。
 どうやら、約束が果たされるまで、もう少しだけ時間が掛かるようだ。
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